北村さんちの遺跡めぐり
更新日2018/10/1
近江・2018 その1
雪野山古墳とその周辺
2018/4/29
近江八幡市に住む長男一家と雪野山に登る。
雪野山登山 雪野山古墳 雪野山古墳は国史跡 |
近江八幡市新巻町・ 東近江市上羽田町・ 竜王町川守 (撮影日2018/4/29) |
雪野山の東麓の雪野山歴史公園(八幡社古墳群のあるところ)に駐車。 駐車場あり。
八幡社古墳群の名前の由来となっている八幡神社横から、山を登る。
八幡神社 |
雪野山登山口 標高100m付近 |
旧八幡神社本殿跡地 標高200mあたり |
展望台からの景色 標高250m付近 ずーっと向こうに伊吹山(北東方向) |
鉄塔そばから南西側の景色を見る ここから南へ490mで、雪野山古墳。 |
巨石の間を通り抜けたりもする。 |
雪野山古墳の上でみんなでランチ! 午前11時ですが、お昼ご飯です |
雪野山古墳に到着。りっぱな説明板がある。
雪野山古墳 国史跡 | |||||||||
雪野山古墳は 全長70mの前方後円墳(推定) 後円部径40m・高さ4.5m以上 前方部長さ30m・高さ2.5m以上 山頂から北東に延びる尾根を利用している。 2段築成 葺石あり(湖東流紋岩) 一部に自然の岩盤を利用 後円部に石垣、前方部に竪堀が見られ、 16世紀に後藤氏の詰め城に改変されたと推定されている。 後円部のほぼ中央を長方形の2段に掘り込み(上端長さ最大値 南北10.6m・東西7.0m)、 その下に竪穴式石室を構築している。 竪穴式石室は 長さ6.1m、北端幅1.55m、南端幅1.35m、高さ1.6m 石材は全て湖東流紋岩で赤色顔料が付着している。 石室の床面に粘土床を設置し、 痕跡により、木棺の両端に縄掛け突起を有する舟形木棺が置かれていたと推定されている。 木棺は長さ5.6mでコウヤマキ製 石室は仕切り板によって3区画に分けられ、 被葬者は中央部に、北頭位に埋葬されたと考えられている。 副葬品 銅鏡5面・・・ 内行花文鏡 (1号鏡・径24.0cm 1291g) だ龍鏡 (2号鏡・径26.5cm 1432g) 三角縁波文帯盤龍鏡 (3号鏡 径25.2cm 1146g) 三角縁唐草文帯四神四獣鏡 (4号鏡 径24.2cm 1337g) 三角縁しん出銘四神四獣鏡(5号鏡 径24.2cm 1617g) 石製品・・・ 鍬形石 琴柱形石製品 管玉 紡錘車形石製品 農工漁具・・・ やりがんな 鑿 鎌 刀子 ヤス 武器武具・・・ ゆぎ 鉄刀・槍・剣 銅鏃 鉄鏃 小札革綴冑 ほかにも棺の内外から 土器・ガラス玉・漆塗製品(直弧文のある木製品・合子・竪櫛)などが多数出土した。 盗掘を免れ、当時の状態で出土 出土品は平成13年に重要文化財に指定されている。
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前方部 北東から見る |
前方部から後円部を見る |
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くびれ部から後円部を見る |
後円部 |
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後円部頂からの眺め |
後円部から前方部を見る |
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南東から見た後円部 |
後円部南側 16世紀に後円部に山城がつくられて、 墳丘全体が改変されている。 |
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雪野山(標高308.82m)は、湖東平野に特徴的な地形である孤立山塊の一つで、 古墳時代後期の円墳や前方後円墳などの古墳が200基以上確認されている。 平成元年(1989)に、「雪野山史跡の森整備」計画による工事に先立つ調査で、 竪穴式石室が発見されたため、雪野山古墳発掘調査団が結成され、 4次にわたる発掘・測量調査と、7年に及ぶ資料整理調査により、全体像が明らかとなった。 |
帰りは、来た道を戻って、八幡神社に下りる。
雪野山歴史公園で、しばし遊んで、夜は焼肉だ!
八幡社古墳群 県指定史跡 |
東近江市中羽田町 (撮影日2018/4/29 |
今回、雪野山登山口となった八幡神社周辺には、八幡社古墳群がある。
2007年に見学しているので、詳しくはこちらをご覧ください。
八幡社古墳群46号墳 八幡社古墳群の盟主墳 全長21mの前方後円墳 後円部11m・高さ3.5m 横穴式石室を3つ持つ
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八幡社古墳群41号墳
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八幡社古墳群 44号墳 右奥に46号墳 |
八幡社古墳群48号墳 背後は八幡神社社殿 |
雪野山歴史公園の中にも、高まりがあり、石が見えているのもあるのだが、古墳ではないのかな?
八幡社南古墳群 | 東近江市中羽田町 (撮影日2018/4/29) |
八幡社古墳群の南200mにある。
「平田地区まちづくり協議会」が設置した説明板がある。
八幡社南古墳群 2010年、雪野山歴史公園に隣接する里山整備の実施により2基の古墳が発見された。 周辺遺跡分布図 (説明板から) 残念なことにこの図の方角が間違っている 北の方向は、下である。 |
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八幡社南古墳群1号墳 径15mほどの円墳 横穴式石室は玄室長4m・幅1.5m・高さ2mの両袖式 6世紀後半〜7世紀前半の築造と推定されている。 墳丘測量図 (説明板から) 羨道の天井石が羨道内におちこんでいて、 玄室も大きな天井石1つを残して、 墳丘の下に転落しているが、 石室壁面の石積みは良好な状態で残っている。
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八幡社南古墳群2号墳 保存状態が悪く、基底部の石組がわずかに残っている程度 2号墳の石室跡か? |
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平田地区では、 弥生時代の集落や方形周溝墓が見つかった五反田遺跡(中羽田町)や内堀遺跡(上羽田町) 中世城館跡が良好に残る「県史跡後藤館跡」などがある。 |
2010年まで発見されてなかったとは!!
中羽田古墳群 | 東近江市中羽田町 (撮影日2018/4/29) |
八幡社古墳群の北200mにある多聞院の周辺にも古墳がある。
古墳の説明板はないが、奥田家墓所の説明板がある。
中羽田32号墳石室 奥壁が開口している |
中羽田32号墳石室奥から入口を見る |
中羽田31号墳 石室 |
近くには石材がゴロゴロしていて、石室跡とみられるところもあるが確定には至らない。
赤穂浪士の奥田家墓所 奥田孫大夫(56才)とその養子・貞右衛門(25才)は浅野家に仕え、四十七士の中の2人となる。 |
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この地は、 奥田家の菩提寺・洞泉寺跡である。 |
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奥田家墓所 |
一族の墓か |
平石古墳群 | 東近江市中羽田町 (撮影日2018/4/29) |
八幡社古墳群の南1kmの山裾にあるのは、平石古墳群。
平石古墳群の代表的な古墳は、平石古墳(平石85号墳)。
平石古墳(平石85号墳) | |
径15mの円墳 横穴式石室は両袖式で 全長10.2m 羨道長5.7mm・幅1.5m・高さ1.6m 玄室長4.7m・幅2.5m・高さ3.1m |
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「平石古墳」の石碑横に石室が開口 |
石室入口 |
(いずれも撮影日は2007/11/28) 現在は周りの樹々がなくなり、すっきりしている。 |
平石古墳(平石85号墳)の北200mの民家奥に69号墳がある。
暁の広場のすぐ東にある民家だ。
暁の広場には、駐車場がある。
平石古墳群69号墳 | ||
径12mの円墳 横穴式石室は両袖式で、 玄室長3.8m・幅1.6m・高さ2.2m、羨道長2m・幅1.25m・高さ1.25m |
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石室がガレージ奥に開口している。 近寄れない・・・ |
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暁の広場のそばの墳丘
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平石古墳(平石85号墳)の南300mにある墓地には、99号墳がある。
平石古墳群99号墳 | |
径14mの円墳 | |
現代の墓の後ろに古墳 |
墳丘裾には巨石 手前は切り株 |
山裾道路沿いには、並んでいくつもの古墳があるようだが、確定には至らない。
天狗前古墳群 | 東近江市蒲生町横山 (撮影日2018/4/29) |
平石古墳群99号墳から直線で約200m。
雪野山南端の名神高速道路北側に沿うようにある丘陵に、
横山公園があり、園内に7号墳と10号墳が保存されている。
横山公園内には、自然の巨石がゴロゴロ・・・
東側ふもとには、駐車場がある。
横山公園内の巨石 |
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天狗前古墳群はかつて20基以上の古墳があったといわれている。 昭和37年「名神高速道路建設」のときに横穴式石室をもつ6基の古墳が調査された。 平成2年「蒲生野散策道建設」のときには、 新たに見つかったものを含め2基の古墳が調査されている。 調査された古墳はいずれも円墳で、 なかには玄室と羨道の境(玄門)に階段状の施設をもつ特徴のある石室が見つかっている。 (竪穴系横口式石室) この階段状の横穴式石室をもつ古墳は、 秦荘町、安土町、竜王町などの湖東地方によく見られ、 大阪府、奈良県などでは数例知られているだけで全国的にも珍しいもの。 またこれらの古墳は、渡来系氏族とのつながりが考えられており、 天狗前古墳群が造られ始めた6世紀半ば以前には 蒲生町に朝鮮半島から人々が移り住んでいたと考えられている。 (説明板から) |
7号墳は横穴式石室が見学できる。
天狗前古墳群7号墳 | |
径20mの円墳 横穴式石室は片袖式 玄室長4.9m・幅2.2m・高さ2.5m 羨道長3m・幅1.3m。 玄門部には1.1mの段差がある。 7号墳石室 実測図 (説明板から) |
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7号墳墳丘 |
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方向を変えて見る |
開口部は狭い。 |
入口から奥壁を見る |
奥壁から入口を見る |
7号墳の西に10号墳。
天狗前古墳群10号墳 | |
径20mの円墳 横穴式石室があるが、埋め戻されている。 埴輪列が確認されている。 |
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墳丘 ベンチもある。 |
墳丘上 |
龍王寺北古墳群 | 竜王町川守 (撮影日2018/4/29) |
ここからは雪野山西麓となる。竜王町。
妹背の里の北約200m、
龍王寺と天神社の間から雪野山の登山道に入ると、「龍王寺北古墳群」の説明板がある。
龍王寺北古墳群は、滋賀県指定史跡雪野寺跡(現在の龍王寺)の北側にある。 雪野山南西の山麓から山腹にかけてつくられた古墳群。 分布状況から3グループに分けられる。 T支群4号墳は石室が完存している。 龍王寺北古墳群 配置図 (説明板の図に加筆) 次に見学する天神山古墳群の 配置図もある。 古代寺院である雪野寺跡の東側につくられた天神山古墳群と同じく 日野川と古道の交差する交通の要衝近くにあることから、 天神山古墳群とは別のグループに属す集団が存在したと考えられている。 (説明板から) |
説明板から、さらに進む。
「山の神」の石碑
そばに「T支群4号墳」の説明板がある。
「遺跡散策ルート
G 龍王寺北古墳群 (T支群4号墳) 」
という案内板だ。
T支群4号墳 | |
径15mほどの円墳 横穴式石室は両袖式で 玄室長3.9m・幅2.12m・高さ2.2m 羨道長5.32m・幅1.48m・高さ2m 玄門部の天井が一段低くなっている。 奥壁は鏡石の上に小型の石材を積んでいる。 発掘調査が行われて、出土した須恵器などから 6世紀末〜7世紀初めの築造と推定されている。 龍王寺北古墳群 T支群4号墳 横穴式石室測量図 (説明板から) 他の古墳に比べて一回り大きい墳丘なので、最有力者層のものと考えられている。 |
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墳丘 |
石室開口部 |
奥壁 |
石室内部から入口を見る |
その他の墳丘
T支群1号墳
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T支群2号墳 |
T支群3号墳 石材は見えるが・・・ |
龍王寺北古墳群と天神山古墳群は別の勢力の古墳なのだろうか?
梅ノ木石棺仏 | 竜王町川守 (撮影日2018/4/29) |
天神社前の道路沿いにある。
龍王寺北古墳群への登山道の前。
梅ノ木石棺仏
家形石棺の蓋らしい
地蔵菩薩らしい
詳細不明
天神社
天神山古墳群 | 竜王町川守 (撮影日2018/4/29) |
天神社の東側の雪野山の登山道を行く。
「天神山古墳群」と
「遺跡散策ルート F 天神山古墳群 (T支群4号墳・5号墳) 」という2枚の説明板がある。
分布図は龍王寺北古墳群の図を見てください。
天神山古墳群は、標高120〜150mの谷筋に立地している。 古墳の分布状況から、3グループに分けられている。 なかでも、 T支群4号墳・5号墳が他の古墳の規模より一回り大きなものとなっている。 6世紀後半〜7世紀初頭の築造と推定されている。 |
T支群の4号墳と5号墳がならんでいる。
T支群4号墳 | |
径20mほどの円墳 横穴式石室は両袖式で 玄室長3.95m・幅1.86m・高さ3.1m 羨道長6.1m・幅1.4m・高さ0.9m 蒲生郡内でも唯一といわれるほどまれな副室構造をとっており、 奥壁の向かって左脇に小石室が設けられている。 左側壁に設けられた副室は、玄室に対してややいびつになって、 斜め奥へ向かうような空間をとっている 奥壁は鏡岩というべき2石を左右に1段として配し、 さらに上方に大ぶりの石材を2段3段と重ねてすき間を小ぶりの石材で埋めている。 特徴としては、長方形プランをもち、 縦長のいわゆる箱形を呈した持ち送りの少ない玄室をもつが、 天井が高く、玄門部に見上げ石(2段目の天井石)のおかれた形式。 左側壁に副室を構え、羨道天井石に階段状段差がある特異なもの。 雪野山東麓の八幡社古墳群の前方後円墳のL字型の横穴式石室と 何らかのつながりがあるのか? (説明板から) |
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墳丘 |
墳頂に露出した天井石 |
石室開口部 |
奥壁 左側に副室がある 二枚の巨石を横に並べ、副室につながる |
副室 |
石室内部から入口を見る |
4号墳隣りに5号墳。
T支群5号墳 | |
径20mほどの円墳 横穴式石室は両袖式で 玄室長4.95m・幅2.14m・高さ3m 羨道長5.3m・幅1.64m・高さ1.2m |
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墳丘 |
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開口部 |
入口から石室内部を見る |
奥壁 |
石室内部から外を見る |
そのほかの墳丘
墳丘その1 |
墳丘その2 |
雪野山は古墳だらけです!
千僧供古墳群へつづく