北村さんちの遺跡めぐり

富山市   地図g

古沢塚山古墳 富山市古沢
撮影日2011/3/6

ずっと以前から見たいと思っていた前方後円墳。
富山市古沢の古沢神明社の背後の丘陵尾根につくられている。



古沢神明社




神明社横に「塚山古墳へ10分」という案内板があり、遊歩道が造られている。


古沢塚山古墳後円部

右奥前方部

古沢塚山古墳実測図  (HP富山市歴史探訪から)

昭和50年に発見され、海抜95mに位置する。
全長40.95mの前方後円墳
 後円部径25m 前方部長さ16m
 北と東の墳裾にテラス面を持つ。
前方部と後円部の高低差がほとんどないことから
  5世紀前半の築造と推定されている。

富山県内では、中期は円墳が主体となり、
  前方後円墳は古沢塚山古墳と朝日潟山古墳の2例しかない。




古沢塚山古墳
後円部から前方部を見る

古沢塚山古墳
右・前方部
左奥・後円部


前方部と後円部の間には残雪がある。

古沢塚山古墳の立地する呉羽山丘陵には、現在30基あまりの古墳が発見されている。

百塚遺跡 富山市百塚
撮影日2011/3/6

呉羽山丘陵北端、神通川下流西岸の河岸段丘に位置する。
2009年11月に現説が行われた。
弥生時代後期から古墳時代初頭に築かれた方形周溝墓や円形周溝墓などの墳墓が 11 基みつかった。
内訳は
 埋葬施設のみ  1 基
 四隅に陸橋をもつ方形周溝墓が 4 基
 一辺に陸橋をもつ方形周溝墓が 1基
 円形周溝墓が 4 基
埋葬施設のみが確認された墓から、
 長さ約 7cmの鉄鏃1・ほぼ完形の土師器の壺(弥生時代終末〜古墳時代初頭)1が出土
方形周溝墓の木棺内からは
 直径 3〜5mm のスカイブルーのガラス小玉が約 70 点(弥生時代の墳墓としては県内最多)が出土


百塚遺跡は今道路となっている。




この北側(百塚住吉遺跡や百塚住吉 B 遺跡)は2005〜2007年度に調査され、、
弥生時代終末期の方形周溝墓、前方後方形墳丘墓や
古墳時代初頭の円墳、前方後円墳、前方後方墳などが 10 基以上みつかった。
特に前方後円墳は北陸最古段階のものとして注目を集めた。

(参考 百塚現地説明会資料 H21.11.21)

杉谷古墳群
すぎたにこふんぐん

富山市杉谷
見学日   2004/5/1
2011/3/6
2013/5/26

以前から、古墳があるとされていた杉谷地区は、富山医科歯科大学の建設のとき、発掘調査された。
ここには四隅突出型の古墳があるが、フェンスで囲まれていて姿を見ることはできない(C番塚)。
大学の後ろ側のD番塚と@番塚の間のあたりから古墳の道(遊歩道)に入る。
注意書きに「マムシに注意」とあるのがちょっと怖い。

   杉谷古墳の道 案内図


杉谷古墳群配置図  (平成24年8月29日の杉谷4号墳現説資料より)


後方部の盛り上がり
(林の中 わかるかな・・・・)
     撮影日   2004/5/1
一番塚古墳 
全長56mの前方後方墳
前方部長さ約35m高さ1m
後方部長さ21〜22m高さ3m
周溝で囲まれ、現在でもその一部が残っている。
婦中町の王塚・勅使塚より古い。
古墳発生期に造られた。



撮影日   2004/5/1
2番塚古墳
約16m四方の方墳
高さは約3m
周りに幅約3m深さ1mの周溝が確認されている。
古墳発生期に造られた。
     撮影日   2004/5/1


墳丘の真中に遊歩道がある
撮影日   2004/5/1
8号墳
一辺30〜35m高さ2mの方形墳
自然の尾根を四角く削り取って作られている。
中央部に埋葬施設があり、
大きなもの(長さ5.4m幅1.2m)と
 その側に小さなものがあり、
複数の人が埋葬されたと考えられている。
     撮影日   2004/5/1


墳丘の真中に遊歩道がある
撮影日   2004/5/1
9号墳
長辺28m短辺20m高さ約1.5mの長方形墳
尾根の両側を約7m切断して、墳丘を造り出している。
中央に長楕円形の埋葬施設がある
(長さ5m幅1.2m)
     撮影日   2004/5/1


4号墳 後述
3番塚 直径約25m高さ2.5mの円墳
5号墳 2番塚と同じくらいの方墳

周溝跡も確認できる。    撮影日2011/3/6

7号墳
一辺10m高さ1mの方墳
(方形周溝墓の可能性もある)
4号墳の南にある小さな方墳。

6号墳

一辺50mの方墳
築造年代を特定できるような資料は出土していない。
4号墳が弥生終末期?古墳時代草創期頃の築造なので、
   古墳初現期の大型方墳ではないかと考えられている。
墳丘に貼り付けていたと思われる
 「石敷」と見られる石材も出土

杉谷群集墳 室町時代(14〜15世紀)の塚
一辺3〜4mから10mの方形の平面形の塚が
 27基発見されている。
密教の加持祈祷の場としての
  「三十三塚」として築かれたものと考えられている。

2011年の杉谷4号墳
杉谷古墳群
富山市杉谷
撮影日2011/3/6

杉谷古墳群は、富山医科歯科大学の敷地内に「杉谷古墳の道」として遊歩道が整備されていたが、
 杉谷4号墳はフェンスに囲まれて見れなかった。
今回、訪ねてみると、杉谷4号墳は整備されていた。
  (富山医科歯科大学は、現在富山大学杉谷キャンパスとなっている。)
大学のある丘を南におり、南西のふもとから、階段を上ると、
4号墳と7号墳の見学ができるようになっている。

杉谷4号墳
平成22年1月に立てられた説明板があった。


杉谷4号墳実測図

杉谷4号墳

四隅突出型方墳
弥生時代末期の築造と推定されている。
一辺25m・高さ最大3.9m
突出部の長さは墳丘の角から平均15m

墳丘を囲む溝を含めた一辺は50mとなる。




杉谷4号墳の突出部


よくわからないかも・・・






杉谷4号墳周溝跡



説明板には、
「北陸の四隅突出型方墳は、墳丘のすそに貼石や列石はないが、
  周溝があるという特徴がある点で、山陰のものと違いがある。」
と記されている。

杉谷古墳群2013年
4号墳と6号墳

富山市杉谷
撮影日2013//5/26

6号墳は初めての見学。
4号墳のふもとの駐車場に駐車。4号墳から6号墳の見学に行く。 

杉谷4号墳

撮影日2013//5/26

平成24年8月29日の杉谷4号墳現説資料が、インターネットで公開されている。


杉谷4号墳墳丘測量図 (1999年)
   (現説資料から)
杉谷4号墳は、四隅突出型墳丘墓
現状では一辺約25m・高さ約3m 
隅部に長さ約10〜12m・幅12〜14mの、
  先端がバチ状に広がる突出部をもつ。

周溝を含めると、一辺が約47〜48m の大きさとなる。
     (1974年の調査で判明)
 2012(平成24)年の調査で、突出部の形状や周溝の様子があらためて確認された。
 周溝内から700点の土器片などが出土した。
 杉谷 4号墳は、大形で発達した突出部の形状や出土した土器からみて
  弥生時代終末期〜古墳時代初頭 (3世紀頃)の築造 と推定されている。
      (現説資料から)
 四隅突出型墳丘墓は、山陰地方に特有の弥生時代の墳墓で、杉谷4 号墳の調査を機に、
  北陸地方でも、 福井県に8基、 石川県に1基、富山県に7基が確認されている。

2013年5月の杉谷4号墳 その1

2013年5月の杉谷4号墳 その2

杉谷6号墳

撮影日2013//5/26

杉谷4号墳から、大学構内に入る遊歩道があり、大学の競技場の横から杉谷6号墳の墳丘に上がる。
平成22年9月4日の杉谷6号墳のがインターネットで公開されている。


杉谷6号墳実測図  (現説資料から)
杉谷6号墳
現状は、長さ約51m・幅約30mの長方形墳だが
調査の結果、
現状よりも一回り小さい長さ約49mの長方形と確認された。
高さは北側で約2.5m、南側で約3.5m。
周溝はない。
埋葬施設の痕跡は、今のところ見つかっていない。
遺物は、弥生から古墳時代の土器と
 縄文土器が各1点出土。
築造時期の解明は今後の課題。

杉谷6号墳のある丘

杉谷6号墳の現状

調査から3年近くたち、墳丘はすでに雑草でおおわれている。
たくさんの写真を撮ったが・・・・・、墳丘の確認も難しくなっている。

新町大塚古墳

富山市杉谷
撮影日2013//5/26

図書館で見た婦中町史に掲載されていた古墳。

 新町大塚古墳は 王塚・千坊山遺跡群内にある
 現状で南北径10m・東西径6m・高さ2.3mの円墳
 長沢丘陵の東縁斜面にある。
  (八尾小杉線と王塚へ至る東西にのびる道路が交差する地点から
   主要地方道を北へ220m行った地点の道路に西接)
    (婦中町史から)
北東から見た新町大塚古墳
新町自治会がたてた説明板では、
「チンチン山  (円墳)鎌倉時代〜室町時代
 径約8mの円墳で、
昔旅の僧がこの地まで来て病気で動けなくなり、
この地で鉦をたたきながら読経をしていたが、
そのうちなくなったとのことです。
頂部には高さ約40cmくらいの石塔が立っており、
梵字で大日如来を表わしたものがある。
このことから各願寺と関係あると考えられる。」
とある。
発掘調査では、縄文土器が出土したとか???

北東からみた新町大塚古墳

新町大塚古墳 墳頂の石碑  梵字が刻まれている。

水橋の古墳群

富山市水橋地区
(撮影日2003/3/22)

このあたりは常願寺川や白岩川の形成する肥沃な土地のため、弥生時代から奈良・平安の遺跡が多く存在する。
古墳時代では竹内天神堂古墳(舟橋村)を中心にして、
稚児塚
(立山町)・若王子古墳清水堂古墳塚越古墳(円墳 立山町)・宮塚古墳(方墳)などがあり、
平野部での古墳群として貴重である。(日本の古代遺跡・富山)


左・宮塚古墳  右・若王子塚古墳

(撮影日2003/3/22)

若王子塚古墳
わくおうじづか
(水橋の古墳群)

富山市水橋中馬場
(撮影日2004/11/28)


直径46mの円墳
現状は20m程の円墳にしか見えない。
南側にも直径11mの円墳があったが消滅した。
案内板には古墳としての詳しい説明は書いてない。
このあたりは鎌倉時代から水田地帯として栄えていたようだ。


若王子塚・発掘当時の様子(富山県の歴史より引用)
2000年5月から7月に行なわれた発掘調査では
周溝も発見され、稚児塚に匹敵する大型の円墳であることが確認された。


宮塚古墳
みやづかこふん
(水橋の古墳群)

富山市水橋中馬場
(撮影日2004/11/28)


宮塚全景

若王子塚の隣にあるかわいい方墳。
神明社として保存されている。
詳細は不明。

清水堂古墳
しみずどうこふん

(水橋の古墳群)

富山市水橋清水堂
(撮影日2004/11/28)

水橋清水堂の集落の端に墓地があり、そこが清水堂古墳だという。

清水堂古墳(円墳)全景
古墳全体が墓場となっている。
保存はされているけど、発掘調査は永遠にできないだろう。

径30mの円墳


夕日の中に浮かび上がる清水堂古墳

全体が墓地となった古墳は初めて見た。


   

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