北村さんちの遺跡めぐり
更新日2020/1/30
羽咋市 地図g
柴垣古墳群 |
羽咋市柴垣 |
柴垣海岸には、標高20mくらいの海岸段丘が迫っていて
その丘陵上の先端部分に古墳が造られている
日本海と長手島をのぞむ段丘ぎわの高台にある。眺望が非常に良い場所である。 柴垣円山1号墳・柴垣観音山古墳・柴垣親王塚古墳が 海に面して並び立ち5世紀から6世紀にかけての古墳群。 どの古墳も、葺石があり、観音山古墳では埴輪がある。 円山1号墳からは「短甲」が出土している。 柴垣古墳群配置図 (企画展「羽咋の古墳」展示から 2020/9/7) |
柴垣古墳群配置図
柴垣古墳群リスト
柴垣ところ塚 | 円墳 径25m・高さ4m |
T字形の横穴式石室 | 須恵器・鉄鏃 | 6世紀後半 | |
柴垣ごぜん塚 | 損壊 | T字形の横穴式石室か | 須恵器・紡錘車 | 7世紀前 | |
柴垣観音山古墳 | 円墳 径43m・高さ4.m |
二段築成 葺石あり 埋葬施設は未調査 |
円筒埴輪・朝顔形埴輪 | 5世紀後半 | |
円 山 支 群 |
円山1号墳 | 円墳 径21.5m ・高さ2.5m |
箱形石棺 | 人骨・甲・直刀・剣・刀子など | 5世紀中頃 |
円山2号墳 | 円墳 径8m | 6世紀後半 〜7世紀代 |
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円山3号墳 | 円墳 | 箱形石棺か | |||
円山4号墳 | 円墳 | ||||
円山5号墳 | 組合式箱形石棺 | ||||
円山6号墳 | 円墳 | 横穴式石室 | |||
円山7号墳 | 横穴式石室 | ||||
円山8号墳 | 円墳 径10m | 横穴式石室 | |||
円山9号墳 | 横穴式石室 | ||||
円山10号墳 | |||||
柴垣親王塚 | 前方後円墳 全長35m |
葺石あり 横穴式石室 |
須恵器の甕・壺 | 6世紀中頃 | |
柴垣車塚 | 前方後円墳 | 現存しない | |||
柴垣ヤッキャマ古墳 | 石棺露出 | 箱形石棺 | 一人分の人骨 剣・刀子・鉄鏃・土師器 |
狭義の意味では、柴垣古墳群といえば、柴垣円山古墳群・柴垣観音山古墳・柴垣親王塚古墳のことを表す。
前方後円墳2基を含む約20基ということになる。
柴垣ところ塚古墳 移築復元 (柴垣古墳群) |
羽咋市柴垣町本成寺内 |
「柴垣ところ塚古墳」は本成寺に移築保存されている。 本成寺本堂 寺の収蔵庫には、 裏山にある円山古墳からの出土品が 整備保存されている。 本成寺の墓地には 円山1号墳の石棺が保存されている。 本成寺の境内に 柴垣ところ塚古墳が復元されている。 本成寺は、 応永3(1396)年妙成寺五世日立上人が、 旧柴垣駅前付近に創建、 明治29(1896)年、時の住職日有上人が 現地に移転新築した。 庭園は古色優雅な枯山水であり、 特に大小数多くの庭石には、 地元産の滝石が配置されており 独特の風情がある。 |
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柴垣ところ塚古墳は海岸に程近い平坦な段丘上にあった。 戦後の開墾に際して墳丘のほとんどを失い、 石室下部石材が露出する状態に置かれていた。 1982(昭和57)年、圃場整備工事に先立ち、緊急発掘され、その後消滅。 羽咋市の旧歴史博物館の前庭に移築復元されたが、 1994年、コスモアイルなどの建築の際、今の本成寺に移された。 |
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柴垣ところ塚古墳全景 直径25m・高さ4mほどの円墳 と推定されている。 |
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T字型の横穴式石室 幅約0.79m・長さ1.6mの羨道部。 奥行き1.74m・幅4.46mの玄室。 6世紀後半の築造と推定されている。 出土品は、須恵器・鉄鏃 このT字型石室は全国で50数例あるが、その内の8割くらいは九州・畿内に集中。 石川県では他に能登島の蝦夷穴古墳の石室があるが、 板石を小口積みとしない点で異なる。 |
ところ塚の北西約150m地点に、柴垣ごぜん塚古墳があった。
柴垣ごぜん塚古墳 |
柴垣ところ塚古墳と同時に発掘調査された。 これも著しく損壊。 安山岩の板石で構築された石室(形は不明 T字型の石室かもしれない) 出土品は、須恵器・石製紡錘車。 7世紀代の築造と推定されている。 |
柴垣観音山古墳 (柴垣古墳群) 県指定史跡 |
羽咋市柴垣 |
直径43m・高さ4,5mの円墳 墳丘の傾斜面には葺石がある。 上段・下段の平坦面の外周に「円筒埴輪」と朝顔形埴輪が立ち並べられていた 5世紀後半の築造と推定されている。 頂部に柴垣観音堂がある。 埋葬施設は未調査 |
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柴垣観音山古墳 墳頂に観音堂がある。 |
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柴垣観音山古墳 発掘時の円筒埴輪の検出状況と推定図 古墳頂部の平坦面と2段目の平坦面には、 円筒埴輪が 円を描くように立ち並べられているのが発見された。 (企画展「羽咋の古墳」展示から 2020/9/6) |
柴垣円山1号墳 (柴垣古墳群) 県指定史跡 |
羽咋市柴垣 |
「堂林」「円山」とよばれる本成寺の背後の丘陵にある 直径21.5m・高さ2.5mの円墳 墳頂部平坦面は径13m 周囲に幅0.285m・深さ0.3mの周溝がある。 拳ほどの大きさの葺石が全面をおおっている。 中央に、長さ344cm・幅41〜66cm・高さ30〜34cmの中仕切りを持つ組合式箱形石棺がある。 志賀町大島海岸でとれる板石を組み合わせた箱式石棺で、 内部は防腐効果のある多量の赤色顔料で朱塗りされ、 石材の組み合わせ部分は良質の粘土で入念に目貼りされていたので、 内部の保存状態が良く、 壮年男子人骨1体、短甲1、鉄刀2、刀子1が未盗掘の状態で発見された。 40歳代の男性の遺体(身長158.1p)が安置されていたと考えられている。 5世紀前半の築造と推定されている。 1970年(昭和45)に発掘調査 |
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柴垣円山1号墳全景 本成寺境内の墓地の中にある。 |
円山1号墳の石棺 |
出土した短甲 (企画展「羽咋の古墳」展示から 2020/9/6) |
柴垣親王塚古墳 (柴垣古墳群) 県指定史跡 |
羽咋市柴垣 |
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椎葉円比盗_社の背後に位置する全長35mの前方後円墳 後円部径20m・高さ3.5m 前方部長さ17m・幅15.m・高さ3.5m。 人の頭ほどの大きさの比較的大ぶりな葺石で全面がおおわれていて、保存状態も良い 後円部の一部が盗掘を受けて崩されていて、石室の天井石がわずかに露出 埋葬施設は未調査だが、くびれ部付近に羨道を開く横穴式石室がある。 すき間から見ると横穴式石室は幅2m・奥行6m以上。 前方部の葺石の間から、甕や壷の破片が確認されている。 6世紀中ごろの築造と推定されている。 |
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2002年の柴垣親王塚古墳 (撮影日 2002/10/13)
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2016年の柴垣親王塚古墳 (撮影日 2016/4/10)
横穴式石室はくびれ部南側の少し高い所に入口があると思われる。 |
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2020年の柴垣親王塚古墳 (企画展「羽咋の古墳」展示から) (撮影日2020/9/6) 岩城家文書「御陵墓調査」 (展示から) 柴垣親王塚古墳のある椎葉円 比盗_社の祭神は、 反正天皇の皇女「円 比(円皇女)とされることから、 大正期の陵墓調査の対象となった。 神社と親王塚古墳の概要、周辺の古墳について提出したものとみられ、 記載内容から、大正12年以降と思われる。 収録された付図には、 葺石を表現した前方後円墳の「本墓」親王塚古墳のそばに 「倍臣塚」が2基あったことが確認できるほか、 現在は消滅した「車塚」「狐塚」の記載もあり、大正期の様子を知る好資料である。 柴垣親王塚古墳出土 直刀 保存状態が良く、 鞘の木質部分が残存している 須恵器片 (前方部斜面から採集) (展示から) 消滅している「車塚」のあたり 車塚は親王塚の入口に 両側にあったようだ。 撮影日2020/9/19 |
柴垣ヤッキャマ古墳 |
羽咋市柴垣 |
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海岸段丘につくられた「砂の古墳」。 北の志賀町との境界線近くにある。 1999年、道路の改修中、砂の採取工事により崩れていた石室を、 地元の山菜採りの方が発見し、緊急の発掘調査が行われた。 原形をとどめておらず、形状は不明だが、石室の内部には砂に埋もれた人骨が見えていて、 蓋石を取り外して慎重に検出作業を行った結果、 柴垣円山1号墳と同じ組み合わせ式の箱式石棺と判明した。 内部には、男性人骨1体、鹿角装剣1、刀子2、鉄鏃1が納められていた。 5世紀前半の築造と推定されている。 |
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羽咋市立歴史博物館には、柴垣ヤッキャマ古墳の箱式石棺が、発見当時のまま展示されている。
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ヤッキャマ古墳出土品 左・鹿角装剣 右上鉄鏃 刀子2 (企画展「羽咋の古墳」展示から)2020/9/6 |
柴垣ヤッキャマ古墳の現在のようす 撮影日2020/9/19 |