北村さんちの遺跡めぐり
更新日2016/1/20
七尾市と中能登町の古墳
2016/12/1
七尾市に用事があったので、ついでに古墳見学。
雨が降ったり止んだり・・・・
再訪も含みます。
院内勅使塚古墳(再訪) 県史跡 |
七尾市下町 |
何度か見学しているが、ホームページを作り始めたころ(2002年)以来の見学となった。 2002年5月の訪問記
奈良の石舞台古墳を思い起こすような方墳である。
院内勅使塚古墳は 一辺23m・高さ3.7mの方墳 幅6m・深さ1.8mの周溝がめぐっている。 横穴式石室は全長11.8m 玄室長4.6m・奥壁壁幅2m・高さ1.9mで大型の自然石・割石約35個でつくられている。 明治以前から開口しているので、出土物などの伝承はない。 1984年の発掘調査で、羨道部から、杯身・杯蓋・ハソウ・杯などの須恵器が出土。 7世紀前半の築造と推定されている。 院内勅使塚古墳 石室図 (古墳辞典から) |
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院内勅使塚古墳 南から見た墳丘。 前回との違い 周りの植栽が大きくなっている。石室入口前の木が切られている。 |
2002年の墳丘 |
西から見た墳丘 周溝跡が復元されている |
横穴式石室は南側に開口している。 |
開口部 |
羨道から玄室を見る |
玄室内部 |
玄室から外を見る |
院内勅使塚古墳の横には神社がある。
久志伊奈太伎比盗_社 (クシナダキヒメジンジャ) | |
由緒 (説明板から抜粋) 主祭神 竒稲田姫命(クシイナダヒメノミコト) 相殿神 大鷦鷯尊(オオサザキノミコト) 天照大御神(アマテラスオオミカミ) 竒稲田姫命は出雲国の足名椎・手名椎(アシナヅチ・テナヅチ)の子で、素盞嗚命(スサオノミコト)の妃で、氣多大神の母である。 創祀の年代は不詳だが、裏日本開発の祖神として、生活の守護神として奉斎されたと伝えられている。 社伝によれば、崇神天皇の御代に官幣の儀があったといわれている。、 延喜式内社 (神主 藤原朝臣野村家 記) |
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一の鳥居と参道 |
鳥居の間から院内勅使塚古墳を見る |
参道と二の鳥居 |
隣りの稲荷神社 |
雨が降ってきたので、退散。
大槻古墳群 |
中能登町大槻 |
今年9月(2016)にも、見学しているが、前回見なかった所も見学したので、まとめてもう一度紹介しようと思う。
大槻古墳群配置図
(石川文化財ナビより)
大槻古墳群は
二宮川に沿う丘陵、通称小山台丘陵に分布する。
11基確認されている。
1号墳 | 方墳 | 一辺12.5m |
2号墳 | 方墳 | 14.5×12m |
3号墳 | 方墳 | 15.2×10.8m |
4号墳 | 方墳 | 一辺10.8m |
5号墳 | 方墳 | 一辺9.5m |
6号墳 | 方墳 | 一辺18m |
7号墳 | 方墳 | 一辺12.5m |
8号墳 | 円墳 | 直径25m |
9号墳 | 円墳 | 直径14m |
10号墳 | 円墳 | 直径22m |
11号墳 | 前方後方墳 | 全長27.7m |
4号墳は、図では円墳になっているが、方墳だ(?)
発掘調査はされていないようだ。
南の道路から入ると、右側にポコンポコンと墳丘が確認できる。(1〜7号墳)
八幡神社に沿う道路脇に墳丘が並ぶ 北から見る |
大槻1号墳 |
大槻2号墳 道で墳丘が削られている |
大槻3号墳 |
大槻4号墳 |
大槻5号墳 |
大槻6号墳 |
大槻7号墳 |
古墳群の中には、八幡神社がある。
八幡神社 | |
八幡神社参道は 道の東側に、道と並行して続いている。 |
奥に社殿 社殿があるところも古墳かな・・・ |
社殿の後ろには2本の大杉がある。 樹齢800年 中能登町指定の天然記念物で 「八幡様の大スギ」といわれている。 かろうじて写っていた。 見学した時点では知らなかったのです。 |
神社社殿周辺には、3基の古墳があるそうだが、墳丘番号の特定ができない。
社殿横にも小さな高まりがある。 古墳かな? 石が見えるのだが・・・・? |
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(仮)8号墳が 前方後円墳のように見える・・・・? 右奥には八幡神社社殿 |
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(仮)8号墳 |
(仮)8号墳墳頂 |
(仮)9号墳 背の高い墳丘 |
(仮)9号墳墳頂 |
(仮)10号墳 しっかりした墳丘に見えるが、 実は、向こう側は崖になっている。 |
(仮)9号墳から見おろす(仮)10号墳 |
八幡神社と道路を挟んで反対側の山裾に、前方後方墳がある。
大槻11号墳 大槻古墳群11基の中の盟主的古墳で群中北端に位置している。 | |
大槻11号墳は、全長27.7mの前方後方墳 後方部長14.9m・幅15m・高さ3.2m 前方部はやや未発達な形状をしている。 後方部には幅4.5m・深さ1.35m 前方部には幅2m・深さ0.3mの周堀がめぐる。 周堀内から葬祭用の供献土器らしい壺形土器と杯土器が出土している。 1972年に発見された。 (古墳辞典から) |
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道からちょっと登ったら、11号墳が見えてくる。 前方後方墳が見えてくる。 墓地になっている。 |
11号墳 前方部の西脇から後方部を見る |
11号墳の前方部の東脇から後方部を見る 人間の目で見ると、くびれ部がくっきり見えるのだが、 写真だと全然分からん・・・・ |
11号墳の後方部から前方部を見る 前方部頂にお墓がある。 |
きれいに残った前方後方墳だが、写真だとよく分からないのが残念だ。
大槻古墳群周辺の古墳 (中能登町、一部七尾市) (石川文化財ナビより)
大槻古墳群 | 11基 | |
大槻横穴群 | 1基 | 広さ7u・高さ1.6m |
新庄古墳 | 円墳 径25m |
中能登町 |
大槻小杉谷古墳群 | 円墳3基 | 1号墳径21〜20m・高さ1.5m 2号墳径9m・高さ1m 3号墳径18〜15m・高さ1.8m |
大槻横穴群 | 1基 | 大きさは広さ7u・高さ1.6m |
北谷古墳群 | 14基 | 1〜7号墳は中能登町大槻地内 8〜14号墳は七尾市西三階町 |
大槻古墳群の南にあるという「大槻横穴群」のあたりも見にいくが、わからなかった。
新庄古墳 |
中能登町新庄 |
大槻古墳群の北にある。石川文化財ナビで調べて見学。
新庄古墳は 径25mの円墳。 河岸段丘に立地する。 詳細不明。 | |
周りが農地となる中、新庄古墳のある丘だけが残っている。丘の頂上に墳丘 |
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中腹から古墳を見上げる。 |
墳丘 周溝跡が確認できる。 |
墳頂から西方を見る |
遠くから見ると、 山の上に墳丘が乗っているのがよくわかる。 |
こんなにしっかり残っているとは思っていなかった!!
羽坂古墳 |
中能登町羽坂 |
石川文化財ナビで見つけた古墳。
大槻古墳群の南端から南約500m付近、主要道の西側の林の中にある。
一帯は羽坂遺跡となっていて、その中に古墳がある。
道路で削られているという。
詳細不明。
墳丘裾? |
墳頂? |
特定できていないが、かなり大きな墳丘か?
灰塚古墳 |
中能登町羽坂 |
羽坂古墳から南約500m付近にも古墳がある。石川文化財ナビでみつける。
「灰塚古墳」という。
灰塚古墳は 径20m・高さ3mの円墳。 詳細不明。 あたりは「手間神社遺跡」となっている。 (石川文化財ナビから) |
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灰塚古墳か? 手間神社の東側にあるが・・・ 墳丘の特定はできない。 |
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手間神社 第十代崇神天皇の時代に祀られたといわれている。 羽坂・今羽坂の産土神として、崇敬が篤い。 |
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手間神社鳥居 |
手間神社社殿 |
境内になにやらあやしい高まりがあるが、 建物跡かもしれない。 |
地元の人に聞いたら分かるのかなぁ?・・・
井田堂塚古墳・堂塚遺跡 井田古墳群 |
中能登町井田堂塚 |
井田古墳群のひとつ。
元は竹やぶだったというが、周りはきれいになっていて、遠くからでも説明板が見える。
堂塚遺跡は 縄文時代から奈良・平安時代にかけての遺跡。 ほとんどが地中に埋もれているが、堂塚古墳のの石材が露出している。 春のおいで祭りの際に「弓射の神事が行われた場所である。 堂塚古墳は 円墳で横穴式石室がある。 詳細不明。 |
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説明板の後ろの茂みに石材露出! |
大きな石材 |
見やすいところにあるのに初めての見学だ。
仙人塚古墳 町指定史跡 井田古墳群 |
中能登町井田堂塚 |
仙人塚は、堂塚古墳の近くの民家の裏庭にあるという。なかなか声をかけられなくて・・・・。
民家前の石を写して帰ってくる・・・・。
井田古墳群のひとつか?
仙人塚とは違うと思う・・・・
詳しくは 井田古墳群のページ をご覧ください。