北村さんちの遺跡めぐり
更新日2011/3/23

長浜市の横山古墳群から
千僧供古墳群へ
見学日 2011/2/20

先週まで雪が積もっていたのに、ほとんど消えた2月20日。
快晴なので、今年最初のドライブ。
滋賀県の息長広姫陵あたりを目指して出発。
午前7時40分 自宅発
   ガソリン給油後、美川ICから北陸自動車道へ
午前8時20分 福井県に入る。
   福井県は大雪だったので、さすがに雪が多い。
午前9時20分 刀根PAトイレ休憩 
午前9時23分 滋賀県に入る。
午前9時44分 長浜IC 出る。
最初の古墳は墓立古墳!

地図g

横山古墳群と周辺の古墳

滋賀県長浜市東上坂町茶臼山ほか
 (撮影日2011/2/20)

長浜茶臼山古墳のあたりは、2度目の訪問となる。前回の長浜旅行記のページ

横山古墳群配置図
(滋賀県文化財学習ノートなどから)

最近の調査で判明した墳形とは違うものもある。
前方後円墳は
 山の鼻古墳
 小倉古墳1号
 小倉古墳2号
 坂南古墳
前方後方墳は
 龍ヶ鼻古墳1号
 龍ヶ鼻古墳2号
 堂の前古墳1号
 堂の前古墳3号
円墳は
 龍ヶ鼻古墳3号
 堂の前古墳2号
方墳は
 龍ヶ鼻古墳4号
 犬飼古墳
午前10時に、墓立古墳に到着。
墓立古墳は、長浜東部福祉ステーション郷里荘の前庭に保存されている。

墓立古墳

「文化財を大切にしましょう」と「墓立古墳」
と刻まれた石碑が立つのみ。
詳しい事は不明。
墓立古墳には継体天皇の皇子「菟皇子」の伝説があるとか。


墓立古墳墳丘にある石材

石室石材?



墓立古墳の北にある古墳マークの柿田古墳群の辺りには古墳らしいものは見当たらない。
8基の円墳が確認されているというが、墳丘はすでにないと思われる。

冬の長浜茶臼山古墳
北側の道路から見る

冬は墳丘が透けて見える。

神塚古墳
資料に掲載されているので見に行ったら、
立派な案内板は設置されているが、
古墳のまん中に道路が通り、ほとんど消滅
方墳
墳丘はないが、道がふくらんでいて、
古墳だったのだなーと思える。
背後の山の尾根先端に山ヶ鼻古墳
山の上に龍ヶ鼻古墳がある。
神塚古墳から東に行き山裾を山ヶ鼻古墳の方に向かうと、
途中に、弘法の池(加持水の池)の説明板がある。

弘法の池 入口

ちょっと上がってみたけれど池はみあたらない。


山ヶ鼻古墳の南側の山裾に駐車。山仕事に行く男性が通りかかり、話しかけてきた。
「山の中はまだ残雪があって無理ではないか。
姉川の合戦関連の遺跡なども多いから見学していってください」

山ヶ鼻古墳北側の山裾辺りから山道を上る。

山ヶ鼻古墳

前方後円墳
後円部から前方部を見る




山ヶ鼻古墳
前方部から後円部を見る

私が立っている所が後円部。
写真右端に案内板が立っている。
背後の山の上には龍ヶ鼻古墳がある。
ここまで来たら、龍ヶ鼻古墳をみなければ・・・・ 斜面を登る。
やはり立派な案内板が立っている。


龍ヶ鼻古墳4号

方墳

案内板がないと見逃してしまいそうな墳丘が続く。



龍ヶ鼻古墳3号

円墳


龍ヶ鼻古墳2号


前方後方墳




龍ヶ鼻古墳1号


前方後方墳






龍ヶ鼻古墳は西から東に
4号墳・3号墳・2号墳・1号墳と並んでいる。
1号墳のすぐ南にあるはずの古墳には案内板がない。

龍ヶ鼻古墳から南に行くと 小倉古墳2号墳

小倉古墳2号墳
前方後円墳

手前 後円部
奥(南) 前方部


もう少し南に上がると小倉古墳1号

小倉古墳1号
前方後円墳

前方部から後円部を見る
(南から北を見る  奥の下方に小倉古墳2号がある。)

前方後円墳らしい形をしている。

このあたりはまだ雪が残っていて、足元がぐちゃぐちゃになって来たので
この先はあきらめて下山する。

もう一度、雪が溶けたら来よう!

立派な案内板を設置したのは、
垣籠町のボランティアクラブ「こまざらいの会」の皆さんで、
地元の横山古墳群の保全整備をなさっているそうだ。


遠藤直経の墓
姉川の合戦の際、浅井長政の重臣の遠藤直経が討死した場所と伝えられていて、
字名も円藤という。
当地の40mほど北の畑の中に「遠藤塚」と呼ばれる塚があって墓標が立てられたが、
圃場事業のため現在地に移された。

田んぼの中にある。
垣籠古墳へ行く途中に古墳マークがある。
道路や川で削られていて、ほとんど残っていない。

垣籠古墳近くの古墳跡
集落の端にある。

もとはどんな古墳だったのだろう?


午前11時30分 垣籠古墳 着

垣籠古墳を東側から見る

長く前方後円墳と考えられていたが、
近年前方後方墳と確認されたようだ。
左側(後方部)先端がスッパリ削られているのがわかる。

オサキ山上り口

雪が残るが、
前回と同じたたずまいを見せている。



西塚古墳上り口
左側の建物は社務所。

集落の中の石段を上がると、
八幡神社社務所前の広場があり、
その横にさらに階段。
この上にある。


社務所はあるが社殿がない??

西塚古墳
後方部より前方部を見下ろす

りっぱな古墳に見えるがどうなのだろう。
全長29mということだがもっと大きくなって見える。
(後日、分かったことだが・・・・・
 西塚古墳のすぐ北に神輿塚古墳があるので、二つの古墳が一つの古墳と思い、大きく見えたようだ。)
   神輿塚古墳は円墳?

北方から見た
左 北山塚古墳
右 西塚古墳


どちらも、このまま古墳だったらかなり大きなものになる。
茶臼山古墳の所まで戻ろうとした時、田んぼの中に
謎の巨石発見!

岩町塚
田んぼの中に謎の石
「文化財を大切に」と刻まれた石碑があるだけ。

 「弘化年中土俗田畝耕鋤の際、馬骨・馬具等発掘せし事あり。
 今僅に巨岩を存するのみ。」
という記録があるそうだ。
岩町塚遺跡 長浜市保多町
       (参考hp「陵墓 陵印 掲示板」)
     

息長広姫陵

米原市村居田
 (撮影日2011/2/20)

12時30分 着

息長広姫陵

径7.5m・高さ2.1mの小さな円墳が鳥居の向こうに
祀られている。

息長広媛陵のすぐ東横に古墳状の高まりがある。

村居田古墳(光運寺本堂付近にあった古墳)の残骸
西側から


「息長陵付属地」と刻まれた石碑が立っている。
「息長広姫陵古墳群」と刻まれた石碑もある。
左の建物は舊(キュウ)陵山光運寺。
古墳辞典には
息長陵古墳群は、全長60mほどの前方後円墳(村居田古墳)と陪塚1基からなり、陪塚が現在治定の陵とみることができる。
元禄9年(1698)、光運寺本堂改築工事中に長さ2.2m・幅1.1mの縄掛突起を持った家形石棺が出現し、
近年の石垣改修工事で多数の円筒埴輪片が出土した。』

「米原市遺跡リーフレット12 息長広姫陵古墳」にも、同じようなことが書かれているそうだ。
   (参考hp「陵墓 陵印 掲示板」)

出土した埴輪から、5世紀末頃の築造と推定されているので、
光運寺本堂付近にあった古墳は、
広姫の時代(6世紀後半)とは年代的に相違することが指摘されている。      

村居田古墳(光運寺本堂付近にあった古墳)の残骸
南側から

墳丘の向こう側が光運寺。

出土した石棺は埋め戻されたというが
どこに埋められているのだろう?
 

皇后塚古墳

米原市井之口
 (撮影日2011/2/20)

井之口集落内の若宮八幡神社のすぐ南に「皇后塚」への進入路がある。
2基が残っている。
午後1時25分 着

皇后塚古墳

なんとか円墳の形を保っている。

寺院跡の井之口遺跡もある。
2基とも名前が刻まれた石碑が立っているだけで、説明板はない。


皇后東塚古墳

皇后塚古墳からあぜ道の向こうにある。
削られて、細長くなっている。



息長陵が治定されるまでは、この皇后塚が敏達天皇皇后広姫の墳墓だと認識されていた‥とか。

ミミ塚古墳移築石室

米原市春照
 (撮影日2011/2/20)

午後1時40分 着
息吹山文化資料館の駐車場奥に移築保存されている。 

ミミ塚古墳
墳丘は失われていたが、
周溝の形から径15mの円墳と推定されている。


伊吹山山麓の大字上野字人塚で確認された。
現地では以前から大きな石の露出している部分が2か所あり、ミミ塚・人塚と呼ばれていた。

ミミ塚古墳石室

天井石は失われている。
伊吹山産の石灰岩で組まれた石室。
玄室の長さ5m・幅1.5〜1.8m・高さ1.8m
羨道の長さ2m
玄門部には仕切石がある。

ミミ塚古墳玄室

石室内から、須恵器や土師器のほか
鉄鏃1・鉄刀2・金銅製耳環2などが出土
歯を含む人骨も出土した。
7世紀代の築造と推定されている。


浅見氏屋敷跡礎石(左)と若宮氏屋敷の石垣

ミミ塚の横に移築保存されている。
15世紀末に京極高清が整備した
   城下町にあった家臣団屋敷の一角にあったもの
上平寺地区にあった。
    

下丹生古墳

米原市下丹生
 (撮影日2011/2/20)

午後2時 下丹生古墳 着
下丹生古墳は下丹生地区で大切にされていて、
案内板が完備しているので、案内に従って行けば古墳に着く。
現地にはパンフレットも用意されている。

下丹生古墳全景
野生の鹿の糞害を防ぐため柵が設けられている。

それでも石室内に糞がある。
古くから石室が開口していることで知られていて、
  大正2年刊行の「近江坂田郡志」にも写真付きで掲載されている。
下丹生古墳は、径14.5m・高さ3.5mの円墳
丘陵斜面にあって、集落から見上げる位置にあるために、実際より大きく見える。

下丹生古墳石室開口部

南西方向に開口する横穴式石室
石室全長7.5m
玄室の長さ5.3m・幅1.6m・高さ1.2m
羨道の長さ2.2m・幅1.15m・高さ0.9m

下丹生古墳石室内部
玄室と羨道をあまり明確に区別しない
   無袖式石室に近い片袖式石室
天井石は玄室5枚・羨道2枚
早くから開口しているので、出土品は不明だが、
石室の特徴などから6世紀後半の築造と推定されている。

平成15年度、下丹生「まちづくり」委員会で、古墳の修復整備に取り組み、現在の景観となった。

以前、多賀町の石塚古墳と、甲良町の金屋南1号墳を探してみつからなかった。
(2007/12/11 のページをご覧ください。)
もう一度探す。
ヤフーの航空写真を見て、「ここが石塚古墳だ!」と思って行ったところは神社だった。

 野神社

滋賀県甲良町北落
 (撮影日2011/2/20)

午後2時56分  野上社 着


野神社
北落集落の北の田んぼの中にある。

古墳そっくりに見える。
「火まわしの杜 野神社」と刻まれた石碑がある。


野神社 境内
墳丘らしいものはないが・・・・・・。
葺石のような石は見られる。


 金屋南1号墳移築石室

滋賀県甲良町北落
きらめき公園内
 (撮影日2011/2/20)

きらめき公園に移築されたという金谷南1号墳。
前回はきらめき公園がわからずみつけられなかったが、今回は見学できた。

金屋南1号墳移築石室
元は 甲良養護学校の敷地内にあった。

1号墳は  径11m・残存高1.2mの円墳
 周溝なし
 石室の幅0.8m・長さ3.7m・残存高さ1m
 土師器・須恵器が出土
このきらめき公園のある北落地区には塚原古墳群があったと、説明板にはある。
金屋南1号墳が塚原古墳群とよく似ているから、ここに復元したという。
では、塚原古墳群の古墳はどこ??


きらめき公園の南にある
  工場の敷地内に古墳らしいものがある。

敷地内立入禁止とあるので近づけない。

これが塚原古墳群の古墳??

東近江市建部にあるという大塚庵古墳・建部大塚古墳・上日吉古墳を探す。
集落の辺りを2往復するが、目印の半鐘の梯子が見つからないので、あきらめる。

 山の神古墳

滋賀県東近江市五個荘伊野部町
 (撮影日2011/2/20)

午後3時45分 着
田んぼの中に石室が露出している。


山の神古墳

五個荘町の石舞台と
言われているとか??
「山の神古墳」と刻まれた石碑がある。説明板はない。

山の神古墳石室の天井石は残っているが・・・・・・。

玄室は奥行き3mくらいか


地元では大事にされているようだ。
    

 妙感寺古墳
岩倉南古墳群

滋賀県近江八幡市馬淵町
 (撮影日2011/2/20)

午後4時27分 着
千僧供古墳群の南東、岩倉交差点のすぐ東にある諏訪神社境内、妙感寺本堂の後ろにある石灯篭は、
石室の天井石の上に立っている。

妙感寺古墳の天井石
大小二つの石灯篭が立っているのは
  石室の天井石の上。
大きい石灯篭の下は奥壁側で、
  一部壁が崩れていて穴があいている。

反対側に石室が開口している。
説明板はない。

妙感寺古墳石室開口部

入口は埋まって狭くなっている。

妙感寺古墳玄門部

かがまないと入れない。






妙感寺古墳玄室

玄門部をくぐったら、
玄室はかなり広くてちょっとびっくり!
玄室長4m・幅1.8m・高さ2m以上、
羨道幅1.3m
左片袖式
の横穴式石室

奥壁は崩れて光がもれている。


妙感寺古墳玄室から入口を見る



 トギス塚古墳
千僧供古墳群

滋賀県近江八幡市千僧供町
 (撮影日2011/2/20)

トギス塚は、千僧供古墳群のもっとも東南部に位置している。

トギス塚古墳

径14mの円墳
周壕はない。

現在墳丘の大部分は消失している。


トギス塚古墳の露出した石材

幅1.5m・現存長さ5mの横穴式石室があるとみられている。
6世紀後半の築造と推定されている。



 供養塚古墳
千僧供古墳群

滋賀県近江八幡市千僧供町
 (撮影日2011/2/20)

午後4時50分 着
千僧供古墳群のもっとも西側に位置している。
江戸時代には鏡や玉類が出土した。

供養塚古墳
全長50mの帆立貝形古墳
後円部径37m・前方部幅22m
後円部に幅6.5mの造出しをもつ
濠を含めると全長70mとなる。

墳丘はかなり消失している。
周りの畑は何となく丸いかな。
昭和9年の発掘で、短甲や直刀が出土 (市文化財)
昭和57年の発掘調査では多量の埴輪(人物・家・馬・きぬがさなど)が出土


供養塚古墳の墳頂の石

5世紀後半の築造と推定されている。


住蓮坊古墳は以前に見学したので、千僧供古墳群はあと一つ 岩塚古墳を見逃している。

 安食西古墳

滋賀県豊郷町安食西
 (撮影日2011/2/20)

午後5時27分  着
阿自岐神社のすぐ南にある。 説明板はない。

 安食西古墳

前方後円墳というが
2段築成の方墳のように見える。


 安食西古墳 墳丘

詳しいことはわからない。


     

安食西古墳を見学したあと、10分で日が暮れた。ギリギリの見学だった。

午後5時58分 彦根IC
午後6時58分 南条SAにて夕食 
徳光PAのETC専用出口から一般道10分
午後8時40分 帰宅

滋賀県の遺跡のトップへ

トップページ