北村さんちの遺跡めぐり
更新日2007/7/20
福井県・神奈備山古墳と
免鳥古墳群2007/3/4ほか
石川県から福井県に行くとき、金津の碗貸山古墳までくると、福井県へ来たなぁと思う。
碗貸山古墳の手前の崖の上に神奈備山古墳があるという。
以前は下から見えていたらしいが、雑木が大きくなり見えなくなってしまった。
2007年3月、山に入って神奈備山古墳を確認してきた。
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神奈備山古墳 |
あわら市(旧金津町)瓜生 撮影日2007/3/4 |
山の中の道なき道を、見当をつけて進むと、神奈備山古墳の石碑があった。
横山丘陵の南西端に所在、標高35m。

神奈備山古墳石碑
1955(S30)年に石室、1977(S52)年に墳丘の一部・石室を発掘調査。
案内板から
古墳時代後期の前方後円墳で軸長65m、葺石がある。
石室は凝灰岩の切石積み横穴式石室で全長6.35m、玄室には2枚の板石が遺存する。
石室の破損が著しくS30年と50年に行われた調査・補修の際、武具・馬具・須恵器等の破片と装身具が出土。
S58年石室を復元し埋め戻した。
神奈備山古墳全景 左側が後円部

前方部を北に向け、墳丘下部に基台部を持つ
前方後円墳基台を含めた全長63.75m 墳丘主軸長58.3m
後円部(復原)径35m・高さ7.3m
前方部幅25.15m・高さ6.3m
二段築成で上段にのみ葺石がある。

埋め戻したはずの石室に穴が?
埋葬施設は後円部中央にあり、くびれ部東方向に開口する切石積み両袖式横穴式石室。
玄室内にベンガラのついた板石が残っていた。
石屋形が安置されていたと推定されている。
石室規模は全長6.35m
玄室長3.55m・幅2.55〜2.63m・高さ1.82〜2.1m
羨道長2.2m・幅1.45〜1.88m
銅鏡1・耳環1・ガラス製小玉22・武具馬具・鉄鏃多数・鹿角製刀子3・須恵器150など多数の出土品がある。
6世紀中葉の築造と推定
| 最新の情報から (2015年現在) 横山古墳群の坪江支群内の、あわら市瓜生地係にあり、後円部の一部は坂井市丸岡町坪江にもまたがっている。 前方後円墳と確認された後、昭和30年に最初の調査が実施されている。 ((墳丘の測量と石室の発掘、石室崩壊部分の復元) その後、重要遺跡近畿地方確認調査として福井教育委員会によっても発掘調査がされている。 標高42mの丘陵頂部に立地する前方後円墳。前方部を北に向けている。 全長58m 後円部径35m・高さ7.3m 前方部長さ30m・幅25.15m・高さ6.3m 後円部頂と前方部頂との差はほとんどない。2段築成、円礫の葺石があるが、埴輪はない。 墳丘裾はテラスがめぐる。 前方部の東側には陪塚と考えられる方墳の坪江5号墳がある。 |
神奈備山古墳・碗貸山古墳には、石室内に石屋形があるという。
石屋形とは:
奥壁や側壁に沿って設置された屋根付きの遺骸安置施設。
平入横口式家形石棺を大形化、簡略化したような形態。
石屋形の内部には家形石棺などの棺が納められている。
熊本県を中心に分布。という。
2007年4月26日
中川地区の集落近くににあるという中川北古墳・中川中古墳・中川南古墳を探してみる。
・・・・・・・・・・。
ちょっと探す場所が違っていたようだ。
冬の雑草の少ないときに探してみよう。
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横山古墳群について |
あわら市(旧金津町)瓜生・ 坂井市丸岡町坪江 |
あわら市(旧金津町)瓜生・坂井市丸岡町坪江に所在する。
前方後円墳・円墳・方墳など総数223基からなる。
神奈備山古墳・碗貸山古墳は横山古墳群の中の主墳といえる。
横山古墳群の前方後円墳分布図

| A群 | ||
| C瓜生南2号墳 | 5世紀前半 | |
| D瓜生南3号墳 | 5世紀前半 | |
| E瓜生南4号墳 | 5世紀後半 | |
| F瓜生南5号墳 | 5世紀後半 | |
| @椀貸山1号墳 | 6世紀前半 | 墳丘長42m 横穴式石室 周濠あり |
| A椀貸山2号墳 | 6世紀前半 | 全長約30m 消滅 |
| B神奈備山古墳 | 6世紀中頃 | 墳丘長58.3m 横穴式石室 基台あり |
| B支群 | ||
| G瓜生北1号墳 | 5世紀前半 | |
| H瓜生北2号墳 | 5世紀前半 | |
| I瓜生北3号墳 | 5世紀前半 | |
| C支群 | ||
| J城ヶ岳南古墳 | 5世紀前半 | |
| D支群 | ||
| K城ヶ岳古墳 | 5世紀後半 | |
| Q中川中古墳 | 5世紀後半 | |
| M中川奥2号墳 | 6世紀前半 | |
| O中川奥4号墳 | 6世紀前半 | |
| L中川奥1号墳 | 6世紀前半 | |
| N中川奥3号墳 | 6世紀前半 | |
| R中川南古墳 | 6世紀中頃 | |
| P中川北古墳 | 6世紀後半 |
横山古墳群の西、菅野地区には、菅野タコ山古墳がある。
2003年5月、福井市の免鳥長山古墳に行った。
免鳥長山古墳(5号墳)は 全長90.5mの帆立貝形前方後円墳だ。
その免鳥古墳群の2号墳は「海賊の岩屋」といわれて
石室が開口しているという。
2007年4月免鳥2号墳を見に行く。
免鳥に行く途中、水切古墳による。
水切古墳は、以前(4年前)と変わらずきれいに掃除されていた。
きれいさを維持する努力に頭が下がる。
詳しくは水切古墳のページをご覧下さい。
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免鳥古墳群 |
福井市免鳥 撮影日2007/4/26 |
免鳥長山古墳(5号墳)の北に2・3・4号墳がある

2003年のときに作業小屋があったところから山に登る。
まず目に入ったのが4号墳。

免鳥4号墳
発掘したような痕がある。
4号墳から少し北に行くと2号墳が見えた。

2号墳全景
発掘中でビニールシートがある。
直径14.2mの円墳。
免鳥古墳群8基の中で唯一、横穴式石室を持つ古墳。

2号墳石室
石室は玄室長3.9m、同奥壁幅2.1m、
羨道長3.3m、同幅1.1m。

石室内部
石室入口(前庭部)で須恵器がまとまって出土。
2・3・4号墳のある丘陵の途中から免鳥5号墳がよく見える。

免鳥5号墳遠景
免鳥古墳群は福井市教育委員会が発掘調査している。
2004年3月の福井市教育委員会発表の要旨
| 免鳥5号墳は2002年度の調査で全長90.5mの、帆立貝型前方後円墳と判明した。 二段築成で葺石、埴輪がある。 規模の大きさなどから「越前の王」の墓ではないかと推測されていた。 2003年度の調査は、5号墳の後円部の墳頂付近を中心に実施された。 墳頂部は度重なる盗掘を受けていたが、笏谷(しゃくだに)石製の石棺のふたの一部が出土した。 石棺の身は抜取られていた。 石棺のふたは墳頂から約2メートル下の地中で壊された状態で見つかった。 縦1m・横0.7mの大きさで、元のふたの四分の一ほどの部分とみられる。 のこぎりの歯のような三角形の模様が連続する「鋸歯文(きょしもん)」と、 鏡を表現した「同心円文」が浮き彫りで刻まれていた。 石棺に施された模様は「死者の魂を封じ込めるとともに、 外敵から魂を守る」(市教委)目的があるとされ、県内では過去に四例出土している。 このうち浮き彫り模様は丸岡町の「小山谷古墳」以外になく、鋸歯文は初めて。 石棺は盗掘をうけていたが、多くの副葬品が出土した。 棺の周辺からは腕飾りの「鍬形(くわがた)石」や「琴柱形(ことじがた)石製品」の破片など、 大和朝廷の権威を地方に伝えるための装飾品が発見された。 鉄剣などの武具の破片も数多く出土している。 免鳥5号墳の副葬品は石製品が多く、環頭形石製品も5つに割れた状態で出土。 このような石製品は、全国的に見ても類例が他に3例しかなく、珍しいもの。 免鳥5号墳は5世紀初頭にこの地域を治めた大首長の墓と推定されている。 市教委では「被葬者は畿内政権と強い結び付きを持つ武人ではないか」と推定している。 (2004年3月13日 市教委文化財保護センターによる現地説明会が行われた。) |
引き続き7・8・9号墳や1.2.3号墳の確認調査が進んでいるようだ。
免鳥長山古墳は2008年3月に国指定史跡になった。
以前から「免鳥石棺」といわれているものは一体どこの石棺なのか?(免鳥古墳群のページ参照)
2007年6月、松任図書館で、石川県白山市(旧松任市)の田地古墳の調査報告書を見つけた。
詳しくは石川県白山市・田地古墳のページをご覧下さい。