北村さんちの遺跡めぐり

北村さんちの遺跡めぐり

加賀市   地図g    

富塚丸山古墳
トミヅカマルヤマコフン
富塚・片山津地区の古墳

加賀市富塚町
(撮影日2004/7/4
2016/9/22)

    

 富塚丸山古墳
  直径50m・高さ8mの円墳
と推定されているが、
  東に造り出しをもった帆立貝式前方後円墳の可能性もある。
 墳丘はすべて盛土と考えられ、体積では国指定史跡狐山古墳を上まわる。
 古くから著名な古墳で、江戸後期と明治時代に発掘され、
  甲冑・太刀・金環・玉類などの豪華な副葬品が出土したと伝えられる。
 現在墳丘上に、
  掘り出されたという横口式石槨の一部と推定される凝灰岩の切石と石棺材が残っている

  観音下(カナガソ)(小松市)産と推定される石材である。
 6世紀前半の築造と推定されている。南加賀最大の円墳。

 現在は径20mの墳丘を残している。
 享保3年に書かれた書物には、発掘して石槨を掘り出して、副葬品が出土した旨の記述がある。
 安永年間及び明治20年ごろ発掘されたという記録がある。
 
 出土したとされる副葬品は今も埋められたままなのか不明だが、
     墳丘東斜面で埴輪片が採集されて、石川県埋蔵文化財センターに保管されている。

2004年の富塚丸山古墳

加賀市富塚町
(撮影日2004/7/4)

埋蔵文化財センターのホームページで「富塚丸山古墳」という文字を発見。
気温33度のなか、加賀市富塚町にでかける。
富塚町はJRの動橋と加賀温泉駅の中間あたりにある集落だ。
町を一巡りしたら、集落の真中に大きな盛土を発見した。それが富塚丸山古墳だった。

富塚丸山古墳全景
建物の向こうに見える丘が古墳。
全部盛土で造られたという。
土の量は狐山古墳より多いという。



古墳の登り口

現状は直径約20m、高さ8.5mであるが
元は直径約50m、高さ約8mの円墳と推定されている。
(東に造り出しをもった帆立貝式前方後円墳の可能性もあるらしい。)
南加賀最大の円墳である。
狐山に後続する時期の古墳と推定されている。
墳頂に小松市産の観音下(かながそ)と推定される石棺材が露出している。
江戸後期と明治時代に発掘され、甲冑。太刀・金環・玉類などが出土したと伝えられる。
南側斜面で埴輪片が採取されたこともあるという。

2016年の富塚丸山古墳 加賀市富塚町
撮影日2016/9/22

弓波遺跡のすぐ北にある富塚丸山古墳。12年ぶりに見学する。
古墳の北にある富塚公民館に駐車。


西から見た富塚丸山古墳

食品工場の向こうに墳丘

航空写真で見ると、
 墳丘が三角形に残っている。

北東から見た富塚丸山古墳
駐車場のところが高くなっているので、
もとはここも墳丘だったと考えられる。

北西から見た墳丘
右奥に説明板と上り口

墳丘上り口と説明板

墳丘上にも説明板がある。

墳丘上に露出した石材

冨塚丸山古墳の墳頂からの景色
弓波遺跡が見えないかなぁ

観音下(カナガソ)と呼ばれる石は小松市産。小松の石文化は、今年(2016)日本遺産に認定されている。

富塚・片山津地区の古墳 配置図

片山津玉造遺跡のある台地の斜面付近に古墳群がある。

片山津玉造遺跡 (市指定史)
(いしかわ文化財ナビから)

片山津玉造遺跡  
片山津ウワノ古墳群  7基
片山津本村古墳群  円墳1基・方墳1基・不明3基が
    確認されている。
片山津天神古墳  方墳
富塚古墳群  円墳9基
富塚丸山古墳  復原径50mの円墳




    

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