北村さんちの遺跡めぐり
更新日 2014/6/15

四国の遺跡めぐり  第4回
愛媛県その3・松山市②
2014/4/20~26

二日目 伊予岡八幡神社を午後2時40分ごろ出て、
見学したかった二ツ塚古墳と経石山古墳は、時間がなくあきらめ、次へ・・・・。

地図g

難波奥谷古墳
県史跡
松山市北条庄
撮影日2014/4/21

地図にも載っている有名な古墳。
近くまで行き、道端に駐車。
果樹園の急な斜面で農作業をしていた女性が軽やかに斜面を下りてきて、場所を教えて下さった。
果樹園の中を通って、石室前へ行く。

 難波奥谷古墳は 墳形は不明、径20mくらいの円墳か方墳か
 南東に開口する両袖式横穴式石室は、全長12.2m
   玄室長6m・幅2.1m・高さ2.5m  羨道長6.2m・幅1.36m・高さ1.8m
  奥壁には巨石を直立させ、左右壁面に河原石を積み上げ、上部でわずかにすぼまり湾曲している。
  その上に3枚の巨石の天井石がある。
 副葬品は発見されていないので、詳細は不明。
 古墳時代後期の6~7世紀の内の比較的遅くに築造されたと推定されている。
 明治25年(1892年)に盗掘され、内部の棺や副葬品が失われた。
 風早平野北東部の丘陵地を含むこの一帯は、
 古墳時代中期から後期にかけての円墳を中心に数多くの古墳が確認されている。
                       (説明板・松山市HPから)

果樹園の奥に説明板と石室が見える。

入口の天井石が斜めになっていて、ちょっと怖い。

石室内部

奥壁

天井石

奥壁付近から入口を見る

玄室から羨道を見る

石室背後の墳丘


鎌大師古墳
カマダイシコフン
市史跡
松山市北条下難波甲1064
撮影日2014/4/21

近くまで行くと、案内表示があるので、迷うことはない。

鎌大師
山号は鴻乃山、本尊は弘法大師
弘法大師の伝承がある。
早坂暁脚本のNHKドラマ「花へんろ」の舞台となったことにちなみ、
「四国八十八ヶ所番外札所・花へんろ第一番札所」とも呼ばれている。

お遍路さんの休憩所もある。
休憩所には果物が置かれている。
ここで泊まらないでという注意書きもある。
弘法大師が行脚の途中、この地に悪疫が流行していることを哀れんで、
 村人に鎌で刻んだ大師像をあたえたところ、無事平癒したので、
 その大師像を本尊として、この地に堂を立て、鎌大師と呼んで深く信仰されてきたと言い伝えられる。
昭和48年、境内にある芭蕉塚、十八人塚、大師松が合わせて文化財に指定されたが、大師松は平成6年枯死した。

芭蕉塚
真ん中の白いとがった石碑


鎌大師境内にある。
表に「芭蕉翁」とだけ、刻印されていて、句は刻まれていない。
藤花塚とも呼ばれる。
松尾芭蕉100回忌の寛政5年(1793年)に建立された石碑
愛媛県内で最も古い芭蕉塚の一つである。




鎌大師古墳の墳丘

鎌大師古墳の横穴式石室
塀に張り付くようにある。


鎌大師古墳石室内部

全長5mほどの横穴式石室
十八人塚」として史跡指定を受けている。
 十八人塚は、南北朝の戦乱に敗れた赤橋重時主従をいたんで、
  鎌倉末期に建てられた墓所と言い伝えられている。
 でも、これは、古墳時代の古墳だ。

鎌大師の奥さまは、たくさん話をしたそうだったが、先を急ぐので、早々に失礼して・・・・・・

今晩は道後温泉に午後6時までに入らなければならないので、まだいっぱい見学したいが、
ぶっ飛ばして・・・・次へ・・・・

国津比古命神社古墳

櫛玉比売命神社古墳
松山市北条八反地ほか
撮影日2014/4/21

近くまで行くと、案内表示があるので、迷うことはない。

国津比古命神社の主神はニギハヤヒノミコト、その妃を祀っているのが櫛玉比売命神社
どちらの神社も風早の大氏神として、厚く崇敬されている。
秋に行われる「風早の火事祭」は有名。   (説明板から)

神社入口

石段を上がって、左の丘が国津比古命神社、
  右奥の丘が櫛玉比売命神社

二つの神社は、向かい合わせになっていて、それぞれ独立丘陵上(20m)に鎮座する。
どちらも古墳の上に建てられているが、建立の時の整地作業で改変され、調査ができない部分が多い。

 国津比古命神社古墳   (住所 松山市北条八反地)
 南北に並ぶ二つの丘の北側の丘に国津比古命神社古墳があり、
  全長50mの前方後円墳と考えられている。
 古墳の上に国津比古命神社が建つ。
 5世紀ごろ、櫛玉比売命神社古墳にやや遅れての築造と推定されている。
 葺石あり 埴輪は不明


国津比古命神社 
(櫛玉比売命神社のある丘から見る)
延喜式にある古社

左手前の楼門をくぐり、
 石段を上がると社殿がある。

社殿の乗る高まりが墳丘か?
   

国津比古命神社楼門「八脚門」
   県指定文化財
入母屋造の本瓦葺き、
 一部唐様を取り入れた和様建築で
   桃山時代の様式が残されている。

 慶安2年(1649年)阿沼美神社に建立されたものを、
  元禄年間(1688~1703年)にこの地に移した。

国津比古命神社社殿
   

社殿左奥に残る墳丘(?)


国津比古命神社
社社殿から
   櫛玉比売命神社を見る


中央奥の石段の奥が櫛玉比売命神社

右が楼門「八脚門」
古墳としての情報は、
 説明板にある「国津比古命神社は古墳の上にお祭りされています。」という文章だけ。
 櫛玉比売命神社古墳   (住所 松山市高田)
 南北に並ぶ二つの丘の南側の丘に櫛玉比売命神社古墳がある。
 

櫛玉比売命神社古墳測量図
  (古墳辞典から)

 全長75mの前方後円墳  後円部径42m・高さ7.5m 前方部幅39m・高さ6m
 葺石あり 埴輪は未確認 周壕なし
 社殿建築のさいに、後円部で竪穴式石室がみつかり
  勾玉が出土したと伝えられているが、不確実で未調査。
 5世紀前葉の築造と推定されている。
 国津比古命神社古墳より先に造られたと考えられている。

神社入口      進むと→

後円部 右奥前方部

櫛玉比売命神社社殿
前方部を一部削って建てられている

社殿後ろにある前方部の残存墳丘

前方部前端部の葺石

前方部から後円部を見る
塀の向こうが後円部


後円部 東側から見る

後円部の墳丘はほぼ残されている。
もとは後円部に社殿があったそうだ。

  

午後5時に近くなったので道後温泉に向かう。
5時半過ぎ、今晩宿泊の「にぎたつ会館」にチェックイン。
ちょっと休んで、食事前に道後温泉本館見学。


道後温泉本館(国重文)

1894年(明治27年)の建築で、3層楼。


この辺りは、とてもにぎわっている。
今回の旅で一番にぎわっていたのは、ここだ。
商店街で、おみやげのハンカチなどを買い、宿に戻って、夕食。なかなかの美味!
食堂で、隣り合わせたのは、私たちの石川県の隣りの富山県から来た御夫婦。
結婚50周年の記念旅行だということである。


三日目、妙見山1号墳につづく・・・・

愛媛県トップページ

トップページ