北村さんちの遺跡めぐり
更新日2016/4/18

桜満開の能登へ
 2016/4/10

石川県内では各地で「さくらまつり」が行われている4月10日、能登へ。
ほとんどが再訪の場所だが、今まで見られなかった石室を見られて大満足!!

地図g

水白鍋山古墳・再訪
ミジロナベヤマコフン    
国史跡

中能登町水白
撮影日2016/4/10

七尾へ行くとき、東往来を行くと目に入る大きな古墳。桜満開。



水白鍋山古墳の桜



水白鍋山古墳のページ


小竹ガラボウ山古墳・再訪 中能登町小竹
撮影日2016/4/10

水白鍋山古墳の次に目に入るのが小竹ガラボ山古墳



小竹ガラボ山古墳の桜



小竹ガラボ山古墳のページ



二宮古墳群・再訪

中能登町二宮
撮影日2016/4/10

二宮行人塚といわれる1号墳は、以前見学したが、2号墳は、今回初の見学となる。二宮古墳群のページ
「墓地公苑にのみや」のすぐ南に2号墳がある。

 二宮2号墳
 二宮2号墳は、昭和45年に発掘調査された。
 石室は8.7m、直刀1、鉄鏃3、須恵器6などが出土したが盗掘でほとんどが持ち出されていた。
 この古墳の特徴は、
   石室が地山を掘り込んで構築されていること、
    石室の幅が80〜100cmと狭く、県下の横穴式石室でも異例のものである。

 二宮2号墳  南から見る
 奥は「墓地公苑にのみや」

東から見た二宮2号墳

二宮2号墳の南東約50mの所には、二宮1号墳がある。

 二宮1号墳 
  1号墳は行人塚と呼ばれ、現在は覆土の大部分が削平・流出して、
  横穴式石室の天井石の一部が露出しているだけとなっている。

二宮2号墳方向から見た1号墳

二宮1号墳 大きな石材が露出している



二宮1号墳から北西方向を見ると、
     2号墳が見える



小さくてよく見えないが
写真中央あたり民家の間に2号墳の石材が見える。

墓地公苑ができて、きれいになり駐車場もあります。(墓地の駐車場ですが)

能登國総社神社

七尾市中古府町
撮影日2016/4/10

国府の近くには、総社があるということを聞き、能登国の総社神社へ。

 能登國総社神社の由来
  能登国内43社の神をまつるほか、1907年(明治40年)合祀した諏訪神社の建御名方神を祀る。
   旧社格は村社。能登国の総社。

  総社は平安中期から後期にかけて
   国司が管内の宮社などの神霊を国衙に近い地に勧請して奉幣参拝の便をはかったのに起源するという。

  社伝によれば往古大穴持命を奉祀したのに始まり
   源順(ミナモトノシタゴウ・能登ゆかりの歌人・七尾で没)が
         能登守のとき再建して能登国中の式内43座の神を勧請したという。

  「能登国式内等旧社記」には
    「惣社矢田郷古府村鎮座称惣社明神或云惣座宮。往古国府神拝之惣社也」とある。
 社殿は、七尾市指定有形文化財(建造物)
  一間社流造・柿葺で江戸時代初期の建築様式
  棟札によると寛永14年(1637)造立したもので、延宝2年(1673)には南側に建て替えたもの
 
 他には「総社三十六歌仙額 36面」と「総社三番叟図額 2面」の七尾市指定有形文化財が所蔵されている。



総社神社社叢

二ノ鳥居

一の鳥居は60mほど北の道路沿いにある。



 以前は一の鳥居から境内だったのだろうが、現在は住宅地となっている。 

二の鳥居と参道

市指定文化財の社殿

拝殿には「丸に桜」の紋が刻まれている。

力石(盤持ち石) 力比べに用いられた石

由来にもあるが、国府の近くに総社がつくられたと云われているので、近くに国府があったと考えられている。
 能登国分寺跡も、ここから約500m西にある。

三室まどがけ古墳群・再訪

七尾市中古府町
撮影日2016/4/10

ここも再訪だが、前回来たときは、藪で1号墳に行けなかった。
今回は、1号墳の石室を見ることができた。
三室まどがけ古墳群のページ




三室まどがけ古墳群全景

左・2号墳  右・3号墳

 背後の丘の林の中に
1号墳の横穴式石室が残っている。


三室まどがけ古墳群配置図


1993年、県道拡幅工事に関連して、
2・3号墳が発掘調査されて、現在地に移築された。

1号墳は3号墳の東にある登り道を行ったところにある。
最近、雑草の整理をしたのか、再調査されたのか?  立派な石室を見て感動!!

 三室まどがけ1号墳
 石室規模から推定して径25m・高さ5mほどの円墳
  横穴式石室は現存全長8.75m(元は10m)
    長さ5m・幅2mくらいの玄室に、1.45〜1.18mの羨道部がある。
    海石といわれる砂岩質堆成岩の割石を主材とする。

  出土品は  玉類・金環・銀環・直刀・鉄鏃・馬具・土師器・須恵器
             人骨・赤色顔料・貝殻・炭化物  など
  6世紀後半の築造と推定されている




林の中に石室が・・・・


羨道から玄室を見る


玄室  正面が奥壁
奥壁の石が数個、竹の根に負けて落ちてしまっている
玄門は小さな穴が開いた海石だ。

玄室奥壁から羨道方向を見る

玄門手前から羨道を見る

2号墳は、元は1号墳と並んで丘の上にあった。

 三室まどがけ2号墳
  径12mの円墳
  2号墳の敷石は対岸の能登島から運んだ安山岩。

  横穴式石室は 長さ6.5m・最大幅4.15m・深さ1.8m
  出土品は 人骨・小刀・弓の飾り金具・鉄鏃・鉄ヤス・耳環・琥珀製棗玉・銀製空玉・土器

  6世紀末〜7世紀初頭の築造と推定されている

2号墳墳丘

柵の間から横穴式石室を撮影

3号墳は、県道で削られてしまうので、移築された。

 三室まどがけ3号墳
  径14mの円墳
  平地にあり、山側だけを空濠で区画している。

  横穴式石室は長さ6m・幅1.2m   出土品は人骨と耳環、土器など

  7世紀前半の築造と推定されている。

石室の下部だけ復元されている

石組の様子
無袖式の簡略化した石室

1号墳の石室が見られて、感動です。

万行遺跡
マンギョウイセキ
国指定史跡

七尾市万行町
撮影日2016/4/10

10年ほど前に、大型の建物群跡が発見され、話題になった遺跡だ。

 万行遺跡は 能登半島の付け根東側、七尾湾を臨む標高約7mの台地に所在する
    縄文時代から中世までの複合遺跡。

 西暦3世紀後半から4世紀初頭の遺構である大型建物群は、
     臼池川に面した台地先端部に、柵か塀による区画の中に6棟所在し、
     西側3棟(建物1〜3)から東側3棟(建物4〜6)に建て替えられている。


 大型建物群は基盤目状に柱を建てる総柱式の掘立柱建物で、
     柱筋を方位に揃える高い企画性を備え、床面積が約150〜320uと巨大であり、
     弥生時代〜古墳時代には類例がみられない。

 建物は倉庫説と祭殿説とがある。

 能登地域を超えた政治勢力があったことが、うかがえる上に、
    建築史的にも貴重な遺跡であることから、国史跡に指定された。(説明板から)

発掘された遺跡  (説明板)から

大型建物群全景  (説明板)から

万行遺跡 広い空き地となっている

説明板の後ろに、大型建物群があった

万行遺跡は、竹垣の里として保存されている。

万行地域には、
 風雪を防ぎ美観を兼ねた屋敷木と
 竹で美しく結われた竹垣が残されている。

万行遺跡の周囲を竹垣でめぐらしている。

今年は七尾市で「国府サミット」が開催されるそうで、万行遺跡の有効活用が期待されますね・・・・。

諸岡比古神社
モロオカヒコジンジャ

志賀町二所宮
撮影日2016/4/10

二所宮宮山古墳群(車塚古墳群ともいうのか)を探して、諸岡比古神社へ来たが、古墳は見つからない。
すぐそばに下甘田小学校があるが、この下甘田小学校はこの3月(2016年3月)に閉校となったそうだ・・・・。

 式内社 能登國羽咋郡 諸岡比古神社は 旧郷社
  創始年代は不詳。
  伝承では、諸岡比古神は安津見鎮座の奈豆美比唐ニともに海を渡って来た神。
  はじめ百浦の海岸に漂着し、福野潟に入り、奈豆美比唐ニ別れて現在地に鎮まったという。
 御祭神・大中津日子命は、景行天皇の皇子であり、羽咋神社祭神・石撞別命(景行天皇の弟)と供に、
  能登へ下向され、当地に久しく住んでいたが、この地で薨去され、
    郷民によって、この山に埋葬され、祀られたという。

鳥居の左の石碑には式内諸岡比古神社
右の石碑には大中津日子命御旧跡

鳥居から東に
 舗装されていない上り坂の参道が200m近く続く。

手前から来て、              
    石段を登ったところに社殿がある。



社殿の扉には鱗紋が付けられている

鱗紋
三角を三つくっつけたような紋

山を削って社殿が立てられているようだ

社殿東の山頂  

どこに古墳があるのか?
1号古墳(車塚)は、大中津日子命のお墓といわれているのか。

二所宮宮山古墳群のデータ
1号古墳 (車塚) 円墳 径20m・高さ4m
2号古墳 (えぼし塚) 円墳 径10m・高さ2m
3号古墳 (たち塚) 円墳 径5m・高さ1m
4号古墳
5号古墳
6号古墳
遺跡地図から引用 

境内には 志賀町指定文化財(天然記念物)の杉がある。名称は、「諸岡比古神社のスギ」だ。

柴垣親王塚古墳・再訪
シバガキシンノウヅカコフン    
県指定史跡

志賀町柴垣
撮影日2016/4/10

椎葉円比(シイバツブラヒメ)神社境内にある。説明板がある。
柴垣親王塚古墳のページ


椎葉円比盗_社 入口

椎葉円比盗_社 社殿

社殿後ろに柴垣親王塚古墳の後円部がある。

 柴垣親王塚古墳は、全長35mの前方後円墳
  後円部径20m・高さ3.5m  前方部長さ17m・幅15.5m・高さ3.5m。
  人の頭ほどの葺石がある。
  後円部には、くびれ部付近に羨道を開く長さ7mの横穴式石室が大きな石を使って造られている。
  前方部の葺石の間から、甕や壷の破片が確認されている。
  6世紀中ごろの築造と推定されている

後円部 右奥に前方部

人頭大からそれ以上の大きさの葺石を見ることができる

前方部前面 手前には葺石が落ちている

後円部のくびれ部側に石室の穴が・・・

玄門あたりの天井部にすき間ができている。

カメラを突っ込んだら、玄室の撮影に成功した
羨道部はどうなっているのだろう?

南にある陪塚か 石材露出

北側の陪塚か

この柴垣親王塚古墳は、西側に前方部があり、
    横穴式石室はくびれ部南側の少し高い所に入口があると思われる。

春になって、久しぶりの古墳めぐりだった。桜と石室が見られて大満足です!

次は番外編です。


遺跡ではないけど・・
番外編
穴水大仏

鳳珠郡穴水町乙ヶ崎甲66
撮影日2015/11/8

いつの間にか、能登に大仏がありました。
穴水町で、親戚の法事に出席した帰りに、ちょっと寄ってみました。

乙ケ崎地区の海岸の高台の「真和園」に2003年6月に安置された。
周囲は小公園になっており、三重塔のほか、親鸞聖人、観音様、弘法大師等の11の仏像が安置されており、
真和園11ケ所巡りとして参詣者に親しまれている。
画像の大仏の高さは、8.4m。


広い敷地に大仏様が鎮座している。

大仏様は下から見上げるのがいい



天気が悪くて、誰もいなかったが、

紅葉がとてもきれいだった。

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