北村さんちの遺跡めぐり

七尾市    地図g  

三室まどがけ古墳  

七尾市下町
 (撮影日2002/5/25
2016/4/10)


七尾火力発電所の横の道を北に向かって2kmほど行くと道路右側にある。円墳が三つある。
七尾火電建設のため道路を広げようとしたときに2号墳、3号墳が道路にかかるので、移築復元された。

2002年の
三室まどがけ古墳

 (撮影日2002/5/25)

 3年前に来たときは1号墳の丘に上る道があって、立派な石室(天井石はなかった)を覗けたが、
今は雑草が繁茂していて、1号墳にはいけない状態だった。
2号墳、3号墳の周りも雑草がかなり生えていて、よく観察できない状態だった。
整備してもそれを守りつづけるのは大変なことだと実感した。

配置図

石室の石材は、海から引き上げられたもの。
2号墳と3号墳は移築復元された。
3号墳は墳丘・石室の下半分のみの復元

1号墳全景 (図説七尾の歴史と文化より引用)
 石室規模から推定して径25m・高さ5mほどの円墳。
 6世紀後半の築造と推定されている。
 横穴式石室は現存全長8.75m(元は10m)。
   長さ5m幅2m位の玄室に1.45〜1.18mの羨道部がある
   海石とよばれる砂岩質堆成岩の割り石を主材とする。
 出土品は
  玉類・金環・銀環・直刀・鉄鏃・馬具・土師器・須恵器
  人骨・赤色顔料・貝殻・炭化物

2号墳
墳丘径12m。
もとは1号墳と並んで丘の上にあった。
2号墳の敷石は対岸の能登島から運んだ安山岩。
横穴式石室は長さ6.5m・最大幅4.15m・深さ1.8m
6世紀末〜7世紀初頭の築造と推定されている。

出土品は
 人骨、小刀、弓の飾り金具、鉄やじり、鉄ヤス、
 耳環、琥珀製棗玉、銀製空玉、土器   など

3号墳
墳丘径14m

平地にあり、山側だけを空濠で区画。
7世紀前半の築造と推定されている。
横穴式石室は長さ6m・幅1.2m
出土品は人骨と耳環、土器など。

三室町周辺では海に突き出した丘の上に10基以上の横穴式石室墳(6〜7世紀)がある。

2016年の
三室まどがけ古墳
 

 (撮影日2016/4/10)

前回来たときは、藪で1号墳に行けなかった。今回は、1号墳の石室を見ることができた。




三室まどがけ古墳群全景

左・2号墳  右・3号墳

 背後の丘の林の中に
1号墳の横穴式石室が残っている。

 (撮影日2016/4/10)


三室まどがけ古墳群配置図


1993年、県道拡幅工事に関連して、
2・3号墳が発掘調査されて、現在地に移築された。

1号墳は3号墳の東にある登り道を行ったところにある。
最近、雑草の整理をしたのか、再調査されたのか?  立派な石室を見て感動!!

 三室まどがけ1号墳   (撮影日2016/4/10)
 石室規模から推定して径25m・高さ5mほどの円墳
  横穴式石室は現存全長8.75m(元は10m)
    長さ5m・幅2mくらいの玄室に、1.45〜1.18mの羨道部がある。
    海石といわれる砂岩質堆成岩の割石を主材とする。

  出土品は  玉類・金環・銀環・直刀・鉄鏃・馬具・土師器・須恵器
             人骨・赤色顔料・貝殻・炭化物  など
  6世紀後半の築造と推定されている




林の中に石室が・・・・




羨道から玄室を見る

玄室  正面が奥壁
奥壁の石が数個、竹の根に負けて落ちてしまっている
玄門は小さな穴が開いた海石だ。

玄室奥壁から羨道方向を見る

玄門手前から羨道を見る

2号墳は、元は1号墳と並んで丘の上にあった。

 三室まどがけ2号墳    (撮影日2016/4/10)
  径12mの円墳
  2号墳の敷石は対岸の能登島から運んだ安山岩。

  横穴式石室は 長さ6.5m・最大幅4.15m・深さ1.8m
  出土品は 人骨・小刀・弓の飾り金具・鉄鏃・鉄ヤス・耳環・琥珀製棗玉・銀製空玉・土器

  6世紀末〜7世紀初頭の築造と推定されている

2号墳墳丘
 (撮影日2016/4/10)

柵の間から横穴式石室を撮影
 (撮影日2016/4/10)

3号墳は、県道で削られてしまうので、移築された。

 三室まどがけ3号墳     (撮影日2016/4/10)
  径14mの円墳
  平地にあり、山側だけを空濠で区画している。

  横穴式石室は長さ6m・幅1.2m   出土品は人骨と耳環、土器など

  7世紀前半の築造と推定されている。

石室の下部だけ復元されている

石組の様子
無袖式の簡略化した石室

1号墳の石室が見られて、感動です。

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