北村さんちの遺跡めぐり
更新日
2020/3/13

小松市埋蔵文化財センターの
イベントに参加して

その1
撮影日2019/11/7・13
2020/1/25
・3/9

「古墳を見つける山歩き」と「甲冑スタンプラリー」の参加報告です。

地図g

古墳を見つける山歩き
加賀国魅力発見フィールドワーク
参加報告

撮影日2019/11/7

主催は「加賀立国1200年遺跡魅力発信委員会」。
申込先は、小松埋蔵文化財センター

 「加賀立国1200年遺跡魅力発信委員会
 2023(令和5)年は、平安時代の弘仁14(823)年に加賀国が誕生して1200年を迎える大きな節目となる。
 その機運を盛り上げ、国府周辺で市域を越えてひろがる古墳群などの遺跡の魅力を発信するため、
 小松市と能美市が連携し、地元の歴史団体などとともに「加賀立国1200年魅力発信委員会」を設立した。
       (パンフレットから)

小松市のバスで、古墳めぐり!
能美市立辰口図書館に集合。
@ 辰口図書館 出発

A 来丸古墳群・来丸物見山古墳群の車中解説

来丸古墳群・来丸物見山古墳群の配置図

辰口運動公園周辺にある。

 来丸古墳群のページ

B 河田山古墳群と資料館
12号墳の石室を見学してから、現状保存されている1号墳を見学。
埋文の方の説明を聞きながら見ていると、前方後方墳の形が浮かび上がってくるから不思議です!

団地造成前の古墳分布図

1号墳・9号墳と
12号墳の石室が
古墳公園に残されている。

2号墳4号墳
5号墳52号墳は
現状保存
   

河田山古墳群
 発掘時の写真

(「山歩き」資料から)


河田向山古墳群のページ
  
C 下開発茶臼山古墳西尾根支群
 10年以上前に見学したが、当時より墳丘がはっきり確認できるような気がする。

下開発茶臼山古墳群
 西尾根支群を散策する参加者



詳細は次回です。
   
D 西山古墳群
 西山は墓地となっていたが、墓をふもとに移転し終えて、整備が始められるところだ。

西山古墳群8号墳発掘現場

以前に掘り出して、博物館に保管されている8号墳石室を、
元の場所に戻すための調査が行われている。

詳細は後述する。
    
E 秋常山古墳群
 古墳横の古代体験館(元保育園の建物)にて昼食の後、各自で秋常山古墳群を見学。

麓の神社から見た秋常山1号墳

 秋常山古墳群のページ

F 末寺山古墳群
2004年に見学したが、当時は末寺山5号墳だけが整備されていた。
久しぶりに来てみたら、除草がされていて、墳丘がよく分かる。


末寺山古墳群を散策する参加者

墳丘前には標柱が立てられている。

詳細は後述する。

   
G 能美市歴史民俗資料館の見学
  能美市では現在、博物館の建設が進んでいる。

H 河田向山古墳群
 小松市と能美市の境界にある。未調査の古墳群。
 今後、古墳の分布調査を行いたいと考えているそうです。

河田向山(仮)1号墳

後日、12月12日・14日・19日・21日に
「なぞとき調査隊」として、私の夫が参加。

詳細は次回です。
I 辰口図書館に戻り解散。

古墳を見つける山歩き当日は
かなりの強行軍で、写真がしっかり撮れなかったので、
末寺山古墳群・西山古墳群・下開発茶臼山古墳群・河田向山古墳群
後日もう一度行って写真を撮ってきたので紹介します。
(下開発茶臼山古墳群と河田向山古墳群は、次回です。)

末寺山古墳群

能美市末寺山
(撮影日2019/11/8
・11/13)

16年ぶりくらいに来たら、除草がされていて、それぞれの古墳前に標柱が立っていた!

末寺山古墳群配置図

南尾根支群は、土取りで消滅して、
現在は、住宅街となっている。

中尾根支群
水道施設で、3・4号墳が消滅
2号墳と13号墳が、草むらの中に残る。

北尾根支群は、
整備されて見学しやすい状態となっている。
8号墳が書かれていない
   

 末寺山1号墳 墳形確認できない。消滅。
 末寺山2号墳 主軸長31mの前方後方墳。4世紀後半の築造と推定されている。
 末寺山3号墳 消滅。
 末寺山4号墳 消滅。
 末寺山5号墳   全長29m(周溝を含むと33m)の前方後方墳
木棺直葬
 4世紀代の築造と推定されている。
 末寺山6号墳 全長約57mの前方後方墳。4世紀代の築造と推定されている。
 末寺山7号墳 径7m高さ1.5mの円墳
箱型粘土槨。6世紀前半〜中頃の築造と推定されている。。
 末寺山8号墳 径7〜8m、高さ1mの円墳
未調査。5号墳のくびれ部北のくぼみにある。
 末寺山9号墳 長径15m、短径10m高さ0.7mの円墳。未調査。
 末寺山10号墳 長径15m、短径10m高さ0.5mの円墳。未調査。
 末寺山11号墳 径約15m、高さ約1mの円墳。未調査。
 末寺山12号墳 確認されない。(?)
 末寺山13号墳 径約14m、高さ0.8mの円墳。未調査。
 末寺山14号墳 確認されない。
 末寺山15号墳 確認されない。
 末寺山16号墳 円墳か?周溝確認。主体部未調査。
 末寺山17号墳 径10m、溝幅1〜2m、高さ1mの円墳。 主体部未調査。

    

末寺山古墳群 北尾根支群

 尾根上に10基の古墳が並んでいる。

     北尾根支群配置図  (「古墳を見つける山歩き」資料より)

 元の図には、11・12号墳が書かれていなかったが、
  「古墳を見つける山歩き」当日の説明から、この2基の古墳を書き足した。
 形・大きさについては、以前調べたままの情報なので、現在とは違っているかもしれない。

北尾根の西側から5基の円墳が並ぶ。

 末寺山12号墳
 以前の情報では、「確認されない」となっているが、現在高まりが確認できる。

南から見る

北西から見る

   

 末寺山11号墳
 径15m・高さ1mの円墳  未調査。

西から見る

北西から見る

  

 末寺山10号墳
 長径15m・短径10m・高さ0.5mの円墳   未調査。

標柱が立っている。

北から見る

    

 末寺山9号墳
 長径15m・短径10m・高さ0.7mの円墳   未調査

 南西から見る  奥は7号墳

北北東から見る

  

 末寺山7号墳
 径7m・高さ1.5mの円墳   内部主体は箱型粘土槨
 直刀2、刀子1、鏃4、坏12、高坏1、はそう1、直口壷1、轡1.などが出土
 6世紀前半〜中頃の築造と推定されている。

西南西から見る

南東から見る

5基の円墳の東側には、2基の前方後方墳が並ぶ。
6号墳は、末寺山古墳群最大の前方後方墳。

 末寺山6号墳
 全長55mの前方後方墳   前方部長さ20m(不整形)
  後方部長さ35m・幅30m・高さ5m くびれ部幅15m
 主体部・周溝未調査。
 4世紀代の築造と推定されている。

6号墳 実測図 

 (「古墳を見つける山歩き」資料から)


末寺山古墳群中最大の古墳

後方部斜め後ろから墳丘を見る

前方部から後方部を見る

くびれ部のくぼみから後方部を見る

後方部から前方部を見る
人の目で見るとくびれ部がくっきり

後方部の大きな盗掘坑?

以前に見学したときは、末寺山5号墳だけが整備されて、周りに植栽があったが…。

 末寺山5号墳
 全長29mの前方後方墳。 周溝を含むと33m
  前方部長さ10.5m・幅6.5m・高さ3.5m 後方部長さ18.5m・幅21m・高さ5m
  くびれ部幅7m。
 後方部が大きく、前方部が小さい。
 内部主体は木棺直葬。
 後方部に埋葬施設があったらしく鉄剣が副葬されていた。
 土師器壷片(壷棺らしい400片)も出土。
 
古墳時代前期(4世紀代)の築造と推定される。

末寺山5号墳 実測図

 (「古墳を見つける山歩き」資料から)

5号墳のくびれ部のくぼみに8号墳がある。

5号墳の北側に16号墳がある。

5号墳全景
植栽の内側に入り込んで撮る。

人間の目で見ると
くびれ部などがくっきりしているのだけど、
写真ではよく分からないのが
非常に残念だ…

前方部から後方部を見る

後方部から前方部を見る

くびれ部のくぼみから後方部を見る

後方部脇から墳丘を見る 右奥前方部

5号墳のくびれ部のくぼみにある高まりは、8号墳。

 末寺山8号墳
 径7〜8m・高さ1mの円墳。   未調査
 昭和52年度には古墳の可能性が薄いと報告された。

北側に立てられた標柱

古墳らしい高まりだが…。奥は5号墳

5号墳の北側にあるのは、16号墳。崩れているので、形は不明。

 末寺山16号墳
 円墳か?周溝が確認されている。    主体部は未調査。

墳丘は削られているのか
 よく分からない

5号墳の東にあるのが、17号墳。

 末寺山17号墳
 径10mの円墳  溝幅1〜2m、高さ1m     主体部は未調査。

17号墳の標柱があるが、17号墳はずっと奥

17号墳墳丘  わずかな高まりしかない

17号墳の標柱と、墳丘の間にある高まり


こっちの方が古墳らしい!?

   

 末寺山古墳群 中尾根支群

4基の古墳があったといわれているが、2基が残っている。
現状保存。

 末寺山2号墳
 主軸長31mの前方後方墳
  前方部幅11m、後方部幅22m、高さ4.5m
 土師器片が出土
 半壊。
 4世紀後半の築造と推定されている。

2号墳の標柱   右に後方部

墳丘は残っているようだ

  

 末寺山13号墳
 径14m・高さ0.8mの円墳。   未調査。

標柱が立っている。

現状保存

  

 末寺山3号墳・4号墳
 未調査のまま、水道施設建設で消滅
 2号墳の東側に東屋があり、その奥には、古墳を壊して水道施設がつくられている。 

東屋の奥に水道施設

水道施設は立入禁止

  良い墳丘を見ました!    

西山古墳群

能美市徳久町
(撮影日2019/11/8
・11/13)

「国指定史跡能美古墳群 西山古墳群」となり、
 墓地だった西山は、整備をするために、お墓をふもとに移転した。
新しい墓地の奥に、上り口がある。

西山古墳群入口

19号墳(左手前)と
20号墳(右奥)の間の階段を上がる

19号墳前に説明板がある。
西山には、お墓の土台だけが残っている。

 西山古墳群は、能美古墳群の最も東に位置する支群。
 昭和39(1964)年から、数回の調査を経て、17基の円墳が発見されている。
 古墳がつくられた時期は5世紀後半から6世紀後半の約100年間にわたる
 その始まりとなる3号墳は小規模な円墳だが、鉄製甲冑や銅鏃などが副葬されていた。
 6世紀前半までは、丘陵の西尾根・北尾根斜面を中心に直径12m〜20mの円墳が多くつくられている
 6世紀後半になると、尾根頂部を中心に、
  加工した凝灰岩を積みあげた「切石積横穴式石室」を埋葬施設とする円墳がつくられる

     (1・2・8・9号墳)。
 ここでは鈴杏葉や馬鐸といった銅製馬具、金銅で飾った馬具や
  鉄鏃、鉄刀、玉類、須恵器をはじめとする豊富な副葬品が見られる。
 その他に、西山では、弥生時代の土坑墓・木棺墓群や戦国時代の砦跡も見つかっている。
 西山古墳群は、能美古墳群の終焉を物語る重要な支群として、平成25年に国史跡に指定された。
    (説明板から)


西山古墳群配置図

土取りのため、
1・2・3・6・7・11号墳は、
消滅している。
 名前  形・大きさ
 1号墳  消滅  径18mの円墳  切石積横穴式石室
 太刀・鉄鏃・馬具・刀子・鎌・玉類・耳環・須恵器
 2号墳  消滅  円墳 大きさは不明  切石積横穴式石室 未調査
 3号墳  消滅  円墳 大きさは不明  木棺直葬
 太刀・剣・鉄鏃・甲冑・鏡・櫛
 5世紀後半の築造
 4  欠番    西山砦土塁
 5  欠番    西山砦土塁
 6号墓  消滅  径10〜11mの円形周溝墓  6基の土壙墓  
 調査後、消滅
 7号墳  消滅  円墳か 大きさは不明  未調査
 切石積横穴式石室
 8号墳  径18mの円墳  後述(写真あり)
 9号墳   (径20m)の円墳  後述(写真あり)
 10  欠番    秋常山1号墳となる。
 11号墳  消滅  弥生墓か   未調査
 12号墓  9基以上の土壙墓群  後述(写真あり)
 13号墳  径20mの円墳  後述(写真あり)
 14号墳  径14mの円墳  後述(写真あり)
 15  欠番    横穴墓とされているが確認できない
 16  欠番  横穴墓とされているが確認できない
 17号墳   (径14m)の円墳  後述(写真あり)
 18号墳   (径14m)の円墳  後述(写真あり)
 19号墳   (径15m)の円墳  後述(写真あり)
 20号墳   (径20m)の円墳  後述(写真あり)
 21号墳   (径15m)の円墳  後述(写真あり)
 22号墳   (径12m)の円墳  後述(写真あり)
 23号墳   (径14m)の円墳  後述(写真あり)
 24号墳   (径14m)の円墳  後述(写真あり)
 25号墳   (径14m)の円墳  後述(写真あり)
南尾根土壙墓群  7基以上の土壙墓群   未調査・現存 

  

西山古墳群 北尾根の古墳群



北尾根地形測量図

(「古墳を見つける山歩き」資料より)

  

 西山19号墳  撮影日2019/11/13
  (径15m)の円墳   未調査

北から見る

東から見る 右奥は20号墳

  

 西山20号墳  撮影日2019/11/13
 径20mの円墳   一部調査・現存
 河原石利用の埋葬施設   須恵器・鉄鏃・刀子などが出土

南東から見る

墳頂部

  

 西山13号墳 撮影日2019/11/13
 径20mの円墳  一部調査・現存
 須恵器が出土している。

南から見る

墳頂部

  

 西山25号墳 撮影日2019/11/13
 径14mの円墳  未調査

南東から見る

墳頂部

  

 西山24号墳 撮影日2019/11/13
 径14mの円墳  未調査
 土師器が出土している。
 5世紀後葉〜末の築造と推定されている。 

西から見る

墳頂部

  

 西山18号墳  撮影日2019/11/13
 径14mの円墳  未調査

北から見る

西から見る

  

 西山17号墳 撮影日2019/11/13
 径14mの円墳  未調査

北から見る

墳頂部

  

 西山14号墳  撮影日2019/11/13
 径14mの円墳   未調査

  

 西山23号墳 撮影日2019/11/13
 径14mの円墳 未調査 
 土師器が出土している。  5世紀後葉〜末の築造と推定されている。

東から見る

墳頂部

  

  西山9号墳  撮影日2019/11/13
 径20mの円墳  
 土取りで石室が半壊し、調査された。調査後、石室は消滅したが墳丘は残っている
 切石積横穴式石室
 鉄鏃・馬具・刀子・針・銅鏡・玉類・耳環・須恵器などが出土している。

9号墳出土品

   (説明板から)

土取りで削られた墳丘

向こう側は崖

      

 西山12号墓 撮影日2019/11/13
 9基以上の土壙墓群
 調査・現存

手前12号墳(墓?) 
 
 奥は8号墳


12号墳の北側に広がっている。
8号墳とともに調査されている。
(8号墳の墳丘図 参照)

  

  西山8号墳  撮影日2019/11/7
 径18mの円墳 調査済み ・現存 
 切石積横穴式石室
 鉄鏃・小刀・刀子・耳環・須恵器などが出土
 


8号墳の凝灰岩切石積石室
 (説明板から)

 土取りのため、昭和42年に石室が調査され、
  半壊ながら墳丘が残されて、石室石材は博物館に保管されている。
 墳頂部に「西山古墳群」と刻まれた石碑が立つ。
 現在は整備のための発掘調査をしている。

8号墳 墳丘図
(山歩き資料から)

出土した土器
(説明板から)

8号墳 墳丘

石室をもとに戻すための調査をしている。

「西山古墳群」と刻まれた石碑が立つ。
(以前見学したときにも立っていた)
その横に集められた河原石は、
 石室の床に敷かれていたもの。


墳丘が土取りで半壊していて、
盛り土の断面を観察することができた。

この8号墳の写真は、「古墳を見つける山歩き」当日のものだ。
後日見学の際には、発掘現場はブルーシートで覆われていた。

ブルーシートに覆われた
  墳頂部 石室跡


  撮影日2019/11/13


  

西山古墳群 西尾根の古墳群

配置図を見ていたら、西尾根に2基の古墳があることが分かり、もう一度西山へ。
8号墳の北から細い尾根伝いに下り西尾根に行ける。
(削られて細くなった尾根かな?)
21・22号墳があるが、どちらも低い墳丘。
北尾根に比べて、標高が低いので、以前は畑でもあったのかもしれない。

  西山21号墳  撮影日2020/3/9
  (径15m)の円墳
 調査済み  埋葬施設はすでに消滅 

南から見る

笹畑?

  

  西山22号墳  撮影日2020/3/9
  (径12m)の円墳
 調査済み   埋葬施設はすでに消滅


北から見る

ほとんど分からない墳丘

西山古墳群、全部見学できました!

下開発茶臼山古墳群と河田向山古墳群につづく

        

甲冑スタンプラリー 参加報告
いにしえの小松・能美   
   古墳時代の甲冑をめぐる」
撮影日2019/10/19・20

小松市と能美市が共同で開催している「甲冑スタンプラリー」に参加した。
能美市歴史民俗資料館・河田山古墳群史跡資料館・小松市埋蔵文化財センターの3館を見学して、
 スタンプを集めて、オリジナルグッズを手に入れるという企画である。
さらに小松市埋蔵文化財センターで復元甲冑を試着して、SNSに投稿すると、
 特製トートバッグがもらえるという!!


スタンプラリー 完成!!


オリジナルグッズ いただきました!

恥ずかしながら 甲冑、着ました!
]
特製トートバッグ頂きました!

11月7日(2019年)には、加賀国魅力発見フィールドワーク「古墳を見つける山歩き」に参加しました。
2020年3月19日予定の「古墳を見つける山歩き」第二弾は、新型コロナウイルスのため中止となりました。

下開発茶臼山古墳群と河田向山古墳群につづく

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