北村さんちの遺跡めぐり
更新日2016/11/4

弓波遺跡現地説明会
神谷内古墳群
2016/9/22

10/5

加賀市弓波遺跡の現地説明会があるので、加賀市に来た。

石川県加賀市の地図g

富塚丸山古墳 加賀市富塚町
撮影日2016/9/22

弓波遺跡のすぐ北にある富塚丸山古墳。12年ぶりに見学する。
古墳の北にある富塚公民館に駐車。

 直径50m・高さ8mの円墳と推定されているが、
      東に造り出しをもった帆立貝式前方後円墳の可能性もある。
 墳丘はすべて盛土と考えられ、体積では国指定史跡狐山古墳を上まわる。
 古くから著名な古墳で、江戸後期と明治時代に発掘され、
      甲冑・太刀・金環・玉類などの豪華な副葬品が出土したと伝えられる。
 現在墳丘上に、掘り出されたという横口式石槨の一部と推定される凝灰岩の切石と石棺材が残っている
     観音下(カナガソ)(小松市)産と推定される石材である。
 6世紀前半の築造と推定されている。南加賀最大の円墳。

 現在は径20mの墳丘を残している。
 享保3年に書かれた書物には、発掘して石槨を掘り出して、副葬品が出土した旨の記述がある。
 安永年間及び明治20年ごろ発掘されたという記録がある。
 出土したとされる副葬品は今も埋められたままなのか不明だが、
     墳丘東斜面で埴輪片が採集されて、石川県埋蔵文化財センターに保管されている。

西から見た富塚丸山古墳

食品工場の向こうに墳丘

航空写真で見ると、
   墳丘が三角形に残っている。

北東から見た富塚丸山古墳
駐車場になっているところが高くなっているので、
もとはここも墳丘だったと考えられる。

北西から見た墳丘
右奥に説明板と上り口

墳丘上り口と説明板

墳丘上にも説明板がある。

墳丘上に露出した石材

冨塚丸山古墳の墳頂からの景色
弓波遺跡が見えないかなぁ

観音下(カナガソ)と呼ばれる石は小松市産。小松の石文化は、今年(2016)日本遺産に認定されている。

富塚丸山古墳のページ

弓波遺跡 現地説明会 加賀市弓取町・八日市町
撮影日2016/9/22

小雨の降る中、現地説明会開始!
弓波遺跡は、JR加賀温泉駅から東へ1.5km、八日市川と尾股川の合流部周辺に広がる、弥生時代から中世にかけての遺跡
これまでに圃場整備や農道整備などで発掘調査が行われているが、今回は北陸新幹線建設と河川改修工事に先立ち発掘調査。

調査区配置図

今回はI区とG区の見学だが、
F区では、古墳時代後期の古墳(円墳)
      弥生時代後期の溝、古墳時代の溝、
H区では、弥生時代の溝、
      中世の井戸、
      八日市川の旧流路などを確認した。
F区・H区にはすでに草が生えている・・・・。 (埋め戻されたか)

 I 区

I 区では
弥生時代の方形周溝墓2基、木棺墓5基、布堀建物5棟
古墳時代中〜後期の土器を出土した古墳(方墳)1基
古墳時代末〜奈良時代初めころの掘立柱建物15棟
平安時代の井戸1基
鎌倉時代か室町時代の井戸3基
などを確認

弥生時代では、調査区の北側は主に墓域、
南側は布堀建物などの居住域だったと思われる。


I 区
手前が方形周溝墓1

奥が方墳


墳丘長辺20m位で、周溝がある。

方墳の周溝にある井戸付近発掘中 遺物がゾクゾク

掘立柱建物跡

木棺墓3とそばの井戸
井戸は崩れないように横板組みがされていた。

方形周溝墓2

弓波遺跡の一番の成果は、古墳が確認されたことだそうだ。

 G区

 G区 遺構概略図
  弥生時代後期の溝1条、平地式建物1棟、
  古墳時代末〜奈良時代初めころの掘立柱建物18棟、井戸1基などを確認した。

 G区東側には桁行2間×梁行2間の倉庫とみられる建物が多く分布し、
    西側の建物群とは分けられる可能性がある。

掘立柱建物跡

弥生時代後期の溝
この溝から多くの土器が出土した。
勾玉も出土

    

 F区

F区で確認された円墳

F区の発掘は終わっているが、現説現場に写真があった。

現説現場には出土品の展示がある。その一部を紹介する。

 縄文時代の出土物


左・石錘  右・磨製石斧

縄文時代のもの

    

 弥生時代の出土物

左上・弥生土器壺、 右上・弥生土器蓋
左下・弥生土器壺、 右下・弥生土器甕

いずれも弥生時代後期・3世紀

弥生時代の土玉

弥生時代後期・3世紀


左・勾玉   右・管玉

いずれも弥生時代後期・3世紀

勾玉は、
G区の溝から出土した。

    

 古墳時代の出土物

須恵器甕

古墳時代後期(6世紀)

左側の二つは須恵器 ハソウ
右側の二つは須恵器壺

いずれも古墳時代中期(5世紀)

左側2点は瓦 上・平瓦  下・丸瓦
 (古墳時代末・7世紀)  

右2点は円筒埴輪 
 (古墳時代後期・6世紀)

上段左から
土師器碗、須恵器蓋、須恵器蓋、須恵器器台
下段左から
須恵器坏、須恵器坏、須恵器坏
(いずれも古墳時代後期・6世紀

弓波遺跡の今までの調査の結果をまとめると
縄文時代・・・土器や石斧・石垂が少量出土
弥生時代後期・・・居住域と方形周溝墓や木棺墓からなる墓域が近接して形成されていた。
古墳時代・・・後世の開墾により墳丘が削られた古墳が2基確認された。
古墳時代末〜奈良時代初め・・・掘立柱建物からなる集落が形成されている。
調査地北200mに位置する弓波廃寺(白鳳時代・7世紀後半ころの創建)と関連か?
奈良・平安時代・・・I区の方墳の脇で平安時代の井戸が1基確認されただけ。
鎌倉・室町時代・・・H・I区で井戸を確認したほか、D区では掘立柱建物が検出されている。

弓波遺跡のすぐ東に八日市遺跡があるが、そのあたりに「白水の泉」という小公園がある。
八日市遺跡が保存されているのかと思ったが違った。

 白水の泉公園 加賀市八日市町

白水の泉
背後の向こうに、さきほどの現説現場がある。

蓮如上人が、大地に杖を突きさしたところ、
 そこから水晶のような透き通った水が涌きだした。
それ以来、この井戸を「白水の井戸」と呼ぶ。
蓮如上人500年遠忌にあたり、平成9年
この隣にある鹿野酒造が井戸を復活させ、仕込み水として酒造りを行った。
加賀地方の一部に生息する希少種のホトケドジョウも保存している。

そばの田んぼには、酒造りに使われる米「山田錦」が育てられている。
後日、この山田錦が刈り取られ、酒の仕込みが始まったという記事が新聞に載った。

二子塚狐山古墳・再訪 加賀市二子塚町
撮影日2016/9/22

以前、この狐山古墳に行ったとき、彼岸花がきれいだったので、時期的にちょうどいいなと思い訪れてみる。
コスプレ(卑弥呼?)での撮影会をしている二人連れの先客があり、思ったように写真が撮れなかった・・・・。
彼岸花は咲いているが、それほどでもない。
狐山古墳実測図 (パンフから)
昭和48年の調査時
点線は周溝外周端を示す

全長56mの前方後円墳
後円部径30m・高さ5.5m 前方部幅25m。
周溝がある。
石棺は、厚さ15cmの凝灰岩の板石を組み合わせた箱式石棺で、
内法は、幅75cm・長さ280cm・高さ55cm
石棺の内面は、全面に朱が塗られている。


後円部脇から前方部を見る

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

前方部前面     右奥に後円部がある。

天気が悪くて、写真が暗い・・・。

二子塚狐山古墳のページ

小坂古墳部
 「神谷内古墳群・展示と報告会」
金沢市神谷内
撮影日2016/10/5

金沢市の地図g

金沢市北部の小坂公民館には、「古墳部」がある。
神谷内古墳群の出土品の展示会と報告会が開かれると聞き、参加させてもらう。
金沢市埋蔵文化財センターの職員の方のスライドによる古墳群の概要の説明の後、出土物の説明があった。





出土品展示の様子


2001年3月に「小坂古墳群 C支群 平成12年発掘調査概報」も発行されている。
小坂公民館で貸していただき、じっくり読ませてもらった。

 神谷内古墳群C支群



測量図


 平成12・13年度に、C支群の12・13号墳付近の発掘調査がされた。
 調査の結果、16・17・18号墳が新たに発見された。
 平安時代の火葬土坑と考えられる遺構や土器も確認された。


12号墳
 細長く伸びた尾根の先が二股に分かれる最も広く高い所を利用してつくられている。
 全長27.5mの前方後円墳    後円部径22m 前方部長さ5.5m幅6m
  前方部周溝底からの墳頂までの高さ5m
 周溝は全周せず、
    尾根先の前方部西側は尾根を断ち切るように溝を掘り16号墳と接し、
     東側は18号墳の周溝と接している。

 
12号墳実測図


北西(左上)に前方部

北東(右上)は18号墳


 墳頂部は8〜10mの平坦面があったと推定される。
 墳頂部の埋葬施設は2度の盗掘を受けていて、盗掘坑の東に半分以上破壊された主体部が確認された。
  主体部は幅1.2m・長さ不明で 箱形木棺と推定されている。
 もう一つ主体部があった可能性がある。

 内行花文鏡・鉄斧・刀子・管玉2が出土
 前方部周辺からは祭祀に使われたと考えられる土器・壺・高杯・器台が出土。

 前方部やその付近に土坑墓4基が確認されている。 土坑墓1基からガラスの小玉が出土した。

13号墳
 一辺約14mの方墳と考えられている。高さ2.5m
 墳頂部や南北両斜面の盛土はかなり流出している。
 東側の20号墳との境は幅1.8mの溝で尾根を切っている。
 主体部は残っていなかったが、南側の流土から土器片が出土。

14号墳
 19号墳から東50mくらいのところにある。
 調査前から確認されていた古墳
 調査区の東端で、西半分だけ調査。
 古墳と断定はできなかった。

16号墳
 12号墳前方部の西に接する。
 一辺12mの方墳
 盛り土部分は流出し、原形を留めているのは一部のみ。
 主体部は残っていなかった。   刀子片1が出土。 

17号墳
 C支群の最も尾根先にある。
 一辺12m・高さ2.5mの方墳
 主体部は南北3.6m・幅1mに幅0.9m長さ2.5mの箱形木棺が埋葬されていたと推定
 鉄刀・鉄斧・刀子・ヤリガンナ・翡翠勾玉・ガラス製小玉9が出土。

18号墳
 一辺5.5mの方墳
 盛土がほとんど流出し、主体部も確認できない。
 墳丘流出の堆積層から小型の鏡1と碧玉製管玉1が出土。

19号墳
 一辺10mの方墳
 全長14mの前方後方墳の可能性もある。
 主体部は残っていなかった。  小型丸底壺片が出土。
20号墳 13号墳の東、19号墳の西にある一辺7mの方墳
 出現期の前方後円墳は、加賀市の分校カン山1号墳と宝達志水町の宿東山1号墳が確認されていて、
     これで、南加賀、北加賀、口能登それぞれに出現期前方後円墳が確認されたことになる。
                        (以上、発掘調査概報・報告会当日資料から)

 17号墳出土の勾玉は、展示されていなかったが、出土品の展示を一部紹介する。

 出土品の紹介 

17号墳出土の鉄刀

長さ771mm・幅30mm・厚さ11mm
  刀身は636mmで内反り
  目釘孔は1か所確認されている。

左 12号墳出土の鏡

直径約76mmの内行花文鏡とか蓮弧文鏡とよばれる

右  18号墳出土の鏡
直径約87mmの珠文鏡


下の図は模式図






左  12号墳出土の鉄斧
       長さ72mm

右  17号墳出土の鉄斧
       長さ117mm


上段2つは12号墳出土の管玉
左・直径6mm・長さ17mm・重さ0.94g
右・直径8mm・長さ20mm・重さ2.11g(12号墳)

下段左
 18号墳出土の管玉
 直径6mm・長さ16mm・重さ0.81g
下段右
 17号墳出土のガラス玉
 径8mm・厚さ6mm・重さ0.4g

鉄製品の展示

ヤリガンナ・刀子・鉄鏃など

一番長いのは、17号墳出土のヤリガンナ
  長さ119mm

17号墳出土の土器

左から
  小型器台
   甕
    壺2つ

11月初めに発行された「小坂公民館だより」には
 この「神谷内古墳群出土品の展示会と報告会」に
小坂小学校・北鳴中学校の児童生徒や一般の人たち合わせて約180名の参加で盛況のうちに終了したとの報告があった。
実は、小坂公民館のある地域に長女一家が住んでいて、そこから情報をもらったのだ。

私たちは、2010年4月に、見学に行っている。見学の様子は  神谷内古墳群のページ  でご覧ください。

神谷内古墳群について・・・
神谷内古墳群は、昭和47年に「金沢市遺跡地図」作成のための事前調査で確認された。
東西方向に走る3つの尾根上に15基の古墳とされている。
平成12年、山側環状道路建設に先立って、神谷内古墳群C支群の発掘が行われた。


神谷内古墳群配置図(イメージ図)

以前の資料から


参考文献は
    市史金沢8{金沢における出現期古墳の一様相・平成12年度神谷内古墳群の調査から」
    金沢市史
    石川考古学研究会会誌・第22号「北加賀地域古墳群分布調査報告」
    
 

弓波遺跡現地説明会第2回へつづく

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