北村さんちの遺跡めぐり
更新日 2023/7/4

徳島旅行記2023 その5 
美馬市2・つるぎ町
2023/3/21〜25

2023/3/23、「徳島県旅行2023」の3日目の続きです。
「段の塚穴型」という名の由来となった「段の塚穴古墳群」は、前回の四国旅行で見学したので、
 今回はその周辺の古墳を見学している。
  前回の「段の塚穴古墳群」のページ 
段の塚穴古墳の西約500mの住宅街に真鍋塚がある。

付近の地図g

真鍋塚古墳 美馬市宗重
撮影日2023/3/23 14:35

住宅街で駐車できないので、100mほど東にある玉振神社境内に駐車させてもらい徒歩で行く。

玉振神社

4、5人の小学生が、
ランドセルを木の根元に並べて、
鬼ごっこをしている……
無住の民家の庭にあるので、近所の家に声をかけようと思うが、どこも留守なので、無断で入らせてもらった。

 真鍋塚古墳は  現状径10mほどの円墳
 南に開口する横穴式石室は玄室長3.9m・最大幅2.30m・高さ2.27m、
   (石室サイズは「穴吹町における後期古墳の研究」から)
  羨道長1m以上、幅1.35mの両袖式
 奥壁は低い鏡石のすぐ上から持ち送り穹窿式天井を作っている。「段の塚穴型」石室
 結晶片岩の割石が大部分で、天井付近では砂岩も使われている。
 須恵器が出土。
 7世紀前半の築造と推定されている。

東側道路から見た真鍋塚古墳

南側の民家の前に開口している

石室あたりだけが残されている
羨道はほとんど無くなっている。

玄室入口 玄門は立派!

入口から奥壁を見る

奥壁側から玄門を見る

  

吉野川を渡り、つるぎ町へ
「道の駅貞光ゆうゆう館」でトイレ休憩

江ノ脇古墳 ・寺町石棺 美馬郡つるぎ町貞光江ノ脇
撮影日2023/3/23 15:11

ゆうゆう館からすぐ東に張り出した丘陵先端にあるが、まっすぐには行けなくて、
東約800mの万福寺から西へ山沿いの道路を行かないとたどり着かない。
美馬市段の塚穴古墳群の対岸にある。
駐車スペースはある。

 江ノ脇古墳は 吉野川南岸の標高88mの河岸段丘上に築かれた古墳。
 墳丘は太平洋戦争中に対空監視所が置かれていたため、かなり崩れている。
 現状は径10mの円墳
 南東方向に開口する横穴式石室は全長5.6m・高さ2.2m
  玄室長2.17m・最大幅1.74m・高さ2.24m
   (玄室サイズは「穴吹町における後期古墳の研究」から)
  奥壁は1枚、天井石は5枚の結晶片岩で、
   側壁は割石をていねいに積み上げて構築されている。
  玄室の胴張り・持ち送りの特徴が見られる。「段の塚穴型石室」
 須恵器・馬具・玉類の出土
 7世紀初頭の築造と推定されている。  (レキシルとくしまから)

小さくなった墳丘

丘陵先端にある

羨道から玄室を見る

玄門部

奥壁は1枚

玄室内から羨道を見る
 説明板から
石室図

(「段の塚穴型石室に関する若干の考察」から)

江ノ脇古墳の横に石棺が移築されている。

 寺町古墳石棺(移設) 
 旧貞光町西浦の町道から発見され、現在は江ノ脇古墳の横に移築されている。
 縦1.4m・横幅0.32m・高さ0.2mの小規模な組合せ式箱式石棺
 側壁は6枚の結晶片岩。古墳後期の築造と推定されている。
 説明板から

、江ノ脇古墳の北麓にある江ノ脇農村公園に入ってしまい抜け出せなくて、
   なかなか古墳の前に行けなかった…。

三島古墳群
市史跡
美馬市穴吹町三島三谷
撮影日2023/3/23 15:30

三島中学校の南の坂の途中に、「三島古墳群」の案内板がある。
中学生が外で部活の練習をしていたので、指導の先生に駐車のお願いをしたら快く許可していただけた。
案内板のところをまっすぐ行くのは間違いで、小川をまたいで北の尾根を目指す。
1・2号墳の前には説明板がある。
インターネット上に、
「穴吹町における後期古墳の研究-三島古墳群を中心に-(阿波学会研究紀要)」(発掘調査は1998年)
が公開されていたので参考にさせていただいた。

 三島古墳群は 3基の古墳からなる。
 三島中学校の裏山に位置する古墳群で、西から1号墳・2号墳とする。
  谷一つ隔てて東には3号墳が位置する。
 3号墳が標高150m、1・2号墳が標高90m 前後に位置する。
 1号墳は長円形で2つの石室もち、その他は直径10m前後の小規模の円墳である。
 3基とも全長5.2〜5.6mの横穴式石室が北向きに開口する。
 いわゆる段の塚穴型石室の特徴をもつが、
 玄室は大国魂古墳と同様に正方形のプランを持つので、
  段の塚穴型石室では古い特徴をもつと考えられている。  (レキシルとくしまから)
1・2号墳の前にある案内板

三島1・2号墳 墳丘測量図
等高線は25cm間隔
   (「穴吹町における後期古墳の研究」から) 
上が1号墳
1号墳が前方後円墳かどうかの確認のため
くびれ部の想定位置にトレンチを入れた。
結果は、前方後円墳ではなかった。

1998年に1号墳裾部の発掘調査と
 1・2号墳横穴式石室の実測調査
 石室内部の発掘調査を実施していない。
(3号墳はこの時は調査無し)

1号墳墳頂の標高は91.5m
 三島1号墳
 全長15m・高さ3mの不定形墳 葺石がある。
 北向きに開口する2基の横穴式石室があり、
 西から1号石室・2号石室と呼ぶが、1号石室は埋没している。
 2号石室は、全長5.47m、

 玄室長2.35m・最大幅2.04m・奥壁幅2.04m・最大高1.94m、
 玄門長0.25m・幅0.82m・高1.13m、羨道長2.87m・幅1.00m・最大高1.40m
 胴張りの平面形に持ち送りの天井構造で、
  石室形態は「段の塚穴型石室」の中に含まれる

 全体的に見て、他の段ノ塚穴型石室に比べて小規模な石室。
    (「穴吹町における後期古墳の研究」から)

西から見た1号墳

木の根元に石材が見える 1号石室か

2号石室

2号石室内部

2号石室 天井部分

2号石室内から入口を見る

東から見た1号墳

三島1号墳2号石室実測図
(「穴吹町における後期古墳の研究」から)
 三島2号墳は、1号墳の東に隣接する円墳で、墳頂間は、19.5m の距離。
 北向きに開口する開口する横穴式石室は、
  1号墳同様、胴張りの平面形に持ち送りの天井構造をもち、
  石室形態は「段の塚穴型石室」の中に含まれる
 石室全長473cm、玄室長2.05m・最大幅2.12m・奥壁幅1.87m・最大高1.97m
  羨道長1.96m・幅0.90m・最大高1.18m
 全体的に見て、他の段ノ塚穴型石室に比べて小規模な石室。
   (「穴吹町における後期古墳の研究」から)

1号墳側から見た2号墳

北西から見た2号墳

開口部から見た石室内部

玄室奥壁

玄室内部から入口を見る

三島2号墳石室実測図
(「穴吹町における後期古墳の研究」から)
 3号墳は、
  1・2号墳から谷を隔てて、60m上がったところにあるそうだが、見つけられなかった。

三島3号墳 墳丘測量図
  (「穴吹町における後期古墳の研究」から)

石室形態は「段の塚穴型石室」の中に含まれる

石室は3号墳が一番大きくて、
築造時期も一番早いと考えられている。


いい機会だからと、三島中学校の先生方4人とともに山に登り、1・2号墳の見学をした。
生徒たちも登りたかったようだが、落葉で足元が危険だからと、ストップがかかってしまった…。 
「穴吹町における後期古墳の研究」には、調査の際に三島中学校の皆さんにとても世話になったと書かれている。

尾山古墳
市指定史跡
美馬市穴吹町口山尾山
撮影日2023/3/23 16:20

三島中学校の東約3kmの丘陵北側斜面にある。
この古墳も、東300mほど行って享保寺の辺りから西に向かって山に入らないと行けない。
民家の脇に案内板がある。民家の庭みたいな所。

 尾山古墳は  直径13mの円墳
 南側に入口をもつ横穴式石室が露出している。天井石が無くなっている!
  玄室部長さ約3.3m・最大幅2.4m・高さ不明
   (玄室サイズは「穴吹町における後期古墳の研究」から)
 石室の形は「段の塚穴型石室」の中に含まれる
  石材に結晶片岩の割石を使用している。
 6世紀後半〜7世紀前半の築造と推定されている。。

道の脇にある案内板

説明板の後ろに墳丘

墳丘上から石室を見下ろす
天井部分が無い。

入口側から見た石室

石室奥には祠がある。

東側墳裾から墳丘を見る
説明板から

  

戎古墳
市史跡
美馬市穴吹町穴吹
撮影日2023/3/23 16:28

尾山古墳と同じ丘陵にあるが、場所をどう説明すればいいかわからない。
元はこの辺に穴吹高校の寮があったらしい。(今もあるのか?)
無住の民家の庭にあるので、敷地に入らせてもらって見学した。
説明板は見あたらない。道路の広い所に路駐。

 戎古墳は   横穴式石室が残っている。 
  玄室は長さ3.26m・最大幅2.36m・高さ1.82m
   (玄室サイズは「穴吹町における後期古墳の研究」から)
 石室形態は「段の塚穴型石室」の中に含まれる

前面に袖石のような立柱石が立っている。

開口部は高さ1mほど

玄室内部

奥壁は小ぶりな石材を積み重ねている

石室内から入口側を見る
  石室図

(「段の塚穴型石室に関する若干の考察」から)

空き家ときいていたが、庭で畑をしている痕跡があり、新しそうな自転車もあり、誰かいそうな気がした。

拝中古墳
市史跡
美馬市脇町拝原
撮影日2023/3/23 16:48

2014年の四国旅行の時は、時間がなくて墳丘の写真を撮っただけで終わった。
   前回の拝中古墳のページ
県道12号線と新国道193号線の交差点の北100m、道路すぐ西側の民家裏にある
南にセブンイレブンがあったので駐車させてもらい見学。

 拝中古墳は  直径15m・高さ5m(推定)の円墳
 南に開口する横穴式石室は現全長7.1m
  玄室長3.6m・最大幅2.38m・高さ2.96mの両袖式 
   (玄室サイズは「穴吹町における後期古墳の研究」から)
   現状羨道部長3m
  奥壁は結晶片岩の1枚石、   側壁は基底部の1〜2段は結晶片岩、
  その上は砂岩を積み重ねて、隙間を結晶片岩の割り石を使用
  側壁を内側に向かって持ち送る「段の塚穴型石室」であり、
  天井部は7枚の結晶片岩が使われている。
 6世紀後半〜6世紀末の築造と推定されている。(美馬市観光情報から)
 拝東古墳と同時期である。
 曽江谷川の堆積作用による扇状地上標高45mに位置する。

東から見た墳丘

南に開口している

開口部

羨道から玄室入口を見る

玄室内部奥壁

玄室天井部分

玄室から入口を見る

  

拝東古墳
市史跡
美馬市脇町拝原
撮影日2023/3/23 17:09

拝中古墳の南約500mのところに拝東古墳がある。
西北60mの三寳荒神社に駐車。
どこから行けば、古墳に近づけるのかわからない。

 拝東古墳は  直径15m・高さ5m(推定)の円墳
 民家や農地に囲まれていて、削り取られている。
 南に開口している横穴式石室は現全長5.5m
  玄室長3.64m・最大幅2.52m・最大高2.71.m
    (玄室サイズは「穴吹町における後期古墳の研究」から)
  両袖式 羨道部現長1m
  奥壁と側壁の玄門石の高さまでは砂岩、
  側壁の持ち送る部分は結晶片岩の割り石を使用
 奥壁と側壁から持ち送る「段の塚穴型石室」
 天井部は7枚の結晶片岩が使われている。
 6世紀後半〜6世紀末の築造と推定されている。   (美馬市観光情報から)

北角から見た墳丘

南に開口している

開口部

玄室内部

玄室内部から入口を見る



三寳荒神社の桜


拝原地区には、「北原古墳」もあるが、これは前回の四国旅行で見学したので今回は行かなかった。

国中古墳
市史跡
美馬市脇町拝原
撮影日2023/3/23 17:34

三島古墳群の北約1.5kmのところに国中古墳がある。
市史跡とはいうものの、古墳に近づく道が無い……
周りは農地やソーラーパネルがある。
かなり手前の公園に駐車、畦道を通って古墳前へ
「美馬市指定史跡 国中古墳」の標柱はあるが、説明板はない。

 国中古墳は 直径12m・高さ4mの円墳
 南南東に開口した横穴式石室は 玄室長2.44m・最大幅1.86m・高さ1.87m
  (玄室サイズは「穴吹町における後期古墳の研究」から)
  羨道は埋もれている
  奥壁、横壁は砂岩、天井石は結晶片岩を使用している。
 石室形態は「段の塚穴型石室」の中に含まれる
 6世紀後半頃の築造と推定されている。
 標高75mほどの所にある。

丘陵先端にある。

墳丘

かなり埋まった石室

入口は狭い

石室内部




今晩は、ビジネスホテルマツカ (美馬市脇町猪尻字建神社下南)に宿泊
近くにいたので、6時過ぎには、チェックイン。 
「徳島旅行割 周遊クーポン」が1人2千円もらえたので、
  クーポンが使えるガスト徳島脇町店で夕食。
朝食はチェックインの時に頼めたので、明朝は豪華な朝食だ。
 

 
2023/3/24  徳島県4日目、まずホテルのレストランで朝食


豪華朝食

食べきれなかった……

うだつの町並みの観光へ


観光地です
うだつの町並み 美馬市脇町
撮影日2023/3/24 8:00

道の駅「藍らんど うだつ」に駐車。
さすが観光地、きれいになっている!

 江戸時代、藩が推奨した藍づくりは、阿波の代表的な産業として広がり、
   吉野川の水運に恵まれた脇町は、藍の集積地として栄えた。
 その豪奢な商家には、立派な「うだつ」という防火壁が造られた。
        (現地パンフレットから)

うだつの町並み 田村家住宅付近

大谷川南橋西たもとから見た うだつの町並み

伝統工芸体験館未来工房
 藍染体験ができる

体験館横の公衆電話

左は図書館 奥は「うだつ稲荷」
新しい建物なんだろうけど
町並みに合わせて建てられている

「うだつ稲荷」 
説明板から



整備された「うだつの町並み」の東、大谷川の対岸にオデオン座がある。

 脇町劇場オデオン座
 昭和9年に西洋モダン風の外観で、
  回り舞台、奈落などを備えた本格的な芝居小屋として建てられ、
  歌舞伎や浪曲の上演で人気を集めた。
 映画の斜陽化と建物の老朽化により1995年に閉館し、取り壊しが予定されていた。
 しかし日本映画界の巨匠山田洋次監督の目に留まり、
  『虹をつかむ男(西田敏行主演)』のロケ地となったことで、
  映画の中に登場する≪オデオン座≫として一躍脚光を浴びた。
 上映をきっかけに文化的価値が見直され、
  1998年(平成10年)、美馬市指定有形文化財に指定
  翌年1999年(平成11年)に昭和初期の開館時の姿に修復され、一般公開されることになった。
 現在では、脇町劇場(オデオン座)として
  芝居公演や映画上映の他、市民の芸能文化の発表の場となっている。
 四国では愛媛県の内子座、香川県の金丸座と並び、
  わずか3件のみの現存する芝居小屋
として、貴重な姿を今に残している。
         (オデオン座HPから)

朝早くて、開館していない…。

朝8時なので、観光客はほとんどいない。
約1時間弱の見学を済ませて、古墳見学始めます

北岡東古墳 につづく   

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