北村さんちの遺跡めぐり
更新日 2023/6/14
徳島旅行記2023 その4 東みよし町・三好市・美馬市 |
2023/3/21〜25 |
2023/3/23 徳島県旅行3日目。
8時ごろ、雨の中三好市池田のホテル「ココクロス」を出発、「祖谷渓かずら橋」へ!
ナビをセットして、319号線を走っていたら、祖谷口から祖谷口橋を渡り山城祖谷山線(県道32号線)に入ってしまった。
交差するのも大変な細い道、おまけに雨…
戻るわけにもいかず、そのまま前を見て進み、ようやくかずら橋に着いた。
かずら橋周辺の地図g
かずら橋 重要有形文化財 |
三好市西祖谷山村 撮影日2023/3/23 8:52 |
かずら橋に一番近い駐車場(400円)に止めて、かずら橋渡りに挑戦!
雨のため、足元は滑りやすく傘をさしながらで、かなり怖かった。
渡り賃は、一人550円!
かずら橋入場券
かずら橋 シラクチカズラ(学名サルナシ)を主材料とした吊り橋 全長45m・幅1.5m 1955年(昭和30) 国の重要有形文化財に指定された |
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一方通行の出口 |
出口側にある案内板 「国指定重要有形文化財 秘境 祖谷の蔓橋」 |
朝が早いのと、雨が降っているせいで、かずら橋を渡る人は他に1組の親子しかいなかった。
天気が良ければ景色も素晴らしいはずだが、雨がかなり強いので早々に退散!
帰り道は、45号線から「大歩危橋」を渡り、国道32号線に出て、道の駅大歩危に寄り、
消費期限が今日限りの「徳島旅行割 周遊クーポン」を使って、お土産ゲットです。
雨がザーザー降っているので、次に見学予定の「足代東原遺跡」はあきらめて、丹田古墳に向かう。
丹田古墳 国史跡 |
三好郡東みよし町西庄加茂山 撮影日2023/3/23 11:03 |
東みよし町役場のある交差点から県道44号線を南へ約2km、戻るような脇道に入り、丹田古墳を目指す。
要所要所に案内板があるのでそれに従って進む。かなり山の中だけど、古墳の少し手前に集落がある。
少し小降りになってきた。
丹田古墳は、大きな積石塚だ!
丹田古墳は 墳丘は全長38mの積石前方後方墳 標高320mの尾根端部に位置、丘尾切断してつくられている。 後方部東西長19m、南北長18m、高さ3m、 前方部巾8m、長さ18m、高さ1m 外形はシャモジ形で、前方後方墳のうちでも古式に属する外形をしている。 後方部にある竪穴式石室は、4.5m×1.3m×1.3mの大きさ、天井は合掌式 白石が石室床面に敷き詰められていた 三角縁鏡・鉄剣・鉄斧などが出土 4世紀代の築造と推定されている。 1969年(昭和44)、2012年に調査 (HP「東みよし町の文化財丹田古墳」から) |
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丹田古墳前の石碑と石製説明板(中央) |
前方部から後方部を見る |
後方部から前方部を見る |
後方部裾の石室露出部分 網の部分 |
金網の向こうに石室が開口している |
石室内部 合掌形天井! |
前方部脇から後方部を見る |
墳頂からの眺め 残念ながら霞んでいる…… |
説明板から (石室そばの注意書きから) 石室長さ4.5m・幅1.32m・高さ1.25m 「崩壊のきざしが出てきているので、危険だ」 と書かれている注意書きの中に、石室の模式図がある。 |
晴れていたら、景色が素晴らしかっただろうな……
古墳の前まで自動車で行けるのはありがたい。
桶川古墳石棺 | 三好市三野町芝生 芝生小学校内 撮影日2023/3/23 11:34 |
石棺が三好市の芝生小学校内に移設されている。東側道路から見える。
芝生小学校
右手前に保存されている。
学校に許可をいただいて、立ち入らせてもらって見学。
桶川古墳石棺は 芝生の丘陵斜面で、造畑中に検出された。 緑色片岩を組み合わせてつくられた箱式石棺で、阿波式石棺と呼ばれている。 、所有者の厚意で寄贈され、移築復元された。 |
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説明板 |
大塚古墳 市指定史跡 |
三好市三野町芝生 撮影日2023/3/23 11:45 |
芝生小学校の東約1km、コメリハート&グリーン三好三野店の後ろに保存されている。
コメリに駐車させてもらって、隣りの建物との間から後ろに行ってみると墳丘が残っていた。
大塚古墳の詳細は不明 東西5m・南北10mくらいの墳丘が残っていて、石が見えている。高さは1.5mくらい。 |
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「三野町指定文化財 大塚古墳」 と書かれた標柱が立っている |
石材が露出している。 左はコメリの建物 |
方向を変えて見る |
石材その2 結晶片岩 |
お昼ご飯を調達したのは、「ローソン三好三野店」(三好市三野町加茂野宮字宮)
阿波尾鶏弁当
徳島限定
阿波踊り弁当!
八幡古墳群 市史跡 |
美馬市美馬町八幡 撮影日2023/3/23 12:27 |
大塚古墳から東へ約3km、八幡神社の入口に「史跡の案内」の説明板がある。
八幡神社境内に駐車。
インターネット上に、
「段の塚穴型石室に関する若干の考察」、「穴吹町における後期古墳の研究」
という2つの文章が公開されていたので参考にさせていただいた。
八幡神社 |
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八幡古墳群は 「大人の学校悠遊大学」(旧重清小学校)の周辺にある、 大国魂古墳群(3基)と八幡1・2・3号墳の計6基の古墳の総称。 |
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周辺案内図 (説明板に加筆) 八幡古墳群は 段の塚穴型分布の西端にあたる。 比較的小規模な円墳で 八幡1号墳と大国魂古墳は 石棚がある。 大国魂古墳は段の塚穴型の中で 最古ではないかといわれている |
まず大国魂古墳群へ。
大国魂古墳(群) | |||||||
八幡神社の横の長い石段の上に倭大國魂神社(ヤマトオオクニタマジンジャ)がある。 大国魂古墳群は倭大國魂神社の境内に、3基あり、 大国魂古墳は、3基の中の1基の円墳で、横穴式石室が見学できる。 南東に開口する横穴式石室は、全長4.6m・高さ2.2m。 玄室長さ2.17m・最大幅2.22m・最大高2.09m (玄室サイズは「穴吹町における後期古墳の研究」から) 出土遺物は知られていない。 6世紀後半の築造と推定されている。 玄室は胴張りの傾向が弱く平面が正方形に近いこと、 石室を構築する方法や石材の種類が一定でないことから、 「段の塚穴型石室」の中でも最も古い特徴を持つと考えられている。 |
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長い石段の上に倭大國魂神社がある。
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全体で見ると 109段 (108かと思ったが…) |
右側の林の中に大国魂古墳がある。 |
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大国魂古墳 墳丘 |
墳頂部はへこんでいる! |
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開口部 |
大國魂古墳 奥壁の上の方に石棚がある |
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石室内から開口部を見る |
3基のうちの2基目の墳丘 3基目の墳丘は確認できず |
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説明板・ネット検索から
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段ノ塚穴型石室とは 美馬町周辺には,段ノ塚穴と同じ方式で築造された古墳が数多く分布している。 これを段ノ塚穴型石室と呼ぶ。 つまり,太鼓張りまたは末広がりの平面プランに天井石を斜めに持ち送り, いわゆる穹窿式の天井を構成するという特徴を持つ。 これは,より高く,より広い空間を得るためにとられた構築技法である。 この段ノ塚穴型石室は,徳島県内はもちろん他に例をみない。 類例としては,結晶片岩という同じ石材を使う 和歌山県紀ノ川流域の岩橋千塚や九州の肥後型石室などにみられる。 より高い空間を得ようという発想は同じだが, 天井石を持ち送るという構築技法はどこにもみられない。 (ネット検索「段の塚穴型石室に関する若干の考察」から) |
倭大国魂神社の麓に八幡神社があり、その南「悠遊大学」(旧重清小学校)の南側にある空き地に
八幡1号墳・2号墳が保存されている。
3号墳は悠遊大学の東の民家の庭に保存されている。
八幡1号墳・2号墳・3号墳 河岸段丘の突端部に1号から3号の3基の古墳がある。 いずれも直径15m程度の円墳。 古墳時代後期の築造と推定されている。 1号墳は横穴式石室が南に開口し、2・3号墳は東に開口する。 3基とも持ち送りの天井部、胴張りの平面プランをもつ段の塚穴型石室である。 1号墳の石室奥壁には石棚を設けている。 (レキシルとくしまから) |
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1号墳 墳丘上に、忠魂碑が上に建てられている。 南南東に開口する横穴式石室は、玄室長4m、最大幅2.26m、高さ2.51mで、3基中最大。 (玄室サイズは「穴吹町における後期古墳の研究」から) 奥壁に石棚、天井は持ち送りの急な穹窿式。 八幡1号墳 石室図 (「段の塚穴型石室に関する若干の考察」から)
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2号墳 1号墳のすぐ西にある。 東向きに開口する横穴式石室は、かなり埋まっている。 玄室長2.98m・最大幅2.29m・高さ2.12m。 (玄室サイズは「穴吹町における後期古墳の研究」から)
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3号墳 悠遊大学東の民家の裏庭にある。築山となっていた。 径10mほどの円墳。 東に開口する横穴式石室は、玄室長2.34m・最大幅2.02m・高さ2.05m (玄室サイズは「穴吹町における後期古墳の研究」から) 天井は穹窿式、棚はない。
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荒川古墳 市史跡 |
美馬市美馬町荒川 撮影日2023/3/23 13:25 |
八幡古墳群の東2kmの徳島自動車道付近に、石室のある円墳3基。
その1は荒川古墳。東南側道路に路駐。
南に張り出した丘状台地の墓地の中にある。
大きい石室らしいので、狭い開口部から滑るように入室!
荒川古墳は 円墳。 南に開口する横穴式石室は全長8.6m 玄室長3.45m・幅2.6m・高さ2.09m (玄室サイズは「穴吹町における後期古墳の研究」から) 古墳時代後期(6世紀後半)の築造と推定されている。 段の塚穴型石室で、石室奥に石棚がある。 |
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現代の墓の後ろに石室が開口している。 |
「荒川古墳」標柱 狭い入口から滑り込む |
開口部 |
羨道から玄門を見る 狭い…… |
玄門から玄室内部を見る |
奥壁上部と天井 |
玄室内から玄門・羨道を見る |
奥壁には石棚がある。 |
荒川古墳 石室図 (「段の塚穴型石室に関する若干の考察」から) |
海原古墳 市史跡 |
美馬市美馬町西荒川 撮影日2023/3/23 13:45 |
八幡古墳群の東2kmの徳島自動車道付近に、石室のある円墳3基がある。
その2は海原古墳。
天都賀佐彦神社に駐車して、その東の養豚(?)場と民家の間にある古墳を探す。
北側道路から行けるが、古墳は1段低いところにある。
海原古墳は、「段の塚穴型」古墳。 墳丘東側が削平され、石室も側壁が壊され、玄室があらわになっている。 石材で何とか支えている。 南に開口する横穴式石室は、全長9.1m 玄室長4.36m・最大幅2.25m・高さ2.8m (玄室サイズは「穴吹町における後期古墳の研究」から) 玄室入口は狭い。石棚があるし、屍床もある。 古墳時代後期(6世紀後半)の築造と推定されている。 |
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北から見おろす墳丘 |
西から見た海原古墳 |
南から見た石室入口 |
東側壁は破壊されて、 つっかえ棒で支えている。 |
東側壁の穴から石室内部を見る |
奥壁には石棚がある。 |
石棚の下には屍床がある。 |
奥壁側から入口側を見る |
古墳辞典から 海原古墳は 標高83mの河岸段丘上にある 直径15m・高さ3mの円墳 南に開口する横穴式石室は、全長8.4m 海原古墳 石室図 東側壁と羨道部天井石の大部分が消失している。 側壁石材は 羨道・玄室ともに砂岩を主体とした 結晶片岩を併用している。 玄門部は幅70cm・高さ1.4mの結晶片岩の立石で構成され、 これを支柱に天井石を高架している。 立石のすぐ羨道側には結晶片岩の扉石があり、 その前面には閉塞石が残っていた。 玄室は長さ4.36m・入口幅1.4m・最大幅2.25m・奥壁幅2.15mで胴張りの平面プラン 天井石は前後から斜めに持ち送る穹窿式の構造で、玄室中央部で高さ2.8m 奥壁部分には結晶片岩の石棚が付設されている。 羨道から一段下がる玄室構造。 1985年(昭和60年)に調査 |
平野古墳 市史跡 |
美馬市美馬町荒川 撮影日2023/3/23 14:07 |
八幡古墳群の東2kmの徳島自動車道付近に、石室のある円墳3基がある。
その3は 平野古墳。
海原古墳の北にある自動車道の高架下のトンネルをくぐった北側の山際にある。
トンネルをくぐったところは行き止まりの道なので、駐車できると思ったが、別の車が駐車。
その反対側に駐車。
平野古墳は 石室内部のある円墳 西向きに開口する横穴式石室は、全長2.9m、高さ2.1m 玄室長2.09m・最大幅1.96m・高さ]2.07m (玄室サイズは「穴吹町における後期古墳の研究」から) 玄室は胴張りの平面形で、ドーム形の天井をもつ「段の塚穴型石室」 石棚はない。 石材には天井石以外はすべて砂岩が用いられている。 古墳時代後期の築造と推定されている。 |
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「平野古墳」の標柱を見つける |
開口部 |
開口部から玄室を見る |
玄室内部 |
奥壁から天井部分 |
玄室内部から開口部を見る |
案外すぐ見つかった。
真鍋塚 につづく