北村さんちの遺跡めぐり
更新日 15/05/1
市民考古楽講座
「遺跡探訪・古墳を見つける山歩き(江沼編」
小松市埋蔵文化財センターの講座から撮影日2015/3/24
2015/4/2
昨年(2014年・平成26年)3月に、
小松市埋蔵文化財センターの市民考古楽講座「古墳をみつける山歩き(能美編)」に参加したが、
今年は、「古墳をみつける山歩き(江沼編)」に参加。
今までに一度は行ったことのある古墳ばかりだったが、資料も頂いたので、その報告です。
このページは、参加した時の資料をもとに作成しています。
@ 分校マエ山古墳群と |
加賀市分校町 |
確認のため、後日(4月2日)にもう一度見学に来たので、その時の写真も紹介する。
分校マエ山古墳群
分校マエ山古墳群配置図 (当日資料から) |
|||||||||
マエ山1号墳 1号墳は全長36.7mの前方後円墳。 埋葬施設は木棺直葬。 加賀地方の最古級の前方後円墳とされる。
|
|||||||||
マエ山29号墳 1号墳後円部のそばにある。 |
マエ山古墳群 手前から3号墳、4号墳 右奥6号墳 |
||||||||
マエ山2号墳(方墳) |
マエ山2号墳 方向を変えて見る |
||||||||
マエ山5号墳(方墳) 4号墳から見る |
マエ山6号墳(前方後円墳) 後円部 |
||||||||
マエ山6号墳 後円部から前方部を見る |
マエ山6号墳 前方部斜め前より後円部を見る |
||||||||
マエ山7号墳 (方墳) |
マエ山8号墳(前方後円墳) 後円部 |
||||||||
マエ山8号墳 後円部から前方部を見る 中央奥は10号墳 |
マエ山8号墳 前方部斜め前から後円部を見る |
||||||||
マエ山10号墳 ( 円墳 直径20m) |
マエ山11号墳 (方墳 13m×13m) |
||||||||
マエ山12号墳 (方墳 18m×18m) |
マエ山13号墳後円部 (全長35mの前方後円墳 後円部径28m) |
||||||||
10号墳の北側の斜面に並ぶ 奥・マエ山22号墳(方墳) 左・マエ山21号(方墳) 右手前・前山20号墳(円墳) 手前に10号墳がある。 22号墳が一番低い所にある。 |
東側から登り、東半分だけ見学。(時間の関係だと思う)
分校チャカ山古墳群
分校チャカ山古墳群配置図 (当日資料から) |
|
チャカ山17号墳 |
チャカ山14号墳 |
チャカ山10号墳 |
チャカ山9号墳 |
A 二子塚狐山古墳 |
加賀市二子塚町8 |
収蔵庫内の様子1 甲冑の複製 九谷焼の職人が、石膏で造った。 本物より分厚くなっているが、表面は本物そっくり! 県立博物館の展示用の複製を作る時は、 本物はボロボロで参考にならず、 この作品を元に複製を作った。 |
|
収蔵庫内の様子2 土器類 |
収蔵庫内の様子3 鏡・銅鈴・管玉・勾玉など |
忠魂碑 墳丘そばには忠魂碑があるが、 その中には、出土した骨が、 ガラスの容器に入れられて埋められている。 |
|
姿を現した石棺 |
石棺内部 赤く塗られている |
二子塚狐山古墳は 全長54mの前方後円墳といわれているが 実は63mほどあると考えられるようになってきた。 2段築成 土取りの際に組合式石棺が発見され、 人骨とともに、武器や甲冑や鏡、銀製帯金具、鈴、玉類など大量の豪華副葬品が出土した。 5世紀後葉の築造と推定されている。 石棺は地元の凝灰岩を使った最も古い例と考えられている。 |
|
墳丘実測図 後円部が石棺のところまで削られ、 前方部も土が流れて変形している。 |
石棺実測図と副葬品配置図 |
二子塚古墳群分布図 狐山古墳の東側に 小さな前方後円墳1基の周りに 密集する円墳群が発見されていて、 西側にもいくつかの円墳が知られているので、 周辺には墳丘の削られた古墳が 相当埋もれていると考えられている。 (100基以上か) この古墳は平地につくられていて、大きな労働力を必要としている。専制的な首長の誕生か? |
B 法皇山横穴古墳 |
加賀市勅使町 |
資料館内の様子 今回は広口双耳壺が選ばれたが、残念ながら、写真はない。 |
|||||
法皇山横穴古墳群配置図 横穴古墳は 斜面に横穴を掘って埋葬施設としたもの。 江沼では月津台地で小規模円墳の新たな造営が停止するのと入れ替わるように、登場した。 追葬が可能で、家族墓的な性格を持つ。 約80基確認されているが、実際には200基を超えると考えられている。 |
|||||
法皇山Aグループ全測図 |
|||||
Aグループの様子 |
Bグループの様子 |
||||
横穴いろいろ 埋葬する部屋は、家をイメージした形で、 排水溝や、棺台が作られているものもある。 全国的にも珍しい特徴として、 小さな前室を持っていることが挙げられる。 山では墳丘を持たないので、発見はむずかしく、 落盤や開口で確認されている 見学中も、遊歩道が陥没しそうな場所や、斜面が陥没しているところなどがあり、 新しい横穴の発見か?と思われる場面に遭遇した。 |
|||||
Dグループ21号横穴
|
|||||
Dグループ22号墳の内部 |
|||||
Cグループ Cグループの凝灰岩は大変もろいため、 横穴も開放したままでは崩落の可能性があるので、発掘調査後封鎖した。 封鎖方法は当時行われていた方法を再現する形で、河原石を積み上げている。 Cグループの横穴の形は、前室がなく、アーチ形のものが多く造られている。 年代は出土品からみると、ほかのグループよりも新しいようだ (説明板から)
|
D 吸坂古墳群 |
加賀市吸坂 |
吸坂D13号墳は全長67mの前方後円墳で5世紀前葉の築造と推定されている。 吸坂D13号墳実測図 前方部端の右(北側)にD7号墳、D8号墳が続く 江沼最大の古墳。 南側が大きく崩れ、後円部に鉄塔が建っている。 2段築成の可能性がある。 |
|
吸坂D13号墳 前方部から後円部を見る |
吸坂D13号墳 後円部から前方部を見る |
吸坂D8号墳 前回来た時は、違っていたようなので撮り直し。 |
E 臼のほぞ古墳 |
小松市串町 |
臼のほぞ古墳実測図 全長52mの前方後円墳 古墳の周囲を取り巻く周溝が、現在も確認できる。 くびれ部登り口の通路と、 後円部頂上の四角い高まりは、後世に盛ったもの。 前方部を削って、後円部の四角い高まりを作ったと思われる。 もとは、前方部が後円部に近い高さだったと推定されている 前方部の発達は後期古墳の特徴。 |
|
南から見た臼のほぞ 左 前方部 右後円部 |
|
後円部側から見た臼のほぞ この奥に前方部がある。 |
工場地帯となった額見町遺跡 臼のほぞ古墳の北側 |
臼のほぞ古墳の北側は崖になって、工場があるが、そこは額見町遺跡だ。 オンドルをもつ渡来系集落として全国に知られている。 額見町遺跡とは 産業団地建設にともない約38000uが発掘調査され、 竪穴住居119基、掘立柱建物330基などが確認された。 集落の始まりは7世紀初めで、以後12世紀まで長きにわたって営まれた。 額見遺跡で注目すべきは、竪穴住居に設けられた特殊な構造をもつカマド。 これはカマドの煙道を住居の壁に沿ってL字形に取り付けたもので、 煙道を伝わる熱で住居内を暖めようとした施設と考えられている。 中国東北部や朝鮮半島北部の竪穴住居に見られる「オンドル」と呼ばれる床暖房施設によく似ている。 額見町遺跡の竪穴住居では23基でこの施設が見られ、いずれも7世紀代につくられたものである。 同様の施設は、北部九州や近畿に分布していて、 北陸では、月津台地の額見遺跡、矢田野遺跡、薬師遺跡に集中して存在する。 |
小松の碧玉 弥生日本彩る |
弥生時代に石川県小松市の菩提、那谷、滝ヶ原各町周辺で産出した緑色の鉱物「碧玉」が、 西日本を中心に各地に流通し、装飾品の「管玉」の材料に使われていた可能性が高いことが、 遺物材料研究所(大阪府泉佐野市)の研究で分かってきた。 小松から関西や山陰地方に送られ製品化されたとみられ、古代日本の玉造の一大原産地としての姿が浮かぶ。 全国各地の遺跡から出土した管玉や碧玉のうち「女代南B遺物群」と呼ばれる遺物については 長い間産地が分からなかった。 岩石の成分組成や含有イオンを調べる分析方法から、 菩提周辺で採取された碧玉の一部と女代南B群の成分が一致することを発見。 約400種類に上がる全国の女代南B群以外の碧玉の成分データとも合わないため、 「女代南B群は菩提周辺が原産地とみて間違いない」としている。 女代南B遺物群とは・・・・・ 兵庫県豊岡市の女代神社南遺跡から出土している産地不明の 碧玉や管玉、及び成分が一致する各地の遺跡で見つかった遺物群の総称。 関西や山陰の遺跡を中心に全国から成分が一致する碧玉が数多く見つかっており、 遠く北海道や九州まで広がっている。 女代南B遺物群が検出された遺跡の一例 茂別遺跡(北海道北斗市) 宿下遺跡(埼玉県蓮田市) 大ノ木遺跡(愛知県新城市) 日吉ヶ丘遺跡(京都府与謝野町) 玉津田中遺跡(神戸市) 青谷上寺地遺跡(鳥取市) 宇木汲田遺跡・中原遺跡(佐賀県唐津市) 女代神社南遺跡(兵庫県豊岡市) 八日市地方遺跡(石川県小松市) ほか多数 (新聞記事から抜粋) |