北村さんちの遺跡めぐり」
更新日2023/2/28

初めての九州 大分県と福岡県
福岡県11  福津市2・宗像市・北九州市
2022/5/7~5/15

津屋崎古墳群、続きです。
新原奴山古墳群の北約2kmの国道495号線沿いに向かい合うように、前方後円墳が2基ある。

周辺の地図g  

勝浦井ノ浦古墳
津屋崎古墳群として国史跡
福津市勝浦
見学日2022/5/14

道路の東側にある。説明板は見当たらない。

 勝浦井ノ浦古墳は 全長70mの前方後円墳
 前方部に竪穴系横穴式石室(古式の横穴式石室)があり、内部前面に赤色顔料が塗られている。
 石室内から太刀、鉄矛、短甲、けい甲などの武器・武具類
  三環鈴、杏葉、壺鐙などの馬具類、工具類、装身具類などが出土
 5世紀中の築造と推定されている。
 三環鈴の出土は珍しく、馬あるいは甲冑につけて用い、
  地位の高さなどを示すものではないかと考えられている。

西の道路から見た
  勝浦井ノ浦古墳


右が前方部

勝浦井ノ浦古墳 後円部

勝浦井ノ浦古墳 後円部 葺石か

勝浦井ノ浦古墳 前方部

勝浦井ノ浦古墳 前方部から後円部を見る

勝浦井ノ浦古墳 前方部裾から後円部を見る

勝浦井ノ浦古墳 後円部裾から前方部を見る

  

勝浦峯ノ畑古墳
津屋崎古墳群として国史跡
福津市勝浦
見学日2022/5/14

道路の西側にあるのが勝浦峯ノ畑古墳。

 勝浦峯ノ畑古墳は  全長100mの前方後円墳
 葺石あり
 後円部に南西に開口する古式の横穴式石室は全長7.5m
  玄室長さ4.3m・最大幅2.5m
  内部は壁面から天井まで赤色顔料が塗られている
 内部から8面の鏡(画文帯神獣鏡や内行花文鏡片など)、
  金銅製冠帽、鹿角装太刀40振以上、短甲、
  工具類、銅釧、15000点以上のガラス玉などが出土
 5世紀中の築造と推定されている。
 釣川河口付近の標高20mの低丘陵上に立地。
 1976年(昭和51)発掘調査
 沖ノ島7・8号遺跡に対比される豊富な出土遺物は、
    沖ノ島祭祀遺跡に関係していると考えられている。

墳丘復元図
(津屋崎古墳群パンフから)

勝浦峯ノ畑古墳(別名津屋崎41号墳)石室
(古墳辞典から)
石室内を3等分するように        
   中軸上2ヶ所に石材が立てられている。
  玄門部に1枚の板石を立てて閉塞する。   
このような石室は国内には例がない   

東から見た墳丘 後円部側

後円部

後円部から前方部を見る

勝浦峯ノ畑古墳 
くびれ部脇の集積された石 葺石?

勝浦峯ノ畑古墳 後円部 右は前方部


勝浦高原古墳群
津屋崎古墳群として国史跡
福津市勝浦
見学日2022/5/14

勝浦峯ノ畑古墳の北約500m、牟田池の南の丘陵上に古墳群がある。
前方後円墳が見学できる。

 勝浦高原古墳群は 前方後円墳1基と円墳12基で、11基が現存
 11号墳は 49mの前方後円墳で、6世紀後半の築造と推定されている。

勝浦高原11号墳 登り口
案内板の後ろに階段がある

11号墳 後円部
後円部前にも同じ案内板が立っている
「津屋崎古墳群国史跡指定 
  平成十年三月二日文部科学省」

  と書かれている

11号墳 後円部脇から前方部を見る

11号墳 前方部から後円部を見る

 そばに民家があるので、迷惑にならないように見学した。



宗像市に入ります!

桜京古墳
国史跡
宗像市牟田尻
見学日2022/5/14

勝浦の古墳群から北に行くとすぐ宗像市。
勝浦の北から南にカーブして、県道69号線に入ると、道路沿いに桜京古墳説明板がある。
桜京古墳は、案内に従って西へ登っていった丘陵上、標高約45mに立地する。

 桜京古墳は 
  
後円部径24m・高さ6.4m  前方部幅13.5m・高さ4m、
 葺石なし・埴輪なし。
 後円部西側に入口をもつ横穴式石室は全長8.2m 玄室・前室・羨道からなる複室構造
  玄室部長さ3.9m・幅2.3m・高さ3.6m、
  奥壁に石屋形風の石棚を設置している。
 奥壁腰石や石屋形の支柱石には線刻と彩色(赤・緑・黄)による連続三角文が描かれている。
 6世紀後半の築造と推定されている。
 釣川河口の左岸丘陵に位置する古墳

桜京古墳説明板

この道の先の右側の山の中にある!
 説明板から

石屋形   装飾の復元図 
      
桜京古墳と周辺の古墳
(説明板から)
赤い古墳が桜京古墳

同一丘陵上には
 牟田尻スイラ古墳群、牟田尻池田古墳群、
 牟田尻中浦古墳群が分布。
消減した古墳も含め
 前方後円墳4基、 円墳84基の計88基が
 確認されている。
南方には
 牟田尻片峰古墳群や牟田尻下浦古墳群、
 牟田尻新開古墳群、牟田尻峠古墳群、
 牟田尻小浦古墳群など、
 約200基の古墳からなる牟田尻古墳群が
 広がっている。
 桜京古墳は、牟田尻古墳群中の支群・桜京古墳群の2号墳となる。

現在、桜京古墳は見学できないという情報がある…。
石室は見学できないが、墳丘の見学はできるようだ。
(ため池そばに駐車できたらしい)

宗像大社 (辺津宮) 宗像市田島
見学日2022/5/14

ユネスコ世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群」に含まれる宗像大社!

 宗像大社は、沖ノ島の沖津宮、筑前大島の中津宮、宗像市田島の辺津宮(総社)の三社の総称
 辺津宮から11km離れた中津宮、さらに49km離れた沖津宮は全て直線上にある。
 三社にそれぞれ神を祀り、宗像三女神(宗像大神)と総称している。
 沖津宮(オキツグウ) : 田心姫神(タキリヒメ)
 中津宮(ナカツグウ) : 湍津姫神(タキツヒメ)
 辺津宮(ヘツグウ) : 市杵島姫神(イチキシマヒメ)

宗像大社一の鳥居

二の鳥居

神門 くぐると社殿がある。

拝殿・本殿 国重要文化財

境内の末社群  本殿を囲んで
 22の社殿に121の末社が鎮まっている。


現在の社殿は江戸時代前期に整備された。

   

東郷高塚古墳 宗像市日の里3-4-17
見学日2022/5/14

日の里12号公園として残されているが、公園というより雑木林である。
前方後円墳1基、円墳2基(東郷3号墳・5号墳)が保存されている。
公園内に説明板はある。駐車場はないので、路駐。
史跡指定はされていない。

 東郷高塚古墳は  墳丘長64.4mの前方後円墳
  後円部直径38.9m・高さ7.6m  くびれ部幅22m  前方部高さ5.3m
 前方部を北西の玄界灘の方角に向ける。
 後円部周囲には幅12mの外堤が半円形にめぐっている。
 埋葬施設の粘土槨で、その上面には赤色顔料が塗られ、
  内部には割竹形木棺がある。
  木棺は長さ5.4m、北部九州地方では最大級の規模になる。
 盗掘されて副葬品のほとんどが失われているが、
  ヒスイ製丁字頭勾玉1、珪質凝灰岩製管玉4、鉄刀片、鉄剣片、鉄矛片、二重口縁壺
 そのほかに古墳域では、壺形埴輪などが出土。
 4世紀後半頃の築造と推定されている。

東郷高塚古墳 墳丘
(古墳辞典から)

宗像市南部、許斐山(コノミヤマ・271m)から
 北へ延びる丘陵の先端部に築造されている。

1986~88年(昭和61~63)に範囲確認調査

 墳丘下では弥生時代の遺構が認められていて、
  この一帯では弥生時代前期には既に人々の営みがあったとされる。
 後世の鎌倉時代には火葬場として利用されたことも判明している。

東郷高塚古墳 右に後円部

後円部脇から前方部を見る

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

くびれ部から前方部を見る
 説明板から

配置図
前方後円墳の後円部の
 両側に沿うようにして
北側に東郷5号墳、
南側に東郷3号墳がある。

埋葬部の堀込は8×5mの長方形
深さ2m木棺をくるむ粘土は
長さ7m・幅2m・厚さ0.8m

埋葬部の盗掘跡から
鉄刀・鉄剣・鉄矛・勾玉・管玉の
破片が出土

壺形埴輪の底には穴があいている。

3号墳

左3号墳 右は東郷高塚古墳の外提部分か?

5号墳

5号墳 方向を変えて見る

ユネスコの世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群」として、、
2009年(平成21年)にユネスコ世界遺産暫定一覧表に記載された時には
東郷高塚古墳も構成資産候補とされていたが、
2017年(平成29年)の正式登録の際には構成資産から外されたそうだ。

久原澤田古墳群
市史跡
宗像市久原
見学日2022/5/14

宗像ユリックスの敷地内に古墳が保存されている。
説明板があるが、見にくくなっている。

 久原澤田古墳群は、昭和60~61年に、
  ユリックスの建設にともなって発掘調査された久原遺跡の一部で、
  第II支群の前方後円墳1、円墳3基が整備保存されている。(1987年整備)

総合公園北ブロック案内図
A ユリックス
Bが古墳広場
Cはテニスコート

ユリックスには
プール・図書館・プラネタリウム
・イベントホールなどがある。

 久原遺跡は宗像市のほぼ中央に位置し、南北に延びる標高30~40mの丘陵上にある
  弥生時代から中世にかけての墳墓・住居跡等の遺跡

久原澤田古墳群  復元保存
 Ⅱ-3号墳全長45m・後円部径26mの前方後円墳
  周溝、堤がある2段築成で、周囲には一部に楯形の周堤が巡る。
  単室の横穴式石室(現在は埋め戻し)は石室全長5.5m、玄室広さは畳五畳分!!
  石室内部から馬具・工具などが出土
  墳丘からは人物埴輪・家形埴輪・円筒埴輪が出土
  6世紀中頃の築造と推定されている。

3号墳 左が前方部

3号墳 前方部から後円部を見る

3号墳 後円部から前方部を見る
 4号墳・5号墳・6号墳は 円墳
  4号墳は径15mの円墳、5号墳は径16mの円墳、6号墳は径21mの円墳
  いずれも長さ4mほどの横穴式石室がある。
  石室から工具・武器の鉄製品と墳丘から須恵器が出土。
  いずれも6世紀前半の築造と推定されている。

3号墳脇から見た4・5・6号墳

6号墳 北から見る

6号墳 南西から見る

4号墳を北から見る  左奥は5号墳

5号墳を 北から見る

 

名残伊豆丸古墳
市史跡
宗像市名残
見学日2022/5/14

久原遺跡の東約4kmの名残集落に横穴式石室が開口している。
名残多目的研修集会所前に駐車。
向かい側のお堂の後ろに横穴式石室がある。

 名残伊豆丸古墳(ナゴリイズマルコフン)は 墳丘の規模は不明
 小さなお堂の後ろに横穴式石室が開口、石室内に不動尊。
 北東に開口する横穴式石室は全長8.5m
  後室長2m・幅1.55m・高さ2.5m以上  前室長2m・幅1.6m 
  羨道長2m、幅0.9mの複室構造。羨道はかなり狭い。
 6世紀末~7世紀初頭の築造と推定されている。。

御堂の裏に石室が開口

石室入口 斜めになった石材

石室入口 幅が非常に狭い

羨道部は幅が異様に狭い

前室から奥室を見る

奥室 奥壁前に石造のお不動様

後室から玄門天井石を見る

前室から入口を見る お堂の建物が見える

 

午後6時半を過ぎ、暗くて見学は限界。
九州縦貫自動車若宮IC-八幡JCT-北九州都市高速4号線
 約30分で足立IC出口まで来た。
すぐそばのびっくりドンキー小倉中津口店(小倉北区明和町)で夕食


びっくりドンキー
 ワンプレートディナー


8時、ホテルクラウンヒルズ小倉(北九州市小倉区紺屋町8)にチェックイン!
 朝食バイキング付のプラン


13階の客室からの夜景

朝の風景

5/15(日)   最終日
朝食バイキングを済ませ、8時過ぎにホテル発
 出光 ㈱ヒガキ(北九州市門司区大里新町)でガソリン給油して 和布刈神社へ。

和布刈神社
メカリジンジャ
北九州市門司区門司
見学日2022/5/14

九州最後の見学は和布刈神社。
松本清張の推理小説「時間の習俗」では、和布刈神社の「和布刈神事」がアリバイ工作に使われている。
推理小説好きの人は外せない見学地だ!
創建は弥生時代だといわれていて、現在の神職は32代目だそうだ。

 和布刈神社は 社伝によると、
 仲哀天皇9年(西暦200年)創建とされ、神功皇后が三韓征伐の後に創建されたと伝えられている
 御祭神は、天照大神の荒魂「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(ツキサカキイツノミタマアマサカルムカツヒメ)」
 和布刈神事は  福岡県指定無形民俗文化財に認定されている。
  神功皇后が三韓征伐からの凱旋を祝って、自ら神主となり、
  早鞆の瀬戸のワカメを神前にささげたという古事に由来する神事

鳥居 その奥に社殿 

社殿
 

海に向かって鳥居がある。
和布刈神事のワカメを刈る場所。
 向かい側は山口県。関門海峡の上を高速道路が通る
 海中に灯篭が建っている。

 干潮になった時に、ここから石段を下りて、海に入り、ワカメを採り、神前に捧げるという。

社殿横には、
 和布刈砲台跡碑、
 飯尾宗祇句碑 、
 松本清張文学碑

 などが建立されている。

和布刈神社のページを作っているときに、ちょうどNHKBSプレミアムで、
 「松本清張 鉄道の旅」が再放送されていて、和布刈神社も紹介されていた。
見学したところをテレビで見るのは、なぜか嬉しい…。


北九州市の古墳は全く見学できずに帰ります…。荒神森古墳は見学したかった…。
一日かけて帰ります…

午前9時、和布刈神社そばの門司港ICから高速道路に入る。
関門自動車道-中国縦貫自動車道-美東SA -山陽自動車道(山口JCT)
-小谷SA(昼食)
-瀬戸PA-福崎JCT-社PA-吉川JCT-舞鶴若狭道
-敦賀JCT-北陸自動車道-南条SA(ちょっと足りないガソリン給油 10ℓ)
-尼御前SA(夕食)-美川IC
午後8時帰宅
 無事九州の旅終わりました! 
昼食も夕食も麺類で済ませたので、食事の写真はカットです。
走行距離 2140㎞の旅だった。(フェリー移動分は除く)

初めての九州 終わります

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