北村さんちの遺跡めぐり
更新日2007/6/21
加賀の古墳 |
2007/4/19付の北陸中日新聞にこんな記事が掲載された。
血墓山(チハカヤマ)古墳群の紹介看板を設置 (石川県加賀市・分校の保存会) 加賀市分校町の血墓山古墳群が「里山植生観察園」として活用されることになり、五年がかりで古墳群周辺を整備してきた分校地区史跡保存会のメンバーらが18日、古墳の場所などを示した看板を設置した。 看板の表側には「チハカ山古墳と里山植生観察園」と書かれ、裏側には前方後円墳や円墳、方墳の位置がわかる地図を示した。 加賀市教委の調査などで、古墳群は5世紀前半に豪族が造ったとされる。 長年の放置で荒れ放題になっていた史跡を守ろうと、2002年に地元有志が保存会をつくり、間伐や遊歩道の整備、桜の植樹などに取り組んできた。 保存会の新家さんは「この場所を多くの人に見てもらうことが、史跡の保存につながっていく」と期待している。 保存会は植物の採取、ゴミのポイ捨てなど自然を荒らす行為を禁止する看板も設置し、訪れる人にマナー順守を呼びかけている。 |
この記事を見てさっそくチハカ山古墳群を見に行ってきた。
このページでは、下開発茶臼山西尾根支群と、整備途中の秋常山古墳群の新しい写真も掲載します。
加賀市の分校町を通るとき、いつも気になっていた分校古墳群。
ようやく整備が完了したようだ。
チハカ山(血墓山・チャカ山)古墳群 |
加賀市分校町 |
国道8号線から墳丘が見えている。
案内板は大池の前に立つ。
チハカ山古墳群の案内板・表(道路側) |
チハカ山古墳群の案内板・裏 |
チハカ山古墳群は分校古墳群の中では、東方200mにあるカンザン前山古墳群に準ずる古墳群で、
独立した丘陵の尾根上に方・円墳ばかり18基の古墳が確認されている。
すべて未発掘で詳細は不明。
直径20m以上の比較的大きな円墳が4基含まれている。
分校チャカ山古墳群登り口
上は18号墳
分校チャカ山古墳群配置図
古墳の上に形と大きさを表す看板が建つ。
分校チャカ山古墳
1号墳 墳頂に三角点がある。 |
円墳 | 直径20m・高さ4m |
2号墳 |
円墳 | 直径23m・高さ7m |
3号墳 | 方墳 | 一辺10.5m・高さ2〜3m |
4号墳 | 円墳 | 直径9m・高さ3m |
5号墳 | 方墳 | 一辺11m・高さ2m |
6号墳 |
円墳 | 直径12.5m・高さ2m |
7号墳 |
方墳 | 一辺12.5m・高さ1m |
8号墳 |
円墳 | 直径16.5m・高さ4m |
9号墳 |
円墳 | 直径22m・高さ4m |
10号墳 |
円墳 | 直径25m・高さ4m |
11号墳 | 方墳 | 一辺10m・高さ2m |
12号墳 | 方墳 | 一辺12.5m・高さ2m |
13号墳 | 円墳 | 直径9m・高さ1m |
14号墳 | 円墳 | 直径16.5m・高さ4m |
15号墳 | 円墳 | 直径13m・高さ1m |
16号墳 | 円墳 | 直径10m・高さ1m |
17号墳 | 方墳 | 一辺13m・高さ3m |
18号墳 | 方墳 | 一辺8.5m・高さ2m |
分校地区史跡保存会というものがつくられ、地元の人たちが守る史跡公園だ。
「笹ユリ」の群生地としても、大事に守っていってほしいと思う。
すばらしい!
2007年6月14日の北陸中日新聞に、チハカ山古墳群の「ササユリ」が満開という記事が載った。
大事な群生地。絶対に盗採取しないようにしてほしい!
カン山(カンザン前山)古墳群 |
加賀市分校町 |
チハカ山古墳群の東の丘陵にある古墳群。
前方後円墳4基を含む約30基が確認されている。
分校古墳群では一番先に作られた古墳群。
こちらは整備されていない。
チャカ山登り口付近から
カン山古墳群を見る
頂上が1号墳。
崖になっていて、半分が破壊されている。
手前の池は大池。
昭和46年、1号墳が土取りのため、破壊されそうになり、大聖寺高校郷土研究部が発掘、
昭和53年市教育委員会が再調査。
カン山1号墳は全長36.7mの前方後円墳。
加賀地方の最古級の前方後円墳とされる。
埋葬施設は木棺直葬。
棺内から、銅鏡1・管玉7・槍1・斧1・やりがんな1などが出土
銅鏡は、径16.4cmで「波文縁方格規矩四神鏡」といわれるもので、文字が書かれている。
よく似た鏡は、宿東山1号墳で出土している。 宿東山1号墳のページ
分校カン山古墳群配置図
6号墳は、全長35mの前方後円墳
8号墳は 全長32mの前方後円墳
13号墳は、全長?mの前方後円墳
加賀市分校地区には、
分校高山古墳・分校山王古墳もあったが、消滅している。
分校高山古墳 |
加賀市分校町 |
全長36mの前方後円墳。埋葬施設は木棺直葬。
大正5(1916)年、土砂採掘中に発見。消滅。
銅鏡片(内行花文鏡)・勾玉2・管玉27・ガラス小玉24・切子玉1が出土した。
太身管玉や大粒濃紺色のガラス玉や切子玉などから
5世紀後半の築造と推定されている。
分校山王古墳群 |
加賀市分校町 |
昭和36(1961)年、開田の前に発掘された。消滅。
円墳2基。割石を敷いた長方形の礫床上から、
直刀1・鉄鏃14・刀子3・ガラス小玉9・須恵器20・土師器2が出土。
6世紀後葉の築造と推定されている。
分校古墳群地図
分校古墳群データ | |||
分校カン山古墳群 | 前方後円墳4基を含む約30基 | ||
分校チハカ山古墳群 | 計18基 | ||
分校西麓古墳群 | 円墳3基 | ||
松山古墳群 | 円墳5基 | ||
松山東古墳群 | 方墳4基 | ||
分校古墳群 | 円墳7基 | ||
分校ブドウ山古墳 | |||
分校高山古墳 | 前方後円墳 全長36m | 消滅 | 5世紀後半 |
分校山王古墳群 | 円墳2基 | 消滅 | 6世紀後葉 |
整備が進む秋常山古墳群を見に行く
途中、末寺山山頂の古墳が見えたので、写真を撮る。
末寺山6号墳 |
能美市末寺山 |
粟生町の南端の道路から写す。
和田古墳公園末寺山遠景 (撮影日2007/1/21)
末寺山最大の前方後方墳である末寺山6号墳の高まりが見える。
望遠で見る末寺山6号墳後方部
全長約55mの前方後方墳。
前方部長さ20m、不整形。
後方部長さ35m、幅30m、高さ5m
くびれ部幅15m
主体部・周溝未調査。
4世紀代と推定。
詳しくは
和田古墳公園 と 末寺山古墳群のページをご覧下さい
秋常山古墳群(国指定史跡) |
寺井町秋常 |
2003年12月に秋常山古墳群が古墳公園として整備されると発表されてから、
ちょこちょこと秋常山を見に行っている。
前回は2004年2月
今回は2007年1月
ようやく1号墳の全体の姿が見えるようになった。
秋常山1号墳全景
手前の神社は秋常八幡神社。
以前は1号墳の前方部の斜面に建っていたが、ふもとに移築された。
左側の白い建物は、保育園。
1号墳は全長143m以上、 3段築成の前方後円墳。
後円部径110m・高さ19.5m
葺石はあるが、埴輪はない。
後円部が径100mをこえる古墳、丹後の大型古墳にも負けない大きさだ。
左側2号墳 右側1号墳前方部
1号墳くびれ部付近の葺石
秋常2号墳は
1辺約30m・高さ約4.5mの方墳
秋常山古墳群実測図
秋常山古墳群が発見されたときは、南側の稲葉山はすでに削平されていた。
古墳公園として整備するために、秋常八幡神社はふもとに移築された。
2007年度中には整備が完了し、古墳公園として公開されるという。
楽しみだ!
下開発茶臼山古墳群 |
辰口町下開発 |
2002年9月、2006年3月と訪れている下開発茶臼山古墳群。
2007年1月21日に、もう一度見に行く。
第3次調査時地形図(1〜8号墳・12〜17号墳は既に消滅しているが位置だけそのまま示してある)
9号墳から見た西尾根支群
左から右に
27号墳・26号墳・25号墳・24号墳・23号墳・22号墳・21号墳・20号墳の順に続く。
この右側に、19号墳・18号墳が続く。(標高が低くなり見えない)
22号墳の墳頂に立つ私
この奥に21号墳から18号墳が続く
低い小さな円墳が並んでいる。
尾根の先端18号墳に立つ私(見えない)
一番奥が18号墳
18号墳は径13.7mの円墳
西尾根支群中最大
西尾根支群データ
18号墳 | 東西13.7m南北13.6m高さ2mの円墳 |
19号墳 | 南北9.3m東西9.2mの円墳 |
20号墳 | 南北8.8m東西7.8mの円墳 |
21号墳 | 南北7.7mの円墳 |
22号墳 | 東西6.5mの円墳 |
23号墳 | 径4m前後の円墳 |
24号墳 | 東西8.5mの円墳 |
25号墳 | 径7m程の円墳 |
26号墳 | 東西6.2mの円墳 |
27号墳 | 径8m程度の円墳 |