北村さんちの遺跡めぐり
更新日 2015/3/1
群馬県・2014
その10 前橋市②・吉岡町2014/11/21~24
11月23日 3日目。午後の部
横室古墳公園のベンチに座って昼食と思ったが、風が強すぎて、車中食となってしまった。
昼食後、公園内の上庄司原古墳群の見学。
陣場・上庄司原古墳群 横室古墳公園 |
前橋市横室 |
古墳群中最も状態の良かった1号墳を保存して、そばに2・4号墳の石室を移築保存し、横室古墳公園とした。
駐車場あり 説明板あり 東屋あり トイレあり
陣場・庄司原古墳群は、旧富士見村大字横室字陣場・上庄司原・下庄司原にある。 赤城山南西麓の裾野の丘陵性台地の南面する緩傾斜地に、法華沢川に面して分布している。 7基の円墳が確認・調査され、方形周溝墓群も確認され、4基が調査された。 7基の円墳は、後期群集墳と考えられていて、 最小の上庄司原3号墳が径9mほど、最大は上庄司原2号墳(後述) 埴輪はない。 両袖形横穴式石室がある。 (古墳辞典から) |
横室古墳公園 南からみる 上庄司原1号墳と 左後方に、2・4号墳の石室が 並んで移築保存されている。 東屋とトイレもある。 |
1号墳は、墳丘の復元など若干の整備をおこなって、現地にそのまま保存されている。
上庄司原1号古墳 | |
径14mの円墳 、テラス状の基壇をふくめると24m 。 法華沢川に望む台地の崖端に築かれている。 南東向きに開口する横穴式石室は 赤城山の山石(輝石安山岩)を用いた自然石乱石積みの両袖式で、 旧地表面を掘り込んで作られている。 石室の前面には、墓道状の前庭がつくられている。 玄室から耳環や太刀、鉄鏃、馬具などが出土し、人骨、歯も残っていた。 (複数の遺体が埋葬されていたと考えられている) 前庭とその周辺から須恵器・土師器が出土 (説明板・古墳辞典から) |
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1号墳全景 UFOみたいです! |
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開口部 柵があって入れない |
石室内部 |
上庄司原2号墳と上庄司原4号墳は並んで保存されている。
上庄司原2号墳 移築石室石室 | |
径20mの円墳 南側の一部を除いて周堀がある。 石室は、榛名山二ツ岳噴出の角閃石安山岩を用いて、削り石積みの両袖形横穴式石室で 全長5.9m 玄室長3.6m 玄室は間仕切りで奥室と前室に区切られ、奥室の床面が一段高く造られている。 奥室から直刀・小刀 前室から 子持ちハソウなどの須恵器・土師器・ガラス小玉・耳環・馬具・鉄鏃 羨道部から土師器の小型甕 石室の前から須恵器の甕 などが出土 (説明板・古墳辞典から) |
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上庄司原2号墳の移築石室 1号墳の西側に 隣接していた古墳の石室を移築して、 調査時点の出土状態に復元している。 石室は構築後間もなく 左壁から崩壊したと考えられていて、 遺物がほとんど盗掘されずに残っていた 出土した子持ちはそうは、大変珍しいものだ。 |
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石室 奥室部分 |
石室内部から、入口を見る |
上庄司原4号墳 移築石室 | |
榛名山の角閃石安山岩使用の両袖形横穴式石室は 截石切組積(キリイシキリクミツミ)という当時の最高技術を用いてつくられている。 石材の加工・構築の目安となる「朱線」が残るものもある。 全長5.2m 玄室長2.8m 最大幅1.96m 石材の中には内面に「水磨き」を施しているものもある。 これらの石材を「間知積み」している。 石材の内面形状は基本的に方形だが、意識的に凹凸の部分をつくって石材を組ましている。 石室は盗掘されていたが、鉄製鞘金具と銅製帯金具が出土 截石切組積石室の古墳は、これまでに30例ほどが確認されているが、 前橋市宝塔山古墳や吉岡町の南下A・E号墳などとともにもっとも秀麗なものである。 (説明板・古墳辞典から) |
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上庄司原4号墳の移築石室 南西400mにあった古墳の石室を 移築、復元整備。 覆い屋がある。 |
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奥壁の石材は十字形! |
石室内部から入口方向を見る |
三津屋古墳 県史跡 |
吉岡町大久保字三津屋 |
正八角形墳として有名な古墳。 整備されて石室内も入れるようになっている。
駐車場あり。説明板もある。 午後1時20分 着
調査時の葺石・列石・盛り土は一部修復、欠失部分は調査結果を元に復元されている。
内部は、石室根石状況や土層断面が発掘調査時のまま展示されている。
三津屋古墳は 墳丘対角間で23.8mの正八角形墳 残存高4.5m 一辺の大きさは下段で9m、上段で6m。 唐尺の使用が推定されている。 榛名山東南麓から利根川に向けて延びる台地先端近くの南斜面に立地。 三津屋古墳無実測図 (古墳辞典から) 2段築成 墳丘下段の縁辺部に列石が配され、 上段は扁平な河原石の葺石がある。 浅い周堀がめぐる 石室は破壊されていたが、 奥壁石や側壁根石の抜き取り跡から、 一部切石を用いた自然乱石積みの横穴式石室 であったと考えられている。 八角形の規格は、玄室奥壁を中心として石室主軸をほぼ北に向け、八等分している。 出土はない。 7世紀後半の築造と推定されている。 1993年(平成5年)に発掘調査 |
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全景 北東から見た墳丘 |
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前庭と石室開口部 |
石室入口 |
石室内部 わずかな石材が残るだけ・・・ 破壊されているが見どころは奥の土層部分 |
土層の様子 真ん中あたりの黄色い土は 石室天井石を覆った粘土と考えられている。 |
南下古墳群 町史跡 |
吉岡町南下・大久保溝祭 |
パンフレットが現地で手に入った!
史跡公園となり、A~F号古墳が公開されている。
公園駐車場あり 公園北にある教育委員会文化財事務所にはトイレもある。
6基の円墳のうち、5基の石室が開口している。
市街地からそんなに離れているわけではないが、広い敷地の中に古墳が保存されている。
すぐ北には吉岡町老人福祉センターがある。
南下古墳群は吉岡町の南下から大久保の溝祭地区に分布する古墳の総称 古墳群のある丘陵は、13000年ほど前に 相馬山が山体崩壊を起こしたときの流山(陣場岩屑流)と考えられている。 100基以上の古墳があり、6世紀後半~7世紀末の築造と推定されている。 現在は9基が残っている。 古墳位置図 (パンフから) C→D→B→A→E号の順につくられたと考えられている。 横穴式石室がある。 (説明板・パンフ・古墳辞典から) |
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築造時期 | 古墳名 | ||
6世紀中葉~後半 | C号古墳 | 径15mの円墳 | 丘陵頂部にある |
7世紀前半 | D号古墳 | 径13m・形不明 | |
7世紀中ごろ | B号古墳 | 径22mの円墳 | |
7世紀後半 | A号古墳 | 径22mの円墳 | |
7世紀末ごろ | E号古墳 | 径21mの円墳 | |
時期不明 | F号古墳 | 径21mの円墳 |
築造順に紹介する。
南下C号古墳 | |
15mの円墳・高さ4m 丘陵頂部につくられている。 群中最も西寄り。石室はC号墳のみ東向きに開口。 古墳周辺から円筒埴輪の破片が採集されている。 東に開口している自然石乱石積みの無袖型横穴式石室がある。 C号古墳石室展開図 (パンフから) 石室全長6.1m 奥壁幅1.58m・同高さ1.36m 副葬品は不明 6世紀中葉~後半の築造と推定されている。 (説明板・パンフ・古墳辞典から) |
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古墳群の中で、 一番高い所にある墳丘 見晴らしがいい! |
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東向きに開口している横穴式石室 |
横穴式石室 開口部 |
石室内部 |
石室内部から外を見る |
南下D号古墳 | |
丘陵南斜面に築かれている。 径13m・高さ3mだが、墳頂部が著しく削平しているため、形は不明 葺石なし 埴輪なし 南西方向に開口する横穴式石室は、山石と河原石を混用した乱石積み。 石室全長5.63m 玄室幅1.5m・同高さ1.5m 羨道と玄室の境には2、3段に積んだ玄門が存在する。 羨道入口付近には、閉塞石が残っている。 7世紀前半の築造と推定されている。 (説明板・パンフ・古墳辞典から) |
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墳丘 |
手前に石材が落ちているようだ |
奥壁 |
石室内部から外を見る |
南下B号古墳 町史跡 | |
径22mの円墳 高さ5.2m A号墳の東にある。丘陵端部の南斜面中腹に山寄せされた円墳 葺石・埴輪・周堀なども不明 南向きに開口した横穴式石室がある。 B号古墳石室展開図 (パンフから) 自然石を乱石積みした両袖形横穴式石室で 玄室長さ3.45m・幅2.5m・高さ3m 羨道長さ3.74m・幅1.40m・高さ1.20m 玄室の側壁に一部削石を用いたり切組の手法を取り入れたりした部分がみられる。 玄室と羨道の境にはみごとに加工された重量感のある玄門が据えられている。 一方の玄門上部には冠石を受けるための切りこみがつけられている。 壁の石材は腰の高さまで垂直に積まれるが、 その上は大きく内側に転び、天井の幅を著しく狭めている。 ゆがみや食い違いのため整正さに欠け、やや不安定に感じる。 石材どうしのすき間には漆喰を塗りこめていたらしく痕跡が残る。 出土品は古くから開口しているので不明 7世紀中ごろの築造と推定されている。 (説明板・パンフ・古墳辞典から) |
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墳丘 |
開口部 |
奥壁 |
石室内から外を見る |
南下A号古墳 町史跡 | |
径22mの円墳 高さ7.8m 南斜面中腹に造られた山寄せの円墳 2段築成 葺石・埴輪の有無は不明だが、埴輪は破片も見つかっていない。 周堀の有無も不明 A号古墳石室展開図 (パンフから) 南に開口する両袖形横穴式石室 玄室長3.25m・幅2.4m・高さ2.4m 羨道長さ3.25m・幅1.58m・高さ1.55m 石室は截石切組積の手法を駆使した精巧で美しいもの 石材は角閃石安山岩を用い角は全て直角に加工し、随所に切組の手法を取り入れている。 羨道と玄室の境の玄門と冠石は水準が高い加工技術 玄室や羨道の壁の石材には加工の際の作業線とみられる「朱線」が発見され注目されている。 この朱線はE号古墳でも発見されている 出土品は不明 7世紀後半の築造と推定されている (説明板・パンフ・古墳辞典から) |
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A号古墳墳丘 |
石室開口部 |
羨道から玄室を見る |
四角いステキな玄室 |
白い漆喰が残る |
羨道部も切石 |
南下E号古墳 | |
径21mの円墳 高さ2.5m 丘陵東南斜面に構築された山寄せの円墳 葺石があるかは不明 埴輪は破片も見つかっていない。 E号古墳石室展開図 (パンフから) 南西に開口している両袖形横穴式石室 玄室部分はほぼ完存しているが、 羨道の天井石がなくなっている。 玄室長2.76m・奥壁幅2.13m ・奥壁高さ1.71m 截石切組積 古墳南面には前庭が存在する可能性が高い。 石材は壁に二ツ岳噴出の角閃石安山岩を使用し、 天井石には硬質の安山岩自然石を用いている。 壁面は10度前後内傾する、所謂転びが見られる。 玄室と羨道の境には加工石材を2段積した精巧な玄門がある。 「朱線」が残っている。 7世紀末の築造と推定されている。 (説明板・パンフ・古墳辞典から) |
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墳丘 |
開口部 |
奥壁部分 凸形に削って組み合わせている石材 |
天井部分 |
側壁部分 |
内部から外を見る |
南下F号古墳 | |
正式名称は大林1号古墳だが便宜上F号古墳と呼んでいる。 丘陵先端近くの南斜面に構築された 径21m・高さ4.5mの円墳と考えられているが、 南側が道路拡幅工事で削られややゆがんでいる。 葺石・埴輪の有無は不明 工事のさい巨石を除去したとの話が伝わっているので横穴式石室があったと推定されている。 築造年代は不明 (説明板・パンフから) |
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北から見た墳丘 |
北西から見た墳丘 |
群集墳といいながら、広い敷地にりっぱな石室墳を見られて感動!
個人的にはA号古墳の石室が、好き!
高崎市・金古愛宕山古墳へつづく