北村さんちの遺跡めぐり」
更新日2022/10/1

初めての九州 大分県と福岡県(7)
福岡県4  うきは市・久留米市1
2022/5/7~5/15

九州遺跡めぐりの旅、5日目(2022/5/11)となります。
朝食バイキングを頂いて、8時前に佐賀県鳥栖市のホテルビアントスを出発。

鳥栖ICから九州横断自動車道で朝倉ICまで行って、うきは市の古墳を見学!
雨が降っている。

周辺の地図g

若宮古墳群
国史跡
うきは市吉井町若宮周辺
見学日2022/5/11

うきは市吉井町の若宮八幡宮周辺に前方部を西に向ける前方後円墳が3基ある。
地形的には、筑後川中流域、耳納山地裾部から筑後川に向かう緩やかな傾斜地の沖積地ということになる。
築造順に、月岡古墳(5世紀中)、塚堂古墳(5世紀終わり)、日岡古墳(6世紀前半)。

若宮八幡宮境内の東の駐車場のそばにあるのが、日岡古墳。

 日岡古墳 ヒノオカコフン   (若宮古墳群) 国史跡
説明板
 全長74mの前方後円墳
  後円部径40m・高さ5m 前方部幅40m・高さ4m
 周囲には濠がめぐる。  葺石あり
 南西のくびれ部に開口する横穴式石室は 玄室部長さ3.9m・幅2.8mの両袖式
 石室の壁全体に様々な文様が描かれている。
  奥壁全面には赤・白・緑色で、同心円文・蕨手文・三角文
   周壁には赤・白・青色を使い、同心円文や三角文や、
   盾や靫、大刀などの武具・魚・船・馬・獣などの文様が描かれている。
 6世紀前半の築造と推定されている。 

日岡古墳 墳丘
前方部は西を向く

日岡古墳 石室の壁画
(いずれも古墳辞典から)


北から見た墳丘
左後円部

前方部前面

前方部上の小社

前方部から後円部を見る
後円部には石室覆い屋がある
(コンクリート製)

石室覆い屋の後ろには
 旧石室覆屋が残されている。

昭和39年まで使われていた。

後円部から前方部を見る

後円部北側脇から前方部を見る
  王塚古墳館展示から

石室内部

石室図

   

 若宮八幡神社

鳥居

楼門

境内

社殿


市指定文化財(第1号)の狛犬(一対)

弘化2年の記年銘が残る青銅製の狛犬
江戸時代、吉井の豪商で
室屋と称した藤江伴右衛門の寄進

 このほかに若宮八幡宮燈籠(一対)も、市指定文化財(第2号)だが、
  現在、本殿の中にある。
 この燈籠は、天保15年(1844)の記年銘がある。狛犬と同様、藤江伴右衛門の寄進。

月岡古墳は、 若宮八幡宮の境内北西隅にある。
石棺の見学は申し込みが必要だ。

 月岡古墳 ツキノオカコフン  (若宮古墳群) 国史跡
説明板
 月岡古墳は 全長80mの前方後円墳  高さは後円部7m・前方部6m
  後円部径54m、前方部幅54m
 基壇を含めた古墳の全長は90m以上となる。
 前方部の外側に3重の濠がめぐっていた。
 江戸時代に発掘されて、竪穴式石室は破壊されているが、
  長持形石棺長さ5.5m×幅2.mが墳丘上の社殿内に保存されている。
  石棺は阿蘇溶結凝灰岩製組合石棺で、蓋には縄掛突起がある。
 石室、石棺内から鏡や玉類、金銅製武具、帯金具、鉄製武器、馬具などが出土。
 5世紀中頃の築造と推定されている。
 出土した副葬品・発掘記録は、国の重要文化財・考古資料に指定されていて、
 市史民俗資料館に展示されている。

長持形石棺

  (古墳辞典から)

北の道路から見た墳丘
 左後円部

後円部上り口

後円部上の芭蕉句碑
「百年のけしきを庭の落葉かな」

長持形石棺がご神体として、
後円部上の社殿内に保管されている。

中は見えない

社殿の土台の石は、
月岡古墳の竪穴式石室の天井石。

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

若宮八幡神社の東約600mのところに塚堂古墳がある。

 塚堂古墳 ツカンドウコフン  (若宮古墳群)   国史跡       うきは市吉井町宮田
説明板

 塚堂古墳は 全長90mの前方後円墳。  後円部径64m 後円部高さ8m・前方部高さ7.5m
 周囲には、幅8~10mの内濠・内提・外濠があったが、北側には外濠はなかったとみられる
 葺石あり
 円筒埴輪や形象埴輪(人物・動物・盾・靫・蓋・家形など)が出土
 前方部、後円部それぞれに横穴式石室がある
 後円部の石室は組合式石棺が納められていたが、大破している。

 前方部の石室は、未盗掘の古式の横穴式石室で、玄室長3.1m、幅1.6m、高さ1.9m、
  割石を小口積みし、壁面は赤く塗られていた。
  前壁を除く3壁の各々2ヶ所に刀・鉾を置くための突起があったと伝えられているが現存しない
  首飾りと貝製腕輪を身につけた壮年男性が葬られていた。
 周囲から
  甲、冑1、刀9、鉾2、鉄鏃、神獣鏡1、刀子1、砥石1、工具、針金、
  滑石製有孔円板、滑石製臼玉などが出土
 石室外から、鉄鏃・鞍・工具・雲珠が出土
 5世紀終わりころの築造と推定されている。

基台の上にあるような墳丘

前方部側

南から見た墳丘 
右の後円部の石室は昭和28年に土取りにより破壊、前方部の石室も埋め戻されている。

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

  

朝田古墳群 うきは市浮羽町朝田
見学日2022/5/11

若宮古墳群の南東約2km、3基の前方後円墳と3基の円墳からなる朝田古墳群がある
地形的には、耳納山地から筑後川に向かう扇状地に立地ということとなる。

史跡指定はされていないので、石室が見学できる妙覚古墳。

 妙覚古墳   (朝田古墳群) 史跡指定はされていないようだ
 墳丘は大きく削られ、羨道を失った複室構造の横穴式石室が開口している

北西から見た墳丘 石室付近しか残っていない

西に開口している

前室から玄室を見る

玄室奥壁

奥壁上部から天井部分

玄室内部から開口部を見る

玄室か見たら前室

南から見た墳丘

 妙覚古墳のすぐ南の道路沿いにあるのは塚花塚古墳。

 塚花塚古墳    (朝田古墳群)
国史跡
説明板
 塚花塚古墳は  径30mの円墳 高さ6m
 西南西に開口する 複室構造の大型横穴式石室は、羨道を失っているが、全長8m
  安山岩の巨石でつくられている。
  奥壁を中心に多くの壁画が描かれている。
 6世紀中頃の築造と推定されている。 

塚花塚古墳 石室と奥壁の壁画
  (古墳辞典から)

奥壁石は
下段に高さ2.5m・幅2mの大石で、
 1石3段積み

墳丘

石室には覆い屋

大正11年に、「楠名・重定古墳」は、国史跡になっている。
重定古墳は、周辺の宅地化等の影響により墳丘はかなり変形している。
古墳前に駐車スペースあります。

 重定古墳   (朝田古墳群) 国史跡
説明板
 重定古墳は  全長70mの前方後円墳 現状長51m、後円部径44m・高さ8.5m
 南に入口をもつ複室構造の横穴式石室は、全長15m
  巨石で築かれていて、奥壁には巨大な石棚がある。
 武器や馬具、須恵器などが出土。
 6世紀後半の築造と推定されている。

石室実測図
   (説明板から)



壁画は玄室の周囲全部と前室の一部に描かれている。
朱色(ベンガラ)緑色(緑青)で、靫、同心円が描かれ、
他に鞆、三角文、蕨手文などもある。


横姿  右に後円部

後円部墳頂

後円部から前方部を見る

石室開口部の覆い屋

前方部裾から見る 右上が後円部

重定古墳の南に楠名古墳。古墳南側には、うきは市の広い駐車場がある。
説明板が見あたらない。

 楠名古墳 クスミョウコフン   (朝田古墳群)
国指定史跡
 直径32m・高さ6mの円墳
 南に開口する複室構造の横穴式石室は、全長18m
  玄室部長さ1.8m・幅2.6m・高さ2m、前室部長さ2.7m・幅4.9m・高さ2.9mを測る。
 玄室よりも大きい前室が墳丘の中心部分に築かれているのが特徴で、
  前室には屍床が3ヶ所設けられている。
 7世紀前半の築造と推定されている。

墳丘

石室開口部
扉は閉じられている。

石室内部

葺石

重定古墳、楠名古墳、塚花塚古墳の石室は申し込みすれば見られるらしい。
朝田古墳群は他に
屋次郎丸古墳(全長約60mの前方後円墳だが、現状は全長約40m 6世紀前半の築造。)
法正寺古墳(現状で全長105mの前方後円墳。未調査 6世紀前半頃の築造)
 などがある。

安富古墳
市史跡
うきは市吉井町福益
見学日2022/5/11

朝田古墳群の西約5kmの安富天満宮境内にある。
墳丘・石室とも完全な状態で残っている。
前は石室内に入れたようだが今は入れない。照明はつかない…。

説明板
 安富古墳は  径15mの円墳 
 完存している複室構造の横穴式石室は、全長約11m
  後室部は長さ約5m・幅約4m・高さ約4m
 コバルトブルーの管玉と小玉が出土ある。
 6世紀末~7世紀初頭の築造と推定されている。。

上り口

社殿に向かう途中に石室が開口している。

開口部 柵がある

石室内部

墳丘 左下に石室開口部

安富天満宮 社殿

以前は石室内に入ることができたらしいが、現在は入れない。

屋形古墳群
うきは市吉井町富永
見学日2022/5/11

安富古墳の西約1kmに
珍敷塚古墳、原古墳、鳥船塚古墳、古畑古墳のなどの円墳から構成される屋形古墳群がある。
石室内に絵が描かれている
地形的に言うと、耳納山麓の扇状地にある古墳群となる。

屋形古墳群の説明板    珍敷塚古墳の石室入口保存庫の前にある。

珍敷塚古墳は県道151号線沿いにあるが、墳丘はなくなっている。

 珍敷塚古墳 メズラシヅカコフン  (屋形古墳群)  国史跡
 珍敷塚古墳は  墳丘は失われているが円墳と推定されている
 6世紀後半の築造と推定されている。
 古墳の発見は1950(昭和25)年、採土工事中に石室石材(花崗岩)が出土。
 現在奥壁と右側壁が残る
  奥壁は幅約2m・高さ約1m、壁面には船を漕ぐ人や鳥、ヒキガエル、靫、蕨手文様などが
  赤や青の顔料と岩肌の地色(黄)を利用して描かれている。
  側壁にも赤の顔料で同心円文が描かれている。 


石室と奥壁壁画
  (古墳辞典から)

耳納山山麓の扇状地に立地するが、
 採土などによって墳丘は削平され、
 横穴式石室も崩壊し、
  奥壁と右側壁の最下段のみが残っている。

珍敷塚古墳保存庫

見学には事前の申込みが必要だ。

珍敷塚古墳のすぐ南にあるのは原古墳。

 原古墳 ハルコフン  (屋形古墳群)  国史跡
説明板
 原古墳は  直径13m・高さ3.5mの円墳
 葺石あり。
 西側に入口をもつ両袖型の横穴式石室は全長8.9m、最大幅2.3m 高さ2.2m
  持ち送りの天井で急角度で積み上げられているので、狭い所で30cmとなっている。
  石室内は床材や壁材がなくなっているが、奥壁だけは元に戻され保存されている。
  羨道部に前室的空間を備える。
 奥壁には赤の顔料で同心円文や靫・鞆・船・櫂を操る人物などが、
  奥壁に接する両側壁にも同心円文が描かれている。
 馬具や土師器、須恵器などが出土。
 6世紀後半の築造と推定されている。
 墳丘東側に建つ覆屋内には奥壁が保存されている。

案内板

墳丘

奥壁保存庫

シートのあるところが、本来の石室入口

さらに南にある鳥船塚古墳。

 鳥船塚古墳    (屋形古墳群)  国史跡
説明板
 鳥船塚古墳の墳丘はすでにないが、円墳であったと推定されている
 西北西に開口する単室の横穴式石室は、全長7mだったが、
  大破していて、奥壁(花崗岩製)の石2個しか現存していない
 赤い顔料で、上の石の中央には矢を防ぐ盾を描く、その直下に同心文、
  さらにその下に船首と船尾に各一羽の鳥をとまらせた船(鳥船)
  左端には太刀を添えた靫2個を表現している
 出土品は不明
 6世紀後半の築造と推定されている。

鳥船塚古墳 石室奥壁の壁画
  (古墳辞典から)

墳丘は採石により破壊され、
 奥壁の上下2段の石が残るだけ。

奥壁保存庫

墳丘はほぼ無くなっている

もう一つ、国史跡の屋形古墳群には古畑古墳があるが、果樹園の中みたいなので見に行かなかった。

 古畑古墳(国史跡)は  直径20m・高さ3m、2段築成の円墳
 円筒埴輪や人物埴輪が採取されている
 南西方向に入口をもつ複室構造の横穴式石室は 全長約7m、
  玄室部長さ3.4m・最大幅2.3m・高さ3m、
 奥壁と側壁の一部に赤色の顔料で同心円文や三角文、手足を広げた人物などが描かれている。
 6世紀後半の築造と推定されている。
 屋形古墳群中で最高所に所在

      

大塚古墳歴史公園
田主丸大塚古墳・大塚2号墳
大塚古墳は国史跡
久留米市田主丸町石垣
見学日2022/5/11

屋形古墳群から西へ約2km、山苞の道沿いに大塚古墳歴史公園内に田主丸大塚古墳が整備されている。
住所は久留米市となる。
北側には、石室が見学できる2号墳がある。
耳納山地の北麓の標高70~80mに位置する。

大塚古墳歴史公園


 

周辺地域の主要古墳分布図   (説明板から)

 たくさんの説明板が設置されている。   

 田主丸大塚古墳 (大塚古墳群) 国史跡
 全長103m、後円部径60mの前方後円墳
 後円部に造り出しがある。(上部が失われているので構造は不明)
 石材を組み上げ、一部を墳丘内に埋め込むような葺石がある。
 埴輪なし
 後円部西側くびれ部付近に入口がある横穴式石室は、石室入り口の前庭部が確認されていて、
  通路幅は2.45m、右側壁高さは4m。詳細は未調査。(平成11年度確認調査)
 周辺古墳の例から推測すると壁画が描かれている可能性がある。
 墓道からは7世紀前半頃の土器が出土している。
 6世紀後半の築造と推定されている。
田主丸大塚古墳のデータ
   (説明板より)

前方部は大半が失われて詳細は不明
田主丸大塚古墳の整備では
 前方部を模式的に表現している。

くびれ部に近いところに
  石室の入口がある。


田主丸大塚古墳の形


造り出しが特徴的!


 江戸時代から古墳と認識されていて、円墳と考えられていた。
 平成5年度からの発掘調査の結果、
  後円部から続く石列や前方部の痕跡とみられる積土が確認されて、
  前方部を南に向けた前方後円墳と確認された。
 平成24・25年度に史跡整備

全景

前方部手前から後円部を見る

前方部から後円部を見る
 右手前の石敷きは周濠跡

後円部頂

後円部から前方部を見る

造り出しとくびれ部の間に
石が見えるので、ここが石室入口か
写真中央に石材

後円部裾から造り出しを見る
右奥が後円部  左側の石列が造り出し
右手前の高まりは後円部の一部か

道路を挟んで北側の公園内に大塚2号墳がある。
石室には柵がある。

 大塚2号墳   (大塚古墳群) 久留米市史跡
説明板
 大塚2号墳は 東西16.3m・南北13.3mの円墳 高さ3m
 複室構造の横穴式石室は全長8.7m   玄室部分の天井高さ3m
 須恵器が出土
 6世紀後半に築造されて7世紀代にかけて使用されたと推定されている。

南から見た墳丘

西側に開口している石室

石室内部

北から見た墳丘

 田主丸大塚古墳・2号墳は、寺徳古墳、中原狐塚古墳、西館古墳などとともに田主丸古墳群の中に含まれている。
寺徳古墳、中原狐塚古墳、西館古墳は装飾古墳なので、
田主丸大塚古墳も装飾古墳かもしれない。  

森部平原古墳群
県史跡
久留米市田主丸町森部
見学日2022/5/11

田主丸大塚古墳の南約1kmの山腹斜面に古墳公園として整備されている。

 森部平原古墳群(モリベヒラバルコフングン)は 
   標高165~215mの山腹斜面に分布する古墳時代後期の群集墳
 現在約70基が確認されており、うち58基が県史跡に指定されている。
 多くが直径10~20m程の円墳で、複室構造の横穴式石室をもつものが多い
 石材は周辺でとれる花崗岩。
 石室の平面形は
   長辺中央部がやや膨らんだ隅丸方形あるいは三味線のような形でドーム状の天井。
 6世紀中ごろ後半~7世紀前半の築造と推定されている。 (説明板から)
現地案内板を見やすく加筆した    白数字は県史跡に指定された古墳の番号

配置図の左上の1号墳から19号墳辺りを見学する。
詳細不明なので、説明はなし。

 森部平原古墳群1号墳


墳丘

石室開口部

石室内部
 森部平原古墳群5号墳

北から見た墳丘
  

南西から見た墳丘
  

石室開口部  

石室内部  
 森部平原古墳群7号墳
南から見た墳丘






石室開口部

石室内部


森部平原古墳群

13号墳(大きい墳丘)と11号墳が並んでいる。
北から見る
 森部平原古墳群13号墳

墳丘

石室開口部
 森部平原古墳群15号墳

墳丘

石室内部
 森部平原古墳群19号墳

道路側から見た墳丘

道路の反対側から見ると 高い墳丘
 森部平原古墳群17号墳
墳丘

墳丘上に大穴が開いている

本来の入口も開口している

石室内部

石室内部から開口部を見る

森の中の群集墳は、小雨の中幻想的な雰囲気だった。

田主丸古墳群
寺徳古墳・中原狐塚古墳
ほか
国史跡
久留米市田主丸町
見学日2022/5/11

田主丸古墳群は、田主丸地区にある古墳群で
田主丸大塚古墳と、装飾古墳である寺徳古墳、中原狐塚古墳、西館古墳は国史跡となっている

田主丸大塚古墳の西約2.5km、県道151号線沿いに寺徳古墳がある。
久留米市HPで
「歴史のまち久留米ストーリーシート2 石室を彩る原始絵画 耳納北麓の装飾古墳」
が公開されているので参考にさせてもらった。

 寺徳古墳  (田主丸古墳群) 久留米市田主丸町益生田      国史跡
説明板
 寺徳古墳は 直径18mの円墳
 葺石あり
 複室構造の横穴式石室は、全長10.4m(現状)
  玄室の平面形はやや側面が張る長方形で床面は盗掘のため敷石は残っていない。
  玄室奥には幅2.15m・高さ1.8mの巨石を立て鏡石としている。
  前室の平面形は長方形で床面右側には板状の石が4石残り、屍床の仕切り石とみられている。
 勾玉・管玉などの玉類、馬具、須恵器が出土。
 6世紀半ば~後半の築造と推定されている。
寺徳古墳奥壁

装飾壁画は
後室から前室にかけての壁面に描かれている。
赤・緑の2色で、
同心円文を主題として、他に、三角文・盾・舟などがある。

石室実測図   
(説明板・ストリートシートから)

県道沿いに墳丘がある。

小さくなった墳丘

石室開口部

寺徳古墳の南西約500mの農地にあるのは、中原狐塚古墳。山苞の道の南側にある。
墳丘はほとんど失われている。

 中原狐塚古墳    (田主丸古墳群) 久留米市田主丸町地徳    国史跡
説明板
 中原狐塚古墳は 径19mの円墳  標高43m付近に立地している。
 複室構造の横穴式石室は全長11.5m
  玄室の平面形は長辺がややふくらんだ長方形で周辺に産する石材を使っている。
 多数の鉄鏃や馬具類、三累環頭などが出土
 6世紀後半の築造と推定されている。

石室実測図
 後室のほぼ全ての壁面、玄門、前室両側壁、羨門、羨道側壁に
  赤・緑・青の顔料により装飾壁画が描かれている。
 石室壁面の広い範囲に、同心円文や三角文など抽象的な図文とともに、
  人物や靫(矢を入れて背負う矢筒)、舟など具象的な図文が多く描かれている。

奥壁と玄門部  (ともに説明板から)

石室付近しか残っていないようだ
石室は石材が露出し、
一部の天井石が落下しているという

右の白いシートの中には石があるらしい
どの部分の石なのか?

もう一つの西館古墳は、標高83m前後の山林の中に立地。見学していない。

 西館古墳(田主丸町益生田)は、長径14mのやや楕円形の古墳
 複室構造の横穴式石室の奥壁と玄門の一部に赤・緑の顔料により装飾が描かれている。
 奥壁には、五つの同心円文と、連続三角文、十字文、舟、人物などが描かれている。
 玄門袖石の前室側には、奥壁とは意匠の異なる舟が描かれている。

    

善院古墳群 久留米市田主丸町地徳
見学日2022/5/11

善院集落内には8基の古墳が確認されていて、善院古墳群という。
1号墳は、善院バス停の南200mの三叉路にある。
1号墳の前に説明板がある。
2号墳そばの善院公民館にギリギリ駐車スペースがある。

 善院古墳群は、8基確認されている
説明板
 善院1号墳は、本来径17mの円墳

善院1号墳墳丘実測図と
  石室実測図

      (説明板から)
 
西に開口する複室構造の横穴式石室は、全長8.5m以上
後室長4.1m・最大幅2.9m・高さ4m
前室長1.5m・幅2.4m・高さ3m  羨道幅1.5m
6世紀後半の築造と推定されている。
墳丘は周囲の道路や畑などで削平されて、
大きく形を変えている。
 

墳丘は改変されている
  

横穴式石室は、ほぼ完存している。
  

奥壁は大きな石を2つ重ねている
  

台形状に持ち送り、高い天井はかなり狭い。
  

玄室から開口部を見る

玄室から前室を見る
 善院2号墳
 1号墳のすぐ南の公民館横にある。
 横穴式石室が完全に露出していて、半分が覆屋の中にあり、半分は外に露出している。

石室入口側が加藤神社として祀られている

奥壁側は外にある

善院古墳群は、8号墳まであるが、民家の敷地に取り込まれているものが多い。

前畑古墳
県史跡
久留米市草野町草野
見学日2022/5/11

善院古墳群から西約3kmの集落内にある。

説明板
 前畑古墳は  径20mほどの円墳 高さ4.5mほど
 西に向け開口している複室構造の横穴式石室は全長8.5m
  玄室部は長さ約3.5m、幅・高さ約2m、
  奥壁手前の床面には板石による棺台が残る。
 出土遺物は耳環や鉄鏃、馬具、須恵器など。
 6世紀後半~7世紀前半の築造と推定されている。
石室実測図  (説明板から)

内部には、後室から前室にかけて赤と青の顔料で、
同心円文・円文・三角文などが描かれている。


墳丘は、大きく形を変えている。

石室開口部

入口から見た石室内部

奥壁等に朱で円紋等が描かれている

奥壁下部に 板石が敷かれている(棺台?)

左側壁 朱で円紋等が描かれている

右側壁にも朱で円紋等が描かれている

玄室から前室・開口部方向を見る

前室から羨道・開口部を見る
前室の立柱石も立派

石室内部を見ることができるが、装飾はよく見えなくなっている。 

午後1時過ぎ、ようやくローソン久留米常持店(大橋町常持504)にて昼食。

下馬場古墳(国史跡)と吉木古墳群 久留米市草野町吉木
見学日2022/5/11

前畑古墳の西約1kmの吉木集落に下馬場古墳があり、周辺には吉木古墳群がある。

 下馬場古墳 国史跡
説明板
 下馬場古墳は 墳丘直径 42m、高さ5mの円墳
 墳丘から円筒埴輪や顔に入れ墨をした男性埴輪・たすきをかけた女性埴輪が出土
 南西に開口する複室構造の横穴式石室は、全長12m
 6世紀後半の築造と推定されている。

下馬場古墳石室実測図
 前室と玄室には、赤・青色で同心円や三角文、
 玄室の右壁には舟のような図形が描かれている。
(説明板・ストリートシートから)

墳丘

石室保存庫

下馬場古墳の南約200m、新しい集会所の後ろに石室が開口している。

 地蔵堂古墳(?)
 墳丘上にお堂があり、その下に複室構造の横穴式石室が開口している。
 詳細不明

お堂に上がる階段

墳丘上にお堂がある 左下に石室開口部

石室開口部

奥壁

天井部分

玄室から前室・開口部方向を見る

石室を見学できてよかった。

ようやく耳納山の北麓の古墳見学を終えて、久留米市の市街地に近づいてきた。
5日目前半終わりです。

祇園山古墳 につづく

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