北村さんちの遺跡めぐり
更新日 2014/5/22
四国の遺跡めぐり 第1回・高知県 |
2014/4/20~26 |
四国に初めて行った。四国の古墳の紹介。
足摺岬も行きたかったが、あまりに遠くて断念!
2014年4月20日(日)
4時40分 自宅発
4時43分 徳光ICから北陸自動車道
神田PA 休憩 - 米原JCTから名神高速道 - 吹田JCTから中国自動車道
- 神戸JCTから山陽道
三木SA 休憩とガソリン給油 ここまで約332km
瀬戸PA 休憩 - 倉敷JCTから瀬戸中央自動車道
瀬戸大橋を渡る。
10時37分~53分 与しまSAでゆっくり休憩
よしまSA展望台から見る瀬戸大橋
あいにくの雨で霞んでいる。
SAのパン屋さんのコマーシャルソングは
「メロンパンにはメロンが入ってない・・・・」
瀬戸大橋は、通行料金 1950円
坂出ICから高松自動車道-川之江JCTから徳島自動車道-川之江東JCTから高知自動車道
11時49分 いよいよ高知県に入る-立川PA 休憩
12時 5分 南国ICで高速を降りる。 南国は「ナンコク」と発音する
南国ICを下りてすぐの道の駅「南国風良里」で、高知名物「ぼうしパン」を買う。
いよいよ四国高知県最初の古墳へ。
小蓮古墳 県史跡 |
南国市岡豊(オコウ)町小蓮 見学日2014/4/20 |
南側の道路から案内表示が出ていたので、車で入るが、小道しかなくて、前に進めない。
通りがかりの男性に聞いたら、駐車場はないという。
少し広い道端に止めておけばと言われてありがたく、その言葉にしたがった。
(少し広い道端といっても、交差ができないような道なのだが、・・・)
徒歩数分、少し上りの小道を行く。
小蓮古墳全景 竹のために墳丘は ボロボロになってしまいそう!! 2段築成の円墳だが、 下段は削り取られて、 1.8mくらいの崖状になっている。 |
|
小蓮古墳は 土佐の3大古墳のひとつ。山裾の台地先端につくられている。 南北28m・東西22mの円墳、現在高さ7m 2段築成。 小蓮古墳の石室 (古墳辞典から) 横穴式石室は両袖式で、全長10.8m 県下最大級 玄室長7.6m・幅2.1m・高さ2.8m 羨道長3.2m・幅1.5m・高さ2m 奥壁は三角形の大きな1枚石で両側壁を持ち送っている。 玄室床面には割石が敷き詰められている。 玄門には敷き石が置かれている。 玄室は床面に割石が敷きつめられている。 石室内から、須恵器・金銅製中空玉・金環・鉄刀子・鉄鏃・馬具・ヤリガンナなどが出土。 6世紀後半の築造と推定されている。 昭和46年発掘調査。 |
|
石室正面 南側に開口している |
墳丘の後ろ側 |
入口から石室を見る 右側の側壁がひとつせり出していて危険 |
玄室 大きな奥壁 |
天井石 |
石室内部から 開口部を見る 入り口に一升びんが 供えられている! |
見学前にインターネットで調べた時の写真より、ずいぶん崩れてきているような感じがする。
竹の被害が進んでいるようだ。
小蓮古墳の北500m 希望が丘学園裏の大平山(125m)の山頂に近い舟岩には、舟岩古墳群がある。
20基あまりが確認されている。
1967(昭和42)年に10余基が調査されて、土師器・須恵器のほかに装身具・武具・馬具などが出土した。
7世紀代の築造と推定されている。
現在、雑草が生い茂るなかに現存している。 (高知県の歴史散歩から)
長畝古墳 | 南国市岡豊町定林寺字長畝 (移築復元) 見学日2014/4/20 |
小蓮古墳の北、高知自動車道のすぐ北側、南国SAの東に移築保存されている。
公園なので、道の駅「南国風良里」で買った高知名物「ぼうしパン」の昼食。
色々なものが置いてあってどれが古墳なのか、最初は分からない。
説明板1枚以外には、何の表示もなくて、これはなんだろう?と考えながら見学した。
長畝古墳公園 すぐ後(南)に 高速道路が通っている。 右は高速下のトンネル。 |
|
長畝古墳群は、 高知自動車道(南国~伊野)建設に伴う平成5、6年度の発掘調査により、確認された。 現在地より西南西約1kmの標高62m前後の尾根上にあった。 前期・中期・後期の古墳が、同一尾根上に古墳がつくられている。 長畝古墳群配置図 (説明板から) 長畝2号墳は 径10.5m・高さ1m以下の円墳 礫床木棺直葬と木棺直葬の2基の主体部があり、 礫床から鉄剣2・鉄鏃・鉄製工具などが出土。 4世紀の築造と推定されている。 長畝3号墳は 径11.8mの円墳 2号墳第1主体に隣接して構築された小竪穴式石室があり、墳丘もほぼ重なる。 小竪穴式石室から鉄鏃・土師器などが出土。 5世紀後半の築造と推定されていて、 長畝4号墳は、径10.1mの円墳で、一部に周溝がある。 竪穴系横口式石室の影響が強い初期横穴式石室 玄室長5.4m・幅3.4m、羨道長1.2m・幅1.4m 両袖式で、やや胴張り 鉄鏃・馬具(轡)・鉄鎌・鉄斧・鉄製鍬、鋤先・刀子・銀耳環・玉類・須恵器が出土。 6世紀前半の築造と推定されている。 長畝4号墳石室 (古墳辞典から) (説明板・古墳辞典から) |
|
4号墳 横穴式石室 |
4号墳 周溝復元(?) 奥に石室 |
手前が3号墳主体部の小竪穴式石室 上が2号墳の石室 |
2号墳の2基の主体部か 右上は、左の写真の主体部と同じもの |
もう少し説明がほしい・・・・
朝倉古墳 県史跡 |
高知市朝倉宮ノ奥1574 見学日2014/4/20 |
土佐二宮といわれる朝倉神社の近くに巨石墳がある。 (一宮は土佐神社)。土佐3大古墳のひとつ。
駐車場はない。道路より下の斜面に石室が見える。
横穴式石室が露出している。道から石室へは住宅の間の路地を通る。
朝倉古墳測量調査報告書(2005年3月・高知大学人文学部考古学研究室)がインターネットで公開されている。
朝倉古墳は 小蓮古墳、中村市の古津賀古墳と並ぶ土佐の代表的な後期古墳の一つ 墳丘形は、わからない。一辺20mほどか? 封土は取り除かれ石室の石組は露出している 両袖の横穴式石室は、全長8.33m 玄室長5.23m。玄室最大幅2.54m。最大高2.32m 羨道長さ3.1m・羨道幅1.85m・羨道高1.35m 明治初期と昭和初期に発掘され、 須恵器・馬具などが発見されたと言われているが、現在は不明。 7世紀前半の築造と推定されている。 墳丘周辺の地形 (報告書から) 住宅開発で、石室の北・南・西側は わずかな通路を除き擁壁に囲まれている。 東側は崖になっているが、 築造当時の地形かどうかはわからない。 石室実測図 (報告書から) (説明板・測量調査報告書から) 墳丘 石室の付近しか残っていない 天井石がでかい!! |
|
全ての天井石が露出している |
石室正面 |
石室入口 |
奥壁 |
左側壁 |
右側壁 |
天井石 |
石室内部から外を見る |
朝倉古墳から西に約1km、いの町に枝川古墳群があり、1~3号墳の横穴式石室が見学できるはずだが、
駐車出来そうな所がなくて、早々にあきらめ次へ・・・・。
「高知県の歴史散歩」には、高知駅近くの古墳として、
宇津野1・2号墳、吉弘古墳、仁井田神社裏古墳、土居の前古墳、愛宕神社裏古墳、愛宕不動堂前古墳が掲載されている。
宇津野古墳群 薬神社 |
高知市宇津野 見学日2014/4/20 |
朝倉古墳から北東に約5km、宇津野に薬神社がある。
「高知県の歴史散歩」には、薬神社境内に宇津野2号墳が残ると書かれている。
鳥居前の空き地に駐車。
薬神社 宇津野地区の氏神様
医薬関係者は、氏子になれると
由緒には書かれている。
古墳についての説明はないので、詳細不明。
宇津野2号墳 薬神社社殿横に石材が露出。天井石か? |
宇津野2号墳 墳丘は丸く囲われている。 |
宇津野1号墳は、薬神社の東方向にあるらしいが、位置が全く分からないので早々にあきらめ、次へ・・・・。
吉弘古墳 市史跡 |
高知市北秦泉寺(ジンゼンジ)字吉弘 見学日2014/4/20 |
薬神社から北東約700mにあるが、間に川があるので、南に迂回しなければならない。
吉弘公民館前に駐車できるかと思ったが、ロープが張られていて駐車できない。
道が細くて、前へ進めないので、空き地に駐車、交替で見学。
「高知市保護史跡 秦泉寺吉弘古墳 ここより50メートル奥」と刻まれた石碑もある。
吉弘古墳は、径8.2m・高さ3mの円墳 保存状態は良く、横穴式石室はほぼ完存。 玄室長4m・幅2.1m・高さ2.4m、羨道長3m・幅1.25m・高さ1.35mの両袖式 天井は3枚、奥壁は1枚の巨石で、石材は赤みを帯びた珪岩。 6世紀後半~7世紀初頭の築造と推定されている。 秦泉寺地区には10基以上の後期古墳が2~3の古墳群を形成して発見されている。 墳丘を残し、横穴式石室もほとんど完全に残しているのは吉弘古墳だけである。 (高知市HPほか) |
|
住宅と住宅の間の狭い空間を通りぬけた奥に 説明板と石室がある。 説明板は、読めなくなっている。 |
横穴式石室。中は真暗 入れない!! |
石室内部 |
右側壁 |
石室内が赤いのは、石が赤みを帯びているかららしい。
仁井田神社(裏古墳) |
高知市北秦泉寺 見学日2014/4/20 |
「高知県の歴史散歩」には、
仁井田神社の北東の山麓に、仁井田神社裏古墳が残っていると書かれているので行ってみるが・・・わからなかった。
神社の社殿後ろには、巨石があるが、これはなんなのだろうか?
社殿後ろに、巨石が二つ
高さ3m近くある。
木と一体化したようなものもある。
愛宕神社裏古墳 | 高知市愛宕山 見学日2014/4/20 |
東南側のふもとから長ーい階段があるのが、地図で分かっていたが、
東側の住宅街から行けば、階段を上らなくてもいいかもしれない・・・・と行ってみたら正解だった。
神社の駐車場(?)に駐車、そこからすぐ。
愛宕神社裏古墳は、愛宕神社の右奥にあり、横穴式石室が完全に露出している。 羨道はほとんど消滅、玄室には、ご神体が祭られている。 愛宕山には、愛宕山古墳群が点在していたということだが、 現在残るのは、この愛宕神社裏古墳と、愛宕不動堂前古墳(不動堂参道西の竹やぶにある)だけだ。 |
|
古墳は愛宕神社社殿左奥にある。 |
石室は天熊社となっている。 |
愛宕神社参道 ずーっと下まで階段が続いている。 駐車したところは、左に曲がってすぐ。 |
愛宕神社裏古墳の南に、愛宕不動前古墳がある。
愛宕山の南斜面の不動堂参道の西の竹薮にあるそうだが、行かなかった。
高知には「スリーエフ」というコンビニがある。
16時40分 スリーエフ高須本町店にて、休憩 チョコレートで糖分補給。
明見彦山3号墳 | 南国市明見 見学日2014/4/20 |
北側の道路に案内表示がある。
「明見彦山3号墳まで300m」となっていたので、車で行こうとしたが、
人が歩けるだけの幅しかない道なので、ゴミ集積所の前の空き地にむりやり駐車、徒歩でめざす。
切り通しを越え、山すそのあぜ道を歩いて、到着。
説明板がある。
明見彦山3号墳は 径7m・高さ2.3mの円墳 高天ヶ原山から北東にのびる尾根の先端にある。 墳丘の南側と東側は江戸時代から墓地となっている。 墳丘は、墓地によって部分的に削られている。 ほぼ南に両袖式横穴式石室が開口している。玄室の床面は一段下がっている。 現状全長4.15m 玄室長2.7m・玄室幅2m(奥壁付近)・1.65m(玄門付近)・玄室高1.75m 羨道長さ1.45m・幅1.05m・高さ1m 昭和15年に地元の農業学校の歴史の教師と生徒が発掘したという記録があり、 須恵器・直刀・刀子・馬具・鉄鎌・鉄製鋤先・勾玉・管玉などの副葬品と人骨が出土 6世紀後半の築造と推定されている。
|
|||
墳丘 |
開口部 |
||
石室内部 |
石室内部から外を見る |
明見彦山1号墳 市史跡 |
南国市明見 見学日2014/4/20 |
「明見彦山3号墳のそばに「明見彦山1号墳まで100m」という案内がある。
明見彦山1号墳は土佐の3大古墳のひとつである。
1号墳石室実測図 (2010年高知大学資料から) 両袖式横穴式石室は、 玄室長さ5.9m・幅2.5m 羨道長さ3m 7世紀の築造と推定されている。 |
|
墳丘はほとんど流出 |
石室正面 |
奥壁 |
右側壁の石が出っ張ってきている |
左側壁 |
石室内部から外を見る |
明見彦山1号墳も3号墳も、奥壁は巨石を使っていないというのが特徴か。
1号墳の東には、2号墳があったといわれているが、現在は破壊されていて、規模や形態は不明。
明見彦山古墳群については、インターネットで公開されている
「弥生・古墳時代における太平洋ルートの文物交流と地域関係の研究」
(高知大学人文社会科学系)を参考にさせていただいた。
明見彦山古墳群の東にある「たかまのはら稲荷神社」の境内にある高天ヶ原山(標高80m)の山上や斜面に
11基からなる高間原古墳群があり、付近には 六郎山古墳、小奈路古墳、狸岩3号古墳などもある。
いずれも横穴式石室をもち、須恵器や土師器が出土しているという。
たかまのはら稲荷神社に申し込むと、境内の古墳や、旧石器時代の細石器を見学できるそうだ。
景勝地 |
桂浜 | 高知市浦戸 見学日2014/4/20 |
高知の名所と言えば「桂浜」!坂本竜馬ゆかりの桂浜!
太平洋に面していて、月の名所として名高い。
午後6時を過ぎてから、見学に行ったので、駐車場はガラガラ、土産物屋も閉まっている。
何もないところだと思ってしまった。
桂浜の手前の高知港に豪華客船が停泊中。
見物人もいる。
桂浜を見てから、写真を撮ろうと、行き過ぎる。
「
南国ムード満点の桂浜
奥に海岸が見えているが、暗くなって来ているのと
霞んでいるのとで、よく見えないかな
さっきの客船のところに戻ると、なんと客船は出航してしまった・・・・・
あっという間に向きを変え、
高知港を出港して行ったサンプリンセス号
乗員・乗客合わせて2900人という豪華客船だ。
午後7時過ぎに
なか卯 32号 高知葛島店にて夕食後、ホテル土佐路高須チェックイン。
愛媛県・川上神社古墳につづく
トップへ