北村さんちの遺跡めぐり
掲載日2014/6/22
四国の遺跡めぐり 第5回 愛媛県その4 今治市① |
2014/4/20~26 |
4月22日 三日目に入る。
7時20分、にぎたつ会館 チェックアウト。今治市の妙見山をめざす。
地図g
妙見山古墳 ミョウケンザンコフン 県史跡 |
今治市202大西町宮脇 撮影日2014/4/22 |
8時15分に、妙見山古墳の麓の藤山健康文化公園に着いてしまった。
早すぎるかと思ったが、グランドゴルフの大会が開かれていて、多くの人たちがいる。
藤山歴史資料館の前を通って、麓から5分ほど山を登る。
妙見山古墳(1号墳) 妙見山古墳群配置図 (現地説明板から) 妙見山古墳(1号墳)は、眼下に斎灘を見下ろす 標高80mの尾根上にある。 同じ丘陵上に近接して造られた2号墳・3号墳 とともに、妙見山古墳群を構成している。 妙見山1号墳実測図 (古墳辞典から) 全長55.2mの前方後円墳 後円部径37.4m・前方部長さ17.8m ・くびれ部幅25.7m 前方部が東にある。 北側(海側)が大きく造られている。 2段築成 墳裾と段築部に列石状の葺石がめぐる。 後円部に1基の竪穴式石室、前方部に1基の竪穴式石室があり、 墳丘周囲に箱式石棺が3基確認されている。 1号竪穴式石室(後円部)は 内法長さ6.7m・幅1.0m・高さ0.8~1.0m 2号竪穴式石室(前方部)は 内法長さ3.8m・幅0.8m・高さ0.65~0.75m でいずれも天井石と被覆粘土が残る。 粘土床の上にくりぬき式木棺が置かれていたと考えられている。 1号竪穴式石室の棺外から、鉄剣・鉄斧・鉄刀子・やりがんなの破片などが出土し、 棺内では、鏡の痕跡が確認された。 2号竪穴式石室の棺内からは鏡と鉄器残片が出土。 墳丘では、二重口縁壺形土器や伊予型特殊器台の破片が多量に出土。 古墳時代前期前半(4世紀)の築造と推定されている。 陪塚とされている2号墳・3号墳は、 最近の調査で、どちらも小さな前方後円墳ではないかとみられている。 |
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妙見山古墳全景 手前前方部 右側(海側)の墳丘が 大きく造られている。 |
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左側(山側)の墳丘 |
右側(海側)の墳丘 |
前方部から後円部を見る 前方部の石室はパネル表示(手前) 後円部の石室は、 発掘時のまま保存展示されているが、 展示室は鍵がかかっている。 前方部から後円部に上がる階段の左に、後円部石室の入口扉がある 見学は事前に問い合わせが必要! |
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後円部から前方部を見る |
後円部から瀬戸内海が見える 右下は、後円部石室展示室入口 |
妙見山古墳(1号墳)前方部から見た2号墳 |
2号墳から見た3号墳 |
竪穴式石室天井石の展示施設 妙見山古墳から西に下ったところにある。 天井石の置き方は、 まず長い軸に交わるように、 大きな細長い石を間隔をあけて置いていき、 その間に少し小さめの平らな石を 両側から合掌風に置いている。 |
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1号竪穴式石室 後円部 |
2号竪穴式石室 前方部 |
藤山健康文化公園のシンボル 水道橋
相の谷古墳群 県史跡 |
今治市伊賀相の谷 撮影日2014/4/22 |
今治市の来島海峡海上交通センターの前に説明板がある。駐車スペースもある。
相の谷1号墳は愛媛県最大の前方後円墳だ。
相の谷古墳群配置図
(説明板から)
相の谷古墳は、
来島海峡を見渡すことができる丘陵(付近)上にある
10基以上の古墳群。
、まず2号墳があるが、順番に1号墳から紹介する。
相の谷1号墳 標高63,5mにある。 全長82mの前方後円墳 後円部径50m・高さ10.7m 前方部幅40m・高さ10.5m 2段築成、埴輪が並ぶ 葺石あり 後円部の小口積み竪穴式石室から、 鏡2面(一面は三角縁神獣鏡)・鉄剣・鉄刀・鉄斧・ヤリガンナ・刀子などが出土。 5世紀前半の築造と推定されている。 相の谷1号墳実測図 (古墳辞典から) 1965年(昭和45年)に発見、その後発掘調査。
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相の谷2号墳 2号墳は、1号墳から北側に下った標高45mにある 全長53mの前方後円墳 後円部径23m・高さ5m 前方部長さ21m・前方部幅9m・高さ3.1m 埴輪あり 未調査 5世紀前半の築造と推定されている。 2号墳実測図 (古墳辞典から)
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相の谷3号墳 2号墳の前方部そばにある。 3号墳 右奥が2号墳前方部 説明板では消滅となっている。 |
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相の谷7号墳 1号墳前方部そばにある。 7号墳 (写真中央) 左手前は1号墳前方部 |
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ほかにも墳丘がある。 古墳番号がよく分からない! |
鯨山古墳 県史跡 |
今治市馬越町 撮影日2014/4/22 |
今治市の西北部の平地にある。
すっかり街の中に取り込まれて駐車場がないので、向い側にある開店直後のエディオンに駐車。
(時刻は午前10時過ぎたばかり)
鯨山古墳は 全長152m、標高25mの独立丘陵、この丘陵全体が鯨山古墳!! 1579(天正7)年に書かれた大山祇神社の記述によれば、応神天皇の時代に国造として、 最初に伊予に赴任した越智国造乎致命(オチノクニノミヤツコ)の墓と伝えられる。 前方後円墳として、県史跡に指定されているが、一部墳形に疑問点も残している。 (円墳だとしたら径66mとなるそうだ。) 円筒埴輪や須恵器が出土している。周堀の痕跡も残っている。 |
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北から見た鯨山古墳 左(東) 前方部 |
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鯨山古墳 上り口 |
鯨山古墳 後円部から前方部を見る |
鯨山古墳 くびれ部から前方部を見る |
鯨山古墳 前方部から後円部を見る |
鯨山古墳 くびれ部から後円部を見る 後円部には神社・寺がある。 |
前方部と後円部が逆に書かれているものもあるが、地形からは、考えられない・・・・。
調べてもわからない・・・・。
駐車させてもらったエディオン店内で休憩、エディオン様ありがとうございました!
朝倉村の古墳へつづく・・・・