北村さんちの遺跡めぐり
更新日2026/3/25

2025年秋の旅その5
山口県山口市・萩市
 撮影日 2025/11/22〜28

2025/11/25(火) 4日目の朝を迎える。


津和野ビジネスホテルで
  朝食を食べて……
山口県阿東へ。  今は山口市になる。

付近の地図g

狐塚古墳
市史跡

山口市阿東徳佐中
撮影日2025/11/25

津和野から南西約8km、あとう観光協会の東隣りに、狐塚古墳が保存されている
石室は覆い屋に覆われていて鍵がかかっていて入れない。

 狐塚古墳は 全長約35mの前方後円墳
  後円部径約25m・高さ約5m、前方部幅約20m・高さ約2m、
 南西方向に開口する横穴式石室は全長約8m
  玄室部長さ約3.6m・幅約1.7m・高さ約2m
  盗掘に遭っていたが、
   勾玉や管玉、ガラス小玉などの玉類や耳環、
   鏃やじり、刀などの鉄器の破片、)須恵器などが出土
 6世紀の築造と推定されている。
 平成6年に発掘調査
        (山口市HPから)

狐塚古墳 後円部 左に前方部
横穴式石室は覆い屋で保護されている 

後円部裾から前方部を見る

後円部側

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

観光協会で鍵を開けてもらわないと石室は見られないようだ。時間が早すぎて誰もいない……

穴観音古墳
県史跡

萩市高佐下花見
撮影日2025/11/25

ナビのとおりに走ったら、とんでもない悪路を通ることとなり、時間もかかってしまった。
東側の集落からも行けるが、西側の県道13号線から入ると、墳裾まで車で行ける。
県史跡の穴観音!

 穴観音古墳は  南北13.5m・東西12.8m、高さ7.8mの方墳。 
 南に開口する横穴式石室は全長8.06m
  玄室長さ3.1m 玄室幅1.78m〜2.22m 中心部高さ2.20m

墳丘

方墳です

 両袖式石室

玄門が立派だ

奥壁側には、小さな石仏が安置されている

石室内から開口部を見る

   

円光寺穴観音古墳
市史跡

萩市大井
撮影日2025/11/25

萩市には、もう一つ穴観音古墳がある。こちらは市史跡。
JR長門大井駅の東の山間にある。
民家の間から坂道を行くので、長門大井駅前に駐車して徒歩で向かう。

 長門大井駅


駅前の案内板
集落の道沿いに「円光寺穴観音」の案内表示がある。
円光寺穴観音への道
 円光寺穴観音古墳は 直径22m程の円墳
 南西に開口する複室構造の横穴式石室は、現存長約11.2m
 羨道の前部は壊されている
  巨大な石材を使って構築されている。
 6世紀末〜7世紀初頭の築造と推定されている。
 大井川右岸の丘陵斜面に立地する。

石室が見えてきた

大きな開口部

玄門が立派!

玄室内には石仏が安置されている

赤い幕で、奥壁が見えない

玄門の石材は巨石

  

萩反射炉
国史跡

萩市椿東
撮影日2025/11/25

史跡公園となる。
広い駐車場に、公衆トイレとコンビニ、宝くじ売り場がある。

 反射炉は、西洋で開発された金属溶解炉
 現存する遺構は煙突にあたる部分  高さ約10.5m。
 基底部から約8mまでは平割の安山岩積み、上方約2.5mはレンガ積み。
 煙突は、基底部が前面5.45m、側面3.8mあり、
 上に向かって幅を狭める長方形で、
   下方に2つのアーチ形の煙道孔が開いている。
 上方で二股に分かれているように見えるが、実際はそれぞれ独立した2本の煙突となっている。
 煙突の表面はかつて漆喰で覆われていたという記録と写真が残されている。
 昭和53年からの発掘調査では炉床とみられる遺構が2本の煙突に対応して確認され、
  主に西側の炉床で操業されたと考えられている。
 煙突前方の広場では建物・囲・柵が確認されており、
  現在、これらの位置は低い土檀で表示し、柱の位置に玉柘植を植えている。
             (説明板から)


 萩藩の記録で確認できるのは、
  安政3年(1856)の一時期に
   試験的に操業され金属の溶解実験が行われた
  ということだけであることから、
  萩反射炉は試作的に築造されたと考えられている
 江戸時代末期、萩藩は外国からの脅威に備え軍事力の強化をはかるために、
  鉄製大砲の鋳造に必要な反射炉の導入を試みた。
 安政2年(1855)、反射炉の操業に成功していた佐賀藩に藩士を派遣し、 
  鉄製大砲の鋳造法伝授を申し入れるが、拒絶され、
  反射炉のスケッチのみを許される。
 このスケッチをもとに萩反射炉を建設した。
 現在残っている遺構は煙突にあたる部分で、
  高さ10.5mの安山岩積み(上方一部レンガ積み)
 オランダの原書によると、反射炉の高さは16mなので、約7割程度の規模のものになる。
  西洋の科学技術への試行錯誤を象徴している遺構。
 反射炉の遺構は、萩のほか韮山(静岡県)と旧集成館(鹿児島県)にあるだけ

 韮山反射炉は見学した。
茨城県ひたちなか市に「那珂湊反射炉(復元)」(茨城県指定史跡)がある。

松下村塾
松陰神社

萩市椿東
撮影日2025/11/25

明治維新の先覚者 吉田松陰を祀る神社。
境内には、松下村塾をはじめ、さまざまな史跡や資料館等がある。


松陰神社鳥居

この奥に「松下村塾」がある。

石碑「明治維新胎動之地」
昭和43年(1968)、
  明治維新100年を記念して建立
揮毫は故佐藤栄作元首相

吉田松陰の句碑 辞世の句
親思ふこころにまさる親ごごろ
     けふの音づれ何ときくらん

安政6年(1859)10月20日付けで
 家族に宛てた遺書の中で詠われたな和歌
 松下村塾    国史跡
 吉田松陰が安政4年(1857)年主宰した私塾。
 移築ではなく、当時からこの位置に建つ。
 平成27年、ユネスコの世界文化遺産に登録。
内部には、松下村塾ゆかりの人々の
肖像か貼られている
 吉田松陰幽囚の旧宅
 松陰の実家、杉家の旧宅で、当時よりここに建つ
 松陰は、この邸内の3畳半の1室に幽囚されていた


右の石碑は「天皇陛下皇后陛下行幸碑」 
左の石碑は「皇太子殿下皇太子妃殿下行幸碑」


後ろは「孝行竹」
インドシナ原産で
横走地下茎が発達せず、横にはびこらず
親竹の周りにのみ竹の子が育つ
親を守る竹という意味で孝行竹という

  

萩藩主毛利家墓所
東光寺墓所 

萩市椿東
撮影日2025/11/25

萩藩主毛利家墓所の見学に東光寺へ
南にある寺専用の駐車場に駐車。10台位は駐車できそうだ。
拝観料一人300円。
ここからだとすぐ大雄宝殿で、西約200mに総門がある。

 東光寺
 萩藩三代藩主の毛利吉就公が創設した黄檗宗の寺院。
 境内の総門、三門、鐘楼、大雄宝殿が国指定重要文化財である。

東光寺大雄宝殿(本堂) 重文

東光寺大雄宝殿内部

四大夫十一烈士の墓
 奥は毛利家墓所

禁門の変(1864)と下関戦争の敗北により、
 尊皇攘夷派が一掃され、
 恭順派が藩の政権を握った時代に、
 尊皇攘夷派の11名が野山獄に投獄され、
 斬首されたことを受けて建立された

毛利家墓所は、東光寺の奥にある。

 萩藩主毛利家墓所(東光寺墓所)には
  3代藩主・毛利吉就、5代・毛利吉元、7代・毛利重就、9代・毛利斉房、11代・毛利斉元
  という3代〜11代の奇数代の5藩主が眠る

 墓所内にある墓石の総数は40基で、藩主の墓5基を除いた35基は、藩主室、一族などのもの。
 参道には重臣から献上された石灯籠約500基が、整然と立ち並んでいる。

墓所入口への参道

墓所入口

 

 

藩主夫妻の墓

石灯籠約500基!!
 藩祖となる毛利輝元の墓は、旧天樹院墓所(萩市堀内)
 萩藩初代藩主・毛利秀就以下、2代?12代までの偶数代の7藩主と
  夫人および一族と毛利秀就に殉死した7藩士の墓、合計52基は大照院墓所(萩市椿青海)
 13代・毛利敬親と夫人、さらに毛利家歴代諸霊の墓計7基と
  初代・毛利秀就の母・周慶寺殿の墓は、香山墓所(山口市香山町・香山公園内)

   

下関市に向かいます

江良古墳群(下関市)につづく

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