北村さんちの遺跡めぐり
 更新日2007/9/28

滋賀県高月から近江町へ
その2

2007年5月3日 朝、自宅を出発し高月町の古墳を見学。
PM 3:05 長浜市の長浜茶臼山古墳に到着。

地図g

 長浜茶臼山古墳
(横山古墳群)
県史跡

滋賀県長浜市東上坂町茶臼山
 (撮影日2007/5/3)

横山古墳群の北側の入り口。
ここから横山丘陵を南に縦断する登山道が通っている。
その道は、この日の最後に見学することになる山津照神社まで続いているのだろうか?



長浜茶臼山古墳登り口


説明板から

 全長約95m、高さ9mの湖北最大の前方後円墳
  後円部径55m・高さ8m前方部の最大幅37m・高さ8m
 墳丘裾部には川原石による葺石がある。
 二段築成
 前方部が平野部とは逆の南東の丘陵側に向いている。
 4世紀後半の築造と推定されている。
 東海地方と近江地方をつなぐ交通の要衝にある。




長浜茶臼山古墳後円部頂
朝鮮王朝の「李王」が訪れたという記念の碑が立つ。
説明板には、見晴らしがいいとあるが、
木が生えてまわりは見えない


長浜茶臼山古墳全景(北側の道路から)
右 後円部
左 前方部
尾根がそのまま、茶臼山古墳となる。
前方部が山側にある。
HP「古墳のお部屋」さんの写真では、はげ山だったが、
すっかり草木におおわれてしまっている。
左側の山の頂部に龍ヶ鼻古墳がある。

長浜茶臼山古墳のすぐ南の尾根先端には山の鼻古墳
尾根頂部には龍ケ鼻古墳がある。
山を越えた東側には息長陵がある。

長浜茶臼山古墳の西の平地に、には越前塚古墳群がある。

山の鼻(竹ノ鼻)古墳

全長41mの前方後円墳
後円部径22m・高さ1.5m
前方部幅12m・高さ1.5m

龍ヶ鼻古墳

通称龍ヶ鼻の山頂に前方後円墳1基・円墳5基からなる古墳群がある。
  その古墳の頂部を削平して、戦国時代、姉川合戦のときに陣所が造られた。
  1570年6月、浅井長政との戦いの折、織田信長が、陣を敷いた。
  古墳としてではなく、「龍ヶ鼻陣所跡」として、有名。
  
  他に姉川合戦関連の遺跡は、
  「陣杭の柳」(東上坂町)・・・信長が本陣を置いたところ 
  「遠藤喜右衛門の戦死場所(垣籠町)・・・
         信長の首をねらった遠藤喜右衛門

息長陵 米原市(旧坂田郡山東町)村居田

 円墳
 敏達天皇の皇后 息長日広媛の墳墓とされる。
 1696(元禄9)年に屋根形の石棺が発見されている。
 1877(明治10)年 現在の御陵が造営された。

越前塚古墳群 長浜市加納町

 越前塚古墳(消滅)・・・ 全長50mの帆立貝形の前方後円墳
           後円部径38m・高さ2.2m。盾形の周濠がある。埴輪があった。
 39号墳・・・・全長32.7mの前方後円墳  後円部19.9m
         周濠がある
 43号墳・・・・一辺28.8mの方墳   周濠がある。

 

横山古墳群  滋賀県文化財学習シートより


長浜市東部の横山丘陵上に立地する48基以上の古墳からなる古墳群。
姉川、小谷合戦の際に砦に改造されている。
古墳群は築造された位置から
  横山北部古墳群と横山南部古墳群に分けられてる。
横山北部古墳群(東上坂町龍ヶ鼻から石田町観音坂まで)、
    茶臼山古墳群、堀部古墳群、大門古墳群
横山南部古墳群 (石田町観音坂から小一条町まで)
    八条山古墳群、鳥羽上山古墳群、名越古墳群、
    布勢古墳群、諸頭山古墳群


 横山古墳群では、北部の古墳が南部の古墳より、古い形態のものが多く、
   北部にまず、古墳群が形成されたと考えられる。
北部の古墳は、横山丘陵上の稜線上にまとまって形成されており、長浜平野を一望し、
   また、長浜平野のどこからでも、仰ぎ見られる場所にある。
6世紀後半代の埴輪や土器類を始めとする遺物が見つかっている。

横山古墳群というのは、横山丘陵にある古墳群をいうのか?
周辺も含むのか? 
山津照神社古墳は息長古墳群とあったが、横山古墳群と違うのか?
よくわからない。

茶臼山を見終わったのは、午後3時半。
先を急ごう。

 垣籠古墳
(横山古墳群)
県史跡

滋賀県長浜市垣籠町
 (撮影日2007/5/3)

長浜茶臼山のすぐ南の平地に垣籠古墳がある。



垣籠古墳前方部
小さな社が建つ。



垣籠古墳後円部
後円部の先端は削られている。





垣籠古墳上に建つ両岐王宮(フタマタオウノミヤ)


現存長約40m、前方部の高さ約5.5mの前方後円墳
復元長55m。
二段築成された後円部の径27m、高さ3mで、前方部の最大幅は28m、高さ5m
外周施設をふくめると全長が80mになる。

墳丘には円筒埴輪などが並べられていた。

後円部にある埋葬施設は竪穴式石室
明治時代の数回の土取りの際、遺物が出土。
   人骨、ガラス製勾玉1、碧玉製管玉、10、ガラス製小玉70、
   倭製乳文鏡1、鉄刀1、鉄剣、鉄鉾1、鉄製小物、鉄棒、不明異形品、花形金具1
など

5世紀後半の築造と推定されている。

昔から王塚と呼ばれ、応神天皇の皇子、稚沼毛両岐王(ワカヌケフタマタオウ)の墓だという伝承がある。

 オサキ山古墳
(横山古墳群)
県史跡

滋賀県長浜市垣籠町
 (撮影日2007/5/3)

垣籠古墳に行こうと思っていたら、山すそに説明板見たいのが立っている。
そばに行くと「オサキ山古墳」と書かれている。

オサキ山古墳入り口


手書きの説明板には
「オサキ」は「オキサキ」が変化したもので、
稚沼毛両岐王の墓といわれるのが垣籠古墳であり、稚沼毛両岐王のお妃の墓がオサキ山古墳だという。
遺跡が荒廃するのを嘆く言葉が書かれていた。

登り口から100mほど行ったところにある
オサキ山古墳

標柱が立つが
位置・形をはっきりと確認できない。




 西塚古墳
(横山古墳群)
県史跡

滋賀県長浜市堀部町
 (撮影日2007/5/3)

説明板はない。
垣籠の集落の中にある。


西塚全景


全長29mの前方後円墳。後円部径20m・高さ2m 前方部幅6m・高さ


西塚上り口

発掘調査が1989年に行われているというが、
  現状のままで、見たところ古墳の形や大きさは確認できない。

丸岡塚古墳
(横山古墳群)
県史跡

滋賀県長浜市堀部町
 (撮影日2007/5/3)

東中学校の北側の林。大きな古墳を想像するような森だ。

丸岡塚全景
全長130mの前方後円墳だという。


説明板もなく、古墳の形・大きさは確認できない。
南側に学校、東は水田、西は新興住宅地、その中で取り残されたように古墳の林がある。
垣籠の集落の中には、北山塚というのもあるらしいが、場所は不明。

午後5時。もう少し南へ。
近江町(現・米原市)の古墳も見に行こう。

 人塚山古墳
(横山古墳群)
県史跡

滋賀県米原市(旧近江町)顔戸
 (撮影日2007/5/3)

日撫山の北側のふもとにある。

       人塚山古墳全景

人塚山古墳は 全長51mの前方後円墳
  後円部36m・高さ4m  前方部幅10m・高さ2m
説明板には 6世紀築造の前方後円墳
  戦前に、前方部の土取りの際、たくさんの土器や刀子が出土。
とある。

人塚山古墳後円部
後鳥羽上皇が墳頂から
農民が田植えをするのをご覧になったそうだ。
(説明板より)

    

人塚山古墳を反対側から見る

左 前方部
一応、公園になっている。誰も遊んではいない。

人塚山古墳の横の山(日撫山)には、日撫山古墳(方墳15×13m)がある。
集落の中に大きな鳥居があり、奥に行くと日撫神社(息長宿禰王を祀る)がある。
日撫神社の奥、高速の長浜トンネルの付近に黄牛塚古墳がある。(あった?)

黄牛塚(オギュウヅカ)古墳 米原市(旧近江町)顔戸

1976年発掘
長浜平野の東に南北に細長く連なる横山丘陵の南西部に立地する古墳。
「黄牛」という変わった名称は、この地を訪れた後鳥羽上皇が、
 日撫神社に奉納した黄毛の牛を埋めた塚であるとも
 「王丘」に由来するとも伝えられている。
 墳丘形は後世の改変を受けているが、直径が11m前後の円墳
埋葬主体部は、玄室の長さ 4.21m、羨道の長さ 3.3m横穴式石室
羨門の北には、墳丘の裾を取り巻くように石が並べられている。
6世紀末から7世紀前半の築造

石室内からは副葬品の多数の土器類や勾玉2点が出土
出土した土器類の年代には新旧の2時期が認められる。
石室には、棺台と考えられる石列と土壇状の高まりが見つかっていて、
 この棺台の横に置かれた土師器の位置関係や出土した2点の勾玉の位置から、
 棺台上に2つの棺が置かれ、さらにその他の副葬品の位置関係から、
 もう1ないし2棺が置かれていたと想定されている。
このことから、この古墳の被葬者は、古代家族の家長とその家族達と考えられている。
家長の死とともに築造された古墳に、順次その家族が追葬されていったのだろう。
 黄牛塚古墳は、時代的には、山津照神社古墳を始めとする、息長古墳群の終焉を飾る古墳として位置付けられている。
     (滋賀県文化財学習シートより) 

横山山地の南端にある、山津照神社に急ぐ。

 山津照神社古墳
(横山古墳群?息長古墳群)
県史跡

滋賀県米原市能登瀬
 (撮影日2007/5/3)

古墳は山津照神社の参道北側に横たわる。

山津照神社
「延喜式」にのる式内社で、祭神は国常立命といわれるが、
息長氏の祖神を祀ったと考えられている。
手入れが行き届いた境内
 
     山津照神社古墳全景


地元では、
神功皇后の父、息長宿彌王の墓
と考えられている。
説明板から
全長63mの前方後円墳
主体部は石棺を安置していたようで
内行花文鏡・獣文鏡・五鈴鏡・金銅製装身具残片・三輪玉・鹿角製刀子・馬具・勾玉・管玉・切子玉などと須恵器が出土

墳丘からは、朝顔形埴輪・円筒形埴輪が出土

山津照神社の西に塚の越古墳がある。

塚の越古墳 米原市新庄

墳丘は大きく破壊されているが一部が残っている。
平野に立地する全長約40.4mの前方後円墳
後円部径約26.7m・前方部幅約24.5m
幅7〜9mの周濠がめぐっていた。
墳丘に葺石がある。
円筒埴輪・朝顔形埴輪・石見型埴輪・家形埴輪・人物埴輪・鶏形埴輪が出土。

横山丘陵の南端から天野川にかけてひろがる息長古墳群の一画を構成。
築造年代は6世紀初頭と考えられている。
同じく息長古墳群を構成する山津照神社古墳より一時期古い古墳と考えられている。

塚の越古墳から見つかった石見型埴輪は、畿内型の埴輪とされるもので、
北近江では、息長古墳群を構成する塚の越古墳と山津照神社古墳の2基からだけ見つかっている。

『近江坂田郡志』には元旦の明け方に金の鶏(にわとり)が鳴く「金鶏伝説」が記されている。

継体天皇擁立期(6世紀初頭)における地域豪族の様子を知る上で興味深い資料となっている。

滋賀県文化財学習シートより)、


午後5時半。夕暮れ。予定のところは全部見学できた。
現状保存の古墳が多かった。
このまま残っていくように祈りたい。
滋賀県にはまだたくさんの古墳がある。
これからも滋賀県への旅は続く。

ゆっくり帰ろう。
午後8時 道の駅「河野」(福井県南条郡南越前町大谷)で牛丼を食べ、
自宅にたどり着いたのは、午後10時少し前のことだった。

高月・長浜の旅 おわり

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