更新日 2002/8/3
石川の古墳・能登編
私たちは20年以上前から、遺跡めぐりをしている。以前は林をかきわけ、田んぼのあぜ道を渡って、遺跡を見に行った。
最近は遺跡へ行く立派な道路ができ、公園になり、案内板が立てられているところが多くなった。
逆に整備されない遺跡はどんどんつぶされていくんだろうな。
七尾火力発電所の横の道を北に向かって2kmほど行くと道路右側にある。
円墳が三つある。七尾火電建設のため道路を広げようとしたときに2号墳、3号墳が道路にかかるので、移築復元した。
3年前に来たときは1号墳の丘に上る道があって、立派な石室(天井石はなかった)を覗けたが、今は雑草が繁茂していて、1号墳にはいけない状態だった。
2号墳、3号墳の周りも雑草がかなり生えていて、よく観察できない状態だった。
整備してもそれを守りつづけるのは大変なことだと実感した。
配置図石室の石材は、海から引き上げられたもの
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2号墳もとは1号墳と並んで丘の上にあった |
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3号墳平地にあり、山側だけを空濠で区画 |
三室町周辺では海に突き出した丘の上に10基以上の横穴式石室墳(6〜7世紀)がある。
七尾駅から東往来(旧街道)を南に行くと国分町がある。そこに国分寺史跡公園がある。
国分寺跡とその周りが広大な公園となっており、グラウンドゴルフをしている人たちがたくさんいた。
復元されているのは「南門」だけであるが、塔の心礎、金堂、講堂の礎石が広大な敷地に配置されている。
そこでは、スカイダイビングの飛び立ちの練習をしている男性がいた。
平地からどのように飛び立つのかと興味しんしんで観ていたけど、結局飛び立てなかった。
この辺りの町名には、古府(フルコ)国下(コクガ)府中(フチュウ)などがあり、国府の名残を残すものとして興味深い。
南北215m・東西160m、 南から北に向かって、南門、中門、 |
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倉庫跡 |
塔跡 |
七尾線徳田駅のすぐそば。神社の境内の中にある。
以前(S63)訪れたときは、まだ回りに家があったりしたけど整備が進んでいた。
石室の天井石はビックリするほど大きな石だ。奈良の石舞台古墳を思い起こすような方墳である。
院内勅使塚全景2段築成のきれいな方墳
2段築成のきれいな方墳。墳丘1辺23.0m・高さ3.7mの方墳。 |
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院内勅使塚 石室入口 | |
石室内部石室は全長11.8m |
七尾から159号線を南へ、鹿島町水白(みじろ)の道路沿いにある。
耕地にするために削平しようとしたら、石棺が発見されたらしい。
木を伐採すればきれいな帆立貝形が現れるはずだ。
明治39年に頂部から石棺が発見され、銅鏡を含む多くの副葬品が発掘されている。 |
水白鍋山古墳から南へ2kmの小田中の集落の中にある。
親王塚古墳と亀塚古墳が向かい合うようにある。
陵墓参考地となっていて中には入れない。
親王塚古墳崇神天皇の子の大入杵命(おおいりきのみこと)の墓だという。 |
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亀塚正面はとてもきれいになっているが、中にも入れずまわりも廻れない。 |
志雄町には散田金谷古墳を中心に古墳公園ができている。
「古墳の湯」という温泉までできてしまった。
温泉に入りに来る人はたくさんいるけど、古墳を見に来る人はほとんどいない。
院内勅使塚と同じくらいの石室を持ち、石室の中に家形石棺が残っている。
散田金谷古墳全景時代は6世紀後半 |
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石室内部 玄室は長さ5.72m 幅2.65m 高さ2.76m。 石棺は長さ2.3m・幅1.1m・高さ1.27mmで寄せ棟の屋根部に「千木」状の突起を削り出したふたを持つ特殊な形。 |