北村さんちの遺跡めぐり」
更新日2023/2/7

初めての九州 大分県と福岡県
福岡県10  福津市
2022/5/7~5/15

九州遺跡めぐりの旅、8日目(2022/5/14)の午後は、福津市です。

周辺の地図g    

津屋崎古墳群の見学へ!

 津屋崎古墳群
 玄界灘に面した福津市北部に広がる丘陵及び台地上の、
  南北8km、東西2kmの範囲に大型古墳が集中している。
 古墳群は、
  勝浦髙原(カツウラタカハラ)古墳群   勝浦古墳群
  新原・奴山(シンバルヌヤマ)古墳群 生家大塚(ユクエオオツカ)古墳
  大石岡ノ谷古墳群 須多田(スダタ)古墳群
  宮司(ミヤジ)古墳群 手光湯ノ浦(テビカユノウラ)古墳群
  手光波切不動(テビカナミキリフドウコフン)古墳
 前方後円墳16基、円墳43基、方墳1基の総数60基が現存している。
 これらを総称して「津屋崎古墳群」と呼んでいる。
 5世紀から7世紀の築造と推定されている。
 平成17年に国指定史跡となる。

インターネット上に
「新原奴山古墳群リーフレット」 「津屋崎古墳群パンフレット」などが
 公開されているので参考にさせてもらった。

手光波切不動古墳
市史跡
津屋崎古墳群
福津市手光
見学日2022/5/14

津屋崎古墳群の南端にある。
住宅の間にあるので、近くのお肉屋さんの大きな駐車場に駐車させてもらって見学。

 手光波切不動古墳 テビカナミキリフドウコフン
 直径25mの円墳 高さ9m
 後室・前室・羨道からなる複室構造の横穴式石室は全長10.8mで、南に開口している。
  玄室高さ2m
  宮地嶽古墳とよく似た構造で、前室が後室や羨道に比べ幅広いのが特徴。
 後室(玄室)奥に石造りの不動尊が祀られている
 古くから開口しており、石室内から古墳に伴う遺物などは見つかっていないが、
 平成24年の範囲確認調査で、羨道に続く墓道が見つかり、
  金銅製馬具、新羅土器、沖ノ島出土の祭祀土器に類似する須恵器器台などが出土
 7世紀前半の築造と推定されている。

南から見る

石室開口部

開口部から、石室内部を見る

羨道から前室を見る。

前室と後室の境にお供物台がある。

お供物台から仏像までが後室の長さになる。

石仏 不動尊

内部から開口部を見る
 説明板から

左から 調査状況 出土品の取り上げ作業 輪鐙 新羅土器

手光波切不動古墳の西50mに2号墳がある。

 2号墳

この草叢が2号墳?!

石材が見えている。

駐車させてもらったお肉屋さんで昼食を調達しようとしたが、その類のものは売ってなくて、
宮地嶽神社へ行く途中にあるドラッグストア「コスモス宮司店」でパンを買い昼食とする。

宮地獄古墳
(丸塚古墳)
津屋崎古墳群として国史跡
福津市手光
見学日2022/5/14

宮地嶽神社の奥の院に古墳がある。

 福津市の宮地嶽神社は、全国に鎮座する宮地嶽神社の総本宮
 ご祭神は
  息長足比売命(オキナガタラシヒメノミコト)《 別名:神功皇后 》
  勝村大神(カツムラノオオカミ)
  勝頼大神(カツヨリノオオカミ)

神門

本殿

奥の宮が八社あり、その中の不動神社は横穴式石室を利用している。

 宮地獄古墳
  宮地嶽神社の奥ノ院にある直径34mの円墳
 横穴式石室は、全長23m 最大幅2.8m、天井高さ3.1m 国内最大級の規模
  玄室の側壁に龕(ガン)のような刳り込みが左右一対ある
  玄室奥は天井と両側壁が狭い構造
 昭和9年(1934)、昭和26年(1951)の調査で、
  古墳周辺から金銅製馬具類、金銅荘頭椎大刀(カブツチノタチ、長さ3mを超える大大刀)、
  長方形緑瑠璃板(ガラス板)などが出土して国宝となっている

 昭和13年(1938)には古墳近くで、8世紀の火葬墓が発見され、銅壺と瑠璃壺が出土している。

石室
  (古墳辞典から)

 中央付近の側壁石は長さ4m・高さ3mの巨石を用いている。
 出土品は、石室内から直接出土したのではなく、石室外20m地点やその周辺から出土している。
 過去に石室内が宗教的活動の場として利用された際に、持ち出されて埋納されたと考えられている。

不動神社鳥居

宮地獄古墳 墳丘 

石室入口を覆うように社殿が建つ

不動神社社殿

石室内部
これ以上、中には入れない

長い石室 左の写真の拡大です…。
 説明板から

 大きな説明板がある
 宮地嶽古墳(丸塚古墳)から出土した遺物は、宮地嶽神社の宝物となり、国宝に指定されている。
  金銅製頭推太刀柄頭、金銅製鞍橋覆輪金具、金銅製壷鐙、緑瑠璃丸玉 が紹介されている。

奥の宮八社があり、「一社一社をお参りすれば大願がかなう」という信仰がある。

① 七福神社
② 稲荷神社
③ 不動神社
④ 万地蔵尊
⑤ 恋の宮
⑥ 三宝荒神
⑦ 水神社
⑧ 薬師神社

奥の宮稲荷神社

恋の宮

三宝荒神

宮地嶽神社は、他にも「光の道」という絶景が話題になっている。

在自剣塚古墳
津屋崎古墳群として国史跡
福津市在自
見学日2022/5/14

山裾にある。


在自剣塚古墳 測量図
 (津屋崎古墳群パンフから)
在自剣塚古墳(アラジツルギヅカコフン)は
 全長101.7mの前方後円墳
 後円部径49m 前方部幅64m
   津屋崎古墳群中最大級の規模
須恵器の大甕や高坏形器台が出土

6世紀後半の築造と推定されている。







後円部裾からくびれ部を見る  周濠跡

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

横姿 右に後円部


須多田下ノ口古墳
津屋崎古墳群として国史跡
福津市須多田
見学日2022/5/14

後円部頂に地蔵堂がある。 東裾に駐車スペースがある。

 須多田下ノ口古墳 (スダタシモノクチコフン)は 前方部が削平されているが、
  全長 82.8 mの前方後円墳
 周りに 2重の溝がめぐらされている。
 須恵器の高坏や甕が出土している。
 6世紀後半の築造と推定されている。

後円部登り口 須多田地蔵堂

後円部の残丘

後円部上の石仏
 宗像四国西部霊場 第41番

後円部だけ残る須多田下の口古墳
ミソ塚古墳脇から見る 

西側に前方部があったようだが、農地になっていて全く分からない。

須多田ミソ塚古墳
津屋崎古墳群として国史跡
福津市須多田
見学日2022/5/14

下ノ口古墳のすぐ西の農地の中にあるのが、須多田ミソ塚古墳。


須多田ミソ塚測量図
(津屋崎古墳群パンフから)
須多田ミソ塚古墳は 全長67mの前方後円墳
 後円部径22m・前方部幅23.5m

須恵器の脚付壺や脚付などが出土。
6 世紀中頃~後半の築造と推定されている。




須多田ミソ塚古墳 前方部から後円部を見る

須多田ミソ塚古墳 後円部から前方部を見る

須多田ミソ塚古墳 後円部上の石材

須多田ミソ塚古墳 前方部手前から見る
右に後円部  右奥は須多田下ノ口古墳

下ノ口古墳とミソ塚古墳の2基の前方後円墳は、並んでいた!。

須多田ニタ塚古墳
津屋崎古墳群として国史跡
福津市須多田
見学日2022/5/14

須多田ミソ塚古墳の西の農地にあり、目立つ。

 須多田ニタ塚古墳 (スダタニタヅカコフン)は 直径33.5mを測る大型円墳
 周りに2重の溝がめぐらされている。
 横穴式石室がある。
 5世紀中頃の築造と推定されている。

石室内部
(津屋崎古墳群パンフから)
赤い顔料が塗られている。

石の積み方が
 勝浦峯ノ畑古墳の石室に似ているという…。



須多田ミソ塚古墳  円墳です!

須多田ミソ塚古墳  方向を変えて見る

石室は開口していない…。

須多田天降神社古墳
津屋崎古墳群として国史跡
福津市
見学日2022/5/14

須多田下の口古墳の北にある。
天降神社になっている。

 須多田天降神社古墳 (スダタアマフリジンジャコフン)は 全長83mの前方後円墳
 周りには溝と堤がめぐらされている。
 高坏形器台、円筒埴輪、人物埴輪などが出土
 古墳の後円部には少彦名命を祭る天降神社があり、須多田地区の産神となっている。

一の鳥居 右端は説明板

二の鳥居と拝殿 拝殿は周堤帯にある。

後円部 (本殿への参道)

後円部斜面にある本殿

前方部から後円部を見る

後円部から前方部を見る

横姿 右に後円部

周濠跡なども確認できるのだが、雑木がすごくて写真が撮れない。

生家大塚古墳
津屋崎古墳群として国史跡
福津市生家
見学日2022/5/14

須多田の古墳群の北約1kmに、生家大塚古墳がある。


生家大塚古墳測量図
(津屋崎古墳群パンフから)
 生家大塚古墳 (ユクエオオツカコフン)は
  73mの前方後円墳
 前方部の大半を失っている。
 周りに溝と堤がめぐらされている。
 埴輪や須恵器が出土している。

 5世紀後半の築造と推定されている。



生家大塚古墳遠景

民家の奥に
削平を免れた前方部の一部が見えている。

西側に大塚神社があるが、上り口がわからないので、民家の間から墳丘の一部を見て満足する…。

新原・奴山古墳群
津屋崎古墳群として国史跡
「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺跡群 として世界遺産
福津市勝浦
見学日2022/5/14

まず、東側にある観光案内所へ。
ボランティアガイドさんの説明が始まったが、ゆっくりしていられないので、すぐ見学に入る。

 新原(シンバル)・奴山(ヌヤマ)古墳群は、
  5世紀から6世紀にかけて築かれた古墳群と考えられている。
 かつての入海に面した台地上に、
  前方後円墳5基、円墳35基、方墳1基からなる計41基の古墳が良好な状態で残されている。


 1号墳  推定50mの前方後円墳  23号墳  6世紀代の小円墳4
 2~6号墳  削平  24号墳  全長53.5mの前方後円墳
 7号墳  一辺20~24mの方墳  25号墳  直径35mの円墳
 8~11号墳  6世紀代の小円墳  26~29号墳  小円墳
 12号墳  全長43mの前方後円墳  30号墳  全長54mの前方後円墳
 13~19号墳  6世紀代の小円墳  31~43号墳  6世紀代の小円墳
 20号墳  直径30mの円墳  44~45号墳  削平
 21号墳  直径17mの円墳  46~48号墳  6世紀代の小円墳
 22号墳  推定全長80mの帆立貝形古墳  49~59号墳  削平

展望所(観光案内所)から見た古墳群 左端の43号墳から右へ、34号墳あたりまで見える
 説明板から

34~43号墳は一直線に並ぶ。南東の43号墳から北北東に順に見学。

 34~43号墳
 これらの円墳は直径15m以下の小古墳
 6世紀の築造と推定されている。
 細長い尾根上に一列に並ぶように造られている。

43号墳手前から見た古墳群
円墳が連続している。

43号墳 手前の小さな盛り上がり?!

42号墳

左手前から右奥へ 42号墳、 41号墳、40号墳

40号墳

奥が40号墳 手前は39号墳

38号墳

37号墳

36号墳

35号墳
 34号墳は発掘中
 形がいびつになっていて、どの方向から見ても違って見える。
 いずれは、石室の中を見学できる整備を目指しているそうだ。

34号墳その1
 

34号墳その2
 

34号墳その3
 

34号墳その4
 

34号墳その5  手前の小さな土盛りは何?!(発掘時の残土?)

前方後円墳の30号墳、大型円墳の25号墳周辺へ。


33号墳

31号墳
 30号墳


30号墳
全長54mの前方後円墳
 後円部高さ8m 
 前方部高さ4m(本来は6.5m)
葺石がある
周溝がある可能性
6世紀中頃の築造と
  推定
されている。

30号墳 全景
 

後円部手前から見た30号墳

前方部手前から見た30号墳
 25号墳
 直径35mの円墳  新原奴山古墳群の中で最大の円墳
 南西側に幅7mの周溝が確認されている。
 葺石がある。
 横穴式石室がある。
 墳丘上から須恵器が出土している。
 5世紀後半の築造と推定されている。

30号墳  大きなりっぱな円墳

32号墳

29号墳

新原・奴山古墳群29、28、27、26号墳

遊歩道の西側の見学へ

 21号墳
 直径17mの円墳
 5世紀前半の築造と推定されている。
 22号墳の周溝がこの古墳を避けていることから、22号墳以前に造られたと考えられている。
 墳丘上の8基の石柱は、「新原の百塔板碑」として福岡県指定文化財になっている。

21号墳には、
 フェンスがあって立ち入れない
 
   

21号墳上には、石碑が見える
 

21号墳 「新原の百塔板碑」の説明板 
鎌倉時代中期の8基の石碑が立っている。

21号墳に近接して前方後円墳の22号墳がある。

 22号墳



22号墳
全長80mの帆立貝式古墳
周囲には幅10mほどの周溝が巡る。
5世紀前半の築造と推定されている。

新原・奴山古墳群の中で、
 最も古く、巨大な古墳。

西から見た22号墳全景
鳥居があるはずだか、木立に隠れている

22号墳 後円部上の縫殿神社跡への参道

22号墳 後円部墳頂 縫殿神社跡

22号墳 後円部から墳裾を見下ろす

22号墳の西に円墳の20号墳

 20号墳
20号墳
直径30mの円墳
横穴式石室があると考えられている。
須恵器が出土している。
5世紀後半の築造と推定されている。



20号墳全景
 15号墳  21号墳の西にある円墳 

15号墳

15号墳 方向を変えて見る
 15号墳の南西側には、16、17、18、19、46号墳の円墳が密集していて、
  6世紀後半の築造と推定されている。

20号墳の北にある古墳の見学。

 24号墳

24号墳
全長53.5mの前方後円墳
周溝と周堤が西側に残っている

6世紀前半の築造と推定されている。

24号墳 全景

24号墳 前方部裾からくびれ部・後円部を見る

24号墳 前方部から後円部を見る
後ろの林は、22号墳

24号墳 後円部から前方部を見る
後ろに1号墳がある。
 1号墳
 全長50mの前方後円墳
 石室から鉄製木工具や武具(鉄製冑や甲など)、鍛冶具(鉄鉗<カナハシ>や鏨<タガネ>など)が出土。
 5世紀中頃の築造と推定されている。
 道路建設に伴い発掘調査が行われた後、前方部は削られている。

後円部が2段になった1号墳
右手前は24号墳前方部

1号墳後円部 後円部も半分は削られている?!
石室そばに置かれた巨石
  調査で移動された天井石

1号墳まで見学して、これで新原奴山古墳群の見学は終わったと思って、次の勝浦の古墳群に向かってしまったが、
 実は、国道495号墳の西にもまだ古墳があった…。見るのを忘れた。
前方後円墳や、古墳群唯一の方墳もあったのに…。

 7号墳  一辺20~24mの方墳 古墳群中、唯一の方墳
 5世紀前半の築造と推定されている。
 墳丘上に玉砂利が敷かれ、コハク原石や、沖ノ島と共通する鉄斧が採集されている。
 12号墳  全長43mの前方後円墳
 古墳の周囲に幅5メートル程の平坦部があり、基壇と考えられている。
 6世紀前半の築造と推定されている。

津屋崎古墳群はまだ続きます…。

勝浦井ノ浦古墳 につづく

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