北村さんちの遺跡めぐり
更新日 2014/6/29
四国の遺跡めぐり 第6回 愛媛県その5 今治市② |
2014/4/20~26 |
4月22日 三日目。今治市北部の古墳見学後、旧朝倉村の古墳見学。
地図g
牛神古墳公園に、朝倉村の古墳の説明板がある。
主な古墳として
牛神古墳・多岐宮古墳・樹之本古墳・野々瀬古墳群・野田古墳群・禰宜屋敷古墳群・清水寺古墳群が紹介されている。
近くにある朝倉ふるさと美術古墳館では、朝倉の出土品が展示されている。
牛神古墳 | 今治市朝倉 撮影日2014/4/22 |
県道155号線(周越街道)沿いに、今治市朝倉牛神古墳公園がある。
すぐ横に資料展示施設があり、出土品などが展示されている。
牛神古墳は 直径13m・高さ4mの円墳 2つの埋葬部をもつ1墳丘2石室の古墳 埋葬部2基のうち 1基は横穴式石室で、全長6m 玄室全長4m・奥壁幅2m・天井高さ2.5mの両袖式 もう1基は、竪穴式石室で、全長2m・幅1~1.3m 6世紀後半の築造と推定されている。 ガラス製勾玉・出雲石製管玉・ガラス玉・耳環などの装身具 鉄鏃・鋤先・馬鈴・ヤリガンナ・止め金具などの金属類や須恵器などが出土している。 (説明板から) |
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牛神古墳を上がり口から見る |
資料展示施設内部 |
墳丘 |
横穴式石室展示 上部の石が不気味・・・ |
石室入口 |
石室内部 やっと撮影できた! |
照明がつくと聞いていたが、つかない・・・・。
牛神古墳の築造時期が、「牛神古墳の説明板」には、6世紀後半となっているが、
「朝倉村の古墳の説明板」では6世紀前半となっている・・・・
多岐神社古墳群 県史跡 |
今治市朝倉 撮影日2014/4/22 |
牛神古墳から南約1kmの山あいに多岐神社がある。
多岐神社
元は式内大社、県社。
江戸時代は今治藩の祈願所として、
雨乞祈願のたびに藩主の参詣があった。
多岐神社の周辺に古墳群がある。
多岐神社古墳群は 多岐川の上流が形成した扇状地奥の谷部にあり、 東西300m・南北100mの範囲に分布している。 (説明文には15基以上と書かれているが) 30基以上の古墳が確認されている。 なかでも5号古墳は大きい。 現存する古墳の多くは横穴式石室があると考えられている。 6世紀後半~7世紀前半の築造と推定されている。 |
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1号墳 社殿裏にある。小石を積み上げて造った積石塚と考えられ、ほかの古墳とは違う。 実は、見学し忘れた・・・・。 |
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2号墳
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4号墳
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5号古墳 径15m・高さ3mほどの円墳。 両袖式の横穴式石室は全長6.2m 玄室の長さ5m・幅1.5m・高さ1.9m 持ち送り式で天井石を6枚、羨道部は天井石を3枚 墳丘
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6号古墳 天井に穴が開いているので、石室に入るが、長さ2m足らずの石室
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その他の古墳
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ほかにも、墳丘が確認できる。
1号古墳は、気が付かず見なかった、積石塚だったのに・・・・・。
禰宜屋敷1号墳 ネギヤシキ |
今治市朝倉 撮影日2014/4/22 |
多岐神社の鳥居のそばにある。
多岐神社に行く時に、通ったのに気付かず、帰りに発見。
禰宜屋敷古墳群は多岐川の左岸に造られた古墳群で、6基確認されている。 1号墳は、径13m・高さ3~4mと考えられている。 無袖式の横穴式石室があり、全長7m・幅2m・推定高さ2m 須恵器・土師器・直刀・轡・鉄鏃や装身具などが出土している。 |
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禰宜屋敷1号墳 保存するために道が分岐している・・・・ 細長い・・・?反対側は・・・・→ |
禰宜屋敷1号墳 側壁 右が奥壁側 石室の半分しかない・・・・・・ 石積みの様子は良く分かるが・・・ |
多岐神社の境内にあるといってもいいような場所にあるが、多岐神社古墳群とは違うのかな。
一本松古墳 (根上松古墳) |
今治市朝倉 撮影日2014/4/22 |
牛神古墳から南東に約1kmにある。
県の天然記念物に指定された松の巨木があり、松の形から根上がり松と呼んだ。 昭和55年虫害のため枯れ、台風で倒れてしまった。 根元から銅鏡が出土した。松は古墳の上に植えられた一里塚だろうか。 (説明板から) 一本松古墳は、径27mの円墳で、中央に石室があったという。 |
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大事にされている墳丘 |
墳丘上にお堂がある |
樹之本古墳 | 今治市朝倉 撮影日2014/4/22 |
一本松古墳から南西に200m。
樹之本古墳は かつては前方後円墳と考えられていたが、調査の結果、 長径40m・短径30mの円墳 幅10mの二重周壕をめぐらしていた。 明治時代に漢式銅鏡や勾玉、管玉類のほか、鉄刀・砥石・槍身などが出土 墳丘からは、埴輪群が出土している。(円筒埴輪・朝顔形・きぬがさ形埴輪) 鏡、勾玉、管玉、砥石、鉄刀、槍身などが出土している。 朝倉の古墳では、最大で最古の古墳と考えられている。 5世紀後半の築造と推定されている。 (古墳辞典ほか) |
樹之本古墳遠景 近くの田んぼからは 平形銅剣5本が出土したそうだ。 |
野々瀬古墳群 | 今治市朝倉南乙野々瀬 撮影日2014/4/22 |
愛媛県最大の群集墳。
社会福祉法人東予福祉会朝倉作業所のそばに古墳群の案内図がある。
野々瀬古墳群 瀬戸内海国立公園笠松山のふもとに点在する県下最大の群集墳。 野々瀬古墳群配置図 (説明板から) 説明板の向かいにある 12号墳を初めに見学したが、 1号墳から順に紹介する。 確認できる古墳は、いずれも円墳で、6世紀後半~7世紀前半の築造と推定されている。 昭和初期には、100基もの古墳が確認されていたが、現在は20基程度が残っている。 七間塚は県史跡 |
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七間塚古墳(1号墳) 県史跡。 径18m・高さ6mの円墳。 野々瀬古墳群の中で最大の石室が開口している。 横穴式石室は全長9m・高さ2.2m・幅2m、 花崗岩の巨石を使用している。
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2号墳
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3号墳
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五間塚古墳(12号墳) 市史跡。 案内図の向かいにある 径15~16mの円墳 野々瀬古墳群の中では、七間塚古墳(1号墳)に次いで大きく地元では王塚とも呼ばれている。 両袖式横穴式石室は、玄室高さ2.6m・最大幅2.05m・奥行き6m。 大型の花崗岩を用いている。 羨道と玄室の境に、立派な玄門立柱石(袖石)を両側に構え、 框石で入口を区別し、玄室が一段下がる構造としている。 平成元年(1989年)にトレンチ調査で 首飾り(切子玉、管玉、土玉)、耳環などの装身具や 鉄製品(鉄鏃、刀子、鉄鎌)などが出土している。 周辺には陪塚と思われる石棺墓が新たに確認され、人骨などが出土 7世紀前半の築造と推定されている。
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12号墳陪塚古墳 12号墳そばにある。 横穴式石室基底部が露出している。
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13号墳 説明板のすぐそばにある。 径10mほどの円墳。 横穴式石室が開口している。
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昼食は道の駅 「今治湯之浦温泉」で、今治名物「焼き鳥玉子めし」
おみやげにバリーさん印のゼリーを買う
西条市 諏訪山古墳につづく