北村さんちの遺跡めぐり

能美市(旧寺井町)   地図g   

末寺山古墳群
(能美古墳群)

寺井町末寺山寺山
撮影日2004/2/22
2003/4/27
2019/11/8・13)

2019年現在の情報です。

16年ぶりくらいに来たら、除草がされていて、それぞれの古墳前に標柱が立っていた!

末寺山古墳群配置図

南尾根支群は、土取りで消滅して、
現在は、住宅街となっている。

中尾根支群
水道施設で、3・4号墳が消滅
2号墳と13号墳が、草むらの中に残る。

北尾根支群は、
整備されて見学しやすい状態となっている。
8号墳が書かれていない
   

 末寺山1号墳 墳形確認できない。消滅。
 末寺山2号墳 主軸長31mの前方後方墳。4世紀後半の築造と推定されている。
 末寺山3号墳 消滅。
 末寺山4号墳 消滅。
 末寺山5号墳   全長29m(周溝を含むと33m)の前方後方墳
木棺直葬
 4世紀代の築造と推定されている。
 末寺山6号墳 全長約57mの前方後方墳。4世紀代の築造と推定されている。
 末寺山7号墳 径7m高さ1.5mの円墳
箱型粘土槨。6世紀前半〜中頃の築造と推定されている。
 末寺山8号墳 径7〜8m、高さ1mの円墳
未調査。5号墳のくびれ部北のくぼみにある。
 末寺山9号墳 長径15m、短径10m高さ0.7mの円墳。未調査。
 末寺山10号墳 長径15m、短径10m高さ0.5mの円墳。未調査。
 末寺山11号墳 径約15m、高さ約1mの円墳。未調査。
 末寺山12号墳 確認されない。(?)
 末寺山13号墳 径約14m、高さ0.8mの円墳。未調査。
 末寺山14号墳 確認されない。
 末寺山15号墳 確認されない。
 末寺山16号墳 円墳か?周溝確認。主体部未調査。
 末寺山17号墳 径10m、溝幅1〜2m、高さ1mの円墳。 主体部未調査。

 

末寺山古墳群 北尾根支群

 尾根上に10基の古墳が並んでいる。

     北尾根支群配置図  (「古墳を見つける山歩き」資料より)

 元の図には、11・12号墳が書かれていなかったが、
  「古墳を見つける山歩き」当日の説明から、この2基の古墳を書き足した。
 形・大きさについては、以前調べたままの情報なので、現在とは違っているかもしれない。

 末寺山12号墳
 以前の情報では、「確認されない」となっているが、現在高まりが確認できる。

南から見る

北西から見る

 

 末寺山11号墳
 径15m・高さ1mの円墳  未調査。

西から見る

北西から見る

 

 末寺山10号墳
 長径15m・短径10m・高さ0.5mの円墳   未調査。

標柱が立っている。

北から見る

 

 末寺山9号墳
 長径15m・短径10m・高さ0.7mの円墳   未調査

 南西から見る  奥は7号墳

北北東から見る

 

 末寺山7号墳
 径7m・高さ1.5mの円墳   内部主体は箱型粘土槨
 直刀2、刀子1、鏃4、坏12、高坏1、はそう1、直口壷1、轡1.などが出土
 6世紀前半〜中頃の築造と推定されている。

西南西から見る

南東から見る

5基の円墳の東側には、2基の前方後方墳が並ぶ。
6号墳は、末寺山古墳群最大の前方後方墳。

 末寺山6号墳
 全長55mの前方後方墳   前方部長さ20m(不整形)
  後方部長さ35m・幅30m・高さ5m くびれ部幅15m
 主体部・周溝未調査。
 4世紀代の築造と推定されている。

6号墳 実測図 

 (「古墳を見つける山歩き」資料から)


末寺山古墳群中最大の古墳

後方部斜め後ろから墳丘を見る

前方部から後方部を見る

くびれ部のくぼみから後方部を見る

後方部から前方部を見る
人の目で見るとくびれ部がくっきり

後方部の大きな盗掘坑?

以前に見学したときは、末寺山5号墳だけが整備されて、周りに植栽があったが…。

 末寺山5号墳
 全長29mの前方後方墳。 周溝を含むと33m
  前方部長さ10.5m・幅6.5m・高さ3.5m 後方部長さ18.5m・幅21m・高さ5m
  くびれ部幅7m。
 後方部が大きく、前方部が小さい。
 内部主体は木棺直葬。
 後方部に埋葬施設があったらしく鉄剣が副葬されていた。
 土師器壷片(壷棺らしい400片)も出土。
 
古墳時代前期(4世紀代)の築造と推定される。

末寺山5号墳 実測図

 (「古墳を見つける山歩き」資料から)

5号墳のくびれ部のくぼみに8号墳がある。

5号墳の北側に16号墳がある。

5号墳全景
植栽の内側に入り込んで撮る。

人間の目で見ると
くびれ部などがくっきりしているのだけど、
写真ではよく分からないのが
非常に残念だ…

前方部から後方部を見る

後方部から前方部を見る

くびれ部のくぼみから後方部を見る

後方部脇から墳丘を見る 右奥前方部

5号墳のくびれ部のくぼみにある高まりは、8号墳。

 末寺山8号墳
 径7〜8m・高さ1mの円墳。   未調査
 昭和52年度には古墳の可能性が薄いと報告された。

北側に立てられた標柱

古墳らしい高まりだが…。奥は5号墳

5号墳の北側にあるのは、16号墳。崩れているので、形は不明。

 末寺山16号墳
 円墳か?周溝が確認されている。    主体部は未調査。

墳丘は削られているのか
 よく分からない

5号墳の東にあるのが、17号墳。

 末寺山17号墳
 径10mの円墳  溝幅1〜2m、高さ1m     主体部は未調査。

17号墳の標柱があるが、17号墳はずっと奥

17号墳墳丘  わずかな高まりしかない

17号墳の標柱と、墳丘の間にある高まり


こっちの方が古墳らしい!?

 

 末寺山古墳群 中尾根支群

4基の古墳があったといわれているが、2基が残っている。
現状保存。

 末寺山2号墳
 主軸長31mの前方後方墳
  前方部幅11m、後方部幅22m、高さ4.5m
 土師器片が出土
 半壊。
 4世紀後半の築造と推定されている。

2号墳の標柱   右に後方部

墳丘は残っているようだ

  

 末寺山13号墳
 径14m・高さ0.8mの円墳。   未調査。

標柱が立っている。

現状保存

  

 末寺山3号墳・4号墳
 未調査のまま、水道施設建設で消滅
 2号墳の東側に東屋があり、その奥には、古墳を壊して水道施設がつくられている。 

東屋の奥に水道施設

水道施設は立入禁止

   

2003・2004年の末寺山古墳群

和田山はきれいに整備され公園になっているが、末寺山は末寺山5号墳だけが整備されているだけで、
 5号墳のとなりにある、末寺山最大の末寺山6号墳や、
 そのとなりの尾根にある末寺山2号墳は整備されていなくて、木や草が生え放題である。

前方後方墳3・円墳6・墳形不明3の計12基が確認されている。発掘調査は2・5・7号墳だけがされている。

 末寺山1号墳 墳形確認できない。消滅。
 末寺山2号墳 主軸長31m、前方部幅11m、後方部幅22m、高さ約4.5mの前方後方墳
土師器片が出土
半壊。
4世紀後半。
 末寺山3号墳 消滅。
 末寺山4号墳 消滅。
 末寺山5号墳  

末寺山5号墳 前方部横から後方部を望む

     撮影日2003/4/27

植栽がジャマで墳丘がよく見えない



末寺山5号墳(亀塚)実測図 説明板から 
         撮影日2003/4/27
 
全長29m(周溝を含むと33m)の前方後方墳。
 前方部長さ10.5m・幅6.5m・高さ3.5m 後方部長さ18.5m・幅21m・高さ5m
 くびれ部幅7m。
後方部が大きく、前方部が小さい。
内部主体は木棺直葬。
後方部に埋葬施設があったらしく鉄剣が副葬されていた。
土師器壷片(壷棺らしい400片)も出土。
古墳時代前期(4世紀代)の築造と推定される。

復元整備 


西側から見た末寺山5号墳全景  

        撮影日2004/2/22
 末寺山6号墳

測量図 (「小松と能美の平和を見渡す古墳群」パンフから)

末寺山6号墳
全長57mの前方後方墳。前方部長さ20m、不整形。
後方部長さ35m、幅30m、高さ5m
くびれ部幅15m
主体部・周溝未調査。
4世紀代の築造と推定されている。

北側の平地から望遠で見る
後方部
   (撮影日2004/2/22)






西から見た末寺山6号墳
 (撮影日2004/2/22)
末寺山7号墳 径7m・高さ1.5mの円墳
内部主体は箱型粘土槨。
直刀2、刀子1、鏃4、坏12、高坏1、はそう1、直口壷1、轡1.などが出土した
6世紀前半〜中頃の築造と推定されている。
末寺山8号墳 径7〜8m、高さ1mの円墳
未調査だが、昭和52年度には古墳の可能性が薄いと報告されている。
末寺山9号墳 長径15m、短径10m高さ0.7mの円墳
未調査。
末寺山10号墳 長径15m、短径10m高さ0.5mの円墳
未調査。
末寺山11号墳 径約15m、高さ約1mの円墳
未調査。
末寺山12号墳 確認されない。
末寺山13号墳

            撮影日2004/2/22
径約14m、高さ0.8mの円墳
未調査。
末寺山14号墳 確認されない。
末寺山15号墳 確認されない。
末寺山16号墳 円墳か?周溝確認。
主体部未調査。
末寺山17号墳 径10m、溝幅1〜2m、高さ1mの円墳
主体部未調査。

和田山末寺山古墳群配置図

     

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