北村さんちの遺跡めぐり
更新日 2023/8/19

淡路島
徳島旅行記その8・最後に
2023/3/21〜25

2023年3月21日から5日間の予定で徳島県内をめぐり、3月25日最終日。
徳島県藍住町の勝瑞城跡を見学して、松茂スマートインターチェンジから徳島自動車道へ。
神戸淡路鳴門自動車道の大鳴門橋を通過中、うずしおを運よく見られて、感動!
淡路島に上陸し、西淡三原インターチェンジで降り、滝川記念美術館へ。

付近の地図g

松帆銅鐸
玉青館(滝川記念美術館)
兵庫県南あわじ市松帆西路
撮影日2023/3/25 10:19

日本南画界の第一人者、直原玉青(ジキハラギョクセイ)画伯の絵画をコレクションする現代南画の美術館。
禅の十牛図を基にした直原氏の代表作「禅の牧牛 うしかひ草」など名作を多数展示している。
2階は松帆銅鐸展示室になっている。

 玉青館 (滝川記念美術館)

入場券 一人300円

外にある説明板

床に映った「雲龍図」


1階天井の「雲龍図」は撮影禁止、
床に鏡のように映る画像は撮影できる。

1階の南画の展示は撮影禁止だが、2階の銅鐸展示室は撮影OK!
銅鐸展示のほか、地元の遺跡の出土品なども展示されている。

 松帆銅鐸
 2015年4月8日に、淡路島南あわじ市のマツモト産業の加工工場の砂山で、
  土砂を運搬中のブルドーザーから銅鐸2点(1号と2号)が発見された。
 4月9日に南あわじ市で銅鐸であることが確認された。
 砂山は、数年間に南あわじ市の複数の場所から運ばれて、
  砂利などと分別するために一時的に積み上げられていた。
 4月9日から、南あわじ市が資材置場を精査した結果、
  5月1日までに追加で5点(3号〜7号)が見つかった。
 合計7点の銅鐸が発見された

松帆銅鐸の個々の大きさ比較のため
まず写真で見る


発見された数では、
 島根県加茂岩倉銅鐸39点、
 滋賀県大岩山銅鐸24点、
 神戸市桜ヶ丘銅鐸14点に次ぐ4番目。
 
すべて弥生時代前期〜中期(約2,200年前)に
  製作された古い段階の銅鐸。
 1号銅鐸が最も古い段階の菱環鈕(リョウカンチュウ)式で、
    全国でもまだ11点しか発見されていない。
 7点のうち5号銅鐸を除く3組6点は、
  大きい銅鐸の中に小さい銅鐸を納める‘入れ子’の状態で発見
された。
   (1・2号は発見時に別々にされていた。)
 X線CTスキャンによって、入れ子の中にそれぞれ
   舌(ゼツ)(銅鐸の中に吊り下げて鳴らすための棒)が入っている
ことがわかった。 
 松帆銅鐸は舌を吊り下げて使っていたままの状態で入れ子にしていた。
 舌や銅鐸の吊り手(鈕(チュウ))には、
  当時使っていた吊り下げるための紐や紐の痕が残っていた。

(パンフレットから)

左から
松帆2号銅鐸、
松帆1号銅鐸
 
 
前に置かれているのは舌(ゼツ)

左から 
松帆4号銅鐸、
松帆3号銅鐸

前に置かれているのは舌(ゼツ)
ライトが反射して
 きれいに写らない…。

松帆5号銅鐸

壊れている

前に置かれているのは舌(ゼツ)

釣手のところには、撚り紐の痕跡が残る

左から
松帆6号銅鐸、
松帆7号銅鐸


前に置かれているのは舌(ゼツ)


6号銅鐸の舌(ゼツ)には
 ぶらさげたときの紐が残る。


3号銅鐸の舌(ゼツ)にも紐が残る。

舌の左突端のちょっと上に
 飛び出した部分

松帆銅鐸以外にも、淡路島では青銅器や銅鐸が見つかっている。


   (現地パンフレットから)
1  中川原銅鐸 ナカガワラドウタク
2  慶野中の御堂銅鐸 ケイノナカノミドウドウタク
3  慶野銅鐸 ケイノドウタク
4  伝淡路国出土銅鐸 デンアワジコクシュツドドウタク
5  倭文銅鐸 シドオリドウタク
6  中条銅鐸 チュウジョウドウタク
7  伝淡路川出土銅鐸 デンアワジガワシュツドドウタク
8  伝淡路国出土銅鐸 デンアワジコクシュツドドウタク
9  幡多銅鐸 ハタドウタク
10  地頭方銅鐸 ジトホドウタク
11  賀集福井銅鐸 カシュウフクイドウタク
12  新田南銅鐸 シンデンミナミドウタク
13  古津路銅剣14本 コツロドウケン
14  幡多銅戈 ハタドウカ
 松帆地区では、江戸時代初めに銅鐸が8点(慶野中の御堂銅鐸はそのうちの1点と伝わる)。
 また、江戸時代終わりに慶野銅鐸、昭和41年に古津路銅剣14本が見つかっている。

左から 中川原銅鐸、慶野中の御堂銅鐸、慶野銅鐸  いずれもレプリカ。
 古津路銅剣     実物はここには無い。

(展示写真から)
海に近い砂の中から
松帆銅鐸と同じ時期の
銅剣が14本発見された。

大分市と尾道市に
同じ鋳型で造られた剣がある。


地元の他の遺跡から出土したものも展示されている。

 沖ノ島古墳群  

鳴門海峡を望む阿那賀伊毘の沖合に浮かぶ
小さな島・沖ノ島で昭和35・36年に発掘調査され、
古墳時代後期の
 古墳13基と祭祀遺構1基
が発見された。
古墳の副葬品として、
一般的な須恵器や鉄剣・玉類などのほかに、
釣針や浮子・おもりなどの漁労具が出土して、
海を生活の場としていた
 一族であったことがわかる。
(展示写真から)

上 鉄刀  
下左から 土玉  勾玉・管玉・切子玉

(展示から)

上左から 壺 提瓶 
下左から坏蓋 壺 坏身

(展示から)  

棒状石製品
(展示から)

上左から 蛸壺形土製品 土錘
下左から 鉄製釣針 軽石製浮子

(展示から)

(展示から)

国衙廃寺跡 製塩土器 (展示から)



 淡路島の中の青銅器マップ (現地パンフレットから) 

(パンフから)

近畿型銅戈 弥生時代中期
(展示から)
 10 入田稲荷前遺跡

貨泉  (展示から)
弥生時代後期〜終末期

中国の「新(西暦8〜23年)」の王莽が、
 西暦14年に鋳造した貨幣。

遺跡の年代判定の資料とされている。
 12 立石遺跡・喜平前遺跡

銅鏃   (展示から)

弥生時代後期〜終末期

(パンフから)

滑石製品
(展示から)
 展示されている滑石製品は、柔らかい石で三種の神器(玉・鏡・剣)をまねてつくったもの。
  七夕の飾のように、木にぶら下げて祭祀に使ったと考えられている。

玉青館は、開業医の滝川さんという方の寄付により建てられたので
  「滝川記念美術館」と名付けられている。
写真では、なかなか実物のすばらしさを伝えられない…
ぜひ、銅鐸の実物を見学してください。

志知城跡 兵庫県南あわじ市志知
撮影日2023/3/25 11:17

この旅行の少し前に、テレビ番組の「池の水全部抜く」で、「志知城跡」を観た。
玉龍館の南約2km。駐車はできる。

 志知城跡
 鎌倉時代の初め、菅和泉守道忠によって築かれたと云われている。
 天正9年(1581年)菅長宗のとき、織田信長の命により淡路に侵攻した羽柴秀吉らの軍勢により
  志知城は降伏・開城した。
 秀吉は家臣の黒田官兵衛を志知城に置いて守らせた
 天正13年(1585年)加藤嘉明が一万五千石を領して志知城に入り、
  志知城が改修されと考えられている。
 文禄4年(1595年)加藤嘉明が伊予国松前に転封となり、
  その後は秀吉の直轄領となって代官が置かれたが、
  後に叶堂に新城を築き、志知城は廃城となった。

手作り感のある案内板

濠は今でも水をたたえている

左から          
説明板 石碑     
  秀吉が腰かけたといわれている太閤石

太閤石の説明
説明板から

「志知城保存会」がつくられて、志知城跡の整備保存を行っているという。
草刈りだけでも大変だろうな。
今後に期待します!

さて、帰ります!
うずしおライン(うずしお興業(有) 南あわじ市)で、ガソリン給油。


「陸の港 西淡」で休憩
バスターミナル?


淡路島の景色を見ながら帰ろうと思うが、天気があまり良くなくて、パッとしなくて…
かっぱ寿司淡路店で、昼食後、
津名一宮IC(13:36) - 神戸淡路鳴門自動車道 - 山陽自動車道
− 神戸JCT(14:23)−舞鶴若狭自動車道
-六人部(ムトヘ)゙PA(15:00)(休憩)

午後3時10分ころ

  私市円山古墳 通過
          (京都府)

 - 敦賀JCT(16:42)-北陸自動車道 - 美川IC(17:46) 
 「八番ラーメン 松任駅北口店」で夕食後、帰宅



徳島県旅行記 終わります

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