北村さんちの遺跡めぐり
更新日2019/9/20

近江の古墳・遺跡2019
その6 大津市1
2019/5/5・6

ゴールデンウイークの10連休の最後の2日間で、滋賀県へ。
1日目の午後の巻です。
今年2月からの続きということで、「近江の古墳・遺跡2019その6」となる。

地図g

小野道風神社古墳群 大津市小野
 (撮影日2019/5/5)

小野神社前の駐車場に駐車、歩いて小野道風神社へ。
小野道風神社は、小野神社から南に500mほど離れた飛地に鎮座する。

本殿は重要文化財なので、説明板があるが、古墳については何も書かれていない。
小野地区の古墳の1基。(小野地区の古墳のページ)

 小野道風神社
 小野道風神社は、小野神社飛地境内社である。
 本殿は全国的にも稀な切妻造、平入の本殿で、重要文化財となっている。
 棟札の写しから、南北朝期の暦応4年(1341)の建築とわかる。
  祭神の小野道風(894~966)は、平安時代中期の書家で、小野篁の孫。
  藤原佐理、藤原行成とあわせて「三蹟」と呼ばれ、
  和様の書の基礎を築いた人物として、良く知られている。
 切妻造の本殿は全国的にも少なく、県内では、
  小野神社境内社篁神社本殿と近くの天王神社本殿と合わせて3棟しか残っていない
  いずれも重要文化財となっている。 (神社本殿は流造の形式が多い)

南側にある鳥居と参道

本殿の左側(西)奥から、北に向かって
墳丘が並んでいる。

本殿正面
切妻造に向拝を付けた建物

小野道風神社の本殿横に古墳がある。
前方後円墳を含む3基があるようだ。

 小野道風神社古墳群1号墳
 全長34m・後円部径17mの前方後円墳  丘陵先端(南側)に前方部を向けている。

横(東側)から見る

左が前方部

前方部から後円部を見る

後円部から前方部を見る

1号墳の北に2号墳。

 小野道風神社古墳群2号墳
 径28mの円墳

1号墳から2号墳を見る
手前は、1号墳後円部

2号墳墳丘

(仮)3号墳墳頂から2号墳を見る

2号墳の北に、もう1基ありそうだ。

 小野道風神社古墳群(仮)3号墳

2号墳脇から(仮)3号墳を見る

(仮)3号墳墳頂

小野神社の駐車場に戻る。


小野神社・小野篁神社の鳥居

まっすぐ行ったところに小野篁神社社殿
その左奥に小野神社社殿

   

曼陀羅山古墳群 大津市真野普門町・緑町ほか
 (撮影日2019/5/5)

大津市真野の曼陀羅山とその周辺にある古墳群。
和邇大塚山古墳が代表的な古墳。

曼荼羅山古墳群(マンダラヤマコフングン)は
 琵琶湖ローズタウン西方の曼陀羅山丘陵付近にひろがる古墳時代後期の群集墳
 全体で5群117基からなり、そのほとんどが横穴式石室をもつ円墳である。
 丘陵の最高所(標高191m)には4世紀~5世紀頃の築造と見られる前方後円墳・和邇大塚山古墳がある。

曼陀羅山の南麓の金比羅宮登り口から登り、北へ・・・
曼陀羅山の北側ピークにある和邇大塚山古墳までには、古墳らしい古墳は、見あたらない。

 和邇大塚山古墳(ワニオオツカヤマコフン)
 和邇大塚山古墳は 標高191mmの曼荼羅山の山頂北側に築かれた
 全長72m・後円部径50mの前方後円墳
  後円部径53m・後円部高さ5.75m 前方部幅30m・前方部高さ4.85m
 前方部を南東に向ける。 
 2段築成 葺石あり 埴輪なし
 後円部中央の埋葬施設は、破壊されているが、
  礫床の上につくられた粘土槨だったとみられている。
   (明治40年(1907)に地元の住民によって発見され、
   後円部から鏡や勾玉、刀剣、甲冑、土器などの大量の副葬品が発見された。)
 4世紀後半~5世紀初頭の築造と推定されている。
 主な出土遺物は
  青蓋盤龍鏡1・硬玉製管玉3
  ・銅鏃5・鉄斧頭残欠2・鉄刀身残欠1・鉄剣身残欠2・甲冑残欠一括
  ・土師器皿1個体分
       (説明板から)

古墳前に説明板があるが、かなり痛んでいる。
墳丘もジャングルに近くて、よく分からない

後円部

後円部頂 石室跡の大穴がある。

前方部 前方部にも大穴があいている!?

前方部先端

墳頂部から南西を望む

和邇大塚山古墳から北へ。

 大塚山北古墳群1号墳
 径20mの円墳
 南に開口する横穴式石室は、玄室幅1.6m・高さ1m以上。
 北西30mに、2、3号墳がある。

玄室奥壁付近が残る

前には、石材が散乱している。

石室残存部

石室内部

大塚山北古墳群からさらに北へ。

 曼陀羅山北古墳群
 曼陀羅山尾根筋の北端にあり、5基ある。

その1(?)

その2(?)

曼荼羅山 北からの登り口

近くに石室(?)

曼陀羅山の山中にある古墳は、分かりにくい…。
山を下りて、山の西側の団地に残る古墳を見学。
真野北小学校のそばに、古墳公園があるが、簡単な内容の説明板しかない。

 真野北古墳公園   曼陀羅山古墳群5号墳
 真野北小学校の横の古墳が、造成が始まるのを前に、平成25年(2013)に発掘調査されて、
  5基の円墳が確認された。
 調査後は、記録保存した上で破壊される予定だったが、
  子供たちが保存を訴える手紙を越市長に送付、さらに越市長に面会して直接要請した。
 その結果、古墳1基(5号墳)か公園として保存されることになった。
 平成27年(2015)に、「真野北古墳公園」となった。    
 曼陀羅山古墳群5号墳は   直径15m・高さ5mの円墳
  石室が鉄柵越しに観察できるようになっている。
  横穴式石室は奥壁が抜かれている。
  土器、鉄製品(刀・鏃など)、玉類(水晶製・ガラス製など)が出土している。

広場から見た5号墳
手前は、4号墳跡地に造られた高台の広場

5号墳墳丘

5号墳石室入口

5号墳石室内部

ほかにも、静かに(?)残っている…。

 団地内に残された、その他の古墳 (3基 いずれも立入禁止)

その1

その2

その3(道路側から)

その3(裏側から)

今回は曼陀羅山の西の住宅団地内の古墳を探したが、
 曼陀羅山の東の住宅団地には、ゼニワラ古墳や唐臼古墳が保存されている。

春日山公園
春日山古墳群
大津市真野
 (撮影日2019/5/5)

2008年11月に、春日山古墳群の南の妙法寺の脇から山に入り、春日山E1号墳(春日山古墳)を見学したが、
駐車スペースがなく、困ったことを覚えている。
春日山古墳群を保存するために、春日山公園を造ったと知り、見学に行く。
北側に道路ができ、駐車場もできた。
公園になったので、遊歩道はあるが、整備された古墳がある訳ではなく、
  説明板も少ないので、見学はなかなか難しい。

園内マップ


「古墳ゾーン」の文字の右肩の〇が
  I4号墳だ。


インターネット上、滋賀県文化財保護協会の「紀要8号」に、
 「春日山古墳群分布調査報告」が公開されているので、参考にさせていただいた。

春日山古墳群主要部の配置図
E支群が国史跡に指定されているそうだ。
(紀要8から引用・加筆)
赤い点線が、
 春日山公園のために作られた道路と駐車場
  (イメージです)
A支群~K支群がある。
K支群は道路(赤の点線)の北側にある。

赤の古墳は見学と確認ができたもの
E1号墳(春日山古墳)は2008年に見学している。
I4号墳の南側前に「春日山古墳群」の説明板がある。     

 春日山古墳群G1号墳
 径18m・高さ5mの円墳
 石室が開口しているが、羨道は全壊、玄室は天井石2石が残存している。
 「堅田に運ばれた湖東流紋岩」という説明板がある。
 この古墳の石室は湖東流紋岩という石で造られている。
 近江八幡市の長命寺山や沖島などの琵琶湖東岸に分布していて、
  安土城や彦根城の石垣にも使われている。
 その品質は強靭で優に2000年もつといわれ、近世には近江の産物の一つとなっている。
 このあたりの堅田丘陵は粘土と砂の層である古琵琶湖層で形成されていて、
  大きな石を含んだ層はない。
 古墳の石室を築くために、秘話湖を渡って運ばれたと考えられている。
 200基を超える古墳群を築くのに8000トンの石が運ばれたと推定されている
 2kmほどしか離れていない曼陀羅山古墳群では、石室に花崗岩が使われている。
 近接する古墳群でも
  その古墳を築いた人たちの経済基盤や交易範囲などに大きな違いが見ることができる
     (説明板から)

G1号墳 石室開口部側から見た墳丘

G1号墳の前にある説明板

右側手前に巨石がある。

石室はほとんど破壊されている。

墳丘上

墳丘上に見える天井石

G1号墳から同じ尾根の西側に、G2・3・4号墳がある。

 春日山古墳群G2・3・4号墳あたりの墳丘

  

  


G支群内にある展望台からの景色

G支群のある尾根の東側の尾根(主尾根)にI支群がある。

 春日山古墳群I4号墳
 径33m・高さ4.5mの円墳
 主尾根の北側先端部にある。 ほぼ完存している。

完存しているそうだが、ジャングル!

I4号墳前(南側)に立つ説明板
右側には配置図

I4号墳から南へ、林の中に入り、E12号墳を目指す。
その手前には、何基かの円墳がある。

 春日山古墳群E12号墳の手前(東側)にある円墳
  E20・21・22号墳のあたりか

その1

その2

これらの円墳の西側奥にE12号墳。

 春日山古墳群E12号墳

E12号墳 墳丘測量図
  (紀要8から引用)
全長53.6mの前方後円墳 
 後円部径28.4m・高さ3m 墳頂部径14.4m
埴輪なし 葺石なし 
段築はないが、後円部裾にはテラスがある。
E群の中では、最高所に位置する。
堅田平野を意識して成形している。
前方部は幅が狭く、
 端部がやや開く形で、前方部端はやや高くなる
古墳時代前期(4世紀~5世紀)の築造と推定されている。
E1号墳より先に築造されたと考えられている
  (紀要8 から)

後円部手前から見るE12号墳

E12号墳後円部墳頂部

E12号墳 後円部から前方部を見る

E12号墳 前方部から後円部を見る

E12号墳の南東約100mに、E1号墳がある。

 春日山古墳群E1号墳 (春日山古墳)
 全長60mの前方後円墳
  後円部径32m・高さ6m 前方部幅20m・長さ30m・高さ3.5m
  くびれ部幅18m
 前方部はほとんど開かない柄鏡形
 葺石なし 埴輪なし
 後円部中央に盗掘坑がある。
 4世紀末~5世紀初頭の築造と推定されている。(紀要8 から)

今回はE1号墳までは行っていない。

1日目の見学終了!
琵琶湖大橋を渡り、渋滞に巻き込まれながら、宿泊先のスマイルホテル大津瀬田に到着。
スマイルホテル大津瀬田は、駐車場が少なくて、駐車場を探すことになったが、
 近くのタイムズに駐車することができて助かった!
夕食はホテル近くの王将。

近江国府跡につづく

トップページ

近江の遺跡トップ