北村さんちの遺跡めぐり」
更新日2022/8/9
初めての九州 大分県と福岡県 福岡県その1 上毛町・みやこ町・苅田町 |
2022/5/7~5/15 | |
1日目(2022/5/7は神戸からフェリーに乗るだけ
2日目と3日目の前半は、大分県の見学
第3日目(2022/5/9)、午後2時半、福岡県最初の古墳は、穴ヶ葉山古墳群!
大分県の相原山首遺跡の西2km、山国川が境界で福岡県となる。
穴ヶ葉山古墳群 1号墳が国史跡 |
築上郡上毛町大字下唐原 見学日2022/5/9 |
東側の麓には駐車場が完備、古墳公園になっている。
穴ヶ葉古墳群は 山国川左岸の丘陵東斜面に立地している。 穴ヶ葉山古墳群は3基あり、 下から尾根の上に向かって2号・1号・3号墳の順に並んでいる。 1・3号墳の横穴式石室内部には、人物や鳥・葉などの線刻画がある。 古墳時代末期の築造と推定されていて、 奈良正倉院に現存する大宝2年(702)の上毛群塔里の戸籍に記載された渡来系氏族と 関係のある有力者の墓と考えられている。 |
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しゃれた案内板 |
下が2号墳 上が1号墳 3号墳は、1号墳の後方上にある。 |
一番下の2号墳から
穴ヶ葉山2号墳 | |
3基中、一番下にある古墳 横穴式石室が開口している。 玄室長さ4mほど、高さ幅とも2mほど 2号墳には、線刻はないようだ。 |
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墳丘 |
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羨道は、左の石積みが残る |
羨道から玄室を見る |
玄室内部 |
玄室から開口部を見る |
1穴ヶ葉山古墳1号墳は、国史跡で、説明板があるが、かなり汚れていて、写真は掲載できない
3基の真ん中にある。
穴ヶ葉山古墳(1号墳) | 国史跡 |
南北41m・東西32mの楕円形墳 (最大幅6mの周溝を含めた数値) 東側に2段、西側に1段築成 墓道は斜面にあるため、西側の山を削り東側は盛土している。 南に開口する両袖型の横穴式石室は 全長10.4m、 玄室部長さ3.4m・幅2.4m・高さ2.2m、羨道部長さ7m・高さ1.6m、 羨道前面に長い墓道が付く。 羨道の壁面には木の葉文をはじめ、魚、人物、旗、鳥などの線刻が描かれている。 木の葉文は大分・香川・島根・鳥取県などに類例が見られる。 出土遺物はガラス玉や耳環、須恵器(子持器台・甕・杯など)。 7世紀初頭の築造と推定されている。 墳丘平面図 (説明板から) |
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墳丘 段築がよくわかる。 |
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開口部 手前には長い墓道がある。 |
柵があって入れない |
長すぎて、奥壁が見えない 左側壁に線刻があるらしい。 |
線刻は見えないなぁ…。 |
3号墳は、1号墳西側の山道を上がったところにある。
穴ヶ葉山3号墳 | |
径20mの円墳 複式の横穴式石室がある。 玄室の右側壁に大形の木の葉文が描かれている。 |
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墳丘 |
開口部 |
石室内部 |
石室内部から開口部を見る |
線刻はわからない…。
岩木山古墳群 | 築上郡上毛町大字宇野 見学日2022/5/9 |
穴ヶ葉山古墳群の北西約2km、新池というため池の東にある岩木山に古墳があるというので行ってみる。
低い独立丘陵で、頂上まで自動車で上れる。
墳丘らしいものや、石材みたいものがあるが、古墳の特定には至らない。
一つだけ横穴式石室を見つけた。
岩木山古墳群は 太神宮の境内にある |
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横穴式石室がある墳丘
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その他の墳丘らしきもの
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山田古墳(山田1号墳) | 築上郡上毛町大字安雲宇野 見学日2022/5/9 |
岩木山から西へ500m、東九州自動車道西側の丘陵先端にある。
山田古墳は 単室構造の横穴式石室が開口していて、石室内に稲荷社がある。 左右側壁に多くの線刻(木の葉、水鳥、格子目紋)があるが、 内容が明確にわかるものはほとんどない。 6世紀末の築造と推定されている。 |
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麓から斜面に赤い鳥居列 |
鳥居をたくさんくぐって… |
古墳に到着! |
開口部 |
内部には小さな祠があって、奥壁が見えない |
石室内部から開口部を見る |
線刻は? その1 |
線刻は? その2 |
線刻はどこにあるのかなぁ…。
すぐ西側に2号墳があるそうだが、確認して来なかった。
吉岡巨石塚 町史跡 |
築上郡上毛町吉岡 見学日2022/5/9 |
山田古墳の北約2kmに、すっかり石室が露出した古墳がある。
古墳南側の吉岡公民館に古墳見学駐車場がある。
吉岡巨石塚は 後の時代に宅地造成などで墳丘の盛土が取り除かれ、 花崗岩の横穴式石室が露出している。 南東に開口する横穴式石室は石室全長4.5m 発掘調査はされていないので、古墳の大きさは不明だが 石室の大きさから、直径30~40mほどと考えられている。 町歴史民俗資料館には、 ここから出土したと伝えられている新羅系陶質土器の高坏が展示されている。 |
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しゃれた説明板 穴ヶ葉山古墳群の案内板と同じだ。 |
空き地の向こうに巨石が露出 |
石室入口 |
入口側 方向を変えて見る |
天井部分 |
奥壁の前には、屍床らしき台がある (補修されている) |
石室内部から開口部を見る |
奥壁側を外から見る 右手前の石灯篭は邪魔だな |
どんな古墳だったのだろう? 墳丘を見たかった!
近くの「道の駅しんよしとみ」にて休憩。
みやこ町に向かいます。
彦徳甲塚古墳 県史跡 |
京都郡みやこ町彦徳 見学日2022/5/9 |
県道496号線 錦町交差点のすぐ北、空手道場の北に案内板がある。
誰もいない空手道場に駐車させてもらった。
豊津丘陵の甲塚地区と呼ばれるところにある。 復元整備されている。
道場北にある案内板
奥に墳丘が見えている。
彦徳(ケンドク)甲塚古墳は、直径24mの円墳 高さは、北側で約6m、南側で約8m 2重の周濠がある。 内側の周濠は幅5~8m・深さ1.5~2.1m、直径は40~42m。 外側の周濠は幅3~5m・深さ0.6~0.7m、 周濠を含めた直径は56mとなる。 発掘はされていないが、横穴式石室があるのではないかと推定されている。 6世紀後半の築造と推定されている。 昭和59年7月、宅地造成を目的として違法な掘削工事が行われたが、 民間有志などの努力によって阻止され、その後公有地化され、史跡公園として整備された。 彦徳甲塚古墳墳丘実測図 みやこ町デジタルミュージアムから引用 |
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復元整備されたきれいな墳丘 |
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段築がある。 |
周濠があるがこの外側にも周濠があったという |
インターネット上に「みやこ町デジタルミュージアム」があるので参考にさせていただいた。
甲塚方墳 県史跡 |
京都郡みやこ町国作 見学日2022/5/9 |
彦徳甲塚古墳から東の道(496号線)に出て
「神田米米(米屋さん)」の北の道路に入って約200mに甲塚方墳がある。
道路か広くなっていて、駐車スペースとなっている。
甲塚方墳は 東西46.5m・南北36.4m・高さ9.5mの方墳。 九州最大級の方墳 3段築成 葺石がある。 周溝・周堤がある。 それらを含めると長さ72m・幅約63mとなる。 南に開口している横穴式石室は全長14.5m、 玄室・前室・羨道からなる複室構造で、石材には主に花崗岩が使用されている。 前室と羨道は復元されている。 石室の構造や出土した須恵器から 6世紀後半の築造と推定されていて、 かなり古くから開口していたようで、大正時代には石室が大師講の祭場として利用されていた。
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南西から見た甲塚方墳 |
西側から見た墳丘 |
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南側に石室が開口している |
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前室・墓道は破壊されていたので復元されている |
前室入口から玄室(後室)を見る |
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奥壁 |
天井を見上げる |
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玄室の床には石が敷かれている |
玄室から前室・開口部を見る |
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玄室と前室の仕切りには大きな石が敷かれている |
玄室から開口部(墓道)を見る |
石室内には入れないものが多いが、甲塚方墳は中に入って見学できた。
甲塚方墳周辺の古墳 | 京都郡みやこ町国作 見学日2022/5/9 |
甲塚方墳の南側の道路沿いに、小さな古墳がいくつか並んでいる。
3基見つかったので紹介する。
石室があるらしいが、私有地らしいので、道路から撮るだけにした。
甲塚方墳のすぐ南の墳丘。 |
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その南の墳丘 |
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そのまた南の墳丘 |
この3基は、甲塚方墳の南にある古墳。、
甲塚方墳の北にも八景山古墳群と呼ばれる十数基の古墳があり、そのうちいくつかは石室内に入れるそうだ。
豊前国分寺跡 国史跡 |
京都郡みやこ町国分 見学日2022/5/9 |
甲塚方墳の南東約1kmにあり、史跡公園となっている。
三重塔が美しい。
豊前国分寺跡 説明板 |
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豊前国分寺跡配置図 (説明板から) |
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豊前国分寺講堂跡 昭和61年度の調査で、南北幅13.0m以上・東西長さ26.7mの平面規模で、 北面に幅3.5mの傾斜面をもつ地山を削り出した基壇が確認されている。 周辺から瓦や礎石が多数出土し、 この基壇が奈良時代の七堂伽藍のうちの講堂跡と考えられている。 金堂は、現在の本堂あたりにあったと考えられている。 (講堂跡 説明板から) |
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豊前国分寺跡三重塔 福岡県指定文化財 当時の国分寺住職・宮本孝梁氏の献身的な努力によって完成した。 大工棟梁は緒方義高といい、旧豊津藩の藩庁建設にも携わった人物。 塔の高さは23.5m。 全体の規模に対して一層部が大きいため、どっしりとした安定感を持つ。 一時は倒壊が心配されるほど傾いていた時期があったが、 それを昭和60年から61年に、多くの方々の寄附や補助金などによって解体修理を行い、 現在のような美しい姿に甦った。 (みやこ町デジタルミュージアムから引用) |
午後5時を過ぎたが、苅田町の古墳見学をしたいので、みやこICから行橋ICまで、東九州自動車道を利用する。
石塚山古墳 国史跡 |
京都郡苅田町富久町 見学日2022/5/9 |
苅田町(カンダマチ)役場の南西に隣接している。前方部上に浮殿神社がある。
図書館に
「シリーズ遺跡を学ぶ 筑紫政権からヤマト政権へ 豊前石塚山古墳(新泉社)」
があったので参考にさせてもらった。
石塚山古墳は 全長130mの前方後円墳 後円部径70m 墳頂は径23m 前方部はややバチ形に開き、古い形態を示す。 後円部は三段、前方部は二段築成 人頭大の葺石あり 後円部墳頂部の周囲には土器を並べていた 後円部中央に竪穴式石室(第1主体部)がある 第1主体部に並行して北側に第2主体部(竪穴式石槨)がある。 3世紀末~4世紀初頭の築造と推定されている。
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1797年(寛政8)に水路のための石を取ろうとして、 後円部の竪穴式石室が開口したという記録が残る。 記録によると、三角縁神獣鏡を含む銅鏡10数面や素環頭大刀片、銅鏃などが出土、 1924年(大正13)に墳丘調査 1953年に、 現存する出土品(三角縁神獣鏡7・素環頭太刀残欠・銅鏃など)が国重要文化財となる。 その後少しずつ古墳自体の破壊が進む中、1985年に国史跡となる。 1987(昭和62)年の竪穴式石槨(第1主体部)の学術的発掘調査では、 石室は大破されていたが、 幅1.4m・高さ1m・長さ5m以上とみられる石槨の痕跡が確認されて、 床面には赤色顔料が塗られていたとみられ、 中国魏代の三角縁神獣鏡片、後漢代の獣帯鏡片や 勾玉・管玉などの装身具、刀片・鉄鏃・小札の冑片などの鉄器、土器片が出土。 2000~2003年に墳丘の発掘調査では、第2主体部(竪穴式石槨)が確認されたほか、 規模や墳丘の状態など細かい内容が明らかになった。 |
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石塚山古墳 苅田町役場駐車場から見る 左・前方部 右・後円部 |
前方部前面に浮殿神社の鳥居がある。 |
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前方部にある浮殿神社拝殿 奥が後円部 |
後円部を削って建っている浮殿神社本殿 |
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本殿後ろの後円部にはビニールシート |
葺石 |
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後円部から前方部を見る |
くびれ部裾から後円部を見る |
後円部は、2020年9月に穴が掘られて、いたずらか盗掘目的かはわからないが、文化財保護法の違反の疑いで捜査している。
後円部のブルーシートは、掘られた穴の部分を保護しているものだということだ。
現存している三角縁神獣鏡には同范鏡がある。 (シリーズ遺跡から)
番号 | 同范鏡出土古墳 | 大きさ | 備考 |
1号鏡 | 大分県赤塚古墳 福岡県原口古墳 福岡県天神ノ森古墳 京都府椿井大塚山古墳 |
22.4cm | 1・2号は同范鏡 |
2号鏡 | 22.4cm | ||
3号鏡 | なし | 22.4cm | 同范鏡なし |
4号鏡 | 福岡県御陵韓人池古墳 奈良県黒塚古墳 福井県花野谷1号墳 |
21.7cm | 計5面 |
5号鏡 | 岡山県湯迫車塚古墳 奈良県新山古墳 奈良県黒塚古墳 |
23.6cm | 計6面 |
6号鏡 | 広島県中小田1号墳 兵庫県西求女塚古墳 大阪府万年山古墳 奈良県黒塚古墳 京都府椿井大塚山古墳 |
20.0cm | 計7面 |
7号鏡 | 愛知県奥津社古墳 | 21.8cm | 計2面 |
8号鏡 | 破片のため不明 |
近畿地方や東海地方までつながりがあったことを示している!
番塚古墳 県史跡 |
京都郡苅田町尾倉 見学日2022/5/9 |
石塚山古墳の南約1.5kmに石室が保存された古墳がある。
墳丘はほとんどなくなり、石室付近だけ残っている。
駐車場はない。路駐しながら交代で見学。
番塚古墳は 苅田町尾倉海岸近くの丘陵上につくられている。 推定全長50mの前方後円墳 後円部西側に入口をもつ初期の横穴式石室は全長3.65m 奥幅1.96m、門幅1.5mの羽子板形の床面。 高さは奥1.9m、玄門部1.6m 室内から銅鏡や玉類、鉄刀、馬具、飾金具、土師器、須恵器など数多くの副葬品が出土。 出土品から、2体の遺体が埋葬されていたと考えられている。 5世紀末~6世紀初頭の築造と推定されている。 昭和34年(1959)、宅地造成中に偶然、横穴式石室が埋葬当時の状態で発見され、 石室の中からたくさんの遺物が出土した。
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石室が覆い屋で保存されている |
石室内には入れない 左右の石積みがおもしろい! |
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石室内部 |
後円部残丘 |
未盗掘の石室が発見されたようだ。
御所山古墳 国史跡 |
京都郡苅田町与原 見学日2022/5/9 |
番塚古墳の南約400mにある前方後円墳。 前方部の北東角あたりに駐車スペースがある。
白庭神社の鳥居は、後円部の東裾にある。
後円部上に白庭神社の拝殿があって、前方部に本殿がある。
白庭神社の由緒書きに、御所山古墳の説明もある。
前方部から登ったので、本殿から拝殿へいくという順番になってしまった。
御所山古墳は 全長119mの前方後円墳 標高約10mの低丘陵上に立地 後円部径72m・前方部幅82m 北に前方部がある。 くびれ部両側に造出しがつく 周濠・周堤帯がある。 3段築成。 葺石あり 埴輪あり。 後円部北側に入口をもつ古式の横穴式石室があり、 1888年(明治21)の埋葬施設調査で、馬具や管玉が出土して、宮内庁が所蔵している。 近年の調査で陪塚が確認されている。 5世紀後半の築造と推定されている。
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白庭神社の由緒書き この説明板によると、 横穴式石室は、壁は割石小口積みで、石障仕切石があり、朱が塗られている。 副葬品として、 勾玉6、棗玉4、管玉83、ガラス玉4、鏡1、鉄鏃数個、金銅製辻金具1、鉄器片(甲冑・馬具)が出土 他に土器も出土している 中心人物1体の他に3体が埋葬されている。 (平成12年設置の説明板) |
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前方部裾からくびれ部を見る 造出しが見える |
北東角から見あげる前方部 前方部頂に本殿の斜め後側が見える。 |
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前方部から後円部を見る 拝殿を後ろから見る |
くびれ部から前方部にある本殿を見る |
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後円部墳頂 削られて白庭神社拝殿がある |
拝殿前の石碑には「史蹟 御所山古墳 昭和11年9月3日指定」とある。 |
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くびれ部西の造出し |
段築の様子 |
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周濠が残っている |
前方部北東裾より前方部墳頂を見る 本殿がある |
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陪塚1号墳 |
陪塚2号墳 |
恩塚古墳 町史跡 |
京都郡苅田町新津 見学日2022/5/9 |
御所山古墳の南西約1kmにある大原八幡神社の裏山に恩塚古墳がある。
恩塚古墳の東側道路からは工事中で入れず、南に迂回して案内通りに行ったら駐車場がある。
恩塚古墳は 径25mの円墳 高さ4.5m 南東方向に開口する横穴式石室は全長6.5m、 玄室・前室からなる複室構造で、玄室の形はほぼ正方形 奥壁には巨大な一枚岩が使用されている。 耳環や玉類(ガラス玉や管玉など)の装身具、馬具、須恵器などが出土。 6世紀後半頃の築造と推定されている。 |
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南側にある大原八幡神社の鳥居 |
社殿 懸額には「大波羅野御屋新呂」とある。 |
摂社の稲荷社の横の鉄製の階段を上る |
石碑 |
墳丘 |
開口部 鍵は掛かっていない |
前室から玄室を見る |
玄室奥壁は1枚岩 |
玄室から前室・開口部を見る |
前室から開口部を見る |
暗くなるギリギリのタイミングで、りっぱな石室の見学ができた。
午後7時を過ぎ 「ココス 行橋店」にて夕食
宿泊は 「ABホテル行橋」 (行橋市40213西宮2) 朝食は和洋バイキング
吉国木実堂古墳(延永墳丘墓)へ つづく
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