北村さんちの遺跡めぐり
更新日2022/3/11

美作の国旅行記 その5
川東車塚古墳から
   (真庭市2)
撮影日2021/11/20〜23

三日目です。    2021/11/22
朝から雨… 
真庭市の真庭シティホテルサンライズを8時半ごろ出発して、川東車塚古墳へ。

周辺の地図g

川東車塚古墳
 
県指定史跡
真庭市西原
撮影日2021/11/22

旭川東岸の尾根頂部に位置する。
中国自動車道の北の道路沿いにに「西原浄水場」と「川東車塚古墳」の案内表示がある。
浄水場のそばにある。

 川東車塚古墳は 全長59.1mの前方後円墳
  後円部径33m・高さ4.5m、くびれ部幅14.4m・高さ2.7m
   前方部長26.1m・前方部先端幅21m・高さ3.5m
 葺石有り
 二重口縁壺型土器が出土しているが、埴輪はない。
 粘土槨に割竹形木棺があったと考えられている。
 赤色顔料が検出されて、刀子3が出土した。 (続古墳辞典から)。
 4世紀後半の築造と推定されている。

川東車塚古墳 図
  (続古墳辞典から)

1996〜99年調査

後円部

後円部頂には、V字の大きな陥没坑がある。

後円部から前方部を見る

くびれ部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

前方部脇から後円部を見る

    

稲荷山古墳 (神毛1号墳)
日名古墳群
 
市指定史跡
真庭市日名
撮影日2021/11/22

川東車塚古墳の北西、直線で約4kmの山あいの日名の集落には、日名古墳群がある。

 日名古墳群
 旭川の支流・当摩川の両岸の丘陵斜面にあり、前方後円墳2基を含む計37基で構成されている。
 川の南北両岸にある2基のうち南にあるのが稲荷山古墳(別名日名13号墳)
 北にあるのが、ムスビ山高塚古墳。   (古墳辞典から) 

ムスビ山高塚古墳と稲荷山古墳という前方後円墳は、横穴式石室が開口しているという。
雨が降っているので、山の中に入るのは難しいので、麓近くにあるらしい稲荷山古墳に行ってみる。

 稲荷山古墳 別名・神毛(コウノケ)1号墳は  全長21mの前方後円墳
  後円部径14m・高さ3m 前方部幅11m・高さ1.5m くびれ部幅11m
 幅1.6m・深さ0.5mの周溝がめぐっている
 葺石なし 埴輪なし
 東に開口している左片袖型の横穴式石室は全長7.4m
  玄室長さ4.55m・幅2.1m・高さ2.25m 羨道幅1.05m・高さ1.2m 
 玄室奥には組み合わせ石棺の痕跡がみられる
 石室内から
  勾玉10・管玉3・切子玉5・黒色土玉250・丸玉34・小玉3・金環8・滑石製紡錘車1
  ・刀子4・鉄斧1・直刀鐔1・鉄鏃約10・馬具片・飾り具片・ホ具片
  ・土師器6・須恵器11・人骨片  などが出土
 周溝内からも須恵器甕片が出土
 6世紀中頃〜後半の築造と推定されている。
 1969年(昭和44)に発掘調査。 (古墳辞典には、「神毛1号墳」として掲載されている。)

後円部

後円部から前方部を見る

くびれ部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

横姿
  左に前方部

実は、横穴式石室は見つからなかった…。
石室入り口は普段竹で隠されているという話もあるので、簡単には見つからないのかもしれない。

真庭市冨尾の慣カモトセルフ真庭でガソリン給油後、北上!

小山古墳
市指定史跡
真庭市組
撮影日2021/11/22

稲荷山古墳から北に約5km(直線で)、
まわりが市街地化している中に、独立丘陵として残っているというので、行ってみる。
説明板が3枚あった。

 小山古墳は 直径12.9m・高さ2.5mの円墳
 東側には溝がある。
 南に開口する無袖型の横穴式石室は 
  玄室部長さ4.8m・幅2.0m・高さ2.25m  羨道長さ1.9m・幅1.6m
 遺物は出土していない。
南の道路脇に説明板 説明板拡大
独立丘陵の東南ふもとにも登り口の説明板 登り口
 説明板には「幅130m・高さ30mの小山を古墳に見立ててつくられたもの」と書かれている。

奥に墳丘と説明板が見える
山の上はドウダンツツジがきれいだ

墳丘
ここにも説明板がある。

古墳前の説明板

旧勝山町の説明板だ

天井石は
6枚中5枚残っていると書かれている。


南側に開口部

石室入口から石室内部を見る

奥壁 真ん中の天井石がない

石室内部から石室入口を見る

「小山を一つの古墳に見立ててつくられた」という説明がおもしろい。

これから行く四ツ塚古墳公園でランチしようと、セブンイレブン湯原禾津店にて昼食を買う。

蒜山の南麓にある四ツ塚古墳の資料をもらうために蒜山郷土博物館へ


蒜山郷土博物館

団体様が見学に来ていて
忙しそうだったので資料だけ
もらった。

資料といってもB4サイズのプリント1枚!


博物館玄関から見た展示の様子

四ツ塚1号墳と13号墳の出土品が展示されているようだ。

13号墳では、埴輪が出土している。



蒜山古代体験の森 案内図

四ツ塚古墳公園、ふれあい広場、蒜山文化伝承館、ふれあいの館
がある。

蒜山郷土博物館のパンフから
まず水別古墳から

水別古墳群 真庭市上長田
蒜山郷土博物館

撮影日2021/11/22

蒜山郷土博物館の庭に移築復原されている古墳群。

 水別(ミズワカレ)古墳群
 もともと(旧真庭郡八束村)下長田の、北から南に延びる支丘上にあったが、
  1996年(平成8年)、県道改修の際、保存状態のよかった1号墳と2号墳が調査され、
  保存状態のよかった1号墳と2号墳の横穴式石室が移築復元された。
 両古墳とも、6世紀後半の築造と推定されている。
 山陰地方の石室と共通する特徴がある。

1号墳前の説明板
 水別1号墳は  径7mの円墳
 石室前庭部から左右に外護列石を築いている。
 南東に開口する横穴式石室は全長4.35m  玄室長2.25m・幅2.1m・高さ1.64mの両袖式

1号墳石室 図  (続古墳辞典から)

玄室の平面形は方形
天井がドーム状になっている。
 石室や前庭部から、須恵器14・直刀2・刀子1・耳環6.勾玉7・管玉8・切子玉5
  ・丸玉8・土玉7・鉛ガラス丸玉1・ガラス小玉101などが出土
 6世紀後半の築造と推定されていて、
  被葬者の歯も出土して、鑑定したところ、5人以上が埋葬されていて、
  7世紀〜8世紀前半まで追葬が行われていたと考えられている。
    (続古墳辞典・説明板から)

1号墳の石室移築保存

石室開口部 外護列石がある。

奥壁  両壁はドーム状に持ち送り

石室内部から開口部を見る
 水別2号墳は 径7mの円墳
 墳丘内に土砂流失防止のためと思われる列石がある。
 南東に開口する横穴式石室は全長3.9m 
  玄室長2.10m・幅1.08m・高さ1.06mの両袖式
 玄室の平面形は、長方形
 石室から、須恵器1・刀子1・耳環6・勾玉1・滑石製小玉1・ガラス製小玉75が出土
 6世紀後半の築造と推定されていて、
 歯も出土して、3人以上が埋葬されているので、追葬があったと考えられている。
     (続古墳辞典・説明板から)
2号墳石室保存 天井石はほとんどない 手前が2号墳石室  奥は1号墳
 水別3号墳は  かなり壊れていたが、一辺6〜7mの方墳
 南東に開口する横穴式石室は、一部しか残っていなかった
 保存されていない。   (続古墳辞典から)

    

四ツ塚古墳群
1〜4号墳が国史跡
真庭市蒜山上長田
撮影日2021/11/22

蒜山郷土博物館の東側は、四ツ塚史跡公園。
1号墳から4号墳の大きな古墳が並んでいるので、古くから「四ツ塚」と呼ばれてきた


右から四ツ塚1、2、3号墳

    

 四ツ塚古墳群は 蒜山南麓の高原に築かれた古墳群で、
  19基確認されていて16基が現存している。
 6世紀頃の築造と推定されている。
 大形 (径20m以上) 1〜4・8・11・13〜15号墳
 中形 (径15m前後) 5・6・9・12号墳
 小形 (径10m前後) 7・10・17〜19号墳 

配置図

(8号墳の前の説明板から)

7号墳・12号墳は消滅
16号墳は書かれていない

一番西側の1号墳から東方向の尾根筋に2〜4号墳の大きな円墳が並んでいる。
まず1号墳から

 四ツ塚1号墳は  最も西にある径27m・高さ4mの円墳
 北に開口する横穴式石室は 玄室長4.88m・幅1.9m・高さ2.32mの右片袖式
 石室内は赤色顔料で塗られていた。
 床には石や木炭が敷かれていた。
 人骨のほか、須恵器、土師器、刀、馬具、鍛冶具、玉類などの副葬品が出土。 

1号墳 説明板


小型の川原石を
  高く積み上げた石室
 1916年(大正5)に調査

四ツ塚1号墳 墳丘
墳頂に祠
がある

 北から見た1号墳墳丘 
群中、唯一石室が開口している。

石室入口には柵があって入れない

石室内部

1号墳の東に2号墳、その東に3号墳、その東に4号墳。
その周囲に、17・18・19・5・6・7号墳がある。
7号墳(径10m前後の円墳)は、消滅している。
16号墳は、そもそも図には書かれていないが、痕跡があるような…

 四ツ塚2号墳  径20m以上の円墳

四ツ塚2号墳墳丘

左奥・四ツ塚2号墳、右手前・四ツ塚3号墳
 四ツ塚3号墳  径20m以上の円墳

3号墳墳丘

3号墳 方向を変えて見る
 四ツ塚4号墳  径20m以上の円墳

4号墳 墳丘

4号墳 方向を変えて見る
 四ツ塚17号墳  径10m前後の円墳

  
 四ツ塚16号墳(径10m前後の円墳)の痕跡?

  
 四ツ塚18号墳  径10m前後の円墳

  
 四ツ塚19号墳  径10m前後の円墳

  
 四ツ塚5号墳  径15m前後の円墳
 四ツ塚6号墳  径15m前後の円墳

4号墳の北側の墓地の周辺に、8・9・10・11・12号墳がある。
12号墳(径15m前後の円墳)は削られて墓地となっている。

 四ツ塚8号墳  径20m以上の円墳
 四ツ塚11号墳  径20m以上の円墳

 11号墳は墓地で削られている。
 四ツ塚9号墳  径15m前後の円墳
四ツ塚10号墳  径10m前後の円墳

写真を撮り忘れた…。
半分削られていた古墳だと思う…。

墓地の東の大きな墳丘は15号墳。

 四ツ塚15号墳  径20m以上の円墳

15号墳 墳丘 西から見る

15号墳 南から見る

墓地のさらに北の林の中に13号墳と14号墳が保存されている。
2基とも、帆立貝形古墳だが、整備されていないので、形をはっきり見ることはできない。
13号墳は発掘調査された。

 四ツ塚13号墳は  全長23.3mの帆立貝式古墳
 後円部径19m 長さ4.3m・幅3.0〜6.6mの前方部
 周溝がめぐる。
 墳頂部に、家形埴輪、造り出し部付近に馬・鶏等の形象埴輪、周囲に円筒埴輪が並べられている。
 埋葬施設は2基の組合式木棺
  墳丘中央の埋葬施設は、全長2.6m・幅1m前後
  東南側の埋葬施設は、全長2.6m・幅0.72m
 中央の埋葬施設とその上から、変形五獣鏡・瑪瑙製管玉・ガラス製小玉
  ・櫛・漆製品・鉄刀・鉄鏃・金具・鉄製轡・杏葉・雲珠・辻金具・須恵器
 東南側の埋葬施設から
  ガラス製小玉・小玉・櫛・鉄刀・鉄鏃・刀子・須恵器 が出土。
 6世紀前半の築造と推定されている。
 1952年(昭和27)発掘調査    (古墳辞典から)

後円部
  

前方部から後円部を見る
  
 四ツ塚14号墳  径20m以上の円墳 13号墳より大きい

手前が前方部
  

後円部
 りっぱな周溝が確認できます! 

古墳公園には、トイレのある休憩所があるが、鍵がかかっていて入れないので
 仕方なく、自動車内でランチ…。
トイレは博物館駐車場にあるのを利用した。

さて、津山市に戻ります。
湯原ICから久世ICまで 中国横断自動車道(米子道)を利用、効率よく津山市に戻った。 

三成古墳へつづく

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