北村さんちの遺跡めぐり」
更新日2023/1/14

初めての九州 大分県と福岡県
福岡県9 福岡市3・宇美町・志免町・粕屋町・古賀市
2022/5/7~5/15

九州遺跡めぐりの旅、8日目(2022/5/14)になりました。
平和台ホテル大手門(福岡市中央区大手門)で、軽朝食をいただき、8時20分チェックアウト!

周辺の地図g    

那珂八幡古墳
市史跡
福岡市博多区那珂
見学日2022/5/14

JR竹下駅から東に延びる竹下駅前の大通り沿いにある。墳頂に那珂八幡宮がある。
平成6年に設置された説明板がある。
「那珂八幡宮縁起」説明板にも古墳について書かれている。
インターネット上に「那珂八幡古墳(1986)」が公開されているが、
  2019年に前方部が調査されて、前方部が長くなったようだ。

 那珂八幡古墳は  那珂川東岸の台地上に立地。
 全長86mの前方後円墳
  後円部直径52m・高さ8m 前方部長さ34m、
 周溝を備える。
 墳頂には八幡神社が鎮座する。
 昭和59・60年の発掘調査で、2基の埋葬施設が見つかる。
 1号主体は、拝殿下にあるので、規模、構造を明確にできないが、隅丸方形の墓壙がある。
  古墳築造時の初葬のものと考えられている。
 2号主体は、木棺墓で現存長3.5m・幅1.5mの墓壙に
   長さ2.3m・幅0.6m・深さ37cmの木棺がある。
  赤色顔料が塗られて、部分的には朱が使われていた。
  三角縁神獣鏡、玉類が出土
  木棺上の整地層から土師器が出土。
 3世紀中頃の築造と推定されている。もっとも古い時期の前方後円墳か

南側の後円部登り口

後円部への坂道

後円部頂

東側登り口


南から見た墳丘
  左側に前方部

 説明板・報告書から

 後円部の標高が15mである。

那珂八幡古墳 地形測量図

「那珂八幡古墳(1986)から


2019年に前方部側が調査されたようだ。

後円部頂の埋葬施設
(説明板から)

出土品
三角縁神獣鏡
硬玉製勾玉
碧玉製管玉
ガラス製小玉

(説明板から)

那珂八幡古墳の北にあるアサヒビール博多工場の敷地内には、東光寺剣塚がある。
全長75mの前方後円墳で横穴式石室があるそうだが、見学には行かなかった。

光正寺古墳
国史跡
宇美町光正寺二丁目
見学日2022/5/14

宇美町にある古墳。 
光正寺古墳公園として整備されていて、駐車場・トイレ完備。
最近の調査で、説明板にかかれている大きさより大きくなったようだ。


光正寺古墳は 丘陵先端にある
全長54mの前方後円墳  後円部径34m
前方部は北西側にある。

前方部2段、後円部3段、
2段目のテラスまでは地山で、それより上は盛り土で築き、
 2段目斜面より上には葺石がある。
埋葬施設は5基確認されている。

3世紀中ごろ~後半の築造と推定されている。

横姿   埋葬施設は見ることはできない。
本来の墳丘の上に盛り土をして復元されている。

麓から後円部を見上げる

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

墳頂からの景色 遠くに福岡ドームが見える
 説明板から

すぐ北に、七夕池古墳がある。

光正寺古墳から見た七夕池古墳


   

七夕池古墳
国史跡
志免町(シメチョウ)田富
見学日2022/5/14

七夕池古墳は、光正寺のすぐ北にあり、七夕池古墳公園として整備されている。
町が違うが、光正寺古墳と同じ古墳群と考えられている。

 七夕池古墳は 径29mの円墳
 三段築成
 周囲には幅3.5mの空堀がある。
 未盗掘の竪穴式石室は、長さ1.8m・幅0.8mで、内部には木棺があった。
 40才くらいの女性が被葬されていて、
  内行花文鏡・琴柱形石製品・玉類・櫛・鉄刀などが出土。
 4世紀末頃の築造と推定されている。

七夕池古墳公園

墳丘

周濠跡
説明板から

七夕池古墳は、光正寺古墳の陪塚だともいわれているが、陪塚にしては立派すぎる。

七夕池古墳から見た光正寺古墳


   

亀山古墳と石棺群
1、3号石棺が町史跡
志免町別府二丁目
見学日2022/5/14

志免西小学校西の亀山八幡宮境内に、墳丘や石棺が保存されている。
参道に路駐。

 亀山八幡宮

亀山八幡宮鳥居


亀山八幡宮境内
 境内に1号墳墳丘と石棺6基(2基は埋まる)がある
 石棺群は、すべて内部に朱が塗られていて、
  弥生時代終末期から古墳時代初頭の前期の築造と推定されている。
 1、3号石棺は九州でも最大級の箱式石棺。
   配置図

 1号墳・1号石棺
  墳丘規模12.8m、高さ2mの円墳と考えられている。
 埋葬施設の箱式石棺(1号石棺)
  蓋石が270cm×180cm、内法は縦180cm×横50cm×高さ40cmで
  日本でも最大級の大型箱式石棺
 4個の管玉が出土し、内側に朱(赤色硫化水銀)が惜しげもなく使われている。
    (説明板から)

本殿横に1号墳 墳丘と1号石棺
 

1号石棺は箱式石棺 蓋石が巨大!
横穴式石室ではない

石棺内部は真っ赤!
最近塗り直した?
 石棺群(2号から5号)
  亀山八幡宮に見られる石棺の大きさは、大小さまざまです。
  大きな石棺には大人、小さな石棺には子供が入る大きさです。
  そして、全ての石棺には朱(赤色顔料)が塗られています
  また、これらの石棺は寄り添うようにあり、
   葬られた人たちは親族関係にあったのではないかと考えられています。
          (説明板から)
東から見た石棺群

手前・5号石棺
奥左・3号石棺
奥右・4号石棺
その奥・2号石棺
南東から見た石棺群

左・2号石棺
右・3号石棺
3号石棺の奥には4号石棺

説明板にある粕屋町の大隈石棺は、後で見学する。

部木古墳群
市史跡
福岡市東区蒲田三丁目
見学日2022/5/14

部木(ヘキ)八幡神社境内にあり、9基確認されている。
前の道路が広くなっていて、参拝者駐車場となっている。
インターネット上に「部木(ヘキ)古墳群(2000年)」が公開されているので、参考にさせてもらった。


部木八幡神社
1285年、別火宮より遷され、
 1672年に再建されたとの記録がある。

「部木(ヘキ)」とは、「別火(ヘヒ)」が
 訛ったものとされていて、
 周辺集落の名前ともなっている。
かつて福岡IC付近に
 別火宮があったという…。
 部木古墳群は 標高14m~21mの丘陵先端部に立地し、
  砂礫台地が扇状地平野に落ち込む前面部分に位置する。
 前方後方墳2基円墳7基の計9基から構成されている。
 1号墳は群の中央にある全長23mの最大の前方後方墳で、周溝、堤がある。
 2号墳は全長12mの前方後方墳で、かなり低い前方部がある。
 他はすべて円墳。
 丘陵北側急斜面に面して北より6号-5号-1号-2号,7号-8阜9号と並ぶような配置である。
 特に1号境から西は等間隔に配置されているようである。
 他に、3・4号墳がある。  
 説明板から

(説明板から)

1号墳は、古墳群の中央に位置する。

 部木1号墳

墳長23mの前方後方墳
 前方部最大幅6.5m・後方部最大幅16m
 後方部高さ2mで
 墳頂部には5m×7mの平坦面がある。
 前方部平坦面は長さ4m・幅1.5m~2m
前方部前面以外にはコの字状に取り囲むように
  周濠(幅3~6m・高さ10cm~60cm)と
周堤(幅2m・高さ10cm~15cm)が残っている。
1段築成 葺石なし
黒曜石剝片1が出土しただけ。
 埋葬部は割竹形木棺と考えられている。
 墳丘形態等から、古墳時代前期の築造と推定されている。  (報告書から)

1号墳墳丘 右に前方部

前方部から後方部を見る

後方部から前方部を見る

2号墳は、1号墳の西側にある。

 部木2号墳

全長12mの前方後方墳
前方部の張り出しは、1号墳ほど明確でない。
 後方部長さ8m・幅10m・高さ1m、
後方部頂部平坦面は4mの方形
1号墳の周堤や周濠が
2号墳直前で失われていることから
 1号墳より後の築造と推定されている。

部木2号墳後方部 右側に前方部

部木2号墳 左に前方部 右奥は1号墳後方部

3号墳は、1号墳の南側にあり、道路により北側が破壊されている。

 部木3号墳

現状径11mの円墳 高さ70cm
墳頂部には、径6mほどの平坦面がある。
墳裾には痕跡程度に周濠が残っていて、
 1号墳の周濠・周堤と重複している。

道路側から見た3号墳

境内から見た3号墳

4号墳は 古墳群中南東隅にある。

 部木4号墳

径8m・高さ70cmの円墳
南側が道路で一部削られている。
墳頂部平坦面は3.5m×5mの長円形。
周濠は確認されていない。

社務所の西側にある4号墳

あまり高さを感じない。

5号墳と6号墳は、古墳群中北端に、南北に並んでいる。

 部木5号墳・6号墳
5・6号墳実測図   5号墳・6号墳は依存状況良好
 5号墳は、径12m・高さ1.3mの円墳
  墳頂部に径5mの円形平坦面がある。
  6号墳との間に周濠の痕跡が残るが不明瞭。

 6号墳は5号墳の北側にあり、丘陵の北側急斜面に面していて、
  径13m・高さ85cmの円墳だが、
   南斜面から見ると高さ2mほどになり、大きく感じる。
  墳頂部には径5mほどの平坦面があり、祠が数基環状に配列されている。
  周濠は南側に痕跡程度に残る。

東から見た5号墳  右奥は1号墳

西から見た5号墳

6号墳 墳丘

6号墳墳丘上には祠が並んでいる。

7号墳~9号境は丘陵西側先端部にある。

 部木7号墳・8号墳・9号境
7・8・9号墳実測図

東から、7号墳、8号墳、9号墳と並ぶ。
いずれも破壊が著しく遺存状況は不良である。 
 7号境は 現状で径8mの円墳  墳丘は20cm程しか残存していない。周濠は不明。
 8号墳は  現状では径6m程度の円墳
  本来はもうひと回り程度大きかったと考えられている。
  東側では墳丘は確認できないが、西側で50cm程度の高まりを確認できる。
  削平が著しく周濠も明らかでない。
 9号墳は  径9mの円墳  丘陵先端部分に位置する。
  墳丘高さは東側で20cmであるが西側では1.5mを測り、
   斜面からの見かけ状は大きくなっている。
  周濠は東側に痕跡的に観察できる。

7号墳 よく分からない墳丘

7号墳…?

左手前に8号墳  右奥に9号墳

8号墳 9号墳側から見る

9号墳 8号墳側(東)から見る

9号墳 西から見る

部木八幡宮鐘撞堂が令和元年に老朽化により取り壊されたという「鐘撞堂跡地」の説明板もある。

平塚古墳大隈石棺
ヒラツカコフン オオクマセッカン
県史跡
糟屋郡粕屋町上大隈
見学日2022/5/14

部木八幡宮の東約500mに、石棺が保存されている。

道路脇の坂の側面に案内表示があり
 そのすぐ上やや高くなった場所にある。
左の植え込みのところ


案内表示のところの道路が広くなっているので、
 むりやり駐車。

   

 墳丘(平塚古墳)がなくなり、箱式石棺(大隅石棺)が露出している。
 昭和26年に発見されて発掘調査された。
 厚さ30㎝・長さ2m以上の巨石が使用されている。
 石棺内から、内行花文鏡片や管玉が出土
 弥生時代の終わりごろの築造と推定されている。昭和30年に県指定史跡となる。

植え込みの中に石棺が保存されている。

説明板の後ろに石棺

大隈石棺

大隈石棺を方向を変えて見る

大隈石棺内部

すき間からカメラを突っ込んで
 内部を撮影
 ほかにも、小さな石棺が保存されている。

その他の石棺その1

その他の石棺その2
 説明板から

先に見学した亀山石棺と同時期のものと考えられている。

九州縦貫自動車道・福岡ICから古賀ICへ、高速10分間の利用。

周辺の地図g

船原古墳
国史跡
古賀市谷山字柳原
見学日2022/5/14

古賀市となる。
2013年(平成25)年、古墳横の埋納抗より約200点の国宝級の金銅製馬具等が出土して、
 2016(平成28)年、国指定史跡となる。

現在、横穴式石室のあたりは、シートで覆われていて、土坑は埋め戻されている。
大駐車場完備で、2枚の大きな説明板がある。

 船原古墳(フナバルコフン)は 現存長37.4mの前方後円墳。後円部径24.8m
  本来は全長45.5m以上あったと考えられている
 後円部に複室の横穴式石室がある。
 墳丘の外には土坑が7基あり、そのうち3基の土坑から馬具や武器など多くの遺物が出土
 6世紀末~7世紀初頭の築造と推定されている。

石碑の左側が船原古墳  右側が2号墳

船原古墳 墳丘手前に土坑(埋戻し)がある。

船原古墳 後円部

船原古墳 前方部から後円部を見る

船原古墳 後円部から前方部を見る

船原古墳 後円部上

船原古墳の東側にある2号墳
 説明板から

横穴式石室は、玄室長さ2.4m
壁面には赤色顔料が塗られている。 

遺構配置図と須恵器の接合関係
   

1号土坑は長さ5.2m・幅×2.3m

墳丘しか見られないのが残念…。

 2023/2/10の新聞記事から  (西日本新聞)
 船原古墳の冑(かぶと)は類例ない形 土坑発見から10年、被葬者解明進む
 国際色豊かな馬具の数々が埋納された福岡県古賀市の船原古墳(国史跡)の1号土坑の発見から
  今年で10年を迎える。
 近年は出土した甲冑の分析が進み、
  朝鮮半島系「竪矧板革綴冑(タテハギイタカワトジカブト」にリング状のつばが付き、
  国内外で類例のない形であることが新たに分かった。

福津市に向かいます!

手光波切不動古墳 につづく

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