北村さんちの遺跡めぐり
更新日2014/9/9
四国の遺跡めぐり 第15回 香川県その7 さぬき市@ |
2014/4/20〜26 |
四国の旅は、六日目に入る。
朝一番に栗林公園を散策して、朝食後、8時30分にホテル発、さぬき市に向かう。
徳島石油(高松市下田井町)で、ガソリン給油、出発から 1321kmとなる。
地図g
さぬき市長尾地区には多くの古墳がある。
さぬき市文化財保護協会長尾支部のHPがあるので、参考にさせていただいた。
極楽寺古墳群 | さぬき市長尾東 2014/4/25 |
極楽寺のそばに2基の古墳がある。
極楽寺 天平元年(729)行基菩薩が開基したが、 大同4年(809)に焼失、 弘仁12年(821)弘法大師が 再興したと伝えられている。 国重文の薬師如来のほか すぐれた仏画や仏像がある。 (説明板から) |
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極楽寺東古墳 極楽寺駐車場北の道路をはさんだ向かい側に墳丘があるが、説明板もなく詳細不明 径10mくらいか?
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極楽寺西古墳 極楽寺駐車場の西約50m。 写真中央の白い標柱に、 「極楽寺西古墳」と書かれているが、 墳丘らしいものはない。 |
県道バイパスの建設の時、現場の下から6基の古墳が発見され、発掘調査されたそうだが、
極楽寺の前を通るのが、県道バイパスなのかな?
亀鶴古墳群 | さぬき市長尾名 2014/4/25 |
極楽寺から南に約1km。
宇佐八幡神社のある鶴が山と、宮池に浮かぶ亀島が堤で結ばれていて、景色がすばらしい。
桜の時期はもっと素晴らしいだろう!
亀鶴古墳群 宇佐神社の社殿の周りから桜宮社にかけての宇佐八幡神社古墳群(約25基) 東側の宮池にある亀島の亀島古墳群(約25基) の計50基ほどの古墳が残っている。 いずれも終末期の築造と考えられている。 神社裏、桜宮社、亀島6号墳は大型の墳丘があるとみられている。 発掘の記録があるものは、亀島の頂上にあったものだけで、 大部分は盗掘され、内容は不明のままである。 大川郡史によれば、明治年間、亀島の神事場の発掘で、 金環、銀環、土器、刀剣、鏃その他が出土したと記録されているが、出土品は現存しない。 1985年には、神社前が長雨で山崩れを起こし、2基の石室が開口して埋め戻したことがある。 (説明板から) |
宇佐八幡神社古墳群 | ||||
宇佐八幡神社 境内には円墳が数多く群集しているというが 見学できる墳丘はあまりない。 |
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宇佐神社古墳 (宇佐八幡神社古墳群) 横穴式石室は全長5mくらい。
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桜宮社古墳 (宇佐八幡神社古墳群) 宇佐神社鳥居の北東横に森になっている。 桜宮社 前方後円墳ではないかと推測されている。 上ってみると墳丘らしく感じる。 |
亀島古墳群 宮池に浮かんだような 亀島には、6世紀中〜7世紀末の後期古墳が残る。 墳丘があるものは12基余で、その他に、盛り土のない箱式石棺墓もあるので、 実数はかなり多くなると考えられている。 堤でつながっている亀島 堤は幅20m・長さ300mで ソメイヨシノが300本植樹されている。 古墳番号の標柱が立っているものもあるが、それ以外にも墳丘らしいものがある。 |
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亀島1号墳 |
亀島2号墳 |
亀島4号墳 |
石室石材?(番号不明) |
亀島6号墳 群中一番大きな墳丘か |
墳丘? |
亀島墳丘? |
亀島8号墳 |
亀島9号墳 |
亀島10号墳 |
川上古墳 | さぬき市昭和 2014/4/25 |
さぬき市社会福祉協議会福祉の里・行基苑の東隣りのケアハウス・行基ハイツの南にある。
川上古墳は 径20〜22mの円墳 丘の北端を利用してつくられている 長さ4m・幅1.2mの竪穴式石室は、側壁に人頭大の河原石を用いている。 天井石は発見されていない。(木蓋か無蓋の可能性が強い) 短甲、衝角付冑、鉄鏃、肩鎧、太刀、鉄剣、鉄槍、鉄鉾、刀子、ヤリガンナ、 轡、帯金具、革草摺、鉄鑿や 土器(高台付有蓋壺・高台付器台・筒型土器・広口壺・坏)などが出土している 5世紀後半の築造と推定されている。 昭和57年発掘調査 (説明板から) |
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川上古墳入口 左上の高台に墳丘がある。 右の建物は、ケアハウス・行基ハイツ |
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墳丘 墳頂は江戸末期以降、 墓地として利用されてきた。 |
竪穴式石室の保存 |
石槌神社古墳 | さぬき市昭和 2014/4/25 |
川上古墳の西約100mに石槌神社がある。
石槌神社古墳は、現状で径10mの円墳といわれているが、前方後円墳の可能性がある。 未調査で詳細は不明。川原石の葺石がある。 5世紀後半頃の築造か? |
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石鎚神社 |
墳丘 |
石槌神社のそばに行基堂があるが、謂われは不明。
行基堂 |
行基堂内部 |
稲荷山古墳 市史跡 |
さぬき市長尾西 2014/4/25 |
川上古墳の南東約150mに、塚原稲荷神社がある。神社裏山に稲荷山古墳。
稲荷山古墳は、 全長40mの前方後円墳 後円部径20m 後円部を北に向ける。 葺石あり 昭和26年(1951)発掘調査 第1竪穴式石槨の西側短軸はU字状、東側短軸はV字状に合わさる特徴的な形態をしている。 また石槨は上方ほど狭くなり、天井石は両端を除く14枚が残存していた。 昭和59年(1984)に第2竪穴式石槨が新たに発見された。 後円部頂に埋葬施設が東西方向に2基並列していることが分かった。 (説明板から) 5世紀初めの築造と推定されている。 |
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塚原稲荷神社 裏参道鳥居 |
後円部に露出した石室 ほかにも石材が露出している。 |
後円部から前方部を見る |
前方部から後円部を見る |
稲荷山ふれあいの森(遊歩道)案内板が、稲荷山古墳そばにある。
稲荷山ふれあいの森(遊歩道)は、約1km
このコースは鍛冶池を起点として、
行基苑、石鎚神社古墳、川上古墳を通り、
稲荷山古墳を通過して、展望台、打越古墳を過ぎてから
四国のみちにつながり、大石神社(古墳)に至る。
(説明板から)
四国の道(四国自然歩道)とは、全長1545.6kmの長距離自然歩道。
起点は徳島県鳴門市、終点は徳島県板野郡板野町。
四国霊場や、各地に点在する身近な自然や歴史に親しみながら、歩いて四国を一周する事ができる。
稲荷山古墳から、稲荷山ふれあいの森遊歩道を歩いてみる。
遊歩道を行く・・・・。
2基の前方後円墳と4基の円墳を結んでつくられているという。
墳丘らしい盛り上がりはいくつか確認できる。
山を登ったり下りたりでかなり大変な道だ。
打越古墳の案内表示を見つける。
打越古墳 | さぬき市長尾西 2014/4/25 |
案内表示がなければ、打越古墳とは分からない。
打越古墳 円墳(前方後円墳にも見える) 竪穴式石室がある。 未調査。 4世紀初頭の築造と推定されている。 |
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墳丘上を遊歩道が通っている。 |
墳丘上の案内表示 |
この先、稲荷山ふれあいの森遊歩道は、四国のみちに入り、大石神社まで道は続いているらしいが、
ここで引き返すこととする。稲荷神社まで戻る。
塚原稲荷神社表参道
裏参道の鳥居とは比較にならないほど立派!
稲荷神社から大石神社へは、車で向かう。
大石神社古墳 市史跡 |
さぬき市前山 2014/4/25 |
稲荷神社から南に約1.5kmの大石神社背後にある。
大石神社古墳は 円墳 葺石あり 竪穴式石室は、南北の方向をとり、長さ4.5m・幅は南端で0.78m、 北端はV字型に終わることは稲荷山古墳と同様である。 側壁は河原石を積み、天井石は9枚の自然石を並べている。 昭和18年、地区民が松根油をとる根を掘ったとき、掘り当て、 剣が1口出土したというが、所在不明。 昭和20年の再調査で、 鉄剣1・鉄鏃2・鉄斧1が出土したが、昭和20年7月の高松大空襲で焼失したといわれている。 5世紀中ごろの築造と推定されている。 (説明板から) |
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墳丘頂部 |
竪穴式石室の石材が露出している 縄掛け突起のように見えるが・・・・・ |
大石北谷古墳 | さぬき市前山 2014/4/25 |
大石神社古墳そばに案内表示があり、北の小道を行った所にある。
大石北谷古墳は 江戸時代から開口していたらしい。 全長8.5mの横穴式石室がある。羨道長4m、玄室長4.3m 奥壁は鏡石を使用している。 1989年発掘調査 かつては「ばくちば古墳」と呼ばれていた。 このあたりは前山古墳群といわれ、20基ほどの横穴墳が残っていたところ。 (説明板から) |
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土手に石室が・・・・・! |
石室内部 |
玄室の石積みの様子 |
石室内部から外を見る |
椋の木古墳 ムクノキコフン 市史跡 |
さぬき市長尾西 2014/4/25 |
大石神社古墳から、北約800m、採石場の北の県道沿いに案内表示がある。
道路沿いの空き地に駐車、山道を数分上る。
椋の木古墳は、古墳の上に大きな椋の木が生えていた所から、名が付けられた。 盛土がはがれ横穴式石室が露出し、崩壊のおそれが出たため、 昭和60年調査し、補修工事を行った。 羨道はなくなっているが、 玄室の長さ3.5m・幅2m・玄室入口で1.6mの中間型?(両袖の意味か)、石材は花崗岩、 金環1と須恵器が出土している。 古墳時代後期末の築造と推定されている。 (説明板から) |
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案内表示と説明板 |
石室入口 右の外側はコンクリートで固められている。 |
入口から内部を見る |
石積みの様子 |
石室内部から外を見る |
墳丘上に露出した天井石 |
諏訪山古墳 | さぬき市造田乙井 2014/4/25 |
諏訪山のふもとまで行くが、駐車できるところが見つからずあきらめる。
独立丘陵の頂上にある。
諏訪山古墳は径15mほどの円墳で、横穴式石室が開口している。
玄室は完存。玄室長4m、幅1.5m、高さ2mほどの右片袖式
諏訪神社社殿裏にあるが、ほかにもいくつか墳丘がある。
午後1時となり、富田茶臼山古墳のそばにある道の駅みろくで昼食をと思ったが、トイレ以外は改装中・・・
道の駅みろく
トイレそばにスタンプがあった!
向かいにある弥勒食堂で昼食。
富田茶臼山古墳につづく