北村さんちの遺跡めぐり」
更新日2022/12/18

初めての九州 大分県と福岡県
福岡県8 糸島市2・福岡市2
2022/5/7~5/15

九州遺跡めぐりの旅、7日目(2022/5/13)午後の部、糸島市の続きです。

周辺の地図g    

 福岡県の弥生時代の史跡がすごい!

平原墳丘墓
曽根遺跡群として国史跡
糸島市有田1番地他
見学日2022/5/13

平原墳丘墓は平原歴史公園に保存されている。
大きなパンフレットをもらえた。原寸大(径46.5cm)の鏡の写真が載っている!

  平原歴史公園案内図
 左が北となる。 北側には、旧藤瀬家住宅とトイレがある。
 南には 平原墳丘墓1号墳が復元展示されている。
 南の史跡広場のトイレは閉まっている。

旧藤瀬家住宅
 糸島市指定文化財
 北側の公園にある。
元文3年(1737)建築の大庄屋の建物
平成12年まで
 糸島市神在の藤瀬家の住宅として
 使われていた。
江戸時代中期の民家として
 移築復元された。

南の史跡広場に、平原遺跡(墳丘墓)がある。   

 1965年(昭和40年)と1988年(昭和63)~1999(平成11)の発掘調査で、
  弥生時代中期初頭の竪穴住居跡7棟、壺棺墓1基・木棺墓4基、
  弥生時代後期の墳丘墓3基・大柱遺構3基・特殊建物跡1棟、
  古墳時代前期の円墳2基・土壙墓12基、
  時期不詳の掘立柱建物3棟など
が発見されている。
1965年発掘当時の平原遺跡
    (パンフレットから)

地主さんが、
 ミカンの苗木を植えようとしたところ、
 大量の金属片が出土して、
 地元の考古学者・原田大六氏の指揮下で
 発掘調査が行われた。


平原墳丘墓群 配置図

伊都国の王墓と考えられている
 1号墓を中心とした墳墓遺跡


1号墓
東西14m・南北11mの長方形の墳丘を周溝が囲んでいる。
後述

2号墓
東西の長さ7mほどの隅丸方形墳墓
中央に舟形木棺の痕跡がある。
周溝と周溝周辺で土器が出土
弥生時代終末~古墳時代初頭の築造と推定されている。

3号墓
径6.3~6.4mの円墳
主体部は不明
中央付近から刀子1が出土
周溝から滑石製臼玉、ガラス小玉、鉄鏃、土師器が出土
古墳時代前期前半の築造と推定されている。

4号墓
径5mほどの円墳
中央部から土壙墓を検出している

5号墓
5.6×5.2mの隅丸方形の墳丘墓
墳丘裾から土器棺が出土
群中最古
付近から2面分の銅鏡片が採集されている。

平原王墓(1号墓)は、墳丘が復元されている。

 平原王墓(1号墓)
 平原王墓(1号墓)は  14m×12mの四隅が丸い長方形の墳丘を周溝が囲んでいる。
 墳丘中央部の4.6×3.5mの墓壙に長さ3m・幅82cmの割竹形木棺が納められていた。
  木棺内部は朱が塗られていて、ガラス製勾玉・ガラス製小玉(約500個)が出土。
 棺の内外から、40面の破砕された銅鏡、鉄素環頭太刀、
  耳トウ(ジトウ・女性用ピアス)、瑪瑙管玉が出土。(出土品は国宝)
 銅鏡のなかには直径46.5cmの内行花文鏡が5枚、日本最大の銅鏡
  ひとつの墓から出土した銅鏡の枚数も弥生時代としては日本一。
 副葬品の中に武器がほとんどないこと、装身具が多いこと、
  中国で女性が身につける「耳とう」といわれるイヤリングが
   副葬されていることなどから、埋葬されたのは女性と考えられている。
 出土品  下の写真は 鏡 
   右の写真は・瑠璃(ガラス)紺色小玉
     勾玉  太刀 メノウ管玉

(説明板から)

(パンフレットから)

平原王墓

周溝跡も表されている。

平原王墓 方向を変えて見る

出土した鏡などをデザインしたモニュメント

説明板やパンフレットは豊富な内容なのだが、実際に見学できるのは、平原1号墓の復元墳丘のみ。
想像を膨らませて、弥生時代の女王を偲びます…。

曽根遺跡群の古墳3基
曽根遺跡として国史跡
糸島市曽根
見学日2022/5/13

平原遺跡の南、1.5kmのところに3基の古墳がある。
平原遺跡も含めて、曽根遺跡群として国史跡となっている。

銭瓶塚古墳 (曽根遺跡群) 国史跡 糸島市曽根

銭瓶塚古墳 平面図
   (説明板から)
写真下の黒いのは
出土品の 左・岩偶   右・家形埴輪



銭瓶塚古墳は 全長50mの帆立貝式古墳
 後円部の直径37m・高さ5m、前方部長さ16m
前方部が西を向く。
 後円部は3段築成  斜面には葺石
 周囲には幅6mの馬蹄形の濠がめぐる。
 周溝内から、円筒埴輪、朝顔形埴輪、動物・家などの形象埴輪が出土
 2003(平成15)年には、
  くびれ部付近の周濠内から人面をかたどった岩偶が出土している。
 内部構造は未調査のため不明。
 5世紀後半の築造と推定されている。
 曽根丘陵の中央部に位置する。
 前方部と後円部の一部を道路によって壊されている。  (糸島市のHPから)

後円部

後円部頂に三角点がある。

道路で分断されているが、
道路の向こうまで前方部がある。

前方部から後円部を見る
間に道路
 グーグルマップの航空写真を見ると、前方部の痕跡を見ることができる。

     

狐塚古墳 (曽根遺跡群)  国史跡 糸島市曽根
 狐塚古墳は  直径33mの円墳  高さ4m
 3段築成 葺石あり
 周囲には幅幅6~10mの濠がめぐる。
 墳頂部で竪穴式石室1基と横穴式石室1基が確認されている。
 主となるものは横穴式石室で長さ2.6m・幅1.65m。
  石室はかなり壊されて一部しか残されていなかった。
  石室内は板石によって4区画に仕切られて、床面には石が敷かれていた。
  刀子5本、鉄鏃2本、鉄斧1個などが出土。
 小型の竪穴式石室もかなり壊されていて、石室の石材はまったく残っていない。
  石室は長さ1.3m・幅0.9mほどと考えられている。漆塗りの竪櫛や鉄矛が出土、
 5世紀前半の築造と推定されている。
 曽根丘陵の東端部に位置する。     (糸島市のHPから)
  (説明板があるはずだが、見て来なかった)

狐塚古墳の石室と周溝は埋め戻されている。元の高さは現在より1mほど高かった。

墳頂から裾を見下ろす。墳頂に石材

墳裾に集められているのは葺石か

 

ワレ塚古墳 (曽根遺跡群) 国史跡 糸島市曽根
 ワレ塚古墳は  全長43mの帆立貝式古墳。前方部を北に向ける。
 後円部径29m・高さ4.5m、 前方部長さ15m・高さ0.6m、
 周濠あり 後円部は3段築成  斜面には葺石
 内部構造は未調査のため不明。
  円筒埴輪や朝顔形埴輪、馬形埴輪、須恵器などが出土。
 5世紀末頃の築造と推定されている。。
 曽根丘陵の中央部に位置する。     (糸島市のHPから)

(説明板から)

南の道路沿いに説明板がある
 奥に前方部がある
後円部の墳頂は大きく抉れている

左奥に前方部  右手前が後円部

横姿 前方部が後円部に比べかなり低くなっている。
宅地の造成などにより一部壊されている。

  

三雲遺跡群の古墳2基
築山古墳・端山古墳
糸島市三雲地区
見学日2022/5/13

曽根遺跡群の3基の古墳の東約1kmには三雲遺跡群に属する2基の古墳がある。
そばにある弥生時代の集落跡・墓地跡の「三雲・井原遺跡」は、
  2017年に国史跡となったが、この2基の古墳は国史跡には含まれていないようだ。

築山古墳は三雲東公民館の隣りにある。

築山古墳  (三雲遺跡群) 糸島市三雲寺口
見学日2022/5/13
 
築山古墳は 全長60mの帆立貝式古墳
 後円部径約49m・高さ約8m、
 前方部幅約25m・長さ約15m、
葺石・埴輪を備える。
周囲には盾形の濠がめぐる。
内部構造は未調査のため不明、
周濠部から円筒埴輪や壺形埴輪が出土。
4世紀末頃の築造と推定されている。 

南から見た墳丘 左奥に前方部があるはず

後円部上り口

墳頂にある東観音堂

墳頂から前方部を見る 
前方部はほとんど削られている。

端山古墳の後円部は、築山古墳約100mの農地の真ん中にある。
 消えそうな説明板は北の道路沿いにある。
 後円部北にあるはずの前方部はすっかり削られて、痕跡も見つけられない…。 
 農地のなかにあるので近づきにくい。

端山古墳 (三雲遺跡群) 糸島市三雲
見学日2022/5/13

端山古墳周濠区画復元図
 (説明板から)

端山古墳は 全長78.5mの前方後円墳
 後円部径42m・高さ8m、前方部幅23m、
後円部3段・前方部2段築成
葺石あり 盾形の周濠あり
前方部は破壊され、現在は円墳状になっている。
内部構造は未調査のため不明。
周辺で出土した土器から
 4世紀初頭の築造と推定されている。

東の道路から見た端山古墳後円部

北から見た後円部
手前には、前方部があったはず

古い記録には付近に茶臼塚と呼ばれる古墳も存在したことが記されているが、
 その位置は現在確認されていないそうだ。    

古賀埼古墳
市史跡 (有形文化財・考古資料)
糸島市西堂
見学日2022/5/13

西堂集落の北の独立丘陵上にあり、車で頂上まで登れる。
破壊された石室が露出している。


古賀埼古墳
本来の形は不明だが、
前方後円墳の可能性がある。



破壊された横穴式石室が露出
玄室は長さ2.9m・幅2.1~2.2m
で両袖式、
羨道は、長さ1.2m・幅0.9m
 未盗掘の石室から、
  須恵器、土師器、馬具、武具(単龍環頭太刀、鉄鏃など)、農工具、装身具などが出土、
 6世紀中ごろの築造と推定されている。

出土品 (説明板から)


単龍環頭太刀
装身具
 金環・銀製空玉・管玉・ガラス玉
馬具
 杏葉・轡
須恵器

頂上には、お堂がある。

破壊された石室
手前が玄室 奥は羨道部

玄室の石が崩れている。
閉塞石は閉じられたまま
だという

後円部から前方部を見る

後円部 石室のある所以外は低くなっている

  

井原1号墳
市史跡
糸島市井原
見学日2022/5/13

古賀埼古墳の南東400mにある。広い農地の中にあり、遠くからでもすぐわかる。

 井原1号墳は  全長43mの前方後円墳
  後円部径25m・高さ3.6m、前方部幅25m、
 後円部3段・前方部2段築成 葺石あり。
 後円部墳頂中央に全長2.5mほどの箱式石棺か発見された。
  石棺石材の多くは抜き取られていたが、北小口の石が残っていた。
  側壁の一部が墳頂部に残されている。
 棺外から鉄剣や鉄鏃、工具(鋸・斧・ヤリガンナ・錐)などが出土した。
 4世紀の築造と推定されている。
墳丘図    
(以上 説明板から)

右に前方部  北北西に前方部がある。

後円部側 南の道路に説明板がある

右手前が後円部 左奥が前方部

  
 

糸島市を離れ再び福岡市へ。 

今宿古墳群
国指定史跡
福岡市西区
見学日2022/5/13

西区の今宿古墳群の見学。

今宿古墳群として国指定史跡になっているのは
 山ノ鼻1号墳、若八幡宮古墳、鋤崎古墳、丸隈山古墳、今宿大塚古墳、飯氏二塚古墳、兜塚古墳 

 今宿古墳群は、
  高祖山から北に向かって八つ手状に延びる丘陵部及び丘陵裾部の今宿平野にあり、
  4世紀から6世紀後半の13基の前方後円墳を含む古墳群
 東西3km・南北2kmほどの今宿平野は、
  西に高祖山塊、東は叶岳から延びる長垂山塊によって福岡平野と分けられていて、
  かつては今宿平野北側の糸島半島基部には東から古今津湾が深く入り込んでいた。
今宿平野周辺の古墳群分布図 13基の前方後円墳
       (飯氏二塚古墳説明板に加筆)
1 飯氏二塚古墳
2 飯氏鏡原古墳
3 兜塚古墳
4 飯氏B14号墳
5 丸隈山古墳
6 山の鼻2号墳
7 山の鼻1号墳
8 若八幡宮古墳
9 下谷古墳
10 今宿大塚古墳
11 谷上B1号墳
12 本村A1号墳
13 鋤崎古墳
 13基の前方後円墳と
  300基以上の円墳が高祖山北麓に分布している。

飯氏二塚古墳は、北側に駐車場(どこのかは不明だが)があるので、駐車させてもらって見学。

飯氏二塚古墳  国指定史跡今宿古墳群 福岡市西区飯氏
 飯氏二塚古墳は 標高30~35mの低丘陵上に立地する
 全長48mの前方後円墳 高さ5m以上
  後円部径23m・前方部幅33m、
 前方部・後円部ともに2段築成 斜面に葺石あり 埴輪は見つかっていない。
 後円部中央にある横穴式石室は石材の多くが失われていている。
  石室長さ3.3m・幅2.4m
 出土遺物は装身具や馬具、須恵器などが出土。
 6世紀初頭~前半頃の築造と推定されている。

飯氏二塚古墳
(古墳辞典から)

外表では、くびれ部に
 多量の須恵器と勾玉、
 器台の土製品が出土している

1993年(平成5)に確認調査
説明板から

飯氏二塚古墳復元図

後ろの林の中に保存されている。
前方部先端

前方部から後円部を見る
後円部から前方部を見る
後円部の石室跡
石材が抜かれ大穴が開いている

前方部斜面に落ちていた陶片
埴輪の一部?

飯氏二塚古墳から東に延びる山道を行くと左の林の中に説明板が見えるのが、兜塚古墳。

冑塚古墳 国指定史跡今宿古墳群 福岡市西区飯氏
 冑塚古墳は 高祖山から延びる丘陵先端部に立地。
  全長53m以上の帆立貝形前方後円墳。 後円部径43m・高さ6m、
 後円部2段築成 斜面には葺石あり
 後円部南東側に開口する横穴式石室は、玄室部長さ4.4m・幅2.2~2.4m・高さ1.6m、
  羨道部は盗掘により一部損壊している。
 装身具や武器、武具、馬具、埴輪などが出土。
 5世紀後半頃の築造と推定されている。
 後円部頂部付近では平安時代の経筒が出土していて、
   後世には経塚として利用されていたと考えられている。

兜塚古墳墳形復元図

   

    (説明板から)

前方部から後円部を見る
前方部は削平か

前方部側から後円部を   
 掘りこんで造られた石室



石室内部

 石室奥壁は小さい石材で構築されている

 丸隈山古墳は、墳丘北に駐車場がある。

丸隈山古墳  国指定史跡今宿古墳群 福岡市西区周船寺
 丸隈山古墳は  全長85mの前方後円墳
  後円部径60m・高さ約8m、前方部最大幅45m、
 後円部3段築成、前方部2段築成(一部3段築成)
 斜面に葺石  テラスには埴輪がある。
     (円筒埴輪、朝顔形埴輪、盾・水鳥などの形象埴輪)
 後円部中央上部に初期の横穴式石室が開口
 長さ4m・幅2.4m・高さ2mの玄室内に
  中央の壁を共有する2基の並列の組合式石棺
がある。
 男性人骨のほか銅鏡2面、巴形銅器、玉類(勾玉・管玉・小玉)、刀、剣、鉄鏃などが出土。
 5世紀前半の築造と推定されている。
(説明板から)

北側の前方部先端の上り口

前方部から後円部を見る

後円部の石室保存庫

石室内部 石棺2基

石室背後の後円部残丘

後円部から前方部を見る

山ノ鼻1号墳は山ノ鼻古墳公園に保存されているが、駐車場はないので、
    北側のイオンモールに駐車。

山ノ鼻1号古墳  国指定史跡今宿古墳群 福岡市西区徳永

 山ノ鼻1号墳は   全長37mの前方後円墳。後円部径21m、
  後円部3段築成・前方部2段築成
 葺石を備える。埴輪は確認されていない。
 埋葬施設は不明だが、赤色顔料の付いた板石材が見つかっていて、
   竪穴式石室があった可能性がある。
 銅鏡片や土師器などが出土している。
 4世紀前半の築造と推定されている。
 発掘調査は、平成2年(1990)と平成11・12年(1999・2000)

(説明板から)

山ノ鼻1号墳 右に後円部 下から見上げる
元はかなり崩れていて、復元されている。遊歩道となっている。

前方部から後円部を見る

後円部から前方部を見る

山ノ鼻1号墳の高速道路を挟んで南側に、若八幡宮古墳がある。
若八幡宮古墳は、神社の駐車場があると聞いていたが、鎖があって入れなかったので、路駐。

若八幡宮古墳  国指定史跡今宿古墳群 福岡市西区徳永

(説明が簡単過ぎる)
若八幡古墳は 標高29mの丘陵上に立地する
全長47mの前方後円墳
 後円部径25m・前方部長さ25m、
後円部3段築成・前方部2段築成 
 葺石あり
後円部中央部分の舟形木棺(直葬)は
 長さ2.53m・幅0.7~1.05mから
 三角縁神獣鏡や
 玉類、武器、土師器などが出土。
4世紀後半の築造と推定されている。
若八幡宮古墳
  (古墳辞典から)
若八幡宮社殿東側にある。

1970年(昭和45)に発掘調査
同じ丘陵上には、他に
 山の鼻1号墳・2号墳・下谷古墳の
  3基の前方後円墳が立地する

若八幡宮神社

後ろに若八幡宮古墳の後円部がある

後円部 前方部は木が茂って見通せない

後円部上

今宿大塚古墳も公園になっているが、駐車場がないので、近くのお店の駐車場に駐車。

今宿大塚古墳  国指定史跡今宿古墳群 福岡市西区今宿大塚
見学日2022/5/13
 今宿大塚古墳は 全長64mの前方後円墳 高さ6.5m
 周囲には2重の堀と堤が盾形にめぐり、外堀を含めた全長は約100mとなる。
 墳丘は2段築成  葺石あり
 円筒・朝顔形埴輪や・武人・馬などの形象埴輪がある。須恵器も出土。
 内部構造は未調査のため不明(横穴式石室か?)
 6世紀前半の築造と推定されている。

古墳の外形

1970年代の航空写真
(説明板から)

全景
南から見る



墳丘に上がるのは禁止なので
 周りを撮影するだけ

東から見る

北から見る

北西から見る

前方部手前(西側)から見る

高速道路のすぐ南の道路沿いに鋤埼古墳の説明板がある。
西にあるコンビニに駐車して、全景の写真を撮る。

 鋤埼古墳  国指定史跡今宿古墳群  福岡市西区今宿青木鋤崎
 鋤埼古墳は  全長62mの前方後円墳 
 3段築成 斜面には葺石 テラスには埴輪列がある
 後円部の上部中央にある横穴式石室は板石を積み上げてつくられていて、
  石棺や埴輪棺、木棺が納められていて、3体の遺体を埋葬したと考えられている。
 銅鏡や玉類、武器、農工具などが出土した。
 前方部でも埴輪棺が4基見つかっている。
 4世紀末頃の築造と推定されている。

左 鋤崎古墳墳丘測量図

右 鋤崎古墳石室図

石室全景

石室内埋葬施設
(説明板から)

北から見る鋤崎古墳

墳丘 右奥前方部


午後6時を過ぎた  
石丸入口ICから、百道(モモチ)出口まで、5分間の都市高速利用で   
  6時半には、宿泊先の 平和台ホテル大手門(福岡市中央区大手門)に到着。 
東100mの24H駐車場に駐車。
軽朝食付(パン・スープ・飲み物)のプランで、夕食はない。
そばのコンビニで買い物して、部屋で夕食。

今晩の夕食
セブンイレブン弁当


今回の旅は残すところあと2日。

那珂八幡古墳 につづく

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