北村さんちの遺跡めぐり
更新日 2023/8/19
徳島旅行記2023 その7 鳴門市・吉野川市2 |
2023/3/21〜25 |
2023/3/24、4日目午後、鳴門市萩原春日神社古墳群の東約1kmにある萩原墳墓群2号墓へ。
萩原墳墓群2号墓 鳴門板野古墳群として国史跡 |
鳴門市大麻町萩原山ノ下 撮影日2023/3/24 13:51 |
、天河別神社古墳群の西約300m、県道12号線から北に入り100mほどの右側に大きな説明板。
幅が2mほどある大きな説明板!
2016年に、
「萩原板野古墳群」として国史跡になった。
説明板の東側から山に登ると、標高43mのところに墳丘がある。
埋葬部は埋められていて、見ることはできない。
萩原墳墓群2号墓は、直径21mの円丘部に長さ5.6mの突出部が付く積石塚墳丘墓 丘部の中央には、長方形の石積みの低い壁と木組みの壁(積石木槨)に囲まれた中に 箱形木棺が安置されていたと推定されている。 2号墓の南側で過去に発掘調査された萩原1号墓とほぼ同じ造りである。 この積石木棺は、奈良県のホケノ山古墳で見つかった埋葬施設の造り方と似ており、 地域間の関係があると考えらている。 2号墓の木棺があった場所からは、銅鏡片(内行花紋鏡)が出土。 弥生時代終末期(3世紀初頭)の築造と推定されている。 |
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西側から見上げる |
北東側より見る |
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埋葬施設跡 小石が集まっているところ |
埋葬施設跡 方向を変えて見る |
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円丘部から造り出し部方向を見る |
造り出し部から円丘部方向を見る |
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説明板から
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萩原2号墓の東にある天河別神社古墳群・大代古墳・宝幢寺古墳は前回の四国旅行で見学したので、
今回は行かない。
宝幢寺古墳のある宝幢寺境内には「萩原移築古墳」として、石棺らしき石組みが3基保存されている。
萩原墳墓群は、22基の埋葬施設が確認されているそうだ。
穴観音古墳 | 鳴門市大麻町大谷山田 撮影日2023/3/24 14:11 |
萩原墳墓群の東約1.5kmの東林院の境内にある。お寺の駐車場あり。
境内が工事中で、バタバタしている中の見学。
墓地の中に横穴式石室がある。
穴観音古墳は 形は不明だが、円墳ではないかと考えられている。 横穴式石室があり、石室が観音堂として利用されている。 詳細不明 |
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中央奥に石室扉がある。石室上は、木々で覆われている。 |
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石室は、鍵がかかっている 右端は「穴観音古墳」と書かれたプレート |
石室内部には、石仏が安置されている。 |
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東林院境内その1 |
東林院境内その2 |
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古墳辞典から
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順調に古墳見学ができて、もうあと少しというところで、
余裕ができたので、最大の忘れ物「忌部山古墳群」を見に行くことにする。
1時間近くかけて、吉野川市まで戻る。空に雨雲が広がってきているが…。
吉野川市の地図g
忌部山古墳群のそばにある。西の原古墳・境谷古墳などは、22日に見学を済ませている。
忌部山古墳群 市史跡 |
吉野川市山川町忌部山 撮影日2023/3/24 15:30 |
ネットで調べたところ、山川町忌部にある忌部神社の先の
聖天寺(金刀比羅神社)まで自動車で行けるとわかった。
聖天寺には民家のような建物があり、駐車できる。
忌部山古墳群への登り口となっていて、説明板がある。
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聖天寺駐車場からの景色 雨は降りそうで降らない |
この上先600mとある。 ひたすら登ります…。
少し上ったところに黒岩磐座遺跡。
黒岩磐座遺跡
小さいお社の正面扉には
「忌部本宮大社」と書かれている。
忌部神社旧社地と言われている。
1369年の地震で社地が崩れたそうだ。
黒岩から先に進むと真立石!
真立石 | |
旧忌部神社の鳥居か? |
このあとさらに急いで登って約10分、忌部山古墳群に到着。
まず3号墳・4号墳・5号墳があり、さらに上がったところに1・2号墳がある。
1・2号墳の前に説明板があるので、1・2号墳から紹介する。
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左・2号墳 右奥1号墳 右が忌部山古墳群の説明板 |
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忌部山2号墳は、石室が見学できる。
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忌部山1号墳
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1・2号墳から下がったところに、3・4・5号墳。
忌部山3号墳 横穴式石室と竪穴式石室がある
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忌部山4号墳
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忌部山5号墳
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忌部山古墳群を急いで見学して、山を下る。
山の中の案内表示
聖天寺周辺 | |
聖天寺別堂裏の磐座 摩崖仏 |
聖天寺別堂 |
聖天寺別堂前の石仏群 |
聖天寺別堂への参道 |
四国は、山の上に古墳があるんだよね…。
葛城神社古墳 市史跡 |
鳴門市大麻町大谷東山谷 撮影日2023/3/24 17:17 |
吉野川市から鳴門市へ戻って葛城神社古墳の見学。
穴観音古墳の東約500mの葛城神社境内にある。
古墳の説明板が、裏を向けて社殿にたてかけてあったのを、表に向けて読む。
葛城神社古墳は 直径15mほどの円墳 横穴式石室があり、天井石が露出している。 竪穴式石室が併設されている。 6世紀後半〜7世紀前半頃の築造と推定されている。 |
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葛城神社 |
拝殿北側裏に墳丘 |
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墳丘上には石材がある。 |
石材のすき間から撮影した石室 |
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竪穴式石室もあるというが、手前の石材なのか? |
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説明板から 社殿に裏返して立てかけてあった説明板 |
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古墳辞典から
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カニ塚古墳 市史跡 |
鳴門市大津町大代 撮影日2023/3/24 17:36 |
航空写真で見ると、鳴門市JCTの東側に、丸い地形がある。これがカニ塚古墳。
私有地らしいので、ちょっと離れたところに路駐して見学。
説明板は見あたらない。
インターネット上に、公開されている「地中レーダー探査による古墳の研究」を読むと
今は痕跡がないが、カニ塚古墳の東には「尼塚古墳」があった。
尼塚古墳は、調査がされないまま削平されたが、レーダー探査で位置が確認されて、
推定直径38mの円墳と考えられて、徳島県内の円墳としては、2番目の大きさと分かった。
尼塚古墳供養の五輪塔がカニ塚古墳の墳頂に安置されている。
カニ塚古墳は、径31mの円墳 周濠がめぐっている 葺石がある。 埴輪列がめぐる。(円筒埴輪と朝顔形埴輪の2種類) 古墳時代中期後半の築造と推定されている。 前期の前方後円墳・大代古墳に続いてつくられたと考えられている。 2004年(平成14年)に徳島県埋蔵文化財センターによる地下レーダー探査や発掘調査。 阿讃山脈の麓の平地に築かれている。 江戸時代の絵図には、東の尼塚古墳と並んで描かれている。 徳島県内の古墳で周濠の確認例としては,渋野丸山古墳・土成丸山古墳に次ぐ。 (「レキシルとくしま」ほかから) |
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南東から見た墳丘 |
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墳丘上 |
墳頂部 |
墳頂に 尼塚供養の五輪塔がある |
墳頂には石材もある。 |
徳島の古墳見学は全て終了。
午後6時、ホテルソラエ(松茂町広島字宮ノ前)チェックイン。
「徳島旅行割 周遊クーポン」が1人2千円もらえたので、
クーポンが使える「スシロー徳島川内店」に行くが、なんと閉店!
寿司の夢破れ、「マルナカ大松店」で、寿司と明朝用の食品を買い、ホテルの部屋で夕食。
徳島県5日目、最終日。 2023/3/25
徳島の予定していた古墳は見終えたので、勝瑞城跡を見学。
8時半すぎに出発。
勝瑞城館跡 市史跡 |
板野郡藍住町勝瑞 撮影日2023/3/24 8:46 |
まだ整備途中だが、説明板もたくさん設置されている。
見性寺境内には、「国史跡 勝瑞城館跡」の立派なパンフレットが置かれている。
勝瑞城は 、徳島県(阿波国板野郡勝瑞)にあった日本の城(平城)。 平城跡と居館跡が2001年(平成13年)に国の史跡に指定され、 その後の発掘で新たに確認された部分が2007年(平成19年)に追加指定された。
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勝瑞城跡(見性寺境内) 勝瑞城は、三好氏の菩提寺である見性寺の境内地にあり、 城跡は東西約80m、南北約60mの方形で、周囲は幅14mの水濠が巡り、一部土塁が現存
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勝瑞館跡 勝瑞城跡の南側にある 現在、発掘や整備が行われている。
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勝瑞城館跡展示室もあるようだが、見て来なかった。
「徳島旅行割 周遊クーポン」が残っているので、マルナカ徳島空港店でお土産を買い、
クーポンを使い切り、
松茂スマートインターチェンジから高速へ
10時ごろ 大鳴門橋を通過しているときに、うずしおが見えて感動、写真撮りたかった……
淡路島に入る。
続きは「兵庫県の遺跡・淡路島編」で。
兵庫県の遺跡・淡路島編につづく