北村さんちの遺跡めぐり」
更新日2022/10/17

初めての九州 大分県と福岡県
福岡県5  久留米市2・朝倉市
2022/5/7~5/15

九州遺跡めぐりの旅、5日目(2022/5/11)。
ようやく耳納山の北麓の古墳見学を終えて、久留米市の市街地に近づいてきた。
5日目後半です!

周辺の地図g

祇園山古墳
県史跡
久留米市御井町
見学日2022/5/11

九州縦貫自動車道久留米ICの南約2km、高良山へ向かう道を、九州道の高架をくぐってすぐ右の側道の突き当たり。
駐車スペースあります。

 祇園山古墳は 一辺22.9mの方墳 高さ5m
 葺石あり
 墳頂部のほぼ中央に収められた箱式石棺は、長さ2m・幅0.9m・深さ0.9m
 棺内は蓋石も含めて朱が塗られている
 副葬品の出土はない
 祇園山古墳の墳丘外周からは、
  甕棺墓3、石蓋土壙墓32、箱式石棺墓7、
  竪穴式石室13、不明7基の埋葬施設が確認されている。

 第1号甕棺から、銅鏡片や勾玉・管玉が出土している。
 3世紀中ごろの築造と推定されている。



墳丘測量図

(いずれも説明板から)

上り口 左上が墳丘

墳頂

箱式石棺

墳頂からの景色 手前は高速道路

   

礫山古墳
県史跡
久留米市御井町
見学日2022/5/11

高良山へ登る道路の4つ目のカーブの東側に覆屋があり、石棺が保存されている。
道路脇に駐車スペースあり。 説明板がない。

 礫山(ツブテヤマ)古墳は  覆い屋の中に、岩盤を舟形にくり抜いた棺(磐棺)が4基保存されている。
 石枕があり、 赤色顔料も使われている。 

墳丘?

覆い屋

左側

右側

直接岩を彫って、石棺を作ってあるというのはめずらしい。  

高良大社 久留米市御井町
見学日2022/5/11

礫山古墳に行く途中に高良大社の二の鳥居がある。


高良大社筑後一宮
社地は高良山の西の山腹で、
「神籠石」の列が周囲を囲んでいる。

山下の大鳥居は国重要文化財

社有地のほとんどは
「史跡高良山神籠石」として
国指定史跡

となっている。


高良神社の二の鳥居

本当は見学したかったが時間の関係で、二の鳥居でお参りしておしまいです…

筑後国府跡
国史跡
久留米市合川町
見学日2022/5/11

祇園山の北西約1.5km、石碑と説明板がある。大きい説明板があるので、4つに分けで紹介する。


出土品と航空写真 
 7世紀末、“筑後国”の国府は、久留米市合川町一帯に置かれていた。
 「筑後国府跡」は、発掘調査の結果、第1期から4期まで3回も移転していたこと、
 約500年間にわたって続いたことか分かってきている。
 現在は、埋め戻された一部の発掘現場が残されているのみ。
 昭和36年(1981)から発掘調査 平成8年に国指定史跡となる。



「筑後国府跡」石碑と
説明板がある。


あとは空き地

筑後国分寺跡は、久留米市国分町の日吉神社境内に僧寺跡が確認されていて、
その北約200mの「字西村」に尼寺跡が推定されている 。
久留米市指定史跡に指定されている。
住宅街の中にあり、遺構は失われつつある。
聖武天皇 の詔による建立とされるが、創建の記録は残っていない。

大谷古墳群
市史跡
久留米市高良内町字大谷
見学日2022/5/11

高良山の南麓の八幡宮境内に古墳がある。

八幡宮
左の石碑の後ろに1号墳が見えている。


もとはたくさんの古墳があったと思われるが、
八幡宮周辺に3基が残っているだけ。
     



1号墳の前にある説明板

1号墳と3号墳が
平成11・12年度に発掘調査された。


3基残されているというが、
1号墳と3号墳のことしか
書かれていない



 1号墳(高良内古墳) 鳥居のすぐ脇にある。
 径18mの円墳 周溝がある。
 複室構造の横穴式石室がある。
  玄室は筑後地方特有の円形に近いドーム状
 石室から、ガラス玉や貝輪、耳環などの装飾品、馬具、土器などが出土。



1号墳石室実測図

(説明板から)

1号墳 墳丘

石室は埋め戻されて、天井石が露出している。
 3号墳  すぐそばの公民館裏にある
 径30mの大きな円墳 石室の一部が露出

3号墳  だいぶ削られているかな

方向を変えて見る

 もう1基はどこにあるのだろうか?

浦山古墳
国史跡
久留米市高良内町字大谷
見学日2022/5/11

大本山成田山久留米分院明王寺境内の東側にあるのは浦山古墳。


成田山久留米分院明王寺

左・平和大仏塔納骨堂 右・救世慈母大観音
どちらも巨大です!
 浦山古墳は、全長60mの帆立貝式古墳
 葺石あり 円筒埴輪あり
 後円部の中央上部ににある横穴式石室は、全長2.8m
  内部に阿蘇凝灰岩製の横口式家形石棺がある。

石棺は、屋根に4個の環状縄掛突起があり、
入口にははめ込み扉と
それを押さえる閂をもった精巧な構造。

石棺内には全面に赤色顔料が塗られていて、
直弧文同心円文、鍵手文の装飾文様が線刻されている。
 明治以降に行われた数回の発掘で、刀剣・勾玉・金環・甲冑などが出土したと伝えられている。
 5世紀後半の築造と推定されている。

前方部から後円部を見る
前方部の大半が消失している

石室保存庫
すき間が空いてるところがあって、石室が見えた。


横穴式石室の前(天井か)が開口している。

内部には石棺が納められている。

 浦山古墳と県道を挟んだ南側の浦山公園には、
  久留米市内の古墳を紹介した施設・浦山古墳館と浦山古墳群が整備されているそうだ。  

鷲塚古墳
市史跡
久留米市荒木町
見学日2022/5/11

隣りのコミュニティセンターに駐車できるかと思ったが満車で、路駐して写真だけ撮る。

鷲塚古墳
50~60mの前方後円墳

須恵器が出土
前方部の石棺から
 変形獣帯文鏡が出土

削られていて原形を留めていない

本山古墳、二子塚古墳、銚子塚古墳は消滅している。

右に前方部 南から見る

東から見る 埴輪が復元されている。

前方部から後円部を見る

後円部から前方部を見る

     

御塚古墳・権現塚古墳
国史跡
久留米市大善寺町宮本
見学日2022/5/11

筑後川支流の広川右岸の独立低台地に帆立貝形古墳と大型円墳が並ぶ。



御塚古墳
 墳長70mの帆立貝式古墳

3重の周濠・周堤がある。
全て含めると全長120m以上となる。

陸橋が3ヶ所確認されている。

内部構造は不明

盗掘されているが、石人がいたようだ。

円筒埴輪や形象埴輪、
 土師器、新羅系須恵器などが出土。


5世紀後半の築造と推定されている。



昭和47・61年度に発掘調査

御塚古墳 全景

後円部の周濠と周堤

後円部の二重目周濠と周堤

水を湛えた一重目周濠と周堤 後円部側

後円部墳丘

後円部の一重目周堤帯の向こうに見える後円部

東側に権現塚古墳。



権現塚古墳
 直径55m・高さ8mの円墳

2重の周濠と周堤がある。
全て含めると直径150m以上

西都原古墳群の
 男狭穂塚古墳(径167m)に次ぐ
 九州第2位の大円墳となる。

内部構造は未調査のため不明。


内提(第1提)には
 円筒埴輪が並んでいる。

他に形象埴輪、土師器、
 新羅系須恵器などが出土


周堤部から出土した人物埴輪は
 1974(昭和49)年に
 市の有形文化財・考古資料に
 指定された。

5世紀末~6世紀前半の
 築造と推定
されている。


昭和47・60年度に発掘調査

全景

濠は水をたたえている

渡り堤がある。

大きすぎて全体がわからない。墳丘内には入れない。

日輪寺古墳
国史跡
久留米市京町
見学日2022/5/11

筑後川とJR久留米駅の間にある日輪寺境内にある。お寺の駐車場がある。
住職様に見学のお願いをしたら石室覆い屋まで案内して下さった。
装飾古墳だが、よく見えない。

 日輪寺古墳は 全長50mの前方後円墳
 現在は 径22mの後円部と前方部の一部を残すだけ。
 両袖型の横穴式石室は、肥後型石室といわれるもので、
  本来は、側壁から強く持ち送りながら、天井部はドーム状になっていたと考えられている
 石室上部と羨道部が失われているが、玄室が覆屋で保護されている。
  玄室部長さ3.1m・幅2.3m、
 壁面下部に沿って据えられた阿蘇凝灰岩製の石障には、
  鍵手文や同心円文を交互に配した線刻文様
  4個の方柱状の小さな突起がみられる
 出土遺物は四獣鏡・銅環・鉄刀・鉄鏃・玉類・土師器・須恵器・石枕など。
 5世紀後半~6世紀初頭の築造と推定されている。

駐車場から見た墳丘

日輪寺入口

境内へ

可愛い涎掛けを付けた石仏群

覆い屋の中の石室 ほとんどの石積は復元
基底部あたりしか残っていなかった。

壁に沿って石障がコの字形に置かれている。
石障に装飾がある。

石障を拡大してみたが
 文様はほとんど見えない

肉眼ではうっすらと文様が見えるのだが…。

今晩は、旅行前半の洗濯をしたいので、早めに切り上げて(午後5時半)、昨晩夕食をとったフレスポ鳥栖へ。
コインランドリーで洗濯物をセットして、洗濯の間にフレスポ「オムライス亭」にて、夕食。



 フレスポオムライス亭 

おすすめBセット 

じっくり煮込んだビーフオムライス 


約1時間で洗濯が終わって、引き取り、
2泊目の宿泊 「ホテルビアントス」へ。 佐賀県鳥栖市!

旅行6日目(2022/5/12木曜日) 朝から雨です。
バイキングの朝食を食べて、8時半出発。
鳥栖ICから甘木ICへ、10分間の高速利用で朝倉市に到着。

周辺の地図g

小田茶臼塚古墳
国史跡
朝倉市小田
見学日2022/5/12

道路沿いに説明板がある。駐車スペースあり。


小田茶臼塚古墳
 全長55mの前方後円墳
  後円部径40m・高さ5m
  前方部幅25m・高さ3m

北側に前方部がある。

前方部2段・後円部3段築成

周囲に幅5mの周溝がある。

葺石あり
 墳丘平坦面やくびれ部付近で、円筒埴輪や朝顔形埴輪、須恵器などが出土
 南西に向く竪穴系横穴式石室は、全長4.5m、
  玄室部奥行3.5m・幅約2m・高さ1.6m
 石室内部は赤く塗られている。 この地方では最古の石室と考えられている。
 玉類や武器・武具、馬具などが出土
 5世紀後半の築造と推定されている。

南側道路沿いに説明板がある。

昭和3年の道路工事で、南半分が削られて、
その際石室が発見された。

後円部

後円部の石室跡か?

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

横姿

後円部(右側)は削られて
 小さくなっている。

前方部(左側)が北にある

    

宮地獄公園の古墳
湯の隈装飾古墳・宮地嶽古墳
市史跡
朝倉市宮野
見学日2022/5/12

独立丘陵・宮地嶽の一帯は宮地嶽公園となっている。
案内図があるが、剥げているので紹介しない。

宮地嶽の南西側中腹にあるテラス状の台地に湯の隈装飾古墳がある。
名前の通り、装飾古墳だ。

 湯の隈装飾古墳  市史跡
 湯の隈装飾古墳は 直径20m(現状15m)・高さ4mの円墳
 南西方向に開口する複室構造の横穴式石室は、玄室・前室・羨道からなる。
 玄室奥壁と玄門の左右に側壁には赤を帯びた同心円がかすかに残っていて、
  筑後以北にある数少ない装飾古墳のひとつ。
 江戸時代前期には既に開口していたらしく、
 筑前続風土記には「湯ノ隈の後の山の石窟」として記されている。
 6世紀後半の築造と推定されている。 
 風化のために肉眼では文様等はほとんどわからない

周囲が削られて、いびつな形になっている

石室開口部 柵がある


石室内部

同心円は、確認できない。

宮地嶽の丘陵上に10基程の古墳が群集している。宮地嶽前方後円墳は山頂付近にある。
宮地獄神社の駐車場がある。

 宮地嶽古墳  市史跡
 宮地嶽古墳は 全長50mの前方後円墳  後円部直径30m・高さ4m
  前方部が西南西を向く。
 埋葬施設は未調査
 円筒埴輪 朝顔形埴輪が確認されている
 4世紀後半の築造と推定されている。
 平成13年度に調査。

宮地獄神社

祭神は
 神功皇后 勝村大神 勝依大神

 西暦660年、斉明天皇の代、朝鮮半島の百済が唐と新羅の連合軍に滅ぼされ、
  日本朝廷に救援を求めてきたので、天皇は文武百官を引き連れ、
  大和の国より筑紫の国「朝倉橘広庭宮」に入られ、遠征の軍備をすすめられた。
 斉明天皇は故事にならい、この山上において、天地の神々に祈願されたといわれている。

前方部から後円部を見る

後円部から前方部を見る

後円部側から見る

  

貸し椀の穴古墳
市史跡
朝倉市柿原
見学日2022/5/12

国道386号線沿いにある高住神社の社殿裏西にある。
コンビニに駐車させてもらえばよかったのに、神社に入る狭い道で脱輪。
車屋さんへの連絡やなんやかやでモタモタしながら見学。
古墳についての説明板は無くて、朝倉市保存樹木ムクロジュの説明板に少しだけ古墳の説明がある。

 貸し椀の穴古墳は 径15mほどの円墳  椀貸し伝説のある古墳。
 複室構造の横穴式石室は全長約10m   巨石を使用した大型石室。 

高住神社
鳥居の右にあるのが、保存樹木ムクロジュ

墳丘

石室開口部

入口から石室内部を見る

前室から玄室を見る

玄室奥壁

玄室から 前室・開口部を見る

前室から開口部を見る

脱輪のため、椀の貸し穴古墳で1時間以上足止め…
車は復活したが、もうすぐお昼になりそう…。

仙道古墳 につづく

福岡県トップ へ

目次トップページ