北村さんちの遺跡めぐり
更新日 2014/05/13
小松市埋蔵文化財センターの講座に
参加して撮影日2014/2/16
2014/3/20
2014/3/28
小松市埋蔵文化財センターでは、これまで継続して講座が開かれている。
時間の許す限り参加させてもらっているが、
今年(2014年)2月には「加賀国府誕生2万年の歩み」、
3月には「古墳をみつける山歩き」という講座に参加したので、その報告です。
八里向山遺跡 |
小松市八里台 |
遺跡の概要・出土物など | |
A遺跡 |
標高50m、遺跡の中で最高所の尾根頂上の平坦面にある。 弥生時代後期の径10mを越える大型住居2軒・掘立柱建物14棟が確認された。 A遺跡発掘時の写真 (当日 展示から) 右下は大型住居跡 |
B遺跡 |
A遺跡から南東の鍋谷川に向かって下りながら連なる狭い尾根筋に立地。 平安時代前期(9世紀中ごろ)の山寺 旧石器時代のナイフ、縄文時代の焼けた集落 |
C遺跡 |
A遺跡の東に連なる一段低い尾根上の細長い平坦面に立地 A遺跡と同じ弥生時代後期の竪穴住居2軒・掘立柱建物6棟 古墳時代前期の全長21mの前方後方墳 旧石器時代の遺物、奈良時代の皇朝銭を伴う活動の跡、 鎌倉時代後期の活動の跡も残る |
D遺跡 |
C遺跡の谷をはさんだ隣りの尾根に立地。 弥生時代後期の竪穴住居1軒が、A遺跡やC遺跡から離れてつくられている。 古墳時代前期の方墳2基 その1号墳では埋葬施設が3つ発見された 古代の小さな竪穴もある。 旧石器時代の槍先形尖頭器が出土 D遺跡発掘時の写真 (当日 展示から) 右下は 三つの埋葬施設を持つD遺跡1号墳 |
E遺跡 | D遺跡の尾根に連なる遺跡群の東端に位置。 旧石器、弥生後期、前期古墳が重なり、保存区域になる。 |
G遺跡 | A遺跡から南下した谷部で、涌き水がみられる。(弥生水場) 涌き水があり、弥生時代から涌き水の利用があったとみられている。 |
F遺跡 |
丘陵の南端部にせり出すように延びる尾根で、尾根の半分は削り取られている。 尾根筋に10基の古墳が発見された。 古墳時代中期のもので、C遺跡やD遺跡の古墳より100年ほど後のもの。 7号墳から短甲が出土 頂上の10号墳の上には、北陸では最大規模となる中世の積石塚が発見された。 F遺跡7号墳から出土した短甲 (当日 展示から) |
H遺跡 |
F遺跡の尾根裾に立地。 F遺跡頂上の積石塚と大いに関係があるとみられる100基をこえる中世墳墓群。 斜面を階段状に削りだして、帯状の墳墓列が並ぶ。 火葬による納骨が主体だが、陶器製の骨臓器は多くない。 13世紀〜14世紀の築造と推定されている。 南東側の半分は保存されている。 |
I遺跡 |
保存されたE遺跡の西斜面 平安時代前期(8世紀中ごろ)須恵器の窯跡で地下式登窯。 生焼けの製品が多数発見された |
J遺跡 | A遺跡の西斜面 須恵器の窯跡で地下式登窯 飛鳥時代(7世紀中ごろ)のもので、全長10m以上の大型の窯 |
その他の出土物の展示 (当日 展示から) | ||
首飾りと須恵器 |
市民考古楽講座 |
集合場所 小松市埋文センター |
考古楽講座でもらった資料(地図)に、釜谷古墳群、千木野古墳群というのがあったので、現在どうなっているのか見に行く。
御嶽山神社
資料に掲載されていたのではない。
八里向山遺跡の南のにある上八里町交差点にあり、
古墳のように見えたので寄ってみる。
山が削られて墳丘のように見えるだけかな?
千木野古墳群 |
小松市千木野町 |
千木野遺跡は
古墳時代前期の8基の方墳で構成されている。
いずれも墳丘が削平され、主体部は未検出だが、周溝供献土器には高杯、器台、壺など一括廃棄のものがある。
特に、北陸西部では出土例の少ない東海系「S」字状口縁台付甕が確認されたことは注目される。
その他に、縄文時代と7世紀代の遺構や遺物を検出している。
(報告書刊行案内から)
林になっているあたりに
千木野古墳群があった?
北から見る
墳丘はよくわからない
釜谷古墳群 |
小松市吉竹町 |
小松市吉竹町の憩いの森入口のすぐ西に幡生(ハタサヤ)神社がある。
幡生神社は、 延喜式内社。養老2年最澄の創建と言われていて、釜谷さんと呼ばれているそうなので、
この辺りに、釜谷古墳群かあると思われる。
幡生神社 |
墳丘のような高まり |
幡生神社の社殿は近年火災にあい、再建されたので、ピカピカしている。
釜谷古墳群については、資料が見あたらず、詳細不明。
幡生神社の横には、学童クラブがあって、子どもたちがたくさん楽しそうに遊んでいる。
考古楽講座でもらった資料(地図)には、千代オオキダ古墳群や八幡古墳群も、書かれているが、
この二つの古墳群の主要部分は消滅している。 (小松バイパス道路建設のため)