北村さんちの遺跡めぐり
更新日2006/6/19
群馬県の古墳へ 見学日2006/4/17
加筆 2013/6/2
前橋総社古墳群を出発し、東へひたすら30分。大室公園に到着。
大室古墳群 大室公園 |
群馬県前橋市西大室 |
北側駐車場まで路線バスが走り、観光バスも止まっている。平日なのに人がかなりいる。
古墳を活かしたとてもきれいな公園。
大室古墳群配置図
荒砥三古墳と呼ばれる大前方後円墳3基・
小前方後円墳2基・円墳10数基からなる。
昭和2年(1927)に、後二子古墳と小二子古墳が
「後二子古墳並びに小古墳」として国指定史跡になる。
現在は
前二子古墳・中二子古墳・後二子古墳、
小二子古墳の4基の古墳が
国指定史跡となっている。
2013年5月、松任図書館で「シリーズ遺跡を学ぶ・東国大豪族の威勢 ・大室古墳群」という本をみつけた。
それを元に、このページに加筆した。 (2013月6月)
昭和60年代、大室古墳群を含む一帯を大室公園として整備することが計画された。
明治時代にも調査されたが、100年以上たって、第二次調査が行われることとなった。(1991〜1996年)
古墳の残りが極めてよいので、復元を目指す整備ではなく、形を整える整備を基本とした。
大室古墳群の大きさと築造順(墳丘長は現地案内板から引用)
前二子古墳 国史跡 |
前方後円墳 | 墳丘長94m | 後円部径68m・高さ14m 前方部幅65m |
横穴式石室 | 6世紀前半 |
中二子古墳 国史跡 |
前方後円墳 | 墳丘長111m | 後円部径66m・高さ14.8m | 横穴式石室 | 前半 |
後二子古墳 国史跡 |
前方後円墳 | 墳丘長85m | 後円部径48m・高さ11.1m | 横穴式石室 | 後半 |
小二子古墳 国史跡 |
前方後円墳 | 墳丘長38m | 横穴式石室 | 後半 | |
(M-1号墳) 内堀1号墳 |
前方後円墳 | 全長36.2m | 横穴式石室 | 後半 | |
(M-4号墳) 内堀4号墳 |
円墳 | 全長20.2m | 横穴式石室 | 後半 | |
M-2号墳 | 円墳 | 竪穴式石室 | |||
M-3号墳 | 円墳 | 横穴式石室 | |||
M-5号墳 | 円墳 | 横穴式石室 | |||
M-6号墳 | 円墳 | 横穴式石室 |
データが無い古墳の現状を確認してこなかった。
後二子古墳 | 中二子古墳 | 前二子古墳 |
財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団のHPデータを引用させていただきました。
現地案内板とは墳丘の大きさが違うものもある。
内堀1号墳
(M−1号墳)
大室古墳群群馬県前橋市西大室
(撮影日2006/4/17)
北側駐車場から入ると最初に目に入る古墳。
みんなが登るから墳丘がすり切れて、哀れな姿だ。
復元された内堀1号墳(M−1号墳)
墳丘は耕作によって削平されていた。
発掘調査の結果
全長は周堀を含め約37m、幅は約39m高さ不明の帆立貝形前方後円墳。
二段築成
石室も破壊されていたが、石のあとから両袖式の横穴式石室と推定されている。
石室前面部から土師器7個体が出土
墳丘からは円筒埴輪や人物、盾持ち人、馬、ゆぎ、鞆、帽子などの形象埴輪が多数出土。
周堀を埋めた火山灰や出土遺物から6世紀後半の築造と推定されている。
土器の形から、後二子古墳より少し後に築造されたと考えられている。
後二子古墳
国史跡
大室古墳群群馬県前橋市西大室
(撮影日2006/4/17)
「史跡後二子並小古墳」という名前で史跡に指定されている中の「後二子」古墳。
後二子古墳と小二子古墳の図
後二子古墳は 全長85mの前方後円墳
後円部径48m・高さ9m、前方部幅60m・高さ11.1m
盾形周壕あり 兆域は、全長106mとなる。
2段築成で1段面が大きい。
(1段目平坦長は70m、2段目は52mでテラス面の幅は9m)
基壇テラスと墳頂部に埴輪が並び、総数は400本と推定されている。
6世紀後半の築造と推定されている。
前二子古墳と中二子古墳がすでに存在していたため、やや北側の奥まったところにつくられている。
設計段階から、北側から眺めることを意識して計画されたと考えられている。
後円部の南には石室から延びた溝状の墓道が存在する。
この墓道をはさんで東側から北側、西側に大型の円筒埴輪が並べられているが、
墓道から西側に向かう円筒埴輪列は小型のものが多い。
円筒埴輪には、親子猿と犬のついたものもある。
後二子古墳の石室は1878年(明治11)に地元の人達による調査で開口している。
鉄刀1・ツバ1・太刀金具1・鉄鏃・耳環11・高杯1・堤瓶1などが出土という記録があるが、
現在はそのほとんどが失われている。。
(前二子古墳ほどの出土品はない。)
公園整備にともない1991年にあらためて調査された。
後二子古墳全景
墳丘から円筒埴輪や人・馬・家などの形象埴輪が出土。
親子の猿がついた円筒埴輪なども出土。
前方部の北側から馬形埴輪に付けられた装飾部品も出土。
(大阪府四天王寺の宝物とされる
人物がのる馬の装飾部品とそっくり)
横穴式石室遠景
石室はテラス面から下がり、
地山を掘り込んで造成された両袖式横穴式石室で、
南に開口する。
石室に出入りするために、
石室の前に深さ0.9m・幅2m・長さ12mにわたって
溝のように地面を掘り込んだ墓道がある。
石室の前から多量の土器が出土
半地下式につくられた横穴式石室で、墳丘の盛土を節約している。
その半地下式石室に出入りする通路として、溝状に掘削した墓道がつくられた。
石室内部
全長9.42m 玄室の長さ4.82m・玄室幅2.65m 高さ2.2m
玄門なし。
玄室と羨道の区切りにはにしきみ石と擬似まぐさ石があり、
玄室に向かって1段下がる構造となっている。
玄室は前室と奥室に分けられている。(間仕切り石がある)
奥室には遺骸・装身具・太刀などが安置。
前室には武具・馬具・須恵器などが置かれた。
1991年の調査で、石室の土の中から3つの歯が検出された。
鑑定の結果、熟年の女性であることが判明した。
小二子古墳 国史跡 大室古墳群 |
群馬県前橋市西大室 |
「史跡後二子並小古墳」という名前で史跡に指定されている中の「小古墳」。
公園整備に先立ち、全面的な発掘調査が行われた。
墳丘の長さ38mの前方後円墳
後二子古墳と西の山との間に向きをそろえてはめ込むように造られている。
2段築成
後円部に比べ、あまり土を盛らない前方部と、地形を削り出しただけで土が盛られないテラス面で墳形を構成している。
テラスは幅7mと広い。
テラス面には、80〜90本の円筒埴輪列、墳頂部には形象埴輪列がある。
南西に開口する全長6m、奥壁部分で幅1.8m・高さ1.8mの無袖式横穴式石室がある。
ガラス製小玉14・金銅製耳環3・直刀3・刀子1・鉄鏃10以上・弓金具9・須恵器1
石室前面から土師器8個体・須恵器1個体が出土
後二子古墳とは、時期も同じころの6世紀後半の築造と推定されている
小二子古墳全景
斜め右手前が前方部。
墳丘には埴輪が並べられとてもかわいい姿。
後ろの墳丘は「後二子古墳」
出土状態から忠実に復元された埴輪が並ぶ。
小二子古墳 石室
発掘時の石室 (説明板から)
石室は、天井部から大きな穴をあけて
石がほとんど抜き取られていた。
入口の閉塞状態の表示
石室の入口は破壊されておらず、閉塞状態がそのまま確認された。
中二子古墳 国史跡 大室古墳群 |
群馬県前橋市西大室 |
中二子古墳の図
全長111mの前方後円墳
後円部径66m・高さ10.5m、前方部幅79m・高さ15m
堀を含めた大きさは、170m、幅138mとなる。
内堀、中堤、外堀(2重の周堀)がある。渡り土手は2ヶ所確認されている。
2段築成
墳丘全面に葺石あり 一部の中堤に葺石あり
中堤の内外縁、下段平坦面、墳頂部には埴輪が並び、総数は3000本と推定されている。
一般的な円筒埴輪のほか人面付き円筒埴輪や、ゆぎ形・盾持ち人物形・鞆形などの形象埴輪が出土している。
6世紀前半の築造と推定されている。(6世紀初頭に降った榛名山の火山灰が旧地表面にある)
中二子古墳全景
大室古墳群で一番大きい。
墳丘や中堤上には埴輪が並べられていた。
盾持人物埴輪が中堤上に密に設置されていた。
古墳が雄大に見える側面が
正面として意識されていたと考えられている。
石室は未調査だが、横穴式石室と推定されている。
しかし、地下レーダー探査でも、石室が見つかっていない。
前方部から後円部を見る
南側には周濠が残りため池として利用されていたが、公園整備にあたって埋められたという。
1993・1994年、調査。
前二子古墳 国史跡 大室古墳群 |
群馬県前橋市西大室 |
前二子古墳の図
全長94mの前方後円墳
後円部径68m・高さ14m、前方部幅65m・高さ14m
幅8mの蹄鉄のような形の周堀と、幅3mの外周溝に囲まれて幅5mの堤がある。
兆域は全長148mとなる。
形象埴輪は、堤から人物埴輪、1段目のテラスから人物や石見型埴輪、
墳頂部からきぬがさや太刀、家形埴輪などが出土している。
円筒埴輪は3ヶ所ともに出土しているが、高さ60cmを越える大型のもの。
上段墳丘には葺石あり
6世紀前半の築造と推定されている。
前二子古墳全景
墳丘上段の葺石部分をササで表現している。
墳頂部・下段の平坦面・周提上に埴輪がめぐっていた。
(総数1340本)
横穴式石室遠景
後円部南側にある。
下段の墳丘部に開口している。
自然地形を利用して、わずかに地山を掘り、固めてつくられている。
石室入り口
関東地方に横穴式石室が取り入れられた最初の頃のもの。
石室の長さ13.96m
玄室の長さ5.23m・奥壁幅1.82m
細長い石室
石室入口にはテラス状の祭壇がある。
石室入口に羨門があり、玄室には玄門がある。
玄門の天井側には、まぐさ石 床にはしきみ石をおいて玄室と羨道を仕切っている。
石室内部
奥に羨道と玄室を分ける扉石が見える。
小ぶりの石で積まれ、玄室と羨道が長い。
床には、加工された凝灰石の平石が敷かれ、石室はベンガラで赤く塗られていた。
玄室は扉石を立て閉じられていた。
上毛野氏の先祖とされる豊城入彦命の墓と言い伝えられた古墳のひとつで、古くから大切にされてきた。
明治11年に、村人により石室調査が行われていて、詳細な記録が残っていて、
石室内の遺品配置図、出土品略図があり、
鏡と装身具を除くほとんどの副葬品は、近くの神社の宝物殿で保管されてきたが、
現在は前橋市教育委員会で保管されている。
出土品は
金製耳環2・ガラス製青色丸玉451・ガラス製緑色小玉17・ガラス製黄色小玉28
・水晶製丸玉15・碧玉製管玉6・滑石製管玉1・滑石製臼玉2・銀製空玉3
・環頭太刀1・鉄鉾刃部2・鉄製石突2(3?)・直刀1・鉄鏃112
・馬具(杏葉8・轡1セット・辻金具他・鞍金具片・輪鐙)
・ミニチュア農工具・斧2・刀子1・鋤1・針20以上
・鉤状金具20
・土器(須恵器10・土師器8)
石見型埴輪は、1931年奈良県の石見遺跡で最初に出土したことから「石見型楯形埴輪」と呼ばれていたが、
盾というより、権威の象徴としての儀杖や玉杖をあらわしたという説が有力になり、現在「石見型埴輪」と呼ばれるようになった。
土器の中には「四神飾付土器」と呼ばれた「小像付筒形器台」もある。
内堀4号墳 (M-4号墳) 大室古墳群 |
群馬県前橋市西大室 |
案内板が無いので詳しいことはわからない。
横には移築された養蚕農家と古代住居が建つ
三時代同居の不思議な空間
内堀4号墳(M-4号墳)全景
数基ある円墳のひとつか?
全長20.2m
時間はお昼を過ぎた。
今日の夕方に石川県に帰るためには、そろそろ帰途に着かないと。
明日からは仕事だ。
昨日と今日でいくつの古墳を見ただろう。
頭の中がごちゃごちゃだ。
帰ったら整理に取り掛からなくては・・・・・・
すごい古墳をいっぱい見てしまったので、これから自宅近くの小さな古墳を見ても感動できないのではないだろうか?
ちょっと心配。
午後1時15分、関越自動車道に入り、午後5時50分、金沢西インターで高速を下り、無事自宅到着。
すばらしい旅だった。
関東の旅 おわり