北村さんちの遺跡めぐり
更新日 2023/7/25

徳島旅行記2023 その6
阿波市・板野町・鳴門市
2023/3/21〜25

2023/3/24、4日目、朝一番に「うだつの町並み」の見学を終え、阿波市の古墳見学始めます!

付近の地図g

北岡東古墳
県史跡
阿波市阿波町北岡
撮影日2023/3/24 8:52

2014年の四国旅行で見学したが、変化があるかと寄ってみる。
北岡公会堂の後ろに保存されている。

 北岡東古墳は、径15m・高さ5mの円墳  標高47mを測る低位段丘の縁辺部に位置する。
 その東側は吉野川の沖積地が拡がるため眺望が良好である。
 削平を受けて墳丘の遺存状態は悪い。
 1976年(昭和51年)の内部主体の実測調査、
  南東方向に開口する横穴式石室は現全長5.26m、
   玄室長3.1m・奥壁幅2.02m・玄室中央部高2.24m
   羨道部長2.16m・幅0.80m・羨門部高1.17m
  石材には結晶片岩の川原石と割石を使用している。
  円筒埴輪片と須恵器片が出土。
 6世紀後半の築造と推定されている。
 段の塚穴型石室を持つ古墳として東限に位置する。
    
(レキシルとくしまから)
 平成18年の墳丘修復のための調査では
  幅3.9mの周濠が確認され、
  検出された墳丘基底部から、墳丘約16.95m・全長24.76mの円墳と確認された。 

以前と同じ佇まい

墳丘

西から見た墳丘
 赤い屋根は北岡公会堂
 河岸段丘の南東端にあり、すぐ南は崖!
説明板から

石室は以前と変わりが無かった。

 前回の北岡東古墳の写真 (撮影日2014/4/25)

石室入口 崩れそう 

カメラを突っ込んで撮影 天井は見えない・・・

    

正広古墳
市史跡
阿波市阿波町小倉
撮影日2023/3/24 9:18

県道198号線沿いの北側の斜面の畑の中にある。
古墳上に説明板と史跡と書かれた石碑がある。

 正広古墳は 直径11m・高さ1mの円墳 標高106m
 耕作のためかなり削られている。
 横穴式石室がある。
 6世紀後半の築造と推定されている。。
 平成16年に石室の実測調査や修復を試みたが、作業の安全が確保できないため中断された。
 現在は石室内に砂が充填されている。

墳丘

石室は見ることができない。

石室には砂が詰められているらしい。
説明板から

石室が見たかった…。
西の山中には、国の天然記念物である「阿波の土柱」がある。

建布都古墳
市史跡
阿波市市場町香美
撮影日2023/3/24 9:33

吉野川の北側の段丘上にある建布都神社の境内に墳丘がある。
神社前の道路が広いので駐車できる。
この場所にかつては香美城(カガミジョウ)があったという。
説明板は見あたらない。

 建布都(タケフツ)神社古墳は 直径17m程の円墳
 北から延びる洪積台地の縁辺部に位置する。
 この台地の三方は吉野川の氾濫源が拡がり、周辺から一段高い場所に古墳が築かれている。
 未調査のため、築造年代や内部主体は不明。
 墳丘の裾には築造年代不明の砂岩製の立石が4ヶ所ある
 墳丘の上や裾に緑色片岩の板石が認められる。
 また墳丘の南裾に、緑色片岩製の板碑(応仁二年(1369年))が建立されている。
  主体部の石材を利用した可能性も考えられている
       (レキシルとくしまから)

建布都神社

建布都神社社殿の右側に古墳はある。

墳丘

墳丘上の石材 石室の石材?

墳丘上には石がいくつか見える

手前の石碑には
「史跡 建布都古墳 応安の板碑
  市場町教育委員会」と刻まれている。

史跡「応安の板碑」
墳丘の南裾にある。
緑色片岩製の板碑(応仁二年(1369年)

主体部の石材を
  利用した可能性も考えられている。

阿波市土成町にも建布都神社(2000年に近くの西宮神社を合祀)があるという。

穴薬師古墳
市史跡
阿波市土成町南原
撮影日2023/3/24 9:50

建布都古墳の北東4kmほどのところに石室が露出している。駐車スペースあり。
説明板もある。

 元は、薬師庵があった。
 穴薬師古墳は、径7m・高さ2mの円墳
 南に開口する横穴式石室は、玄室は長さ1.8m・幅1.75mのほぼ正方形
    羨道長3.75m・幅1.5m。
  側壁は小型の砂岩乱石積み、天井は結晶片岩の巨石を使用

南から見る

仏像の右斜め下に石室

石室内部

奥壁

石室内部から入口を見る
説明板から

   

大野神古墳
市史跡
阿波市市吉野町西条床石
撮影日2023/3/24 10:08

穴薬師古墳の東約3kmに大野神古墳がある。
古墳と知らなければわからない…。駐車はできる。

 大野神古墳は 直径10m・高さ2mほどの円墳
 横穴式石室があり、6世紀後半以降の築造と推定されている。
 詳細不明?

東から 元は社があったらしくて参道がある。

墳丘らしく見える

墳頂部 木製の建物は朽ち果てた

方向を変えて見る

民家の庭みたいなところにある。

椎ヶ丸古墳
市史跡
阿波市市土成町吉田字椎ヶ丸
撮影日2023/3/24 10:21

高速道土成インターチェンジの北西そばにある御所神社の境内にある。
御所神社の北側が農村公園となっていて、その東の隣接地が古墳らしい。
農村公園に駐車。

 椎ヶ丸古墳は 全長75mの前方後方墳 後方部40m・前方部35m
 測量調査しかされていないので、内部構造、副葬品、築造年代、被葬者等は不詳
 標高90mほどの丘にある。
 土御門上皇ゆかりの御所神社境内の一角にある。

後方部から前方部を見る

前方部から後方部を見る

椎ヶ丸古墳 説明板


そのままでは読みにくいので書く。



 「昭和54年県道船戸切幡上板線バイパスの新築工事に際し、
  椎ケ丸古墳は県文化課の測量調査により、
  前方後方墳ではないかといわれ保存された古墳である。
 前方後方墳とは凸型の古墳をいい、前方部、後方部とも四角の形状をなした古墳であって
  古い形態に属し、全国でも100基余り、県下では丹田古墳、徳島市の奥谷古墳などがある。
 この椎ケ丸古墳は、全長約75mで、後方部縦横約40m、前方部縦35m、横約25m
  県下有数の大規模な前方後方墳とされている。
 しかし、本格的な発掘調査がなされてないため、
  内部構造、副葬品、築造年代、被葬者等は詳らかでない。 平成元年12月 土成町

北側にある鳥居 (裏参道)
裏側から御所神社に入ることになる

南側にある鳥居と社殿 表参道
手前は長〜い階段となっている。
こちら側が正面
 御所神社の祭神は、素戔鳴命、土御門天皇、他に国常立命をはじめ20柱の神が合祀されている。

表参道(南)から御所神社に行こうとすると、長い階段を上がらなければならない。

土成岩屋古墳
市史跡
阿波市市土成町高尾向山
撮影日2023/3/24 10:43

椎ヶ丸から北東約1.5kmの独立丘陵の東裾の狭い道脇に岩屋古墳がある。駐車はできる。
石の説明板がある。石室が開口している。

 土成岩屋古墳は 横穴式石室がある古墳
 南に開口する横穴式石室は 玄室長3.55m・幅1.75m・高さ2.1m、
  羨道幅1.5m・長さ不明
  側壁は砂岩の自然石を持ち送り、羨道はかなり破壊されている。

道路から見た墳丘と説明板 石室は右下

石室開口部 羨道はほとんど破壊されている。

玄室内部

玄室から入口を見る
説明板から


土成丸山古墳
県史跡
阿波市市土成町高尾
撮影日2023/3/24 10:43

2014年の四国旅行の徳島県最初の見学は、この古墳だった。
2019年度から新たに発掘されたと聞き、変わりがあるかもしれないと寄ってみる。
県道139号線沿いでわかりやすい。駐車スペースあり。

 土成丸山古墳は、直径約40m・高さ約6.5mの円墳 
 元は東西約46m・南北約42mだったと考えられている。
  幅14m弱の周濠がある。
 2段築成 葺石がある。形象埴輪・円筒埴輪が立て並べられていたと考えられている。
 5世紀中ごろの築造と推定されている。
 円墳では県下一の規模を持つ。
  宮川内谷川によって形成された扇状地上の標高約25mの平野部に位置する。
 田畑や墓地による削平を受けて墳丘の遺存状態はあまり良くない。
 1984(昭和59)年に測量調査      (レキシルとくしまから) 
 埋葬施設は不明だったが、2019年度からの発掘調査で、
  墳頂の深さ約1mの地点で緑色片岩の板状石材3枚が出土した。
  埋葬施設と仮定した場合、石材は蓋石と推定され、
  竪穴式石室と想定していたこれまでの埋葬形態とは異なる
    箱式石棺の可能性があると分かった。
 これまでの調査でも家や人物の形をした埴輪などが見つかっていたが、
  今回の調査でも、墳丘部から円筒形埴輪、
    朝顔形埴輪、甲冑形埴輪など5〜30cmの埴輪片が出土した。
        (2022/12/9読売新聞記事などから)

9年前とほぼ同じ佇まい

発掘調査の部分は茶色い土がむき出し!

埴輪片が落ちている。
説明板から 

現在の説明板は白色が流れて見にくくなっているので、2014年の説明板を載せた

 

土成丸山古墳の東約200mには、四国八十八ヶ所霊場第6番札所安楽寺がある。
139号線沿いに安楽寺の広い駐車場とトイレがあるので、休憩!
横には、「お遍路さんグッズ」のお店がある。


駐車場から見た安楽寺

駐車場にある案内板 中心は安楽寺 丸山古墳も書かれている。

   

(板野の)愛宕山古墳
県史跡
板野郡板野町川端芦谷
撮影日2023/3/24 11:27

板野町川端の諏訪神社にも古墳があるが、同じ山の西側には愛宕山古墳がある。
県道12号線から北に入りソーラーパネルが終わったところの案内板で東に曲がり、
 突き当りに駐車、歩いて数分。

 (板野)愛宕山古墳は、全長63.8mの前方後円墳
  後円部径44.2m、前方部長さ19.6m 
 2段築成
 後円部墳頂に露出した竪穴式石室は長さ6m、幅1.1m、深さ1.2m
  結晶片岩を小口積みして、底には礫を敷き詰めている。
 鋼鏃・鉄鏃・鉄剣片・短甲片・管玉・ガラス玉・円筒埴輪・朝顔形埴輪・眉形埴輪などが出土。
 古墳時代前期末から中期初頭(4世紀後半から5世紀初頭)の築造と推定されている。
 昭和36年(1961)、平成5年(1993)、平成13年(2001)に調査が行われている。
 徳島県では、渋野丸山古墳に次ぐ規模。
 吉野川下流域を一望できる、標高は50mほどのところにある。

古墳への道

前方部側

前方部から後円部を見る

露出した竪穴式石室は囲われている。

赤い踏み台に乗って石室を撮影

石室内はよく見えない……
  説明板から

    

諏訪神社古墳
町史跡
板野郡板野町川端諏訪
撮影日2023/3/24 11:52

愛宕山古墳の東にあるのだけど、一旦南に戻り、旧撫養街道沿いにある諏訪神社鳥居の横に駐車。
階段を上がる。

 諏訪神社古墳は 諏訪神社本殿裏の山頂に結晶片岩の箱式石棺が露出している。
 現在、石柱が立つだけで、石棺は埋められているのか?

南から見た諏訪神社の山

階段を半分くらい上っても社殿は見えない

社殿

社殿横から山頂を目指す

途中に奥宮がある。

「板野町指定史跡 阿波式石棺」
と刻まれた石碑
  石棺は見えない……

社殿側から鳥居を見下ろす

    

大麻比古神社

ドイツ館・道の駅第九
鳴門市大麻町板東広塚
撮影日2023/3/24 12:19

阿波一宮の見学。
周りは公園となっていて、道の駅やドイツ館などもある。

 大麻比古神社(オオアサヒコジンジャ)
 御祭神は、大麻比古大神(阿波国を開拓した阿波の忌部氏の大祖先の神様)
   猿田彦大神(天孫降臨の時その道案内の役をつとめられた神様)
 方除(ホウヨケ)・厄除・交通安全の神様として今も多くの人々から信仰されている。
     (大麻比古神社HPから)

大麻比古神社の入り口に建つ大鳥居

平成14年に鋼管製で再建され、
 高さは14.6m・柱間11m
元の大鳥居は同じ大きさで昭和33年に
 鉄筋コンクリートと鉄骨で建設されたが、
 老朽化のため再建された。

参道は 約800m

参道両側には
 樹齢2〜300年の黒松が群生していたが、
 昭和50年代に
 松食い虫の被害に遭いすべて枯死、
 今は楠を中心とした緑の並木となる。。

御神木
境内にある楠の大木。

樹齢千年余


幹周り8.3m、樹高22m。
鳴門市指定の天然記念物。

社殿

大麻比古神社の手前には、ドイツ館と道の駅第九の里がある。


奥がドイツ館  左が道の駅第九の里
 ドイツ館
 第一次世界大戦で捕虜となったドイツ兵と地元の人々との交流を記念して建てられた記念館
 当時の収容生活やドイツの文化を伝える写真などが展示されている。
 ドイツ兵たちは元々優れていた技術を活かして様々な活動に取り組み、
  中でも盛んだった音楽活動においては、ベートーヴェンの「交響曲第九番」を、
  アジアで初めてコンサートとして全楽章演奏した。
 道の駅第九の里の物産館
 ドイツ人の捕虜収容所として使われていた建物・板東俘虜収容所を移築したものだ。
 「柿本家バラッケ(登録名、バラッケ=兵舎)」として登録有形文化財となっている。

昼食は第九の里軽食コーナーにて
「ちくわかうどん」
竹輪とワカメがたっぷり!
一杯 500円

お土産も調達
徳島県旅行割周遊クーポンを使う!

2006年には、この坂東捕虜収容所が舞台となった映画「バルトの楽園(東映)」が製作されたという。
主役は、暴れん坊将軍・松平健様だ。

春日神社古墳群 鳴門市大麻町萩原アコメン11
撮影日2023/3/24 13:26

大麻比古神社の南約2kmの線路の南にある「ぬか塚古墳」は、2014年の四国旅行の時に見学した。
そのぬか塚古墳のすぐ北東にある春日神社の境内には古墳群があり、社殿は古墳の上に建っている。
春日神社に駐車場あり。


(萩原)春日神社
天文3年(1534)、阿波国守護細川持隆のとき、
 阿波郡秋月より萩原の地に遷祀したと
 伝えられている
(「スダジイ林」の説明板から)
 1号墳の横にあるのは「スダジイ林」の説明板
  この中に、簡単に古墳群の説明がある。


 古墳群の記述を書き出してみる
 「阿讃山脈から南流する樋殿谷川砂岩の扇状地にある春日神社の森には、
  古来より「七盛七池」と伝えられる古墳群が存在する

 神社本殿下にある直径22m・高さ3.3mの1号墳(円墳)をはじめ、
  直径10m前後の円墳6基を含む7基が確認され、
  過去の発掘調査成果などから、6世紀中ごろ〜後半の築造と推定されている
。」
 発掘では、6世紀後半の須恵器や円筒埴輪が出土している。


春日神社古墳群 配置平面図

7基確認されているが、
他にも墳丘らしき高まりがありそうだ……
 1号墳
 直径22m・高さ3.3mの円墳  1号墳の上に本殿が乗っている。

1号墳左側 

1号墳右側
 右端は「スダジイ林」の説明板
本殿背後の、1号墳墳丘



 2号墳

墳丘
 3号墳

墳丘
 4号墳

墳丘
 5号墳

墳丘
 6号墳

墳丘

墳丘上
 7号墳

墳丘

墳丘上

近くのぬか塚古墳も同じ古墳群と考えられている。

萩原墳墓群2号墓 につづく   

トップページ