北村さんちの遺跡めぐり
更新日 2014/9/16
四国の遺跡めぐり 第16回 香川県その8 さぬき市② |
2014/4/20~26 |
四国の旅は、六日目午後の部に入る。
地図g
富田茶臼山古墳のそばの弥勒食堂で昼食を済ませる。
富田茶臼山古墳 国史跡 |
さぬき市冨田中 2014/4/25 |
弥勒食堂の駐車場のすぐ北に見えている。車はそのまま、徒歩で墳丘へ。
富田茶臼山古墳 南から見る 左・前方部 右・後円部 |
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富田茶臼山古墳平面図と 3基の陪塚位置図 (説明板から) 下が北となる。 富田茶臼山古墳は 全長139mの前方後円墳 後円部径91m・高さ15.7m 前方部長さ48m・幅77m・高さ11.8m 四国最大の古墳 3段築成 盾形の周壕(空堀)あり 周堤帯もあったと考えられている かつて、後円部上から竪穴式石室の天井石らしい石材が見つかっている 円筒埴輪や形象埴輪が出土している。 5世紀前半の築造と推定されている。 平成元年調査 平成5~8年の調査で、古墳西側に3基の陪塚が確認された。 陪塚は、いずれも一辺14~24mの方墳。 |
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前方部から後円部を見る |
くびれ部から後円部を見る 後円部上には妙見神社がある。 |
後円部から前方部を見る |
前方部手前から後円部を見る |
津田湾の古墳群 | さぬき市津田町 2014/4/25 |
さぬき市民俗資料館のHPには、津田湾の古墳群が紹介されている。
さぬき市内遺跡発掘報告書「一つ山古墳・岩崎山4号墳」(2008.3)
「岩崎山古墳群・龍王山古墳」(2009.3)がインターネット上で公開されている。
参考にさせていただいた。
津田湾古墳群とは、さぬき市津田町(津田地区・鶴羽地区)にある古墳。17基が確認されている。
主な古墳を築造順に並べてみると ・・・・・
時期 | 形 | 大きさ | その他 | |
3世紀後半 | うのべ山古墳 | 積石塚の前方後円墳 | 全長37m | 杓子型 |
4世紀前半 | 川東古墳 | 積石塚の前方後円墳 | 全長37m | 杓子型 |
4世紀前半 | 古枝古墳 | 前方後円墳 | 全長34m | 杓子型 |
4世紀後半 | 赤山古墳 | 前方後円墳 | 全長44m | |
4世紀後半 | 一つ山古墳 | 円墳 | 径27m | 葺石のある盛土墳 |
4世紀後半 | 岩崎山4号墳 | 前方後円墳 | 全長61.8m | 葺石あり |
4世紀後半 | 龍王山古墳 | 円墳 | 径30m | |
4世紀後半 | けぼ山古墳 | 前方後円墳 | 全長55m |
(川東古墳・古枝古墳は見学していない)
国史跡をめざして、調査が進んでいる事もあってか、案内表示があるので、
古墳に行く道は見つけやすいが、山の中にあるものが多い。
富田茶臼山古墳から北に行き、高速道路をくぐった所にある赤山古墳から見学。
赤山古墳は、ホテルの南に後円部が残っている。 説明板は見あたらない。
赤山古墳 | さぬき市津田町鶴羽 |
赤山古墳実測図 全長44mほどの前方後円墳 前方部削平。 崖面に葺石あり 赤色顔料を塗った円筒埴輪片が出土している。 岩崎山4号出土の円筒埴輪との共通点が見られる。 4世紀後半の築造と推定されている。 後円部に刳抜式石棺が2基露出しているそうだが、立入禁止となっている。 昔の航空写真から、前方後円墳とわかったという。 |
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北西から見た墳丘 木の生えているところが後円部 右奥が前方部 |
後円部 石棺を見たい・・・・ |
龍王山古墳の案内標識は、県道沿いや寿団地内に3ヶ所見かける。
寿団地の住人に空き地を教えてもらい駐車。 かなりワイルドな上り道を上る。
龍王山古墳 寿団地の西の山にある。 | さぬき市旧津田町北羽立 |
龍王山古墳実測図 (報告書から) 径30mの円墳 西側は墳丘を尾根から切り離す為に、 区画溝をつくり、墳裾を明確にしている。 葺石は基底石に大型石材を使用し、上位は拳~人頭大の石材をさしこんでいる。 墳裾から壺形埴輪、墳頂部から家形埴輪、円筒埴輪が出土 円筒埴輪は岩崎山4号墳より新しく富田茶臼山古墳より古い。 墳頂部に竪穴式石室がある。大きさは5.9×0.8×0.7mで、板石を積み上げている。 墳丘の中心は現在露出している竪穴式石室とずれていることから、 他に埋葬施設がある可能性がある。 平成21年度調査。 |
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墳丘 |
竪穴式石室 |
竪穴式石室天井石 |
竪穴式石室内部 |
葺石か |
離れた所に石材 もう一つの埋葬施設? |
岩崎山4号墳は、セレモニーホール津田会館北の民家横に案内標柱があり、それに従い上る。
説明板がある。
岩崎山4号墳 | さぬき市旧津田町南羽立 |
岩崎山には1~6号古墳が同一尾根上に次々と築造されていて、4号古墳は最も立派なもの (平成元年設置の説明板には、5号までとなっているが、調査で6号が見つかった) 岩崎山4号墳実測図 (報告書から) 全長61.8mの前方後円墳 後円部径38m・高さ6m 前方部高さ3.4m 後円部端・前方部端に 尾根から切り離す区画溝が検出された。 葺石は、基底石に大型の石をおき、その上に人頭大の石をさしこむ構造。 多量の円筒埴輪(赤色顔料を塗ってある)が出土。 絵画を線刻した円筒埴輪もある。 竪穴式石室の中に凝灰岩製の割竹形刳抜式石棺がある。 (埋め戻されている) 出土品は、二神四獣鏡、直刀、剣身、鉄斧頭、小鎌、銅鏃、車輪石など。 過去に、文化6年(1809年)、明治6年、昭和2年に発掘、昭和26年に発掘調査されている。 文化6年の発掘状況を「讃岐国名勝図会古鏡記」には、 「文化6年の春、岩崎山古墳を村夫が、誤って掘ったところ、一石槨を得た。 方一丈に石を畳み、中に石棺を安置、身も蓋も全石で彫琢して造ってあり、 中に一男を両女がはさんで殉じている。 そのそばに壺があり、鏡で蓋をしてある。 壺の中に曲玉でもあるのか、村夫は驚いて鏡を人に示す。 皆これを貴族の墓、あばけば祟るとて穴をうずめ、お祭りをして祈謝した」 とある。 平成19年度にあらためて調査がなされた。 |
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墳丘 手前・前方部 奥・後円部 |
後円部頂部 |
後円部から前方部を見る |
葺石 |
道の駅・津田の松原で休憩後、けぼ山古墳へ。
けぼ山古墳は、 津田湾に張り出した岬・鵜部鼻近くにある。
案内表示にしたがって、そばまで車で行ける。つぶれたレストハウスみたいな建物がある。
けぼ山古墳の調査報告書が出ているが、インターネット上には公開されていないようだ。
こんな山の中まで、石仏には花と水が供えられている。
けぼ山古墳 | さぬき市旧津田町鶴羽 |
全長55mの前方後円墳 古墳群の中では岩崎山4号墳につぐ2番目に大きい古墳 後円部中央に竪穴式石室があるとみられている。 出土したつぼ形埴輪から、4世紀後半の築造と推定されている。 調査時、墳頂の下から刳抜式石棺の破片が出土した。 (石棺の身で縄掛突起がある) 平成22年度調査。 |
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けぼ山古墳後円部 右奥に前方部 |
後円部にある竪穴式石室蓋石(2m×0.9m) 縄掛突起がある。切断しようとした痕跡がある 他にも石材がある。 |
後円部から前方部を見る |
前方部から後円部を見る |
くびれ部から前方部を見る |
墳頂から見る瀬戸内海 |
うのべ山古墳は 津田湾に突き出た半島の根元の丘陵南端にある。
宅地造成で前方部が一部破壊されてしまった。
うのべ山古墳 市史跡 | さぬき市旧津田町鶴羽 |
うのべ山古墳実測図 全長37mの前方後円墳の積石塚 標高9mの平坦な土台上に石を積んで造られている。 前方部は土を混ぜながら石を積んでいる。 香川県の古い古墳の特色を示す一つの要素である外周段築がある。 広口壺片が出土 3世紀前半の築造と推定されていて、四国最古級・津田湾最古の古墳と判明した。 墳丘の斜面には中世の石塔が散在している。 平成16~18年度調査。 (説明板から) |
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後円部 |
後円部から前方部を見る |
前方部の積石 |
前方部から後円部を見る |
一つ山古墳は津田湾に突き出た半島の、東の丘陵上にある。
案内表示に従って、上り口まで車で行ける。そこから30m上る。立派な説明板がある。
一つ山古墳 | さぬき市旧津田町鶴羽 |
一つ山古墳墳丘測量図 (報告書から) 一つ山の頂上(標高30m)にあり、淡路島が見える。 径27mの円墳 (南北27m・東西25m、高さ4m) 2段築成で 墳丘裾部を水平に整形するなど 丁寧な造り方をしている 下半分を地山整形、 上半分を盛土によって構築している。 上下2段に葺石がめぐらされている。 壺形埴輪が出土 石棺の破片が出土していて、埋葬施設は墳丘の中心に1基あり、 刳抜式石棺が置かれていたと考えられている。 4世紀後半の築造と推定されている。 石棺石材は、さぬき市鶴羽産の火山産白色凝灰岩で、 赤山古墳・岩崎山4号墳・けぼ山古墳をはじめ、 鶴山丸山古墳(岡山市)・久米田貝吹山古墳(大阪府) ・大代古墳(徳島県)などにも使用されている。 石棺の形状から赤山古墳と岩崎山4号墳の間の時期に位置付けられる 円墳から刳抜式石棺が出土した事例としては、香川県では初めてである。 平成17~19年度・平成23年度に調査 (説明板から) |
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墳丘 |
石仏がある。 |
墳頂から墳裾を見る 墳丘はグレーのシートで覆われていて 全く見ることはできない。 刳抜式石棺は、こわれた状態で出土している |
墳丘の向こうは瀬戸内海 |
津田湾の古墳の見学を終え、いよいよ徳島県へ行こうとして、車を走らせていたら、
高松自動車道白鳥大内インターチェンジのすぐ南の県道に「原間古墳」の案内表示があったので、
そこから集落に入ると、すぐにまた案内表示がある。
でも付近には墳丘はない。
幼児を連れた女性にきいて、その奥を探すがない。
帰宅してから調べたら、古墳に行く道は特にないということで、
あの林の中に入って行かなければ見つからなかったのだと、後悔している。
原間古墳(原間1号墳) | 東かがわ市旧大内町原間 2014/4/25 |
見つからなかった。
原間古墳(原間1号墳)は、径20mほどの円墳 開口している横穴式石室は全長8m、玄室長5m、幅2m、高さ2.5mの右片袖式 6世紀後半の築造と推定されている。 |
午後5時を過ぎて、徳島県に入り、道の駅・どなりで休憩後
徳島県最初の土成丸山古墳へ
徳島県・土成丸山古墳につづく