北村さんちの遺跡めぐり」
更新日2022/8/26
初めての九州 大分県と福岡県 福岡県2 行橋市・みやこ町2・香春町・桂川町 |
2022/5/7~5/15 | |
1日目(2022/5/7は神戸からフェリーに乗るだけ
2日目と3日目の前半は、大分県の見学
3日目後半から福岡県
4日目(2022/5/10)、行橋市の「ABホテル行橋」 午前7時半チェックアウト。
近くの延永墳丘墓から見学
周辺の地図g
吉国木実堂古墳(延永墳丘墓) | 行橋市吉国 見学日2022/5/10 |
詳しいことは不明だが、墳丘が残っているというので、見学。
長狭川沿いにある公民館に駐車。
むつみ保育園東の駐車場の南にある。
きれいな墳丘が見えている。
高速道路建設の時の報告書にある古墳だが、詳細不明!
この近くに、ビワノクマ古墳がある。
八雷古墳 市指定史跡 |
行橋市大字長木 見学日2022/5/10 |
ビワノクマ古墳の南西約2kmにある。神社東の道路沿いに駐車スペースあります。
くびれ部付近を削って、社殿が建てられている。
行橋市西部、観音山(標高232m)から東に伸びた長木地区の丘陵の上に、 八雷神社があり、社殿の後ろの高まりが八雷古墳。 全長74mの前方後円墳。後円部径39m・高さ7.1m、前方部幅76m・高さ7m、 周溝と周堤がめぐり、周堤まで含めた全長は100mとなる。 前方部は2段築成 後円部には段がない。 後円部に比べて前方部が非常に大きい。 葺石は確認されていない。 円筒埴輪や形象埴輪がある。武人などの形象埴輪や円筒埴輪が立てられていた。 石室の形や副葬品は不明。 6世紀前半の築造と推定されている。 八雷古墳 墳丘図 (行橋市のホームページから引用) この古墳の形は、清寧天皇の陵墓と伝わる白髪山古墳(大阪府羽曳野市)を 2/3に縮小した設計だと考えらている。 (行橋市のホームページから引用) 八雷古墳に葬られた人物は、 ヤマト政権と強いつながりを 持っていた!! |
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かわいい「武人埴輪」が出土している。 |
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八雷神社 日本神話に現れる八柱の雷神を祀っている。
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前方部から後円部を見る 右側、くびれ部裾に社殿 |
後円部から前方部を見る |
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くびれ部を削って社殿がある |
後円部手前から見た墳丘 奥に前方部がある |
静かな境内に、大きな古墳!
庄屋塚古墳 町指定史跡 |
みやこ町勝山黒田 見学日2022/5/10 |
八雷古墳から南西に約1.5km、庄屋塚古墳がある。
前方部南に、立派な駐車場ができている。
庄屋塚古墳は、全長85mの前方後円墳 後円部径45m、前方部最大幅50mほどあったものと考えられている。 前方部にある石室は全長6.3m 複室構造の横穴式石室で、玄室は長さ2.4m、幅1.8m、高さ2m。 後円部にも石室がある。 (戦時中、後円部南東部分に防空壕をつくる際、石材が掘り出されたという) 6世紀中ごろの築造と推定されている。 昭和39年(1964)に前方部の横穴式石室の発掘調査
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南駐車場から見た前方部(残丘?) |
西側のくびれ部裾から見た墳丘 左・後円部 右・前方部 |
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西から見た前方部 左方に後円部 |
西側にある後円部上り口 |
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後円部頂 |
後円部から前方部を見る |
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前方部から後円部を見る |
くびれ部から後円部を見る 右側裾に横穴式石室があるはず |
前方部の石室は現在どうなっているのか?(HP「古墳とかアレ」様は石室に入ってました…。)
橘塚古墳 国指定史跡 |
みやこ町勝山黒田 見学日2022/5/10 |
庄屋塚古墳の南西約750mにあるのは、橘塚古墳。 小学校の敷地内にある。
橘塚古墳は、復元で南北37m×東西39mの方墳 高さは現状で4m 墳丘の周りには幅6.5~9.95mの周溝がめぐる 橘塚古墳墳丘実測図 (みやこ町デジタルミュージアムから引用) 墳丘はかなり削られている 円墳と考えられていたが、 平成7~8年に実施された発掘調査によって 方墳であることがわかった。 南東方向に開口する、花崗岩の巨石を用いた複室構造の横穴式石室がある。 橘塚古墳石室実測図 (みやこ町デジタルミュージアムから引用) 石室の長さは16.3m 玄室は幅3.2m×長さ4.0mの長方形 天井高さ3.8m 前室は幅2.2m・長さ3.2m 高さ3.3m 石室の床面には 人の頭ほどの花崗岩が敷きつめられている。 発掘調査の出土品から、すでに平安時代には石室が開かれていたと推測されている。 石室や前面の周溝から、須恵器片が出土している。 6世紀末の築造と推定されている。 |
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墳丘 |
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石室入口 |
前室入口から玄室を見る |
玄室奥壁 側壁の石も巨大 |
天井石 |
玄室から前室・開口部を見る |
前室から開口部を見る |
綾塚古墳 国指定史跡 |
みやこ町勝山黒田 見学日2022/5/10 |
橘塚古墳の西約50mのところに綾塚古墳がある。東の道路沿いにりっぱな駐車場ができている。
駐車場完備
左方向に古墳がある。
綾塚古墳は 直径40mの円墳 高さ7m 2段築成。 周濠がある。 観音山から延びる丘陵の先端部に築かれている。 山側部分をU字形に削って濠を造り、その土を盛り上げて墳丘を築いたと考えられている。 南に開口する横穴式石室は全長19m 玄室・前室・羨道からなる複室構造で、花崗岩の巨石を用いて構築されている。 玄室長さ3.5m・幅3.5m・高さ3.5m、前室長さ2.4m・幅2.2m、 玄室にはくり抜き式家形石棺が納められている この石棺は、畿内型で 棟の幅が狭く長辺に各2、短辺に各1の方形縄掛突起がある。 7世紀初頭の築造と推定されている。
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駐車場には、説明板が2枚ある。
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綾塚古墳 墳丘 鳥居の扁額には「女帝神社」とある |
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石室入口そばの説明板 |
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石室入口 つっかえ棒が…。 |
羨道から玄室を見る |
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玄室には柵があって入れない |
玄室内部 壊れた石棺が置かれている。 |
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前室から開口部を見る |
駐車場から見た綾塚古墳 (鳥居) |
扇八幡古墳 県指定史跡 |
みやこ町勝山黒田 見学日2022/5/10 |
綾塚古墳の南西約1kmの扇八幡神社は古墳の上にある。神社前に駐車できる。
扇八幡神社 社殿の格子天井には一枚一枚に絵が描かれていて、もとは素晴らしい神社だったと感じられる。 |
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前方部の北東角を削って建てられた社殿 |
格子天井の絵画 |
社殿背後に墳丘がある。
扇八幡古墳は、全長58.4mの前方後円墳 後円部直径36m・高さ7m 前方部最大幅49m・高さ5m 周囲に幅3~5mの周濠がめぐり、周濠の外側には周堤、これを含めると全長82.5m。 2段築成 葺石あり 埴輪列あり 6世紀前半の築造と推定されている。 周堤の南側部分には外側に張り出して上部が平坦な部分があり、 「別区」と呼ばれる特殊な施設ではないかとも考えられている。 岩戸山古墳(福岡県八女市)の「別区」との類似性が指摘されることもあるが、 発掘調査が行なわれていないため詳細は確認できていない。 墳丘実測図 (みやこ町デジタルミュージアムから引用) 南にある円墳を 2号墳 さらに南にある円墳を3号墳とする。 扇八幡古墳のある丘陵上には、南北に円墳群があり、 南東300mには箕田丸山古墳(全長40mの前方後円墳)がある。 |
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前方部先端 |
前方部から後円部を見る |
くびれ部に大穴 |
後円部から前方部を見る |
後円部から別区を見る |
別区 右は後円部 |
説明板は周濠に立つ |
周濠と周堤 |
南に小さな円墳が2基ある。
2号墳 石室があるというが 見あたらない |
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3号墳
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別区は正直なところ、はっきりわからない…。
2号墳は、石室が開口していると聞いたが、わからなかった。
箕田丸山古墳は見つからず…。
桂川町の王塚古墳に向かいます。
国道201号線を西へ。 途中、香春(カワラ)町の河内王陵に寄る。
河内王陵(外輪崎古墳) 勾金陵墓参考地 |
田川郡香春町大字鏡山 見学日2022/5/10 |
「道の駅香春」の500mほど西の鏡山大神社の西隣りにある。神社前に駐車スペースあります。
鏡山大神社 | |
香春町鏡山という小さな山の頂に鎮座している鏡山大神社。 神功皇后が新羅へ出兵する道すがら、 現在の鏡山の丘に天の神・地の神を祀って必勝祈願したとされている。 神功皇后の必勝祈願のご利益にあやかり、 御願成就、受験合格、初志貫徹などの祈願に訪れる人が多い。 |
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鏡山大神社 鳥居 近年はパワースポットとして 人気が高まっている。 |
横にある説明板 左から 「古代太宰府道「田河道」の石碑 「古代官道(田河道」の説明板 「神功皇后伝説と恋の里・鏡山」の説明板 |
「古代太宰府道「田河道」の石碑 大和朝廷は、701年律令体制を成立させて、 役人の往来、軍隊の移動、租税や産物の都への運搬のために 道路網の整備を行った。 道路には30里(1.6km)ごとに駅家(ウマヤ)を置き、 駅には食物や宿泊所と馬を備えた。 鏡山にも駅屋があったと比定されている。 |
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「古代官道(田河道」の説明板 |
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「神功皇后伝説と恋の里・鏡山」の説明板 奈良時代、大宰帥として赴任中の河内王が手持女王と出会い、 王の遺言によりこの地に葬られたのが河内王陵だといわれている。 |
鏡山大神社前から西50mで河内王陵がある。
案内板
左の説明板には、
万葉集巻三 311
「梓弓 引き豊国の 鏡山 見ず久ならば 恋しけむかも」
とある。
この歌は手持女王の歌ではなくて、
村主益人(スグリマスヒト)という人が
鏡山を詠んだ歌だ。
陵墓は現在はフェンスに囲まれ宮内庁が管理している。
河内王陵(カワチオウリョウ) 通称「外輪崎古墳」 | |
横穴式石室がある円墳 石室の一部が露出している。 宮内庁により「勾金(マガリカネ)陵墓参考地」として陵墓参考地に治定されている。 被葬候補者は、第40代天武天皇皇孫長親王王子河内王 万葉集巻第三の417~419前文に 「河内王を豊前国鏡山(カガミノヤマ)に葬る時、手持女王(タモチノオオキミ)の作る歌三首」とあり、 河内王を悼み、手持女王が万葉集に三首の歌を残している。 417番に「大王の親魄(ムヅタマ)あへや 豊国の鏡の山を 宮と定むる」と詠まれている。 現代語訳 「なつかしいあなたの御心によほど叶ったのだろうか。 あの遠い豊国の鏡の山を墓所と定めなさったのは。」 |
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万葉集巻第三の419の歌碑 河内王を豊前国の鏡の山に葬る時に 手持女王がつくった歌 『石戸破る 手力もがも 手弱き 女にしあれば 術の知らなく』 (イワトワル タヂカラモガモ タヨワキ ヲミナニシアレバ スベノシラナク) 現代語訳 お墓の石の戸を破り河内大王を呼び出したいが、か弱い女であるので、その術がありません。 |
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河内王陵 正面 |
円墳 |
石材露出 |
横穴式石室があるらしい |
河内王陵の北には、宮原遺跡という名の前方後円墳(の可能性)がある。鏡が出土したそうだ。
201号線にもどり、飯塚市の穂波ICで左折して200号線に入り、
桂川町の王塚古墳を目指す。
王塚古墳 国特別史跡 |
嘉穂郡桂川町寿命 見学日2022/5/10 |
横穴式石室に装飾壁画がある、とても有名な古墳。
そばの古墳館で、基礎知識を仕入れてから、墳丘の見学。
石室の公開日ではないので、古墳館の石室レプリカをじっくり見学。
古墳館入館料は一人330円。
図書館に「シリーズ遺跡を学ぶ 描かれた黄泉の世界 王塚古墳」があったので参考にさせてもらった。
インターネット上に「特別史跡王塚古墳 保存活用計画」が公開されているので参考にさせてもらった。
王塚古墳は、完全に復原すると 全長86mの前方後円墳 後円部径56m・後円部高9.5m 前方部幅60mで、遠賀川流域では最大級。 2段築成で、下段は地山の削りだし、上段は黄色土と黒色土の版築工法で造られている。 上段のみ葺石あり 墳頂と幅3~4mのテラス面に埴輪が樹立していた。 埴輪には円筒形・朝顔形の筒形と、蓋(キヌガサ)形と家形らしい形象埴輪が出土している。 幅10mの浅い周溝が馬蹄形に巡る。 周溝内から、埴輪と須恵器の破片が出土。 後円部下段の地山を掘りくぼめた中に、北西方向に開口した石室がある。 昭和57年(1982)~平成元年(1989)度に発掘調査
復元されていない部分もある。 |
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古墳館側から見た王塚は丘の上にある。 |
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復元された墳丘 厳重な管理のもと保存されている石室 |
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前方部から後円部を見る |
後円部脇から前方部を見る |
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出土品 王塚古墳は昭和9年に発見されるまで未発掘の古墳だったので、 副葬品の大部分が残された状態で発見されている。 現存するものは全て国の重要文化財に指定されている。 重要文化財指定物件は以下の通り(桂川町所有、京都国立博物館寄託)。 筑前国嘉穂郡王塚古墳出土品 ・変形神獣鏡 1面 変形神獣鏡 古墳館展示から ・玉類 ・瑠璃管玉1、埋木(石炭製)切子玉2、土製丸玉9、琥珀棗玉残闕1、金鐶1 ・馬具類 金銅鞍金具残闕1背分、金銅轡鏡板3、金銅杏葉10、金銅雲珠2、 金銅辻金物 残闕共10箇分、鉄鐙(アブミ)残闕等 ・銀鈴 1 ・挂甲札残闕 一括 ・土器類 一括(須恵器台付壺・蓋付坏・提瓶・高坏等) ・其他出土品 一切(鉄大刀、鉄鉾、鉄刀子、鉄鏃等) 出土品 (古墳館写真展示から) 左から 馬具類 土器類 鏡・装飾品 武具・武器 |
石室は公開日しか見ることはできないので、古墳館のレプリカを堪能する。
古墳館入口
王塚古墳の石室 | |||||||||||||||
後円部下段の地山を掘りくぼめた中に北西方向に開口した石室がある。 石室へは、 地山を掘り込んだスロープ状の墓道と両側壁に石積みをした前庭部が接続している。 消失してしまっているが、本来はくびれ部のテラスに入口があったと推定されている。 石室は、前室と後室(玄室)からなる複室構造。 石室の大きさ (古墳館のホームページから)
石室部分名称図 (保存活用計画から) 奥壁に石棚がある。 後室(玄室)への入口上に小窓を設けている。 二人用の棺床をもつ石屋形を設置して、 その前面に灯明台石を立てる など複雑な構造をとることが特徴。 天井石をはじめとする石室の大部分には、地元産の花崗岩などが使われているが、 石屋形や灯明台・石枕は阿蘇の溶岩(八女地方産か)製。 |
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装飾壁画 壁画の特徴は、壁のほぼ全面にわたって、 わが国では最多の5色(赤・黄・緑・黒・白)を使って各種の図像を華麗に描くこと 絵の具には主として粘土が使用されたとみられ、かなり厚く塗られている。
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前室後壁、前室と後室を結ぶ通路の上には小窓 |
玄室前壁(左の写真の裏側になる) |
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玄室奥壁 石屋形と石棚と灯明台 |
石屋形内の2基の棺床(石枕付き) |
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玄室左側壁の石枕 |
玄室右側壁の石枕 |
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玄室左側壁の下部 |
玄室右側壁の下部 |
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天井部 奥壁と側壁の下部を花崗岩の大石で築き、 その上を割石で積み上げ、 大きな天井石で覆う ことによって造られている。 |
本物の石室は見れないが、力が入り、多くの写真を掲載することになってしまった…。
二塚2号墳と明寺原古墳 | 嘉穂郡桂川町ケイセンマチ 見学日2022/5/10 |
桂川町寿命の王塚装飾古墳館敷地内に、2基の箱式石棺が移築されている。
明寺原古墳 元の所在地は、桂川町九郎丸
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二塚2号墳 元の所在地は、桂川町土師
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さて、八女古墳群を目指して200号線を南下します…
みやま市 権現塚古墳へ つづく
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