北村さんちの遺跡めぐり」
更新日2022/7/4

初めての九州 大分県と福岡県
その2 大分市・別府市・日出町・杵築市・臼杵市 
2022/5/7~5/15

大分県の地図g

(2022/5/7は神戸からフェリーに乗るだけ)
大分県第1日目(2022/5/9)午後2時、ようやくセブンイレブン大分インター店(大分市大字三芳)で昼食。
丑殿古墳も見学したかったが、駐車が難しいと判断、諦めて蓬莱山古墳を見学。

蓬莱山古墳
県史跡
大分市庄の原2
見学日2022/5/8

丑殿古墳の北の丘陵にある龍音寺に保存されている。
お寺の駐車場あり。

 蓬莱山古墳は 全長60mの前方後円墳 
  後円部径36m・後円部高さ6m  前方部幅約17m・高さ約3m
 周囲には盾形の濠がめぐる。
 周溝を含めると全長80mになる。東西方向に主軸がある。
 庄ノ原丘陵の中央部南寄りにある。
 古墳の平面形は柄鏡形で、前方部が狭く低い古式の特色を示す
 葺石あり  壺型埴輪がみつかっているが、円筒埴輪はない。
 後円部中央で見つかった組合式の箱形石棺は、
  内法の長さ1.7m・幅0.45m・高さ0.55m、
 長側板には緑泥片岩の一枚板が用いられていてその他には安山岩の板石が用いられている。
 石材の産地の大分市東部地域と交流があったと考えられている。
 盗掘にあっていて、副葬品は見つかっていない。
 4世紀の築造と推定されている。

蓬莱山古墳測量図

箱形石棺実測図

周溝と周堤 右側が墳丘

後円部 右奥に前方部

後円部斜め後ろから前方部を見る

後円部から前方部を見る

前方部側 拝所の鳥居 白石が敷かれている

前方部側 周溝と周堤

横姿

龍音寺は、蓬莱山古墳を守るためにつくられたお寺で、宗派問わずに霊園を利用することができるという。

千代丸古墳
国史跡
大分市宮苑
見学日2022/5/8

蓬莱山古墳の西約2km。
民家の敷地内にあるので、住人の方に挨拶して見学。
装飾古墳

 千代丸古墳は  賀来川の河岸段丘上に築かれた
   径15mの円墳とみられる
が、封土が流出している。
 南東に開口する横穴式石室
  玄室奥行3.32m・幅1.87m・高さ2.8m 羨道長4m、幅1.9mの両袖式。
 玄室奥には2段の平石を重ねた屍床を設けていて、
  この上高さ1.1mのところにある厚さ46cmの石棚が、玄室の奥壁から水平に作り出されていて、
  石棚の前面には三角形・四角形の幾何学文様、人物・動物と思われる文様が線刻で描かれている。
 玄室内は真赤に塗られていて、線刻の窪みの中にも顔料が残っているので、
  線刻の後に赤く塗られたと考えられている。
 7世紀初頭の築造と推定されている。

横穴式石室内部
(説明板から)

石棚の線刻 模式図
(「べっぷの文化財」から)


南から見た墳丘 巨石が見えている

西から見た墳丘 墳丘上に覆い屋

横穴式石室開口部

玄室内部 石棚

屍床

石棚の前面に線刻! よく見えない…

東側側壁

西側側壁

石室内部から開口部を見る

墳丘上に露出した天井石は、
 覆い屋で保護されている。

線刻のある装飾古墳は、県下では他に2例(玖珠町・鬼塚古墳、国見町・鬼塚古墳)しかないそうだ。

実相寺古墳群
鬼ノ岩屋・実相寺古墳群として国史跡
別府市大字北石垣
見学日2022/5/8

別府市を通る国道500号線が、東西方向と南北方向に曲がる角のところに、実相寺古代遺跡公園がある。
実相寺古墳群は、実相寺古代遺跡公園とその周辺に5基の古墳が確認されている。
インターネット上に
 「実相寺古墳群(2016年)」、「べっぷの文化財 別府市の古墳文化(平成24年3月)」
   が公開されているので、参考にさせてもらった。

 実相寺古墳群
 6世紀後半~7世紀初頭にかけて造られた古墳群
 標高50m前後の扇状地上に立地する。
 鷹塚古墳・太郎塚古墳・次郎塚古墳・天神畑古墳1号墳・天神畑2号墳の5基

実相寺古墳群  配置図
(「実相寺古墳群(2016年)」から)

実相寺古代遺跡公園の中に、
  太郎塚古墳・次郎塚古墳の墳丘、
  天神畑古墳(1号墳)の石室
 が保存されている。

鷹塚古墳は、近くに現状保存

天神畑古墳(1号墳)墳丘は、消滅。

左奥・太郎塚古墳

右・次郎塚古墳



実相寺古代遺跡公園内

実相寺古代遺跡公園は、さぬきうどんの横の道の奥にある。駐車スペースあります。

 太郎塚古墳・次郎塚古墳  実相寺古代遺跡公園内
 現状で径15m前後の円墳が2基並んでいて、横穴式石室の上部が露出している。
 2007・2008年(平成19・20)の測量調査・試掘調査で、
   いずれも径27mほどの円墳と確認された。
  6世紀後半の築造と推定されている。
 次郎塚古墳の周溝が、太郎塚古墳の手前にとまっているので、
  太郎塚古墳が先に造られたと考えられている。
 太郎塚古墳の周溝から甕をはじめとする須恵器が多数出土。
 内部の石室は未調査。
 太郎塚古墳からは、
  金銅製唐草紋透彫鏡板(馬具の一種・県指定重要文化財)が出土したと伝えられている。

太郎塚古墳・次郎塚古墳墳丘復元図

(「実相寺古墳群(2016年)」から)

百合若大臣の伝説に登場する
 逆臣の別府太郎・次郎の墓だとされている。

(前回の大臣塚古墳をご覧ください。)
 太郎塚古墳
 現在は、横穴式石室の天井石と入口付近の石材が露出している。

太郎塚古墳墳丘
 

 方向を変えて見る
 

墳丘上には、石材露出

右側が石室入口だろうか
 次郎塚古墳
 石室石材が露出し、墳丘裾の列石も一部残る。
 埋葬施設は南東方向に入口をもつ横穴式石室とみられていて、
 墳頂部には石材が露出している。

次郎塚古墳 列石が残る
 

方向を変えて見る
 


墳丘上に石材露出

天神畑古墳(1号墳)の石室は、実相寺古代遺跡公園に保存されている。
公園の100m程東にある畑地で発掘されたものを移築・復元したものだ。

 天神畑古墳1号墳石室  実相寺古代遺跡公園内
 天神畑1号墳は、1990(平成2)年、宅地造成に伴う緊急調査で発見された。
 墳丘は消失していたが、石室の基底部が残存していた。
 南に入口をもつ両袖型の横穴式石室は、
  残存全長は約4.3m、玄室部長さ2.0m・幅1.6m
 巨石を組み合わせて、方形の床面を有する玄室と
   前室もしくは羨道から構成されている。、
 奥壁や側壁の一部には赤色顔料が塗布されていた。装飾等はない。
 石室内やその周辺から須恵器のほか馬具とみられる鉄器片が出土した。
 6世紀末~7世紀初頭頃の築造と推定されている。
 鷹塚古墳・太郎塚古墳・次郎塚古墳と同じく
   実相寺古墳群に含まれるものと考えられている。
 調査終了後、横穴式石室は100m程西にある実相寺古代遺跡公園に移築・復元された。

天神畑1号墳の横穴式石室
(説明板から)

横穴式石室
手前の大きな石は、天井石?
 天神畑2号墳
 天神畑古墳(1号墳)の周辺では、近年新たに
  石室の奥壁及び側壁と考えられる石材が確認されている。
 平成2年に調査が行われた古墳を天神畑1号墳とし、
 1号墳の東側20mの位置にある、石室が露出する古墳を天神畑 2号墳と呼称する。

太郎塚古墳・次郎塚古墳の南西40mに現状保存されているのは鷹塚古墳。

 鷹塚古墳
 円墳だと思われていたが、平成20~23年度の発掘調査で、
  墳丘裾の列石が見つかり、一辺30m・高さ5mの方墳と確定された。
 墳丘上から、須恵器の高杯などがまとまって出土。
 全面的な調査は実施されていないが、
  横穴式石室の羨道部は羨道長8m・入口幅2.5mで、
  羨道だけでも県内最大級で、構造は鬼の岩屋古墳群に似ていることから、
  これまで県内最大とされていた鬼ノ岩屋2号墳を凌ぐ規模であることが判明した。
 側壁には朱が残る。
 出土した須恵器などから6世紀末~7世紀初頭の築造と推定されている。


鷹塚古墳墳丘復元図
 (「実相寺古墳群(2016年)」から)

左が北となる
南に開口する横穴式石室

玄室部分は未調査

現在の鷹塚古墳

私有地の奥にあるので近づけない…。

    

実相寺古代遺跡公園の
石棺群ほか
大分市大字北石垣
見学日2022/5/8

実相寺古代遺跡公園は、実相寺古墳群の他にも、石棺群や、謎の配石遺構などが保存されている。

実相寺古代遺跡公園
 左から石棺群、
  (フェンス後ろは配石遺構)
太郎塚古墳
次郎塚古墳


まず4基の石棺から

 実相寺1号石棺・2号石棺  実相寺遺跡公園の石棺
 戦後この周辺で発見された2基の石棺は、
  周辺の開墾時あるいは道路開削時などに出土したものである。
 この公園に移動した経緯は不明であるが、すでに古くから知られていた。
 二つの石棺の石材は、角閃石安山岩の転石を利用したもので、
  近くの実相寺山産ではないかと考えられている。
 実相寺 1 号石棺
 角閃石安山岩製の刳抜式石棺の棺蓋
 別の部材に短辺縄掛突起を彫りだして、組み合わせて使用されたと推定されている。
 縄掛突起は側面に 1 ヶ所ずつ 2 ヶ所、短辺に1ヶ所
 大小の棺蓋を組み合わせて 215㎝程度の長さと復元される。
 棺蓋内面の彫り込みの特徴から、舟形石棺の蓋石と考えられている。

実測図(「べっぷの文化財」から)

実相寺 1 号石棺
 実相寺2号石棺
 同じく実相寺遺跡公園内の1号石棺のそばに置かれている家形石棺の棺蓋
 石材は1号石棺と同じ角閃石安山岩製
 半分が欠失していて、
  短辺中央に 1 カ所、側面に 1カ所ずつ横長の長方形の縄掛突起がある。
 棺蓋の幅は約 110㎝・長さは約 115㎝。
 畿内系の家形石棺と考えられている。
 
実測図 (「べっぷの文化財」から)

実相寺2号石棺
 実はこの2基の石棺蓋は、出自が不明だったが、
  鷹塚古墳の調査の際、同敷地にあったものであることが分かった。
 2つの石棺が鷹塚古墳の石室から持ち出された可能性が高い
という。
 江戸時代以前と思われる盗掘で持ち出されたとみられている。
     (「実相寺古墳群(2016年)」から)

他にも石棺がある。
2006年(平成18)に発掘調査された春木芳元遺跡の一部から出土した2基の石棺だ。

 春木芳元遺跡古寺地区出土の石棺2基
 調査されたのは、春木芳元遺跡の一部で、標高60mほどの春木川と国道500号線の間。
 1号石棺    組み合わせの箱式石棺
  6 枚の約 0.1m を測る肉厚な凝灰岩質安山岩の板状の割石を使用している。
  石棺の蓋は、検出時にすでに無く、棺内部に腐植土が流入していた。
  長軸2.3m・短軸1.0mで、頭位を東側に向ける。
  棺内部は、赤色顔料が塗布されている。
   床面には、粘質土が敷き詰められ、東側に枕状の若干の高まりが確認できる。
  棺内部からは、鉄剣、鉄刀、鉄斧、ガラス小玉が出土した。
  鉄剣には人骨が付着していた。
  棺外からは、
   狭小な調査面積のため数は少ないが、坏身、坏蓋、高坏、 、甕、坩などが出土。
  墳丘は確認できなかったが、隅丸方形の周溝が検出されて、
  5世紀後半の築造と推定される径6mほどの古墳の埋葬施設とみられている。

1号石棺図 (「べっぷの文化財」から)

1号石棺
 2号石棺  1号石棺の北西45mの位置にあった
  組み合わせの箱式石棺
  長軸 1.2m、短軸 0.7m
  棺は 6 枚の約 0.1m を測る肉厚な凝灰岩質安山岩の板状の割石を使用している。
 棺の蓋は、1号石棺と同様に検出時にすでに無く、棺内部に腐植土が流入していた。
 棺内部は、赤色顔料が塗布されている。
  床面には、拳大から人頭大の扁平な礫が敷き詰められている。
 棺内部から、坏身、坏蓋が出土している。
  6世紀中ころの築造と推定されている。

2号石棺図 (「べっぷの文化財」から)

なんと!石棺の平面展示

石棺の奥のフェンスの向こうには石敷きの遺構がある。

縄文時代の集石遺構
  十文字原第1遺跡の配石墓


移築保存

元は別府市大字南畑字雨堤にあり、
 高速自動車道建設にともない発掘調査。

詳細不明
   

実相寺古墳群は、鬼の岩屋古墳群とともに国史跡だ。
春木川を挟んで約1km離れた2つの古墳群。

実相寺古墳群と
鬼の岩屋古墳群の位置関係
 (説明板から)

古墳群の地図g

 古墳の築造時期
春木芳元1号石棺 5C後半
春木芳元2号石棺 6C中ごろ
太郎塚古墳 6C後半
次郎塚古墳 6C後半
鬼ノ岩屋2号墳 6C後半
天神畑1号墳 6C末~7C初頭
鷹塚古墳 6C末~7C初頭
鬼ノ岩屋1号墳 6C末~7C初頭


6世紀後半~7世紀初頭の50年間という短い間に、当時としては県内最大規模の古墳を立て続けに造った。
鬼の岩屋古墳群は筑後や肥後の影響が認められ、実相寺古墳群は畿内政権とのつながりが指摘されている。
  (説明板から)

鬼の岩屋古墳群
鬼ノ岩屋・実相寺古墳群として国史跡
別府市大字北石垣字塚原
見学日2022/5/8

1号墳と2号墳があり、大きな横穴式石室があるが、どちらも見ることはできない。

鬼の岩屋古墳群
1号墳・2号墳の位置関係

(「実相寺古墳群(2016年)」から)

太郎塚古墳・次郎塚古墳につづいて
 別府市で築造されたのが
 鬼ノ岩屋1号墳・2号墳だ。

実相寺古墳群の北約1kmにある。
上人小学校の敷地に1号墳、すぐ南に2号墳。
ともに県下最大級の横穴式石室が開口する。
装飾古墳

1号墳は、上人小学校の敷地の南西隅にある。

 鬼ノ岩屋1号墳  国史跡
 直径31mの円墳  周溝がある。
 墳丘上には3段にわたって列石が廻り、 墳丘そのものも段築がある。
 装飾壁画がある。

鬼ノ岩屋1号墳 墳丘測量図
(「べっぷの文化財」から)

現状は 直径17m・高さ6mの墳丘

 ほぼ南に開口する横穴式石室は複室構造で、全長7.7m  。
  玄室は2.8m×2.7m、高さ3.2m   前室は2.5m×2.5m、高さ2.6m  羨道幅1.6m
 複室の石室としては県内最大の規模。


石室測量図 石屋形の屋根は復位
   (「べっぷの文化財」から)

石室内部は一面に朱で塗布されている。
  奥壁の前には石屋形が設けられていて、前室の一部にも仕切状の板石がある。
 後室袖石の上部には何かを填めるための溝。石屋形は熊本県地方に多い。
 6世紀末~7世紀初頭の築造と推定されている。
 石室全面を赤で彩色した上から、
  前室の奥壁に向かって右側壁、 前室と玄室の間の袖石に装飾文様が描かれている。
 また、 右側壁の腰石上面に黄色顔料で山形文様を連続して描いている。
  その文様は右から左へ流れるように10個の山形文である。
 さらに袖石前面の上部に、 同じく黄色顔料で靫、 鞆、 弧状文様が、
   そして下面には黒色顔料で三角文を中心に弧状、 S字文様が描かれている。
  (袖石の文様は、 近年の調査によって確認されたもの)

文様の模式図  (説明板から)

(説明板から)

全景

墳丘

横穴式石室は 封鎖されている!

入口部の小石材の石組は
  後世のものといわれている。

鬼ノ岩屋2号墳は、 1号墳の南西100mにある。

 鬼ノ岩屋2号墳  国史跡
 復元径38mの円墳

鬼ノ岩屋2号墳 墳丘測量図
(「べっぷの文化財」から)

現状は23m×18.5m、 高さ5m、
1号墳に比べかなり崩れた形。

 南東に開口している横穴式石室は、全長8m
  玄室が3.0m×4.2m、 高さ4m 羨道部の幅は1.7mの両袖式
 全面に朱とみられる赤色顔料が塗られている。

鬼の岩屋2号墳石室測量図
(「べっぷの文化財」から)

県内最大規模豊後地方最大の値を持つ。
単室構造であり、石室内に装飾をもつ
彩色壁画古墳

 奥壁の前には厚さ40cmの巨大な板石を置いて屍床としている。
 左側壁の前にも板石で囲った石屋形状の屍床。
 玄門には観音開きの扉、現在は向かって左側のみ残る。
 1号墳に先行する6世紀後半の築造と推定されている。
(説明板から)
 装飾壁画
  玄室の左右袖石、 玄室の右屍床中の側壁、
  中央屍床の正面、 屍床中央左腰石から一段目の側石の5ヶ所に認められる
 石屍床正面の文様は邪視文とみられる彫りこみであり、 特異である。
 邪視文の上部には、 不明瞭であるが、 盾、 動物、 双脚輪状文、 蕨手文等が見られる。
 左側壁には同心円文が二つ並列して描かれている。
 玄室右屍床の側壁の文様は、 三角文、 唐草文と靫とみられるものである。

入口にある大きな標柱

墳丘

方向を変えて見る

横穴式石室は完全封鎖!

     

地獄めぐり
鬼石坊主地獄・血の池地獄

国指定名勝
別府市大字北石垣字塚原
見学日2022/5/8

別府に来たら、地獄めぐりは外せない。時間の関係で二つだけ見学。
入場料は地獄一つが、一人400円。

 鬼石坊主地獄
 灰色の熱泥が沸騰する様子が坊主頭に似ている事から
    「鬼石坊主地獄」と呼ばれる様になった。 

ブクブクと 不気味です

鬼の高いびき

      

 血の池地獄 
 血の池地獄は、日本で一番古い天然の地獄で、一言で言うなら「赤い熱泥の池」。
 地下の高温、高圧下で自然に化学反応を起こし生じた
   酸化鉄、酸化マグネシウム等を含んだ赤い熱泥が地層から噴出、
 堆積するため池一面が赤く染まる。 

血の池



高浜虚子 句碑

昭和15年(1940)10月23日、
高浜虚子は血の池地獄へ

「自づから早紅葉したる池畔かな」

古墳の石室に塗られている赤色顔料は、血の池地獄で採集されたものともいわれている。

小熊山古墳・御塔山古墳
国史跡
杵築市大字狩宿
見学日2022/5/8

血の池地獄から北へ自動車で約55分、
国東半島の南東部、別府湾の北端に突き出た岬上にある大きな2基の古墳の見学。
2017年(平成29)に「小熊山古墳・御塔山古墳」として国指定史跡になったばかりだ。
インターネット上に
 「国指定史跡 小熊山古墳・御塔山古墳」の紹介パンフレットが
   公開されているので、参考にさせてもらった。
 
御塔山古墳は、別府湾へ突き出た美濃崎漁港の近くにある丘陵にある。
美濃崎漁港の恵比寿様の横を通り抜けて、海そばの山に行く。
道がコの字に曲がるところに、説明板と登り口がある。
この説明板があるところも墳丘に含まれるらしい。

 御塔山古墳
 直径75.5mの円墳 南側に方形の造出がある。
 3段築成
 周溝・外堤がある。 周溝を含めると径90mほどになる。
 葺石あり 埴輪あり


墳丘図  (説明板から)

埋葬施設は箱形石棺と伝わっていて、
江戸時代の発掘では人骨が出土したという。
 形象埴輪(囲形埴輪・木樋形埴輪・短甲形埴輪など)が出土。
 囲形埴輪は、九州で4例目しかない。
 5世紀前半の築造と推定されている。

出土した埴輪

(説明板から)


 江戸時代に発掘があったと伝わるほか、
  1986年(昭和61年)に大型円墳と確認されていて、これまでに数次の調査が実施されている。

登り口

墳丘

墳頂部

葺石

墳丘 パノラマ写真

大きすぎて全体はなかなか撮れない

御塔山古墳の北約500mの標高85.5mの山頂にあるのが小熊山古墳。
西側のソーラーの北に案内板があり、東に入った墓地の奥。

 小熊山古墳
 全長116.5mの前方後円墳。前方部を南方に向ける
 後円部3段・前方部2段(もしくは3段)築成
 葺石あり 

墳丘図 (説明板から)

壺形埴輪・円筒埴輪が出土していて、
 特に円筒埴輪は巴形透し孔を持つもので
  九州最古級の初期円筒埴輪として注目されている。

埋葬施設は不明。


前方部の西側は削られている。
 3世紀後半~4世紀初頭の築造と推定されている。


(説明板から)

 1989年(平成元年)に発見され、これまでに数次の調査が実施されている。

後円部裾の説明板

後円部側を墳裾から見上げる

後円部上の石祠

後円部上の陥没坑

後円部から前方部を見る
前方部は削られて細くなっている

前方部から後円部を見る
 

見学できて良かったです。

安養寺・経塚古墳
町史跡
速見郡日出町藤原
見学日2022/5/8

安養寺ふれあい公園の西側の道路沿いに案内板が出ている。
案内板の向かい側にスペースがあったので駐車。

古墳への入口


   

 安養寺・経塚古墳は  直径30mの円墳 (現状直径約20m)
 横穴式石室が開口している。
 6世紀中ころ~後半の築造と推定されている。
 明治時代初期に発見されて以来、地区の人々が地蔵尊などを安置し、
   通称「穴観音」または「穴様」と呼ばれている。

墳丘 西から見る

南に開口する横穴式石室

石室入口  入れない…。

石室内部 カメラを突っ込んで撮影

真っ暗の石室内部を撮影するために、ライトを取りに行っているうちに、外も真っ暗に…。



時刻は午後7時となった。
今晩は別府駅前の「ホテルフジヨシ」に宿泊なので、別府まで戻る。
夕食は 吉野家FC10号線別府店(別府市汐見町7-36)
隣りのFM別府汐見店(別府市汐見町7-36)にて、翌朝の朝食を、調達
8時20分ころチェックイン!
8階の大浴場で温泉を堪能して休みます      

熊野磨崖仏へ つづく

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このページの古墳築造時期

 古墳の築造時期
小熊山古墳 3C後半~4C初頭 全長116.5mの前方後円墳
蓬莱山古墳 4C 全長60mの前方後円墳
御塔山古墳 5C前半 直径75.5mの円墳
春木芳元1号石棺 5C後半
春木芳元2号石棺 6C中ごろ
安養寺経塚古墳 6C中ごろ~後半 30mの円墳
太郎塚古墳 6C後半 直径27mの円墳
次郎塚古墳 6C後半 直径27mの円墳
鬼ノ岩屋2号墳 6C後半 直径38mの円墳
天神畑1号墳 6C末~7C初頭
鷹塚古墳 6C末~7C初頭 一辺30mの方墳
鬼ノ岩屋1号墳 6C末~7C初頭 直径31mの円墳
千代丸古墳 7C初頭 直径15mの円墳