北村さんちの遺跡めぐり
更新日2020/10/14
羽咋市歴史民俗資料館の夏季企画展
「探検!羽咋の古墳」
七尾市・羽咋市・宝達志水町・中能登町が連携して企画した「能登の古墳」を見学した。
まず、 羽咋市歴史民俗資料館の夏季企画展「探検!羽咋の古墳」へ。
(七尾市の展示は、自粛期間中ため、中止になったと思われる。)
地図g
羽咋市歴史民俗資料館
資料館に入ったところに板碑が展示してある。
朝日山出土板碑 | 羽咋市指定文化財 撮影日2020/9/6 |
羽咋市福水町の朝日山で発見された板碑 昭和54年の送電線鉄塔工事による発掘調査で出土。 板碑とは、石造りの卒塔婆や供養塔の一種で、 五輪塔などとともに中世の仏教信仰を特徴づける石造物資料。 この板碑は、自然石の平坦面を利用して、中央に梵字(サンスクリット)が彫られている。 とくに、右側の板碑には制作年が彫られていて、 鎌倉時代の蒙古襲来のころ、弘安2年(1279)に造られたことがわかる。 これは北陸地方の最古の板碑である。 発見後、朝日山にあった福水町の白山神社の奥宮に置かれていたが、 平成17年に起きた大規模な地すべりにより鉄塔が倒壊し、奥宮にも影響が出たため、 山から降ろされて当館で保存している。 |
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板碑 実物 |
拓本 |
「探検!羽咋の古墳」パンフレット
羽咋には、109基の古墳が見つかっている。
羽咋の主な古墳
柴垣古墳群 | 柴垣円山1号墳 | 直径21mの円墳 |
柴垣観音山古墳 | 直径43mの円墳 | |
柴垣親王塚古墳 | 全長39mの前方後円墳 | |
滝古墳群 | 滝大塚古墳 | 全長90mの帆立貝式古墳 |
滝3号墳 | 直径16mの円墳 | |
柳田古墳群 | 柳田山伏山古墳 | 全長49mの前方後円墳 |
柳田宮の山古墳 | 直径42mの円墳 | |
羽咋古墳群 | 羽咋大塚 | 全長不明の前方後円墳? |
地図g
後日、関連した写真も撮ったので、その時の写真も一緒に掲載する。
滝古墳群 |
羽咋市滝 |
滝古墳群は、日本海に面する海岸段丘ぎわにつくられた古墳群
5世紀中ごろの滝大塚古墳にはじまり、6世紀末ごろまで古墳が作られ続けたと考えられている。
滝古墳群配置図
滝大塚古墳 | 全長90mの 帆立貝式古墳 |
滝1号墳 | 直径20mの円墳 |
滝2号墳 | 直径25mの円墳 |
滝3号墳(消滅) | 直径18mの円墳 |
滝6号墳 | 直径20mの円墳 |
(説明板から)
滝大塚古墳 | |
全長90m(推定)の帆立貝式古墳 日本海側屈指の規模を誇る 二つの造出しがある。 5世紀代の円筒埴輪や須恵器片が発見されている。 周囲に盾形の周溝があり、墳丘には葺石を一面に敷き詰めて円筒埴輪を並べ、 海側からよく見える古墳だった。 昭和20年代後半以降に国道設備等により埋葬施設を含む大部分が削られてしまった。 |
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滝大塚古墳群推定範囲 (展示から) 地上部が消失しているが、 昭和27年の空中写真などで、 ある程度復元できている。 |
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滝大塚古墳 空中写真 北と東に造出しがある。 (展示から) |
滝大塚古墳出土の 円筒埴輪・朝顔形埴輪片 (展示から) |
滝3号墳 消滅している | |
6世紀初頭につくられた直径18mの円墳 横穴式石室がある。 石室内部から、 器台に載せられたハソウなどの「祭器」とみられる特殊な須恵器、 直刀・鉄鏃などの「武具」、轡・辻金具・鈴杏葉などの「馬具」、装身具などが出土した。 なかでも馬具の鈴杏葉は、能登では唯一の出土。 |
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消滅前の滝3号墳 (展示から) |
横穴式石室 (展示から) |
出土した須恵器広口壺 ハソウ 器台 器台にハソウが乗る状態で出土した (展示から) |
上段・直刀 下段 左から 馬具「辻金具」 馬具「絞具」 鉄鏃 (展示から) |
左・馬具「轡」 鉄製の馬の装身具 手綱を引くための鏡板と軸部 右・馬具「鈴杏葉」 馬の胸や尻部に取り付けた飾金具 鈴の付いたものは貴重 (展示から) |
滝1号墳・6号墳・2号墳は残っている。
撮影日2020/9/19 | |
6号墳の北側の道路沿いに説明板 |
説明板 |
西から見た 左・6号墳 右・2号墳 |
6号墳 |
2号墳 |
1号墳 |
9月19日で、雑草がすごいので、冬に来なければならない。
滝古墳群オージョージ支群 | |
滝古墳群では、滝大塚古墳を中心に、周囲にたくさんの古墳がつくられたが、 少し離れた「滝灯台」周辺の海岸段丘ぎわにも、小型の円墳7基がみつかっている。 「オーショージ」とは「大清水」という意味の滝町の地名。 滝崎の最先端で眼前に日本海を望む厳しい立地だが、 飲料に適した真水も湧く、特別の場所だった。 発掘調査はされていないが、周囲の畑などから、 古墳に副葬されたとみられる須恵器や勾玉などが採集されている。 6世紀後半から末ころの築造と推定されている。 |
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滝オーショージ6号墳 葺石を有する小型の円墳 (展示から) |
滝古墳群オージョージ支群採集資料 勾玉、土器類 (展示から) |
滝古墳群オーショージ支群の北方にも、古墳がある。
現在の 滝白尾塚古墳のあたり 滝オーショージ古墳群の北にあったというが 現在は水田! 撮影日2020/9/19 |
現在の滝テングミズ古墳のあたり 手前はため池 向こう側が海 全長30mの前方後円墳 横穴式石室があるという 撮影日2020/9/19 |
現地は笹がびっしり生えていて、なかなか見学できない。
滝古墳群 のページもご覧ください
柴垣古墳群 |
羽咋市柴垣町 |
日本海と長手島をのぞむ段丘ぎわの高台にある。眺望が非常に良い場所である。
柴垣円山1号墳・柴垣観音山古墳・柴垣親王塚古墳が海に面して並び立ち5世紀から6世紀にかけての古墳群。
どの古墳も、葺石があり、観音山古墳では埴輪がある。
円山1号墳からは「短甲」が出土している。
柴垣古墳群配置図
(展示から)
柴垣観音山古墳 |
直径43mの円墳 墳丘の傾斜面には葺石がある。 上段・下段の平坦面の外周に「円筒埴輪」が立ち並べられていた 5世紀後半の築造と推定されている。 頂部に柴垣観音堂がある。 埋葬施設は未調査 |
発掘時の円筒埴輪の検出状況と推定図 (展示から) 古墳頂部の平坦面と2段目の平坦面には、 円筒埴輪が 円を描くように立ち並べられているのが発見された。 |
柴垣親王塚古墳 |
椎葉円比盗_社の背後に位置する全長35mの前方後円墳 6世紀中ごろの築造と推定されている。 人の頭ほどの大きさの比較的大ぶりな葺石で全面がおおわれていて、保存状態も良い 後円部の一部が盗掘を受けて崩されていて、石室の天井石がわずかに露出 埋葬施設は未調査だが、すき間から見ると幅2m・奥行6m以上の横穴式石室がある。 |
岩城家文書「御陵墓調査」 (展示から) 柴垣親王塚古墳のある椎葉円 比盗_社の祭神は、 反正天皇の皇女「円 比(円皇女)とされることから、 大正期の陵墓調査の対象となった。 神社と親王塚古墳の概要、周辺の古墳について提出したものとみられ、 記載内容から、大正12年以降と思われる。 収録された付図には、 葺石を表現した前方後円墳の「本墓」親王塚古墳のそばに 「倍臣塚」が2基あったことが確認できるほか、 現在は消滅した「車塚」「狐塚」の記載もあり、大正期の様子を知る好資料である。 |
柴垣親王塚古墳出土 直刀 保存状態が良く、 鞘の木質部分が残存している 須恵器片 (前方部斜面から採集) (展示から) |
消滅している「車塚」のあたり 車塚は親王塚の入口に 両側にあったようだ。 撮影日2020/9/19 |
柴垣円山1号墳 |
「堂林」「円山」とよばれる本成寺の背後の丘陵にある直径21.5mの円墳 周囲に浅い周溝がある。拳ほどの大きさの葺石が全面をおおっている。 中央に箱式石棺がある。 志賀町大島海岸でとれる板石を組み合わせた箱式石棺で、 内部は防腐効果のある多量の赤色顔料で朱塗りされ、 石材の組み合わせ部分は良質の粘土で入念に目貼りされていたので、 内部の保存状態が良く、 壮年男子人骨1体、短甲1、鉄刀2、刀子1が未盗掘の状態で発見された。 5世紀前半の築造と推定されている。 1970年(昭和45)に発掘調査 |
柴垣古墳群 のページもご覧ください
柴垣ヤッキャマ古墳 |
羽咋市滝 |
羽咋市と志賀町の境あたりで見つかった石棺!
柴垣古墳群に含まれるのかもしれない。
海岸段丘につくられた「砂の古墳」。 砂の採取工事により崩れていた石室を、地元の山菜採りの方が発見し、 緊急の発掘調査が行われた。 原形をとどめておらず、形状は不明だが、石室の内部には砂に埋もれた人骨が見えていて、 蓋石を取り外して慎重に検出作業を行った結果、 柴垣円山1号墳と同じ組み合わせ式の箱式石棺と判明した。 内部には、男性人骨1体、鹿角装剣1、刀子2、鉄鏃1が納められていた。 5世紀前半の築造と推定されている。 |
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柴垣ヤッキャマ古墳の石棺 (展示から)
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ヤッキャマ古墳出土品 左・鹿角装剣 右上鉄鏃 刀子2 |
柴垣ヤッキャマ古墳の現在のようす 撮影日2020/9/19 |
滝谷八幡神社古墳 |
羽咋市滝谷 |
柴垣古墳群と柴垣ヤッキャマ古墳の間には、滝谷八幡神社古墳があるという。
道路沿いに登り口があり、その階段を上ってすぐ、小さなお堂(妙見堂)があり、
そこからの尾根沿いの木が整理されていたので、
10mほど登ると、平坦面が広がっていて、その一角に古墳。
滝谷八幡神社古墳は、径10mの円墳 | |
墳丘 |
元は畑地だったという。 |
妙見堂 懸額には 「北辰妙見大菩薩」と刻まれている。 お堂の反対側にも、古墳状の高まりがある。 |
後で調べたら、八幡神社は、「北辰妙見大菩薩」の南東にあるようだ。
妙見堂も八幡神社の境内にあるのかもしれない。
古墳の場所は、間違いないのだが…
羽咋古墳群 |
羽咋市市街地 |
羽咋古墳群はJR羽咋駅前市街地に鎮座する式内社「羽咋神社」の周囲に広がる古墳群。
邑知潟と日本海を結ぶ「羽咋川」に「子浦川」と「長者川」が合流する交通や物流の要所にあたる立地。
羽咋古墳群配置図
御陵山古墳 (羽咋大塚)・陵墓参考地 |
大谷塚古墳 (王児塚)・陵墓参考地 |
宝塚 (稲荷塚) |
水犬塚 (薬師塚) |
痛子塚 (消滅) |
姫塚( 消滅) |
剣塚 (消滅) |
御陵山古墳 羽咋神社背後の大きな塚は「御陵山古墳(羽咋大塚)とよばれ、 祭神の磐衝別命(イワツクワケノミコト)(垂仁天皇の皇子)を祀る御陵として 宮内庁の「陵墓参考地」に指定されている。 前方後円墳とされているが、詳細は不明。 |
大谷塚古墳 隣接する「大谷塚(王児塚)は、 磐衝別命の皇子である石城別王イワキワケオウの御陵と伝わる円墳で、 「陵墓参考地」に指定されている。 |
陵墓参考地 御陵山古墳・大谷塚古墳 実測図 (昭和4年 宮内庁書陵部実測) (展示から) 表題は 磐衝別命墓 磐城別王墓命之図 石川県羽咋郡羽咋町 |
このほか周囲には、祭神の一族などを祀る 「姫塚」「痛子塚」「宝塚」「剣塚」「水犬塚」の5つの古墳があり、 2つの御陵とあわせ「羽咋七塚」とよばれている。 「姫塚」「痛子塚」「剣塚」は羽咋駅前の鉄道敷設や駅前造成により消滅。 現在は付近に植えられた樹木がかつての位置を伝えている。 残る「宝塚」「水犬塚」は少彦名社や稲荷社が祀られたので、 比較的には保存されているが、市街化で原形をとどめておらず、詳細は不明。 |
羽咋七塚 のページもご覧ください
福水円山古墳群 |
羽咋市福水町 |
羽咋と氷見、能登と越中を結ぶ交通路に位置している。
邑知平野の低地から氷見方面に進み、神子原地区の山間地域へ入る「山への境界」に立地することから、
越中への交通の要衝に拠点をおいた在地豪族の墳墓と考えられている。
福水円山古墳群は、直径15m程度の4基の小型円墳が確認されていて、 発掘調査では、台付長頚壺、提瓶、ハソウ、高坏などの須恵器の副葬品が出土。 6世紀後半の築造と推定されている。 1号墳の横穴式石室の天井石が、福水町内の力士碑「港川」に転用されている。 |
福水円山古墳群出土の 須恵器 (展示から) |
福水円山古墳群 のページもご覧ください
新保ゼンボン古墳群 |
羽咋市新保 |
新保町の海岸砂丘地の工場建設にともない、古墳が砂丘にまるごと埋もれているのが発見された。
1号墳は砂丘の砂でつくられた直径10m程度の小型円墳 2号墳では、墳頂中央に須恵器の大甕が据えられた状態で出土 死者への祭祀行為と考えられている。 埋葬施設は石材が用いられておらず、竪穴式の木棺だったと考えられていて、 ベンガラの朱塊、ガラス小玉の装飾品などが出土。 6世紀前半の築造と推定されている。
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発掘調査時の写真 (展示から) |
2号墳の頂部に据えられていた須恵器大甕 左下も2号墳出土の須恵器壺 (展示から) |
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現在の 新保ゼンボン古墳群のあたり 撮影日2020/9/1
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古墳群は、ソーラーパネルの下に埋もれているのかもしれない…。
柳田古墳群 |
羽咋市柳田 |
柳田古墳群は眉丈山の丘陵上につくられた古墳群
5世紀末ごろの柳田宮の山古墳から 6世紀題の柳田山伏山古墳・うわの古墳群にかけて合計9基がみつかっている。 とくに、柳田山伏山古墳は、 能登では早い段階の6世紀前半に片袖式の横穴式石室を導入した前方後円墳で、 心葉形(ハート形)の杏葉・辻金具などの馬具と管玉な殿装飾品が出土。 保存状態も良好で前方後円墳の形も美しく、羽咋市指定文化財に指定されている。 柳田古墳群には、葺石や埴輪がなく、滝・柴垣古墳群の「海の古墳」とは異なり対照的。 近くには、丘陵の粘土と木々を燃料とした、同時期の須恵器生産の窯跡がみつかっている。 |
柳田山伏山古墳の横穴式石室 (パンフレットから) 以前実物を見に行ったが、雑草でよく分からなかった…。 |
柳田山伏山古墳出土物 管玉 鉄鏃 須恵器 馬具(杏葉・絞具・帯金具・辻金具) |
柳田うわの古墳群の見学に行く。
2020年10月6日で、まだまだ雑草が繁茂していて見られないかと思ったが、
墓地になっていて、あまり雑草がなく、見学できた!
柳田古墳群配置図
柳田うわの1号墳 | 径16mの円墳 |
柳田うわの2号墳 | 径13mの円墳 |
柳田うわの3号墳 | 全長39mの前方後円墳 |
柳田うわの4号墳 | 径8mの円墳 |
柳田うわの5号墳 | 径10m未満の円墳 |
柳田うわの6号墳 | 径25mの円墳 |
柳田テンジク古墳 | 径15mの円墳 |
南西の道路から山道が続いている。
柳田うわの1号墳 径16mの円墳 撮影日2020/10/6 |
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柳田うわの2号墳 径13mの円墳 撮影日2020/10/6 |
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柳田うわの3号墳 全長39mの前方後円墳 撮影日2020/10/6 墳丘上に木が生えているので、全体が見えない
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柳田うわの4号墳 径8mの円墳 撮影日2020/10/6 |
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柳田うわの5号墳 径10m未満の円墳 撮影日2020/10/6 |
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柳田うわの6号墳 径25mの円墳 |
柳田テンジク古墳は、公園の中にある?!
柳田テンジク古墳 径15mの円墳 | 撮影日2020/10/6 |
眉丈台地自然緑地公園の案内図に「テンジク古墳」が書かれている。 眉丈台地自然緑地公園案内図 ●が柳田テンジク古墳 藪で見られなかった… |
柳田古墳群 のページもご覧ください