北村さんちの遺跡めぐり
更新日2008/2/20

 晩秋の旅
  京都・山城地方と滋賀・湖東

       その1・京都府・山城地区
撮影日2007/11/27

2007年11月末、二日間の休暇をとり、京都府・滋賀県の遺跡探検に出発する。
事前に京都府の歴史散歩を読み、京都府のどこを見ようかを考えた。
宇治市をまわって、時間があったら向日市の物集女車塚に行こうと決め、
ひたすら宇治市を目指す。
11月27日
  6:37 自宅出発
  6:42 美川インターから高速に入る
  7:50 杉津SAで休憩
  9:10 瀬田JCTから京滋バイパスに入る  
  9:27 宇治東ICから一般道へ     高速料金5650円

まず、二子山古墳を探す。

  二子山古墳
宇治上神社の北400mの丘陵北麓にある。たくさんの出土品は世界文化遺産に登録された。
 1号墳(北側)・・・径42mの円墳。
  盗掘されていなくて粘土槨から神獣鏡1・武器類のほか数百個の玉類が出土した。
 2号墳(南側)・・・一辺36mの方墳。
  四葉文鏡・多数の武具類や玉類が出土。  

国土地理院の地図を見ながら、探す。
通りがかりの男性に尋ねる。
発掘はしていたが、今は見れる状態ではないのではないかと言われ、
あきらめて、京阪宇治線宇治駅の西にある「兎道雅郎子墓」に向かう。

京都府南部の地図g

 宇治墓
(兎道雅郎子墓)

ウジノワキイラツコノハカ

京都府宇治市兎道
 (撮影日2007/11/27)

兎道雅郎子は応神天皇の皇子。
応神天皇から次期天皇に指名されたが、辞退し、兄の仁徳天皇が即位した。

宇治墓正面
1889(明治22)年宮内庁によって兎道雅郎子の墓と治定された。
前方後円形に整備されている。

兎道雅郎子墓近くの民家の庭先に「宇治墓陪豕」発見!

宇治墓陪冢
案内板には
「みだりに域内に立ち入らぬこと
魚鳥を取らぬこと
竹木を切らぬこと   宮内庁」
と書かれている。
兎道雅郎子墓の横では乙方遺跡発掘調査(宇治市槇島町)が大々的に行われている。

乙方遺跡全景
石垣みたいなものが見えるけれど、何の発掘だろうか?

宇治墓は大きな前方後円墳かなと思いながら、
たくさんの写真を撮り、宇治市で初めて出会った古墳だと感動したが、
これは「遺跡」とは認められていないことを、あとで知ることとなる。

宇治市に来たら、やはり平等院鳳凰堂は、はずせない。
11:00ごろ  平等院到着
平等院の前の駐車場 駐車料金700円
平等院入場料    700円×2人   

 平等院鳳凰堂 京都府宇治市蓮華116
 (撮影日2007/11/27)

南門から入場。

平等院山内寺院の浄土院羅漢堂

内部の鑑天井に描かれた龍の彩色画が素晴らしいが、
 撮影禁止となっている。



平等院山内寺院の最勝院にある源頼政の供養塔


源頼政は平家との戦いに敗れこの地で自殺した。


観音堂と藤棚


観音堂は鎌倉時代の創建で国重文。




観音堂内に安置された木造十一面観音立像

木造十一面観音立像は平安時代の作で国重文。



平等院鳳凰堂
国宝

1053年完成。
中堂に木造阿弥陀如来坐像が安置されている。

平等院鳳凰堂はやはり素晴らしい建物。圧巻!
紅葉も最高の季節。
鳳翔館と呼ばれる宝物館に展示されていた雲中供養菩薩像も素晴らしかった。

大急ぎで平等院を見学。
宇治市の遺跡について知ることが必要だということで、折居台1丁目にある宇治市歴史資料館に向かう。
歴史資料館は市文化会館と図書館がまとまった複合施設。
文化会館は休館日だったが、歴史資料館は開館していて、職員の方に付近の見学できる遺跡についてお話を伺うことができた。

 職員の方の話
 ・宇治市には見学できる古代遺跡はあまりない。
 ・宇治市二子山古墳は見学できる状態ではないが、宇治川から北の山を見ると二つの森が見える。
  それが二子山の二つの古墳である。
 ・宇治市二子塚古墳は、前方部と周濠の一部が残っている
 ・京滋バイパス建設時に発掘した宇治市隼上がり古墳群3号墳の石室が、
  この資料館の庭に移築保存されている。
 
 隼上がり古墳群4号墳の石室は宇治東IC付近に保存されている
 ・兎道雅郎子墓は遺跡ではない
  元あった小さな古墳らしきものを明治時代に整備して大古墳らしくしたものである。
 ・城陽市の久津川車塚・芭蕉塚などは見学できる
  イズミヤというショピングセンターに駐車して徒歩で見学するといい。
  付近には他にも多くの古墳があり、住宅地の中に空き地として古墳が残る。
 ・京田辺市の大住車塚は、整備保存されている。ぜひ見学を!
 まず 城陽市の久津川車塚・芭蕉塚を見学してください!

歴史資料館に寄ってよかった!
くわしい方がいらっしゃったので、たくさんの話を聞けた。

宇治市隼上り古墳群3号墳の石室が、この資料館の庭に移築保存されている。

 隼上り古墳群3号墳
移築石室

京都府宇治市折居台1
撮影日2007/11/27)

1983(昭和58)年、京滋バイパス建設時に新たに発見された古墳群。
発掘調査後、3号墳の横穴式石室が歴史資料館の庭に移築復元された。
6世紀終わりごろの築造と考えられている。


隼上り古墳群3号墳移築石室全景





隼上り古墳群3号墳移築石室


須恵器などが出土した。

隼上り古墳群のもう1つの古墳が京滋バイパス付近に保存されているという。
場所もきちんと聞いたので、帰りに寄る事にしよう。(時間が無くなり、行けなかった)。

城陽市の久津川車塚に向かう。
宇治市・常陽市を迂回するバイパスに入ってしまい、近いはずの久津川車塚がとても遠い。
13:00 イズミヤショッピングセンター到着。
イズミヤで買い物をすると駐車料金は無料となる。
おなかがすいたのでイズミヤで昼食。 
ラーメン430円×2人 
とてもおいしいラーメンだった。

イズミヤの東駐車場に大きな墳丘!
徒歩で見学。

芭蕉塚

京都府城陽市平川
 
 (撮影日2006/10/22)

大きな芭蕉塚を取り囲むようにしてイズミヤの東駐車場がある。

芭蕉塚全景
左 前方部 右後円部

全長110mの前方後円墳
後円部径59m・高さ6.5m
前方部幅67m・高さ5.5m葺石・埴輪あり
周濠と外提を持つ。
久津川車塚の後の時期に築造されたと推定されている。


芭蕉塚後円部


説明板は見あたらない。

久津川車塚
国史跡

京都府城陽市平川
 (撮影日2007/11/27)

1894(明治27)にJR奈良線建設時に長持型石棺や鏡・玉・武器などが出土して古墳と分かった。

久津川車塚全景
手前 後円部
右奥 前方部
墳丘の東側にJRの線路が通っているので
 墳丘は崩れている。
林にしか見えない。
柵があるが、墳丘の中に入れる。
後円部に登ってみたら、石棺のあったあたりの墳丘はざっくりと削り取られていた。
残っている周提にも登ってみた。
現状保存。
JRの線路に分断されているので、線路の両側に墳丘が残る。


久津川車塚実測図
説明板から
青色のところはJRの線路
南北に主軸を持つ全長180mの前方後円墳
周囲には盾形の周濠が二重にめぐる。
周濠を含めた全長は272m。
墳丘には葺石があり、墳頂部とテラス面には埴輪列がめぐる。
埴輪は円筒埴輪・朝顔形埴輪・形象埴輪(家形・蓋形・盾形)
埋葬施設は
大型の長持型石棺の両小口に板石積みの小石室を付設したもの。
石棺内や小石室内から銅鏃・玉類・石製品類・武具類など多くの副葬品が出土した。
5世紀前半の築造と推定された、南山城地域では最大級の前方後円墳。

出土した石棺は、京都大学文学部博物館に、そのレプリカが京都府山城郷土資料館に展示されている。

石棺の両側に小石室を作った埋葬施設というのは面白い!
副葬品が石棺に入りきれなかったのか?

久津川車塚周辺の古墳(久津川車塚前の説明板から)



説明板から
久津川車塚古墳は大谷川で形成された扇状地のほぼ中央に位置している。
大谷川の扇状地には、古くから「七ツ塚」と呼ばれる7基の古墳があり、
久津川車塚古墳、梶塚古墳、芭蕉塚古墳、青塚古墳、箱塚古墳、指月塚古墳、丸塚古墳がそれにあたる。
宇治市南部から城陽市にかけて存在する古墳を久津川古墳群と呼んでいる。
京都府内の最大級の古墳群。

久津川車塚の北端に重なるように梶塚古墳があるはずだが、見当たらない。

久津川車塚から東に少し行ったところにある森が丸塚古墳。

丸塚古墳
国史跡

京都府城陽市平川
 (撮影日2007/11/27)

住宅に囲まれ墳丘が削られながらも公園として残る。

丸塚古墳全景
前方部は削平?

1985年発掘調査。
全長80mの帆立貝形前方後円墳
後円部径63m・高さ9.6m
前方部幅32m・高さ不明


葺石あり、埴輪列あり、周濠あり
西側クビレ部付近から出土した家形埴輪は、高さが約1mもある大型のものだった。
出土した埴輪から、久津川車塚古墳より先に築造されたと推定されている。

イズミヤの駐車場に戻る。
イズミヤの建物の南西に隣接して竹林がある。

青塚古墳

京都府城陽市平川
 (撮影日2007/11/27)



青塚の竹林
塀に囲まれていてこちらからは中には入れない。
34.6m×34m・高さ5.3mの方墳
1963(昭和38)年発掘調査。
二段築成
部分的葺石・円筒埴輪列がある。
埋葬部は2基の粘土槨
西槨から鏡・短甲・冑・刀子・鉄刀・鉄鏃などが出土。
東槨から鉄斧・ヤリガンナ・刀子・鉄鏃などが出土。
槨外から鏡・玉類一括などが出土。
鏡・玉類などが出土。

墳丘はほとんど削られているが、濠と古墳の一部が残っている。
築造年代は芭蕉塚古墳と同じ時期に築造されたと推定されている。

芭蕉塚・久津川車塚・丸塚・青塚の順に徒歩で見学。
14:50  車に乗り、もう1つの国史跡「芝ヶ原古墳」を探して東に向かい出発。
山道古墳一辺35mの方墳)も捜すが分からない。
住宅街が続く。
芝ヶ原古墳を探して、脇道に入ったところで、「上大谷4号墳のコナラ」という案内板を発見。

上大谷古墳群

京都府城陽市上大谷
 (撮影日2007/11/27)

案内板横の階段を上がったところに、上大谷古墳群の1〜4号墳があった。
古墳公園になっている。


上大谷1号墳
円墳のように見えたが、前方後方墳だという。



上大谷2号墳



上大谷3号墳


上大谷4号墳
この4号墳には
城陽市の名木であるコナラが自生している。
樹高11m・幹周り1.5mのコナラは
里山の代表である樹木で、
上大谷古墳群のシンボル木。
  (説明板から)
古墳についての説明はない。

上大谷古墳群
 住宅地開発に伴い調査された20基の古墳からなる。
 前方後方墳2・方墳8・円墳9他
 弥生時代後期から古墳時代後期まで続く古墳群。
 1・8号墳は全長30mほどの前方後方墳。
 9・10・15号墳は一辺10mほどの方墳、割竹形木棺直葬。
 9号墳から、鏡・鉄斧・円筒埴輪・家形埴輪が出土
 10号墳から、鉄剣・鉄鎌が出土。
 15号墳から、鏡・勾玉・管玉・算盤玉・ガラス玉・刀子が出土。
 13号墳は墳形不明、2基の粘土槨から鏡・刀・鉄釘などが出土。
 他の円墳や方墳は横穴式石室を持つ。
 12号墳から、金環・トンボ玉・丸玉・鉄釘・土師器・須恵器などが出土。
 古墳時代前期から終末期にかけて(3〜7世紀)の築造。
 6号墳は、一辺15mの方形墳丘墓(弥生時代終末期の築造)で、
  組合式木棺から鏡・鉄斧・ヤリガンナなどが出土。
 約半数の古墳が、4ヶ所の緑地公園として保存されている。  

今回行かなかったが下大谷古墳群も公園として残っているという。

下大谷古墳群
 宇治市との境にある方墳2基からなる古墳群。
 城陽市北部丘陵の西端の尾根上に位置。
 1号墳あたりが下大谷古墳公園となっている。
 4世紀末から5世紀初頭に築造と推定されている。
 1号墳・・・一辺18メートルの方墳。
   埴輪円筒棺の埋葬施設。
   棺内からは15歳位の少年の人骨一体が見つかる。
 2号墳(1号墳の東20m)・・・一辺約16メートルの方墳。
   2基の組合式木棺が直葬。  

     

芝ヶ原古墳をさらに探し、南へ。
大通りの西側にある公園の奥に、森発見。
これが芝ヶ原古墳だと思い、森を登ってみる。
このあたりでは一番標高の高いところらしく景色がいい。
さっき見てきた久津川車塚などがよく見える。
国土地理院の1万5千分の1の地図では芝ヶ原古墳となっている。

でも後で調べたところ、どうも芝ヶ原古墳ではないようだ。
芝ヶ原古墳はここより西か?
ここが古墳だとしたら、尼塚古墳群のどれかではないか。
尼塚古墳群も古墳公園として残っているという。
結論が出ていないので、ここから見た景色の写真だけ載せることにする。

古墳の林が並ぶ
左(南)から
久津川車塚
丸塚
芭蕉塚
曇りがちの天気。晴れていればもっといい写真が撮れただろう。

芝ヶ原古墳(芝ヶ原12号墳)
 1986年に発掘調査され、弥生時代の墳丘墓とされた。
 21m×19m・高さ3.4mの方形の墳丘に、南南西に小さな方形の突出部(破壊) がつく、前方後方形
 葺石なし。
 銅鏡、腕輪、玉類などの副葬品と共に、弥生時代末期の庄内式土器が出土。
 日本最古の古墳かと騒がれた。
 主体部は方形の墳丘の中央部分にあり、長さ2.3m・幅0.7mの組合式木棺直葬。
 出土品は、彷製鏡、銅釧・硬玉製勾玉・碧玉製管玉(187)・ガラス製小玉・鉄製工具類など。
 銅釧は貝製の腕輪を青銅でまねてつくった珍しい遺物。
 副葬品には、武器類がない。
 出土品は国の重要文化財に指定され、城陽市歴史民俗資料館で展示。
 この芝ヶ原古墳が属する芝ヶ原古墳群は、13基確認されている。
  

15:50 公園出発。
大住車塚を目指す。
16:20 遠回りをしながらも大住車塚に到着。

大住車塚古墳と南塚古墳

京都府京田辺市大住
 (撮影日2007/11/27)

大住車塚はとてもとてもきれいに掃除されている。
墳丘の中に入って形を確認。

大住車塚全景
左に少し見えるのが前方部
チコンジ山古墳と呼ばれる。




大住車塚後方部



大住車塚古墳は  全長66mの前方後方墳
後方部一辺30m・高さ4.5m 前方部幅18m・高さ1.5m
周濠を含めると長98m・幅60m
長方形の周濠
を持つ。
5世紀初めの築造と推定されている。
未発掘だが、主体部は竪穴式石室か粘土槨と推定されている。
副葬品は不明。

大住南塚
左 後方部 右前方部
大住車塚の南西に並んである。
ションベ池古墳と呼ばれる。
現状保存のようで、中には入りこめない雰囲気。
この角度では、古墳らしく見える。
大住南塚古墳全長71mの前方後方墳
後方部一辺37m・高さ4.1m以上 前方部幅30m
周濠を含めると長103m・幅73m

昭和61・62年の発掘調査で、4世紀終わりごろの築造と推定されている。
長方形の周濠を持つ。
周濠の一部が現在も池として残る。

京都府南部の地図g

時刻は16:45
大住南塚の周濠の一部が残っているのを見たかったが、
薄暗くなってきたのでじっくりと見学しているゆとりがない。

木津川を渡るためだけに京奈和自動車道の田辺北ICに入り、
次の城陽IC(終点)で降り(100円)、一般道を走り、、、、、真っ暗だ。

帰りに宇治東IC付近の隼上がり古墳群その北にある宇治市二子塚古墳を見ようと思っていたが、あきらめざるを得ない
京滋バイパスの宇治東ICに入り、瀬田ICで降り(700円)
大津市玉野浦の宿泊地に到着したのが
17:20 だった。
晩秋の栗東(滋賀県)     へつづく

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