北村さんちの遺跡めぐり
更新日2015/2/19
群馬県・2014
その9 前橋市①・伊勢崎市②2014/11/21~24
11月23日 3日目。
ホテルの朝食を済ませ、7時10分、ホテル出発。
前橋市の広瀬古墳群へ。前橋市の中心にあるので駐車できるかどうか不安。
朝1番の見学で、混雑前に終わらせたい。
広瀬古墳群 |
前橋市広瀬・山王 |
前橋市の東南部、広瀬川右岸に広がる前橋台地の東側の縁辺には、数多くの前方後円墳を中心とする古墳が分布していた。
現在では、その多くは破壊されてしまったが、「上毛古墳綜覧」によれば、150基ほどの古墳があったという。
天川(前橋)二子山古墳の北には、
角閃石安山岩切石使用の横穴式石室がある前橋不二山古墳(前方後円墳)や
刳抜式石棺のあるカロウト山古墳(墳形不詳)などがある
文殊山古墳 と 阿弥陀山古墳 広瀬古墳群 |
前橋市山王 |
残っている広瀬古墳群の中では、南東寄りに2基の古墳が並んでいる。
7時20分 着。
阿弥陀山古墳の横に駐車場がある。
古墳見学のためのものではないと思うが、朝早いので、駐車させてもらう。
どちらにも説明板はない。
南東から見た
左・阿弥陀山古墳 右・文殊山古墳
文殊山古墳 (オーボ山古墳、上陽6号墳) | |
全長50mの前方後円墳 高さ6.1m 墳丘は禅養寺所有の墓地。 4世紀前半~中ごろの築造と推定されている。 |
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南から見る |
墳頂の墓地 |
前方後円墳というが、円墳状に残っている。地形からすると、北に前方部があったのか? |
文殊山古墳の南西隣りにあるのが、阿弥陀山古墳
阿弥陀山古墳 (上陽第7号墳) | |
径25.1mの円墳 高さ3.6m 墓地になっている。 詳細不明 |
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東から見た阿弥陀山古墳 |
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文殊山古墳墳頂から見た 阿弥陀山古墳 |
どちらも詳細不明・・・・・
金冠塚古墳 市指定史跡 広瀬古墳群 |
前橋市山王町 |
文殊山古墳から北東に約200m。史跡公園となっている。説明板あり。
調査時は基壇面のみ残っていたが、墳丘が復元されている。
金冠塚古墳は全長52.5mの前方後円墳 後円部径32.3m・前方部前端幅42m 2段築成 葺石あり 埴輪あり 後円部に両袖形横穴式石室があり、推定全長5.2m以上で、玄室長3.64m・奥幅2.42m 榛名山二ツ岳噴出の角閃石安山岩を加工して積み上げられている。 6世紀末の築造と推定されている。 金銅製冠、 大帯・冑1・槍身5・銀環4・金環5・雲珠1・辻金具1・鉄鏃7・ 銅地金貼の飾金具・鉄製挂甲札110などが出土 昭和56(1981)年発掘調査 金銅製冠は、大正4(1915)年に出土 古代朝鮮半島三国時代の新羅や伽耶で作られていた「出の字」型の冠に似ている。 山王二子山古墳ともよばれていたが、金銅製の冠が出土したことにより名称を金冠塚古墳に統一した。 |
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前方部から後円部を見る |
後円部から前方部を見る |
前方部東南角から墳丘を見る 復元墳丘だけど・・・ |
金銅製冠 東京国立博物館蔵 (説明板から) |
亀塚山古墳 市史跡 広瀬古墳群 |
前橋市山王町1丁目 |
金冠塚古墳から北に約400m。
亀塚山古墳は (推定)全長60mの帆立貝形古墳 亀塚山古墳実測図 (前橋二子山古墳説明板から) 後円部径40m・後円部高さ6.5m 前方部(くびれ部)幅約15m 前方部高さ1.5m 葺石あり 埴輪あり 周堀があったと確認されているが、痕跡をとどめていない。 埋葬主体は、盗掘されていて不明、 出土品も不明(未調査) 5世紀後半~6世紀初頭の築造と推定されている。 前方部が亀の尻尾に見立てられて、「亀」塚山という名前が付けられた。 |
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東側の道路から見た亀塚山古墳 左に前方部 |
手前・前方部 奥・後円部 |
後円部から前方部を見る |
横からくびれ部を見る 左・前方部 |
上川淵97号墳 市史跡 広瀬古墳群 |
前橋市広瀬町 |
亀塚山古墳から北西に約1kmに、飯玉神社がある。
古墳の名前は「上川淵97号墳」
神社の由緒書には、社殿が古墳の上に鎮座していると書かれている。
上川淵97号墳は 径37.6mの円墳 高さ7.3m 飯玉神社の社殿の土台となっている。 詳細不明 |
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飯玉神社 |
墳丘の上に社殿が乗っている |
社殿の横には小さな高まりがあるが これも墳丘か? |
境内にある古墳分布図 石造り!! 鶴巻古墳というのはもう無いような・・・・ |
前橋天神山古墳 県史跡 広瀬古墳群 |
前橋市広瀬町1丁目 |
飯玉神社から北西に約400m、展望台のような四角い土山がある。
大幅に削られてしまった天神山古墳だ。
立派な説明板はあるが、実物は見る影もない…。
前橋天神山古墳は 全長129mの前方後円墳 後円部径75m・高さ9.5m 前方部幅68m・高さ7m 前橋天神山古墳実測測量図 (古墳辞典から) 後円部は3段築成 葺石あり 墳頂部には 赤く塗られ底部を穿孔した壺形土器が 四角く配置されていた。 その中央部に全長7.8m・幅1.2mの粘土槨が検出され、割竹形木棺があったと考えられている。 この粘土槨より遅れて造られた礫槨様の埋葬施設も確認されている。 粘土槨からは、鏡を中心とする多量の副葬品が出土した。 三角縁神獣鏡を含む鏡5面のほか、鉄刀5、鉄剣12、銅鏃30、鉄鏃78、ゆぎ3などの武器類 鉄斧4、鉄ヤリガンナ8、鉄のみ3、刀子2などの農工具類、紡錘車4などがある。 三角縁神獣鏡2面のうち、1面は宮崎県の持田48号墳出土鏡と同笵、 もう1面は奈良県桜井茶臼山古墳出土鏡と同笵と考えられている。 4世紀前半の築造と推定されている。 粘土槨内の出土品は国重文となったが、 区画整理事業により前方部は削平、後円部だけが四角の山として残った。 昭和43年、区画整理事業に伴う発掘調査 |
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南から見る |
墳丘上り口 |
墳頂部 埋葬施設があった辺りが残る |
墳頂部からの景色 すぐ横は保育園 |
前橋八幡山古墳 国史跡 広瀬古墳群 |
前橋市朝倉町 |
天神山から北西に約300m。駐車場あり。
史跡公園となっている。説明板はある。
前橋八幡山古墳は昭和の初めから、前方後方墳として注目されていて、 東日本の前方後方墳としては、最大規模を誇っている。 八幡山古墳実測図 (古墳辞典から) 1998(平成10)年、最新測量調査では、 全長132mの前方後方墳 後方部は 西側部辺64.5m×後方部端辺70m・くびれ部辺68.5mの横幅広 墳長部は横幅20m・主軸長18m 高さ11.91m 段築なし 前方部は 前端幅59.5m・くびれ部幅37.5m 高さ7.85m 一見バチ形だが、葺石根石からみると長台形か くびれ部 高さ4.07m 埋葬施設は未調査だが、 後方部に礫床が存在するという伝えもあり、竪穴系のものと考えられている。 周堀の底から出土した土器などから、4世紀後半の築造と推定されている。 |
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東から見た八幡山古墳 左(南)後方部 |
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前方部から後方部を見る |
後方部から前方部を見る |
後方部 右斜め後ろに前方部 |
右側が前方部前端 |
前橋(天川)二子山古墳 国史跡 広瀬古墳群 |
前橋市朝倉町 |
八幡山古墳から北西に約1.5km。公園になっているが、駐車場はない。
文書館に駐車できるかと思ったが、閉館している。 9時前だから仕方がない。
説明板あり。
前橋(天川)二子山古墳は 全長104mの前方後円墳 後円部径72m・高さ11m 前方部幅76m・高さ9.5m 実測図 (説明板から) 2段築成 河原石の葺石あり 埴輪あり 二重の周堀あり 未調査だが、横穴式石室と考えられている。 6世紀後半~末の築造と推定されている。 周堀の一部が県立文書館の敷地内で確認されている。 |
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南から見た二子山古墳 右が後円部 |
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前方部手前から見る 左手前・前方部 右奥後円部 |
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後円部から前方部を見る |
前方部から後円部を見る |
広瀬古墳群の見学を終え、前橋二子山古墳から東に約5kmの今井神社へ。
今井神社古墳 市史跡 広瀬古墳群 |
前橋市今井町朝倉町 |
航空写真でみたら、きれいな前方後円墳の形をしているので行ってみる。
境内に石棺が展示されていた。
国道50号と17号(上武国道)合流点の南西400mほど、荒砥川左岸の台地上に築かれている。
説明板あり 神社駐車場あり 9時20分 着。
今井神社古墳は、全長71mの前方後円墳 後円部直径44m・同高さ7.5m 前方部幅50m・同高さ7m 周囲には馬蹄形の周堀がめぐる。 堀を含めると全長は90mとなる。 多数の円筒埴輪が出土 社殿建立のとき、「組合せ石棺」と思われる石棺の一部が掘り出されている。 5世紀の築造と推定されている。 かつては、周辺に15基の古墳があった。荒砥地区の大古墳群の西端にあたる。 昭和55年に範囲確認調査 |
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西から見た後円部 墳頂に今井神社社殿が北向きに建てられている。 |
後円部を見上げる |
後円部脇から前方部を見る |
後円部から前方部を見る 前方部頂には北向き観音がある |
左奥・くびれ部 右・前方部前端 |
左・前方部前端 右奥くびれ部 |
境内に置かれている石材 「組合せ石棺」の一部と考えられている 内部には赤色顔料が塗られていた 一番上の石材には縄状突起があり、 蓋石と考えられている どんなふうに組み立てればいいのか…? |
庚塚古墳 カネツカコフン 伊勢崎市史跡 庚塚古墳群 |
伊勢崎市石山 |
工業団地の一角に保存されている。
近くに宗教施設があり、そちらの集会に誘導されそうになってしまった。 9時45分 着。
説明板がある。
昨日行こうと思ったが、行けなかった伊勢崎市の古墳。
庚塚古墳は 全長48.4mの前方後円墳 残存高2.5m 庚塚古墳模式図 (説明板から) 墳頂に太刀の形象埴輪を配し、 下段平坦面円筒埴輪をめぐらしている。 南向きに開口する横穴式石室は長さ4.4m・幅1.8m・高さ1.8m 直刀、小刀、刀子、玉類、大甕、甕、杯、円筒埴輪、人物埴輪、大刀埴輪 などが出土 6世紀中ごろの築造と推定されている。 平成5年度発掘調査 赤堀町大字下触の西端にある石山丘陵にある古墳群には、石山、庚塚、片田古墳群がある。 庚塚古墳は庚塚古墳群の核となる古墳。 庚塚古墳群は、前方後円墳2基・円墳9基が確認されている。(説明板から) |
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庚塚古墳 墳丘 低い墳丘で形ははっきりしない 写真中央辺りに 横穴式石室があるが、 雑草に隠れている。 |
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横穴式石室 雑草を整理してようやく見えた |
石室内部は見えない・・・・・ |
墳丘上に石材があるが、 古墳に関係あるのか、ないのか・・・・・ |
前二子古墳 再訪 国史跡 大室古墳群公園 |
前橋市西大室 |
2006年4月に、来ている。前二子の東側の駐車場に駐車。
りっぱな公園になっていて、かなりにぎわっている。
今回は前二子古墳の石室を見学。
前二子古墳は 全長94mの前方後円墳 後円部径68m・高さ14m、前方部幅65m・高さ14m 幅8mの蹄鉄のような形の周堀と、幅3mの外周溝に囲まれて幅5mの堤がある。 墓域は全長148mとなる。 形象埴輪は、人物埴輪、石見型埴輪、きぬがさや太刀、家形埴輪などが出土している。 円筒埴輪は、高さ60cmを越える大型のものもある。 上段墳丘には葺石あり 後円部南側の下段の墳丘部に横穴式石室が開口している。 関東地方に横穴式石室が取り入れられた最初の頃のもの。 石室の長さ13.96m 玄室の長さ5.23m・奥壁幅1.82m 明治11年の石室調査で、たくさんの副葬品が発見されている。 6世紀前半の築造と推定されている。 |
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前二子古墳全景 8年前は墳丘上段の葺石を 笹で表わしていたが 笹は切り払われている。 |
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後円部から前方部を見る |
前方部から後円部を見る |
石室開口部 前回はこの入口柵があったが… |
現在は羨道まで入れるようになっていた。 閉塞石の向こうの玄室は覗くだけ… |
羨道部から外を見る |
玄室には、須恵器・土師器が再現されている |
前二子古墳から見た中二子古墳
8年前と同じように、墳丘のテラスに埴輪が並べられている。
詳しくは大室公園・大室古墳群のページをご覧ください
赤堀茶臼山古墳 |
伊勢崎市今井 |
前日にたどり着けなかった古墳。しっかり調べたので、見つかった。 10時45分 着。
出土した家形埴輪が有名で、いろいろな場で、取り上げられているようだが、史跡指定がされていない!
大室古墳公園のすぐ東にあるが、大室古墳公園は前橋市、赤堀茶臼山は伊勢崎市。
古墳前には、「ち・・・茶臼山 往時を伝える家形埴輪」と書かれたカルタ形式の案内板がある。
赤堀茶臼山古墳は 全長59mの前方後円墳 後円部直径37m・同高さ5m 前方部幅32m・同高さ2m、 丘陵の頂部に築かれている。 河原石の葺石 2段築成 前方部北西隅から後円部南側で堀を確認している。 後円部頂で、大小2基の木炭槨が確認され 南側1号槨から 鏡・石製模造品刀子・勾玉・滑石製臼玉・鎧・鉄鏃・斧頭・鉾身・石突・刀身 北1号槨から 鏡・刀身が出土 埴輪については 1929年の調査で 後円部墳丘部で、 切妻造りの家形埴輪3・切妻造り倉庫3・四柱造り倉庫3・納屋・囲形などの形象埴輪、 腰掛・きぬがさ・短甲・高杯などの器材埴輪、 前方部付け根近くで鶏頭部形埴輪が出土 1995年からの調査で、盾形埴輪や鶏胴部埴輪が出土 5世紀中~後半の築造と推定されている。 赤堀茶臼山古墳 実測図 (古墳辞典から) 前方部が低い この付近は西に大室古墳群、 東に峯岸山古墳群(十二所古墳)があり、 群馬県屈指の古墳密集地域だ。 河原石の葺石あり 円筒埴輪・形象埴輪あり 後円部頂の家形埴輪や器材埴輪の配列は被葬者の居館を示すものと推定されている。 とくに家形埴輪は教科書・図説などにも引用されている。 1929(昭和4)年の本格的な発掘調査 1995年(平成7年) 範囲確認調査 (古墳辞典から) |
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赤堀茶臼山古墳 全景 キレイに墳丘が見えている 左・前方部 右・後円部 近くで農作業をしている夫婦に 挨拶をしてから見学 |
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前方部手前から 全体的に低い墳丘 |
案内板手前から見た墳丘 |
堀越古墳 県史跡 |
前橋市堀越 |
「山上碑」には「大児臣」という文字があるが、この地は旧「大胡町」である。
説明板あり 11時25分ごろ 着。
堀越古墳は 赤城山ろくの裾野にできた小谷地に面する傾斜地の中腹につくられている。 直径25mの円墳 、高さ南側3m・北側0.5m 周堀は、幅2.5mで東西南にはあるが、北側の高所にはない。 山寄せの円墳。 埴輪なし 南向きに開口する硬質安山岩の切石切組積みの両袖式横穴式石室がある。 全長6.93m 玄室長さ3.2m・奥壁幅1.88m・玄室高2.1m 羨道長さ3.39m・同奥幅0.82m 石室の前には台形の前庭がある。 奥幅5.6m・前幅8m・奥行き3.55m 7世紀後半の築造と推定されている。 明治2年の発掘で、小刀などが出土したといわれているが、現存していない。 1972年(昭和47年)に、前庭部を中心に調査。 (説明板・古墳辞典から) |
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南から見た堀越古墳 |
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石室入口の前には、前庭がある。 前庭は、奥と両側の三方を石組みで囲っている |
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羨道部 玄門にまぐさ石が置かれている |
玄室奥壁 |
やや雑だか切組みの側壁だ |
西から見た墳丘 山寄せの古墳だなぁ… |
近くに、ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」で有名な「少年の家」があるそうなので、気をつけて見ていたら、
「鐘の鳴る丘ディサービスセンター」というのがあった。
九十九山古墳 |
前橋市原之郷 |
以前は農村公園だったらしいが、今は管理者がいないようだ。
「富士見かるためぐり れ・・・・歴史を語る九十九山古墳」という案内板と古墳説明板が並んで立っているが…・
開口しているはずの横穴式石室が見つからない。
午前中最後の見学地となる。
九十九山古墳は 赤城山南麓の独立丘陵の頂部につくられた 全長60mの前方後円墳 後円部径35m・後円部高さ5.5m 前方部幅45m・前方部高さ5.5m 前方部を北西に向ける。 後円部に南向きに開口する横穴式石室がある。 全長8.3m・奥壁幅1.95m・前幅0.9m・奥高さ1.46m・前高さ0.79m 円筒埴輪あり 馬形埴輪あり 金冠が出土したと伝えられている。 6世紀前半の築造と推定されている。 (説明板・古墳辞典から) 九十九山古墳石室図 (古墳辞典から) |
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東から見た独立丘陵九十九山 この頂部に、九十九山古墳がある。 墳丘は 南(左)方に後円部、北に前方部 |
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後円部から前方部を見る 前方部上には石祠 |
前方部から後円部を見るる |
九十九山古墳 横姿 左方・後円部 真ん中・くびれ部 右・前方部 |
前方部上の石材… |
前方部と後円部を反対にして考えていたので、石室が見つからなかった・・・・・
前方部側ばかり探していた・・・・・ 説明板のそばに開口していたらしい・・・・・
ここは旧富士見村、ここから富士山が見えるのだろうか?
お昼を過ぎたので、セブンイレブン前橋富士見原之郷店(富士見町原之郷432)で、弁当を買う。
上州のからっ風のせいか、水仕事もしないのに、手がガサガサするので、ハンドクリームも購入。
次の横室古墳公園で昼食。からっ風が強くて、車中食・・・・・・・。
前橋市・横室古墳公園につづく