北村さんちの遺跡めぐり
古沢塚山古墳 ほか 撮影日2011/3/6
杉谷古墳群のすぐ北、富山市古沢に前方後円墳・古沢塚山古墳があるというのは、
ずっと前から知っているけれども、山の中でどうなっているかわからない。
でも、山をのぼるつもりで出かける。
若宮八幡神社 | 富山市婦中町小長沢 撮影日2011/3/6 |
「婦中町史」には、
小長沢3号墳は、長沢丘陵の東縁斜面の神社境内に所在すると書かれている。
小長沢地区の神社とは、この若宮八幡神社ではないかと訪れてみた。
しかし、これは小長沢3号墳ではない。
若宮八幡神社
鳥居の向こうに見える社殿の背後に小さな奥宮がある。
若宮八幡神社奥宮
婦中町古里地域観光協会・古里郷土史研究会の連名で立てられた説明板には、
「八幡社は応神天皇が祀られるが、当社はその皇子の仁徳天皇が祀られているので若宮となっている。」
「神社の後方の台地は、二本榎遺跡という縄文中期の遺跡で、
石鏃、石錐・石匙・有孔小玉などが出土している」と書かれている。
安田城跡 国史跡 |
富山市婦中町安田 撮影日2011/3/6 |
呉羽丘陵東南麓、井田川の扇状地に立地する戦国時代の平城跡。
天正13年(1585)、全国統一をめざす豊臣秀吉が越中の佐々成政を攻めた際、
前線基地となった白鳥城の支城として使われた。
前田家の部将であった岡嶋喜三郎一吉が城主となった後、
代官平野三郎左衛門が居城したが、後に金沢に帰還し、廃城になったと伝えられている。
本丸、二の丸、右郭からなり、井田川から水を引き入れた堀がめぐっていた。
安田城跡
江戸時代文化年間に描かれた
「安田古城之図」と重なる。
出土品の9割はかわらけだったが、
陶磁器や短刀、鉄釘、銅銭、砥石などが出土した。
安田城跡資料館が併設されている。
古沢塚山古墳 | 富山市古沢 撮影日2011/3/6 |
ずっと以前から見たいと思っていた前方後円墳。
富山市古沢の古沢神明社の背後の丘陵尾根につくられている。
古沢神明社
神明社横に「塚山古墳へ10分」という案内板があり、遊歩道が造られている。
古沢塚山古墳後円部
右奥 前方部
古沢塚山古墳実測図
(HP富山市遺跡探訪から)
昭和50年に発見され、海抜95mに位置する。
全長40.95mの前方後円墳
後円部径25m 前方部長さ16m
北と東の墳裾にテラス面を持つ。
前方部と後円部の高低差がほとんどないことから
5世紀前半の築造と推定されている。
古沢塚山古墳
後円部から前方部を見る
古沢塚山古墳
右・前方部
左奥・後円部
前方部と後円部の間には残雪がある。
古沢塚山古墳の立地する呉羽山丘陵には、現在30基あまりの古墳が発見されている。
百塚遺跡 | 富山市百塚 撮影日2011/3/6 |
呉羽山丘陵北端、神通川下流西岸の河岸段丘に位置する。
2009年11月に現説が行われ、
弥生時代後期から古墳時代初頭に築かれた方形周溝墓や円形周溝墓などの墳墓が 11 基みつかった。
内訳は
埋葬施設のみ 1 基
四隅に陸橋をもつ方形周溝墓が 4 基
一辺に陸橋をもつ方形周溝墓が 1基
円形周溝墓が 4 基
埋葬施設のみが確認された墓から、
長さ約 7cmの鉄鏃1・ほぼ完形の土師器の壺(弥生時代終末〜古墳時代初頭)1が出土
方形周溝墓の木棺内からは
直径 3〜5mm のスカイブルーのガラス小玉が約 70 点(弥生時代の墳墓としては県内最多)が出土
百塚遺跡は今道路となっている。
この北側(百塚住吉遺跡や百塚住吉 B 遺跡)は2005〜2007年度に調査され、、
弥生時代終末期の方形周溝墓、前方後方形墳丘墓や
古墳時代初頭の円墳、前方後円墳、前方後方墳などが 10 基以上みつかった。
特に前方後円墳は北陸最古段階のものとして注目を集めた。
(参考 百塚現地説明会資料 H21.11.21)
杉谷4号墳 杉谷古墳群 補足 |
富山市杉谷 撮影日2011/3/6 |
杉谷古墳群は、富山医科歯科大学の敷地内に「杉谷古墳の道」として遊歩道が整備されていたが、
杉谷4号墳はフェンスに囲まれて見れなかった。
杉谷古墳群のページ
今回、訪ねてみると、杉谷4号墳は整備されていた。
(富山医科歯科大学は、富山大学杉谷キャンパスとなっている。)
大学のある丘を南におり、南西のふもとから、階段を上ると、
4号墳と7号墳の見学ができるようになっている。
杉谷4号墳
平成22年1月に立てられた説明板があった。
杉谷4号墳は 四隅突出型方墳 弥生時代末期の築造と推定されている。
一辺25m・高さ最大3.9m 突出部の長さは墳丘の角から平均15m
墳丘を囲む溝を含めた一辺は50mとなる。
杉谷4号墳の突出部
よくわからないかも・・・
杉谷4号墳周溝跡
杉谷7号墳
4号墳の南にある小さな方墳か。
周溝跡も確認できる。
説明板には、
「北陸の四隅突出型方墳は、墳丘のすそに貼石や列石はないが、周溝があるという特徴がある点で、山陰のものと違いがある。」
と記されている。
富崎墳丘墓 補足 |
富山市婦中町富崎 撮影日2011/3/6 |
四隅突出型墳丘墓である富崎1・2号墓の写真が撮れていなくて、
冬のこの時期なら撮れるかもしれないと思い行ってみる。
はっきりと墳丘が確認できた!
富崎1号墓
野生動物が墳丘に穴をあけて巣を作っているようだ。
右奥に富崎城跡の説明板が見える。
1号墓は、一辺21.7m・高さ3m、突出部の長さ6mで周囲には溝がめぐる。
2号墓は 1号墓とほぼ同じ大きさ
富崎2号墓
1号のすぐ北側にある。
こちらは雪がない。
詳しくは 富崎墳墓群のページをご覧ください。
塚越古墳 | 立山町塚越 撮影日2011/3/6 |
「日本の古代遺跡13・富山」(保育社)には、白岩川流域の古墳として、
稚児塚古墳、竹内天神堂古墳、塚越古墳、中馬場の宮塚古墳、若王子古墳、清水堂古墳などが紹介されている。
竹内天神堂古墳は舟橋村 (舟橋村のページをご覧ください)
中馬場の宮塚古墳・若王子塚古墳、清水堂古墳は富山市 (水橋の古墳群のページをご覧ください)
稚児塚古墳・塚越古墳は立山町 (立山町のページをご覧ください)
塚越古墳は一度探してわからなかったが、塚越神社こそが塚越古墳とわかり、見学に行く。
塚越古墳
墳丘の上に社殿がある。
境内は児童公園となっている。
塚越古墳
西側から見る。
塚越古墳の墳丘は丸くなっている。
説明板はないので詳しい事はわからないが
径35m の円墳とのことである。