北村さんちの遺跡めぐり
更新日 2023/4/12
徳島旅行記2023 その1 小松島市・阿南市・海陽町 |
2023/3/21〜25 |
2014年に四国に行った。高知県、愛媛県、香川県の順に行き、最後が徳島県だったが
時間が足りず、思ったように見学できなかった。
9年ぶりに、もう一度徳島県!
天気予報は、旅行中ずっと雨だが、行くしかない!
2023/3/21、午前5時過ぎに自宅発
北陸自動車道 - 多賀SA(滋賀県に住む長男一家と朝食を食べながら約1時間歓談)
- 京滋バイパス - 新名神高速道路 - 山陽自動車道 - 垂水JCT - 明石海峡大橋(10時42分ころ)
明石海峡大橋 (車窓から) | |||
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淡路島 - 大鳴門橋 - 徳島IC(11時34分ころ - 一般道
LOWSON徳島大松店(徳島市大松町榎原外)にて、パンの昼食
地図g
まず小松島市の前山古墳群へ。
前山古墳群 | 小松島市田浦町前山63番地 撮影日2023/3/21 12:50 |
標柱は見つけたが、古墳自体は見つからなかった…。
前山古墳群 |
勝浦川南岸の標高約60mの尾根中腹に位置する。自然地形を利用して作られている。 直径15mの円墳。 竪穴式石槨1基と粘土槨1基がある。 竪穴式石槨は結晶片岩を用いて作られ、長さ6.6m・幅0.9mで細長い長方形。 石槨内からは銅鏡・鉄剣・鉄斧・鑿・鉋・砥石などが出土。 粘土槨からは遺物は出土なし。 5世紀前半の築造と推定されている。 1961年(昭和36年)に発掘調査。勝浦川流域を代表する中期古墳。 |
道路沿いに立つ「前山古墳」石碑 林に入ってみたが、墳丘は見つからない |
碑文 「前山古墳 前山古墳群の一つ 山の中腹(ここより約60m) に構築されている4世紀末までにつくられた直径15mの円墳で、 内部に竪穴式石室と粘土槨の二つの埋葬施設がある。 墳内より人骨、銅鏡、鉄剣、鉄斧等が、 また東側の丘陵から多数の埴輪が出土した。」 |
ここから60mと書かれているが、どの方向に60mなのか、わかりません…。
弁慶の岩屋 県史跡 |
小松島市田野町恩山寺谷 撮影日2023/3/21 13:22 |
史跡・旗山の西にある墓地の中に、壊れた石室が露出している。
東側道路脇に駐車するとそこに案内表示がある。坂を上がると墓地がある。
墓地の中にある「義経ドリームロード」の
矢印の先は 「弁慶の岩屋」
奥の白い四角い説明板のところ
弁慶の岩屋古墳は 墳丘は流失しているため墳形・規模は不明。 横穴式石室が露出している。 石室は全長10.6m、玄室部長さ5.8m・幅1.8m・高さ1.8m 奥壁や天井部に巨石が使用されている。 須恵器や玉類などが出土している。 6世紀後半の築造と推定されている。 名前は、小松島に残る義経伝説に由来している。 |
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植物が繁茂していて見にくくなっている |
右が奥壁側 |
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石室正面 |
石室側面 入口は右側 |
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石室奥壁 |
石室内部から玄門を見る |
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説明板から |
源義経は源平合戦の「屋島の戦い」へと向かうため摂津国(大阪府)から出航し、
小松島市金磯町にある「金磯弁財天」の近くに上陸後、香川県の屋島へと向かったといわれている。
「義経ドリームロード」と 旗山 | |||
ドリームロード案内板 (抜粋) 元暦2年(1185年)、 小松島に上陸した源義経一行が 旗山の山頂に源氏の白旗を掲げて 軍議を行い、 士気を高めたという。 周辺には、義経にちなんだ史跡がある。 |
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旗山には八幡神社があり、 源義経騎馬像や天馬石がある。 |
「源義経上陸の地」石碑 |
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「義経阿讃を征く」 石碑
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最後の署名が読めない… 「田村直?謹文」
能路寺山古墳 ノロジヤマコフン 市史跡 |
阿南市羽ノ浦町宮倉背戸田 撮影日2023/3/21 14:00 |
弁慶の岩屋の南東約5kmの能路寺のある独立丘陵に古墳がある。
寺の駐車場がある。
お寺の建物の北の丘の林の中に横穴式石室が開口している。
石室内やその周辺には石仏があり、信仰の対象として大切にされているようだ。
能路寺山古墳は 直径10m・高さ約3mの円墳。 東に開口する右片袖型の横穴式石室は全長5.1m、 玄室部長さ約2.6m・幅約1.2m・高さ約1.3m 6世紀末〜7世紀初頭の築造と推定されている。 |
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能路寺 背後の山に古墳 |
能路寺墓地 古墳は右手前の方向となる |
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古墳への道入口には石仏 ここから50mほど先 |
古墳に行く途中にも石仏 |
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墳丘が見えてきた |
横穴式石室が開口している。 |
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石室入口 |
羨道から玄室を見る |
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石室内にも仏像が安置されている。 |
石室内部から開口部を見る |
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説明板から |
観音堂・観音山古墳 市史跡 |
阿南市羽ノ浦町中庄千田池 撮影日2023/3/21 14:14 |
能路寺から南東方向に向かって車を進めたら、すぐ羽浦神社。
神社境内に駐車して、東隣りの観音堂へ。観音堂は、羽浦神社の東隣りの拳正寺境内にある。
「穴観音さん」と呼ばれ地元の人々に親しまれている。
観音山古墳は 直径12m・高さ3.5mの円墳 南に開口する両袖式横穴式石室は全長7.35m、 玄室部長さ4.3m・幅2.1m・高さ2.0m、羨道部長さ3.05m・幅1.1m・高さ1.5m、 石材には砂岩のやや大形の自然石が用いられている。 出土物は確認されていない。 6世紀末頃〜7世紀初頭の築造と推定されている。 内部には空海が安置したとされる如意輪観音像が祀られている。 |
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左が観音堂 拳正寺境内 |
拳正寺境内 この西側に観音堂がある |
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観音堂内部 |
この向こうに横穴式石室がある。 |
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横穴式石室が見えない |
格子のすき間から見る |
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奥壁に観音像が安置されている。 |
観音堂背後の墳丘!?原形をとどめていない |
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説明板から |
国高山古墳 市史跡 |
阿南市内原町山下 成松 撮影日2023/3/21 14:50 |
観音山古墳から直線で南に約8km、東福寺の背後の山の中に、前方後円墳がある。
東福寺の西側の道途中に「国高山古墳」と書かれた案内板が出ていて、そこから山に入れば古墳。
案内板近くの道路の広い所に駐車。
国高山古墳は 全長50mの前方後円墳 標高48mの丘陵端につくられている。 2段築成 葺石あり 埴輪あり 後円部中央に竪穴式石室(長さ8m)があり、割竹形木棺が納められていた 内行花文鏡や玉類、鉄鏃、鉄刀などが出土した。 5世紀後半の築造と推定されている。 南東50mに塚守古墳という径9mの円墳がある。 |
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後円部上 |
後円部から前方部を見る |
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前方部から後円部を見る 前方部の雑草で、後円部か見えない |
後円部上の埴輪片 |
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説明板から |
南東50mにあるという塚守古墳は確認して来なかった。
日和佐道路という自動車専用道を通って海陽町へ。
先に海陽町博物館に行ったのだか、大里古墳から紹介する。
大里古墳(2号墳) 県史跡 |
海部郡海陽町大里字浜崎 撮影日2023/3/21 16:52 |
海陽町の平野部に円墳がある。海部川を臨む段丘上標高約8mの地点に位置する。
道路脇に駐車スペースあり。
大里古墳(2号墳)は 直径20m・高さ4〜5mの円墳 周囲に幅約2mの周濠がめぐる。 南に開口する横穴式石室は、全長11.2m 玄室長さ5.7m・幅1.95m・高さ2.35m 羨道長さ5.5m・中央部幅1.5m 玄門部幅1.95m 羨門部幅2.3m
耳環1・須恵器杯蓋2・杯身3・椀1・高杯蓋1・有蓋高杯身・無蓋高杯1・平瓶1・壺1が出土し 博物館に保管展示されている。 7世紀はじめ頃の築造と推定されている。 1951年(昭和26年)から計4度の調査 1996年(平成8年)に調査 1952年、県史跡第1号に指定された。 徳島県南部を代表する後期古墳。 数基の古墳が存在していたようだが、現在残っているのは2号墳だけ。 大里古墳(2号墳)の南約210mに、かつて大里1号墳があった。 |
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北から見た墳丘 |
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西から見た墳丘 |
南西から見た墳丘 |
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南に開口する横穴式石室 |
石室内部には土嚢が詰められている。 |
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大里古墳の石室のレプリカが海陽町博物館に展示されている。
開口部から奥壁を見る |
奥壁側から開口部を見る。 |
(いずれも博物館展示から) | |
大里古墳のパンフレットには、大里1号墳〜8号墳まで描かれている。7号墳はない。 |
本物の石室内部を見たかった……
大里古銭出土地 県史跡 |
海部郡海陽町大里 撮影日2023/3/21 |
大里古墳のすぐ南では、古銭が出土している。
民家の隅に「史跡大里古銭出土地」 と刻まれた石碑が立つ |
出土した古銭は、海陽町博物館に展示されている。
「銭甕」 という表題で展示されている |
1979年(昭和54年)、個人住宅建設中に偶然発見された。 地表面から30cmの深さで備前焼の系統の大甕が見つかり、 その中から81種・7万88枚、県内最多の古銭が発見された。 銭は甕の底部10cmほどがひもでまとめられ、その他はバラバラの状態で入れられていた。 銭のほとんどは、中国から輸入されたもの。 その中で最古のものは紀元14年につくられた「貨泉(カセン)」で、 最新のものが1310年につくられた元の「至大通宝」であった。 納めていた陶器の甕の年代から、 14世紀中頃から後半に埋納されたものと考えられている。 この中には皇朝十二銭や私鋳銭などが混じっており、 当時近辺で流通していた銭を埋めたものでないかと考えられている。 (レキシルとくしまから引用) |
海陽町立博物館 阿波海南文化村 |
海部郡海陽町四方原字杉谷 撮影日2023/3/21 16:05 |
大里古墳の石室が復元されているという博物館がある阿波海南文化村。
博物館の入館が午後4時半までと聞き、
大里古墳・古銭出土地の前に見学した。(4時過ぎに入館)
「雨の中、よくおいで下さいました!と職員の方に歓迎された。かなりの雨!
入館券
博物館は入館料がいります。
海部刀は、多くの展示があるが、
厳粛な中の展示だったので、撮影を遠慮した。
博物館内の展示から (抜粋です) | |||||||
本物の刀 体験コーナー |
遠坂古墳出土品 |
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町内の遺跡から
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大里1号墳出土品 大里1号墳は、2号墳の南約210mのところにかつて存在していた。 早くに削平され、現在は僅かな記録と 耳環3・管玉1・切子玉2・丸玉3・鉄鏃4・須恵器などの出土物が残るだけ。 (続古墳辞典から)
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大里古墳のレプリカ (大塚古墳のところでも紹介したが…。)
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阿波海南文化村は、
「個性豊かで創造性に富む海陽町の歴史・文化を盛りあげ、
魅力ある地域づくりを行うための拠点として建てられた施設」で、
博物館以外の場所は無料で見学できる。
当日、コンサートホールでは、地元の高校の文化発表会が行われていた。
阿波海南文化村内展示から (無料部分) (抜粋です) | ||||||
ノジュール
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浅川天神社の関船 (セキブネ) 船だんじり (山車の一形態) 長さ11.6m、幅2.3m、高さ3.5m 昭和52年に新造されたもの |
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遍路道の道標 |
最近話題になっているのが、「DMV車」
道路ではバスとして走り、線路では電車として走るというすてきな乗り物だ!
阿波海南文化村が発着地となっている。
阿佐海岸鉄道ホームページから DMV「Dual Mode Vehicle(デュアル モードビークル)」は、 線路と道路の両方を走る夢の乗り物です。 DMVが走れば、乗り換えなしでバスや鉄道の両方を利用でき、 普段のお出かけがもっと便利になります。 さらに、災害時には線路と道路を走行できるポテンシャルを活かした交通機能の確保や、 DMVを目当てに訪れる観光客による地域の賑わいに期待が寄せられています。 DMVは地域の足となり、観光資源となって、阿佐東地域を駆け抜けます |
5時過ぎに出発するという DMV車に出会えた! 昔のボンネットバスのような姿 2021年12月25日から、 本格営業運行が開始されている。 |
午後5時を過ぎた。
ENEOS永田石油 牟岐SSでガソリン給油して阿南市まで戻る。
今夜の宿は「スーパーホテル阿南富岡」(阿南市学原町深田) の朝食付きプラン
6時半ごろチェックイン。
コロナワクチン3回以上接種証明で、「徳島旅行割 周遊クーポン」が1人2千円もらえたので
クーポンが使える「ココ壱番屋」でカレーの夕食
王子山古墳 につづく