北村さんちの遺跡めぐり

小松市   地図g  

加賀国府ものがたり館 開館

小松市国分台3-64
撮影日2023/7/2・17


河田山古墳群史跡資料館は2023年7月1日、「加賀国府ものがたり館」としてリニューアルオープンした。
横にある河田山古墳公園に保存されている「河田山9号墳」の調査も行われているという連絡をもらった。
見学に行く。


加賀国府ものがたり館


古墳関係を中心に展示の紹介です。

 河田山古墳群の展示

館内に33号墳の石室が復元されている

石室そばまで行って見学できるようになった

河田山33号墳実測図
 (館内パネルから)

7世紀後半の築造と推定

切石積み横穴式石室
釘付きの木棺が出土
 河田山36号墳・28号墳の出土品展示

奥側
36号墳出土の鉄製品

 鉄刀、鉄剣、鳥舌鏃、刀子
 鍬・鋤先、袋状鉄斧、直刃鎌

手前
河田山28号墳出土の首飾り

 数多くの滑石製臼玉
 棗玉4個、ガラス製小玉、
 水晶製勾玉

 36号墳は  一辺14〜17mの方墳 (5世紀前半) 斜面下方に台形状に広がる平面形がある。
  埋葬施設は、全長6mの長大な割竹形木棺で豊富な鉄製品が納められていた。 
 河田山6号墳・9号墳・12号墳・33号墳の出土品展示

左の5点が6号墳出土の須恵器
 右の2点は9号墳出土の須恵器
手前 左から 
 12号墳出土の「殿」刻書須恵器 
 12号墳出土の須恵器
 12号墳出土の鉄釘
手前右の2点は 
 33号墳出土の須恵器

12号墳実測図
    (7世紀後半)

切石積み横穴式石室

釘付きの木棺が出土

  

 埴田後山古墳群
  埴田後山明神2号墳では、甲冑、直刀が出土している。
 埴田後山明神3号墳
   径約11.5mの円墳 幅1.2〜2mの周溝がめぐっている。
  6世紀前半の築造と推定されている。
埴田後山古墳群
河田山古墳群の
 南の丘陵にある
  古墳群
埴田後山明神3号墳
発掘された合掌形の
 横穴式木室
埴田後山明神3号墳
  横穴式木室出土品


左上の3点は土師器
左下の2点は玉類 
ほかは須恵器
 玉類は、花仙山産碧玉製管玉 
    ガラス製玉(ソーダ石灰ガラスとカリガラスを用いて銅で着色されたと推定される)
 埴田後山無常堂古墳
  径23.5mの円墳  2つの埋葬施設がある。
  5世紀中頃の築造と推定されている。
  眉庇付冑、短甲のほか、鉄剣、鉄鏃、刀子四獣鏡、勾玉、縦櫛などが出土

埴田後山無常堂古墳
  第一主体部出土品


鉄剣
四獣鏡、刀子、メノウ製勾玉、
柳葉長頸鏃、片刃長頸鏃

  

 八里向山F古墳群   F7号墳では、短甲が出土している。

短甲内の鉄製品 短甲出土状況 古墳群配置図
八里向山F2号墳 
 周溝から出土した土器

   (古墳時代中期)

 八里向山F7号墳
   第一主体部出土鉄製品

   (古墳時代中期)
  鉄刀 鉄剣、刀子
  片刃長頸鏃、曲刃鎌
  柳刃平根鏃、ヤリガンナ 
    鑿 袋状鉄斧
手前
 八里向山F10号墳出土
   首飾り

    (古墳時代中期)
  数多くの滑石製臼玉 
  蛇紋岩製勾玉
八里向山古墳群のページ

     

 北陸地方で甲冑が出土した中期古墳
1 牡丹山諏訪神社古墳 13 二子塚狐山古墳
2 飯綱山10号墳 14 吸坂丸山5号墳
3 イヨダノヤマ3号墳 15 法土寺22号墳
4 加納南9号墳 16 石舟山古墳
5 谷内21号墳 17 二本松山古墳
6 柴山円山古墳 18 天神山7号墳
7 下開発茶臼山9号墳 19 西谷山2号墳
8 和田山5号墳(A-B槨) 20 饅頭山1号墳
9 西山3号墳 21 向出山1号墳
10 和田山2号墳 22 西塚古墳
11 八里向山F7号墳 23 向山1号墳
12 埴田後山無常堂古墳

     

 三湖台古墳群 (小松市)
 矢田借屋古墳群
 御幸塚古墳
 符津石山古墳

     

 埴輪を生産した窯跡
二ツ梨殿様池窯跡出土品

須恵器 円筒埴輪
円筒埴輪 蓋形埴輪  鳥形埴輪  
         須恵器


「加賀国府ものがたり館」という名前になったので、国府に関する展示も多い。
パネル展示も多い。

 国府関連の出土品展示

加賀国分寺周辺の平安期瓦
 (9世紀後半〜10世紀前半)

奥左から
 佐々木遺跡
 古府フトンド遺跡
 軽海廃寺遺跡
 十九堂山(ジュクドウヤマ)遺跡


 手前
  十九堂山遺跡周辺の白鳳期瓦

    (飛鳥時代後半)
   加賀国分寺推定地の十九堂山遺跡とその西側に近接する千代オオキダ遺跡出土
   立明寺(リツミョウジ)窯跡で生産された瓦

国分寺の塔に飾ろうとした陶性相輪
  (9世紀中ごろ)

加賀国分寺の仏塔の頂部を須恵器窯で焼いたが、
  失敗して溝に捨てられたもの





二ツ梨豆岡向山7号窯跡出土鬼瓦

  (10世紀中ごろ)
加賀国分寺瓦が
 焼かれた時期の須恵器



戸津11号窯跡出土
  (9世紀後半)




国分寺の屋根を飾る雅な瓦
  (復元もある)


南加賀製陶遺跡群で、
9世紀後半〜10世紀中ごろまで、
 継続的に国分寺に葺く瓦が
 生産されたことが分かっている

以上、ホームページ作成者の個人的な好み(?)で紹介した。
他にも多くの展示があるが、省略します。
それぞれの内容は、それぞれのページに加筆しようと思っている。

河田山古墳公園 小松市国分台3
撮影日2023/7/2・17

加賀産業道路を辰口丘陵公園から小松のほうへ行くと、左手に工場団地と住宅団地(国府台ニュータウン)が見えてくる。
このあたりは古府台地と呼ばれ、
 前方後方墳2基、前方後円墳2基、方墳が35基、円墳が21基、不明2基の計62基の古墳があった。
そのうち9基が保存された。
 1・2・4・5・9・12号墳は保存 (2・4・5号墳は台地縁部に残っているようだ。)
33号墳の石室は資料館内に復元されている。
古墳時代の前期(4世紀)から終末期にかけて築造された古墳群で河田山古墳群と呼ばれている。
この古墳公園には、
河田山1号墳と、北陸地方では数少ない切石積み横穴式石室2基が保存され、
傍らには河田山古墳群史跡資料館(無料)がある。
2023年7月に、河田山古墳群史跡資料館は、
  
加賀国府ものがたり館としてリニューアルオープンした。

2023年7月の河田山古墳公園 
9号墳発掘調査
撮影日2023/7/2・17

加賀国府ものがたり館の横にある河田山(コウダヤマ)古墳公園では、
 金沢学院大学の考古学ゼミの学生たちによる発掘調査が行われている。

古墳公園の説明板と
  調査中の案内板

何回も来ているが、また写真を撮る。
以前から復元整備されている12号墳と現状保存の1号墳は、変わらないたたずまい。

 12号墳

12号墳 墳丘

12号墳 石室内部
 河田山1号墳

1号墳 前方部から後方部を見る

1号墳 後方部から前方部を見る

1号墳の南側にある9号墳が今回の調査対象だ。

 河田山9号墳   測量調査が行われている。
 2023/7/2の様子

9号墳は古墳公園の南西端に保存されている。

黄色のテープで区切って測量している。
墳丘上に石室の石が露出している。


 7/17の河田山9号墳の様子
 7/2では、測量調査が行われているだけだったので、
  7/17にもう一度見学に行ったら、墳裾を確認するための発掘調査が行なわれていた。

土の色の違いで裾を確定する

測量中
 発掘の成果はどうだったのだろうか?と思っていたら、、
  2023年11月3日「河田向山古墳群現地説明会」の受付横に、
  「河田山9号墳の調査成果」の説明板ポスターが展示されていた。


    

 河田山36号墳    古墳時代前期
  一辺17mの方墳

主体部

副葬された鉄器
(「小松と能美の平野を見渡す古墳群」パンフから)
 河田山33号墳   古墳時代終末期

   (「小松と能美の平野を見渡す古墳群」パンフから)
河田山12号墳   古墳時代終末期

 (「小松と能美の平野を見渡す古墳群」パンフから)

 

2003年の河田山古墳公園

撮影日2003/4/27

  

河田山12号墳
移築して復元された古墳。
1辺15mの方墳
墳丘後ろ側にコの字上の周濠、前面は墳丘を囲むように列石が設けられている。
7世紀中頃の築造

河田山12号墳石室内部
玄室の奥行き5m、幅2.25m
横穴系の入口を持ち、凝灰岩の切石を使用して作られた埋葬施設を
凝灰岩製切石積横穴式石室と呼ぶ。

河田山1号墳
河田山12号墳の横の尾根に現状保存された前方後方墳
写真を見ても古墳とはわからない。
全長約25m、前方部約14m、後方部約15m。
前方部が三味線の撥形に開く前期古墳の特徴を持つ。

  

2012年の河田山古墳公園

撮影日2012/4/12

   
公園案内図

公園内には、
河田山古墳群の中でも最初に造られたグループに属する1号墳(前方後方墳)
終末期に属する切石積横穴式石室を持つ9号墳12号墳(移築)が保存されている。

資料館内では33号墳の石室が復元されている。






河田山古墳群33号墳石室復元 
   (資料館内 展示)
(撮影日2014/3/20

切石積横穴式石室
7世紀中ごろの築造と推定されている。
どんな天井だったのだろうか?!

資料館の職員の方が、「今日は天気がいいので、12号墳の石室の扉を開けました。」と
おっしゃったので、急いで見に行く。
石室の中にはいるのは初めてだ。

 河田山12号墳   移築して復元された古墳。
  1辺15mの方墳
  墳丘後ろ側にコの字状の周濠をめぐらし、前面は墳丘を囲むように外護列石が設けられている。
  7世紀中頃の築造
  凝灰岩製切石積横穴式石室
  羨道をとおり羨門をくぐると小さな前室があり、前室と玄門をへだてた奥が玄室となる。
  玄室は奥行き5m、幅2.25m
 天井部がアーチになるものは、類例は国内になく、
  朝鮮半島南西部にある陵山里古墳群や宋山里古墳群に
  ルーツがあるのではないかといわれている。

 12号墳  墳丘

 12号墳  石室入口
 羨道をとおり羨門をくぐると小さな前室がある。

 12号墳  石室内部 
   両側の柱は玄門

   柱の手前が前室 奥が玄室

 12号墳 玄室から入口を見る。
 側壁の3段目の石がカーブを描いて
    整形されている。

 アーチ型の天井があったのだろうと推測できる。

   

  河田山1号墳
 河田山12号墳の隣りの尾根に現状保存された前方後方墳
 全長約25m、前方部約14m、後方部約15m。
 前方部が三味線の撥形に開く前期古墳の特徴を持つ。



河田山1号墳

墳丘の上に立っても、
古墳の形を思い描くのは、なかなかむずかしい。




1号墳のそばの斜面に
横穴式石室を持つ9号墳が保存されているというが、墳丘の確認はむずかしい。
とても横穴式石室があるとは思えない。 (ムムム・・・・)

この古墳群に近接して、南側の向かいに埴田古墳群(5〜6世紀の円墳8基)がある。
那谷金毘羅山古墳は10mの円墳で横口式石槨がある8C初めの古墳。と資料館の中の説明に書かれていた。

 2015〜2016年の河田山古墳群とその周辺     

小松市国府台ほか
撮影日2015/10/26・2015/11/7
2015/11/7・ 2016/3/6

2015年秋は、小松市埋蔵文化財センターの遺跡調査ボランティアに参加し、数回河田山古墳公園に通い、
河田山1号墳の周辺の測量を体験した。
次回は移築されている12号墳石室内の床の発掘だということだったけれども、いつになるのでしょうね?


河田山古墳群配置図
 (河田山資料館展示から)

前期古墳
中期古墳
終末期古墳
時期不明古墳
保存古墳


河田山古墳群は
前期には前方後方墳や前方後円墳という首長墓形式のものが各尾根に分散して築かれたが、
中期に入ると伝統的な形の方墳が特定の尾根筋に連続し、小型のものは密集する。
際だった有力墓はみられず、点在する円墳の内容がやや充実する。
小地域の氏族墓域としての性格が強く、古墳群の展開は5世紀末には終わりを迎える。


現在の河田山古墳群周辺

12号墳(移築)・1号墳・9号墳が河田山古墳公園に保存されている

2号墳・4号墳・5号墳・8号墳が現状保存されている

他は消滅

5号墳の場所は、まだはっきりしない・・・・。



埴田山古墳群は、今回見学した古墳(後述)

 河田山古墳群  (コウダヤマコフングン)
 河田山8号墳     撮影日2015/10/26


径10mほどの円墳か?

小松埋文センター長の樫田さんの案内で
遺跡調査ボランティアの人たちと一緒に見学。

 河田山2号墳     撮影日2015/10/27

8号墳と似たような大きさか
 周溝らしきものもある

近くに巨石がある。石室か?
上の白いのは帽子。大きさの目安に。

 河田山4号墳     撮影日2015/11/7

径20m位ありそうだが、

ジャングルの中。


一部削られているようにも見える。

    

 河田山の火葬墓  河田山資料館展示から
河田山1号墳の南西斜面で、土を掘りくぼめただけの簡単な土壙が数箇所発見された。
そのうちの2基の土壙から、火葬骨をおさめた須恵器の骨蔵器が出土した。

1号火葬墓は、縦約65cm・横約50cmの隅を丸くしあげて、四角くほりこんだ形の土壙である。
この土壙の山側隅に、丸底の須恵器壺を利用した骨蔵器が埋納されていた。

2号火葬墓は掘りこまれた明瞭な土壙ではないが、
    須恵器坏身を蓋にし、台付須恵器壺を転用した骨蔵器が納められていた。

いずれも須恵器の特徴から奈良時代の火葬墓である。

1号火葬墓骨蔵器

2号火葬墓骨蔵器
国府創立以前の有力者の墓域が、奈良時代においても続いていたことが注目されている。

加賀の遺跡のトップ

トップページ