北村さんちの遺跡めぐり

加賀市   地図g   

法皇山横穴古墳(国史跡)
ほうおうざんおうけつこふん

加賀市勅使町
(撮影日2002/9/21)

法皇山横穴古墳群配置図    市民考古楽講座「古墳をみつける山歩き(江沼編)」の資料から






 横穴古墳は 斜面に横穴を掘って埋葬施設としたもの。

 江沼では月津台地で小規模円墳の新たな造営が停止するのと入れ替わるように、登場した。
 追葬が可能で、家族墓的な性格を持つ。
 
約80基確認されているが、実際には200基を超えると考えられている。
現在までに80基近くの横穴が確認されており、未確認のものもあわせると200個以上あるという驚くべき遺跡である。
今は史跡公園(昭和46年から)となっていて収蔵庫もそばにあり、出土品も見学できる(無料)。
名前の由来は花山法皇の御陵と言う伝説に基づいている。
花山法皇という人は、いろいろなところに伝説が残っている興味深い人物だ。今度調べてみよう!

調べました!花山法皇
花山天皇(かざんてんのう)は平安時代にいた第65代の天皇。
藤原氏の勢力争いに嫌気がさし、法皇となり、全国の寺院を巡った。拾遺和歌集を編纂した。

法皇山は標高30mほどの凝灰岩質でできた山で、
大正11年に調査されて、37基の横穴が確認されて、昭和4年に国の史跡になる。

2002年の法皇山横穴古墳 撮影日2002/9/21

横穴の前に立つ私
横穴は以前は、
 宝物の隠し場所とか、洞穴住居とか言われていたけれど、
       実はお墓なのです。
出土品は、須恵器が中心。他に鉄鏃、金環、銀環など。
6世紀後半から7世紀末期にかけて築造。
横穴は奥に棺台を持つ玄室と、その前に前室があり、
      入口から前庭部が広がるのが一般的。

横穴の構造(18号横穴)   (パンフから)
横穴は横に長い前室と、
  その奥に長方形の玄室が設けられている。
天井はドーム形・アーチ形・家形のものなどさまざまな形態が見られる。
内部には当時横穴を掘り進めたときの工具の痕跡が残るものもある。
横穴は全長4mから6mくらいが多いが、
  中には全長10mを超え、
     大人が立って歩けるほどの高さがある大型のものも見られる。

横穴その1

横穴その2

加賀市の地図y

2015年の法皇山横穴古墳 撮影日2015/3/24

市民考古楽講座「古墳をみつける山歩き(江沼編)」に参加。
法皇山横穴古墳の資料館は、加賀市教育委員会の田嶋さんが鍵を開けて待っていて下さった。
資料館内の様子
 資料を一つだけさわれるという決まりがあって、
       今回は広口双耳壺が選ばれたが、残念ながら、写真はない。



法皇山Aグループ全測図

Aグループの様子

Bグループの様子


横穴いろいろ


埋葬する部屋は、家をイメージした形で、
    排水溝や、棺台が作られているものもある。


全国的にも珍しい特徴として、
    小さな前室を持っていることが挙げられる。

山では墳丘を持たないので、発見はむずかしく、
    落盤や開口で確認されている。



  見学中も、遊歩道が陥没しそうな場所や、
      斜面が陥没しているところなどがあり、
           新しい横穴の発見か?と思われる場面に遭遇した。
 Dグループ21号横穴

入口

奥室

側壁の穴

奥室から外を見る




Dグループ
22号墳の内部
 Cグループ 
 Cグループの凝灰岩は大変もろいため、
    横穴も開放したままでは崩落の可能性があるので、発掘調査後封鎖した。
 封鎖方法は当時行われていた方法を再現する形で、河原石を積み上げている。
 Cグループの横穴の形は、前室がなく、アーチ形のものが多く造られている。
 年代は出土品からみると、ほかのグループよりも新しいようだ
                      (説明板から)

Cグループの保存の様子

Cグループ 塞がれた横穴

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