北村さんちの遺跡めぐり
更新日2022/2/19

美作の国旅行記
その4  大谷・定古墳群から  (真庭市1)
撮影日2021/11/20〜23

二日目午後の部です。午前中に津山市の古墳を見て、真庭市の「大谷・定古墳群」へ。

周辺の地図g

津山市の井口車塚の近くの津山ICから中国自動車道に入り、北房ICで下りる。
昼食は、途中の真庭PAで。
いよいよ真庭市の古墳見学!
国道313号線沿いに「古代王墓の谷」という大きな案内表示があり、
  東に行けば「定古墳群」、西に行けば「大谷1号墳」。

 大谷・定(オオヤ・サダ)古墳群  国史跡
   横穴式石室をもつ定東塚・定西塚・定北・大谷1号・定5号・定4号を総称して
  大谷・定古墳群
という。
 6基の古墳はいずれも石垣状の列石の段構造の方墳であることを特徴としている。
 7世紀代の築造と推定されている。(説明板から)

「大谷・定古墳群」として国史跡となる。
西の大谷1号から見学。

大谷1号墳
 「大谷・定古墳群」として国史跡
真庭市上中津井
撮影日2021/11/21

史跡公園となっている。

 大谷1号墳
 東西22.7m・南北16.2mの方墳
 3段の墳丘と前面に2段の基壇をもつ5段築成
 高さは1段目から墳頂まで8m
 墳丘は南斜面をコの字に削り込んでつくられている。

墳丘図 (古墳辞典から)
方眼は1マス10尺(297cm)

発掘調査時の写真 (説明板から)
 
       
 両袖式の横穴式石室は全長6m、玄室長3m、幅2m、高さ1.8m
  羨道は長さ3m・幅1.2m 玄門と開口部に仕切りを設ける。
 石室内は床には一面に敷石があり、西に釘付木棺、東に家形陶棺が納められていた。
 木棺側から鉄鏃、陶棺側から金銅装双竜環頭大刀と金銅製品などが出土
 前庭や墳丘周辺から須恵器、土師器が出土している。
 7世紀後半の築造で、末頃まで祭祀が行われたものと推定されている。
 1988年(昭和63)、92〜94年(平成4〜6)に発掘調査
 金銅装双竜環頭大刀と金銅製品は県の重要文化財・考古資料に指定されている。
金銅装双竜環頭大刀
石室の奥壁に沿う形で出土
全体が金色に飾られている。
全長110p (説明板から)
金銅製品
環頭太刀の鞘尻付近で出土
長さ10p・幅7p
(説明板から)

大谷1号墳全景

南南東に向いている。

南西の角から見た墳丘

南東の角から見た墳丘

横穴式石室開口部 

奥壁を見る

右側側壁

左側側壁

石室内部から開口部を見る

北側の山側から見た墳丘

鳥取県にも似たような古墳があるはずだが、見てない…。

才田古墳群 真庭市上中津井
撮影日2021/11/21

「大谷・定古墳群」には入っていないが…。
大谷1号墳の西約400mにある。
道がないので、大谷1号墳から東に出て 
北にぐるーっと迂回したところの願成寺の南の小さな独立丘陵にある4基の古墳。
そばの墓地の駐車場に駐車して、山に入ってみる。

 才田古墳群は  単独丘陵の山頂付近に位置する4基からなる古墳群
 山頂の神社らしき建物に行く山道脇にあるのは、4号墳。
 社殿後ろに1・2・3号墳が並んでいる。
 4号墳 
 径10m・高さ2mの円墳  石室は破壊されている。

山道(参道?)の左側

石材が露出しているらしいが、
 見当たらなかった。
 1号墳
 径9m・高さ2mの円墳
 南に開口する横穴式石室は玄室長さ3m・幅0.8m・高さ0.5mの規模。
 天井石が1石乗る。 

1号墳墳丘
   

開口部
   

石室内部 かなり埋まっている

石室背後から見た墳丘 葺石がある?
 2号墳
 1号墳に接する径5m・高さ1mの円墳
 神社側は境内で削られている。

墳丘

方向を変えてみる
 3号墳
 2号墳に接する径8m、高さ1.5mの円墳
 南に開口する横穴式石室の石材が一部露出している。。

墳丘

石室の痕跡

行く前は、どこに古墳群があるか不安だったが、確かに古墳群があった!

さて、「大谷・定古墳群」に戻り、大谷1号墳の東にある定古墳群に行こうと思って 
 313号線を横断しようとしたとき、道路際に石室を発見!


道路際の古墳?!

どう見ても石室なんだけど、何の説明もない…


  

定古墳群
 「大谷・定古墳群」として国史跡
真庭市(旧北房町)上中津井
撮影日2021/11/21

「大谷・定古墳群」のうち、東側にある定古墳群の見学。
国史跡で、駐車場完備!


説明板を兼ねたモニュメント
 説明の部分がすっかりはげて全くわからない…。

これから後の説明板も
ほとんど読めない!残念です

定西塚と定東塚が、 一つの古墳のように寄り添っている。

左側が定西塚
右側が定東塚

中津井川東岸に張り出した丘陵の
 南裾部にある。



定西塚・定東塚 墳丘図
(古墳辞典から)

かつては定古墳と呼ばれ、
全長32mの前方後円墳とみられていたが、
1994-1997年の発掘調査で、2基の方墳と判明した。
まず定東塚古墳から。

 定東塚古墳
 南北25m・東西18m・高さ6mのいびつな方形墳
 墳丘周囲には2段の外護列石をめぐらしている
 南に開口する横穴式石室は全長11.6m 
  玄室長5.5m・玄室幅2.1m〜2.5m 玄室高2.6m・羨道長6.2m
  羨道幅1.8m、羨道高2.2mの両袖式
 玄室内には陶棺4基と釘付木棺が納められていた。
 石室内から装身具(耳環・小玉・金糸・歩揺)、武器(大刀・鏃・鉾・両頭金具)、
  馬具(轡・杏葉・鞍・辻金具)、農工具(鋤先・刀子)、斧状鉄製品、須恵器、土師器
  などが出土。
 7世紀前半に、定西塚に先行して築造されたと推定されている。
 古墳群の中では最古の築造と考えられている。

発掘調査時の写真

 (説明板から)

墳丘 左には定西塚がある

石室開口部

石室内部

石室内部から開口部を見る

左側側壁

右側側壁

定東塚の西に隣接する方墳が定西塚古墳。

 定西塚古墳
 南北16m・東西14m・高さ4.5mの方墳
 墳丘周囲には2段の外護列石をめぐらしている
 横穴式石室は全長10.7m
  玄室長5m、幅2.2m、高さ2.6m、羨道長5.9m、幅1.7mの右片袖式
 玄室内には、陶棺6基釘付木棺が納められていた。
 石室内から武器(方頭大刀・鏃・刀子・両頭金具)、馬具(轡)
  ・須恵器、土師器などが出土。
 古墳時代終末期の7世紀前半頃の築造と推定されていて、
  定東塚古墳に後続すると考えられている。

定西塚古墳 発掘時の写真
(説明板から)

外護列石の様子

墳丘 右に定東塚がある

開口部

石室内部

石室内から開口部を見る

定東塚の東側の山道を北に約70mのところに定北古墳がある。
中津井川東岸に張り出した丘陵の南斜面につくられている。

 定北古墳
 東西21m・南北25.3mの長方形墳
 外護列石を3段にめぐらしている。
 横穴式石室の開口部に取りつく中段の列石は高さ1.8mでその規模は南北17.5m東西14.9m。
 開口部から下段の外護列石に向かって通路上の仕切りがある。 (大谷1号墳と同じ)
 南に開口する両袖型の横穴式石室は 全長10.2m
  玄室は長さ4m・幅2.1m・高さ2m    羨道長さ6.2m・幅1.5m
 玄室には平石を、羨道には円礫を敷いている
 石室内には陶棺4基木棺1基が納められ、うち陶棺の1基には「記」の字が線刻されていた。
  追葬の蔵骨器(薬壺形須恵器)も納められていた。
 装身具(小玉・切子玉)、武具(太刀・鏃・両頭金具)、
  須恵器、銅椀、斧状鉄製品などが出土した。
 開口部両脇・中段外護列石南東隅において須恵器の甕が出土。
 定西塚に後続し、大谷1号墳に先行する7世紀中葉の築造と推定されている。
 1990〜1993年(平成2〜5)に発掘調査

墳丘図 (古墳辞典から)
方眼は1マス10尺(297cm)

発掘時の写真
(説明板から)

案内標柱がある

墳丘 右が開口部

開口部

石室内部 礫岩の切石

奥壁

石室内部から開口部を見る

さらに北に進むと、石が散乱した場所に出る。
定4号墳の前には案内標柱は見当たらない。

 定4号墳
 南北6.6m・東西8.2mの方墳 高さ2.6m(基壇を含む)
 前面に基壇を伴う3段築成 2列の外護列石をめぐらしている
 南に開口する無袖型の横穴式石室は 全長1.3m・幅0.7m(奥壁あたりだけか)
 石室内からは遺物は検出されていないが、調査区南端から板状鉄製品が出土している。
 7世紀末頃の築造と推定されている。。
 古墳群のうちでは最も新しく最も小さい

発掘時の写真
   (説明板から)

2006年(平成18年)に発掘調査。

墳丘

石が散乱している

さらに北。定古墳群の最奥部に所在する定5号墳。

 定5号墳
 東西10.4m・南北8mの方墳
 2段築成
 南東方向に開口する横穴式石室がある
 現存する天井石の上面には切妻屋根状に加工された痕跡がある。
 出土した須恵器から、7世紀末頃の築造と推定されている。
  (大谷1号墳と同時期)

発掘時の写真
   (説明板から)


2006年(平成18年)に発掘調査

墳丘

石室が残っている

天井石は屋根みたい

反対側から見た石室

定古墳群の南にあるという大塚古墳を探すが見つからないので、次!

下村1号墳
市史跡
真庭市(旧北房町)下中津井
撮影日2021/11/21

山あいの細い道に無理やり突っ込んで駐車。そばの家の男性に駐車のお願いし、行き方を尋ねて向かう。
ため池の向こう側。案内表示はあるが、そこからまだだいぶ先…。

 下村1号墳
 直径25m・高さ5mの円墳
 南側に開口する横穴式石室は、全長12.3m
  玄室部長さ6.5m・幅2.4m・高さ2m  羨道部長さ5.8m・幅1.7m・高さ1.5m
 土師質の陶棺が出土
 6世紀後半の築造と推定されている。

墳丘!

手前の天井石が落ちている!怖くて入れない…

石室内部

墳頂から開口部を見下ろす

無理やり駐車した車は、そばの家の男性のナビで下の道路までバックで…。
お世話になりました! 

立1・2号墳
市史跡
真庭市(旧北房町)上水田
撮影日2021/11/21

山裾の集落の空地に駐車。
古墳の手前に、説明板の石碑があるが、説明の部分がすっかりはげて全く見えない。


説明板にあったはずの図 
 (ネット検索から)


右下の図が
 立1号墳と2号墳の位置関係図

   
       

 立(タチ)1号墳
 全長88mの前方後円墳  後円部径40m・高さ7m  前方部を南に向けている。
 地山を整形した高さ3mの基壇の上につくられている(2段築成ということか)
 基壇からだと後円部は径56m・高さ11.5m
 前方部は改変されていて不明瞭だが、長さ45m・幅55m・高さ6m程度と考えられている。
 葺石なし 埴輪なし
 後円部の埋葬施設は不明だが、
  後円部と接する前方部で竪穴式石室が発見されている。
 5世紀中葉〜後半の築造と推定されている。
 平成7年に発掘調査
 吉備北部では最大級の古墳

立1号墳 墳丘図 (古墳辞典から) 

後円部から前方部を見る

くびれ部から後円部を見る

前方部脇から後円部を見る

1号墳の前方部先端の東側に2号墳の後円部がある。

 立2号墳
 全長69mの前方後円墳  後円部径30m・前方部長さ36m・幅41m
 前方部は墓地となって大きく削平されている。
 前方部を北東に向ける。

1号墳前方部そばの2号墳後円部

前方部から後円部を見る

駐車した所のそばに住む女性が出てきて、見慣れない自動車を見てビックリ!
「古墳を見に来ました」と挨拶したら、「ゆっくり見ていってください」と言ってくださいました。

荒木山西塚古墳・東塚古墳
荒木山西塚・東塚古墳」として市史跡
真庭市(旧北房町)上水田
撮影日2021/11/21

町道脇の案内表示の向かい側の駐車場に駐車。(何の駐車場かはわからないが…。)


町道脇の案内表示(右の石柱)
横の細道から山に入るとすぐ墳丘がある。

二つの古墳の間に、説明板の石碑があるが、
説明の部分は消えている。


説明板にあったはずの図

(ネット検索から)

右下の図が
 荒木山西塚と荒木山東塚の位置関係図


この図では、
荒木城御前古墳の東塚・西塚という名前になっている!?



説明板にあったはずの図 
 
(ネット検索から)

東塚・西塚の実側図

2基のうち、西にあるのが前方後円墳の西塚古墳。

 荒木山西塚古墳
 全長63mの前方後円墳  後円部径36m、高さ6m、
 中央やや南寄りの位置に長さ約4.5m、幅約0.9mの竪穴式石室がある。
 未調査のため詳細は不明。

後円部 向こう側に前方部

後円部から 細い前方部を見る

前方部から後円部を見る

前方部脇から後円部を見る

後円部頂に竪穴式石室

石室拡大
 西塚の後円部の東に円墳上の高まりがあり、その向こうに東塚の前方部がある。

西塚後円部から見た東塚

東塚は奥の墳丘。
中央は円墳上の高まり

東塚は前方後方墳。

 荒木山東塚古墳 
 全長45mの前方後方墳
  後方部高さ2.3m・前方部幅16m・高さ0.8m、
 未発掘のため詳細は不明
 前方部の形態などから古墳時代前期の築造と推定されている。
 前方部は鎌倉〜室町時代の山城により変形されている。
 後方部墳頂には祠が祀られている。

前方部側 向こう側に後方部

前方部から後方部を見る

後方部頂にある祠

後方部から前方部を見る

東塚前方部から西塚を見る

奥の高まりが、西塚後円部

手前は、円墳状の高まり

きれいな墳丘が残っている。

山田古墳 真庭市山田
撮影日2021/11/21

行く前に調べていたら、「87番お堂の東脇に位」という意味不明の古墳を見つけた。
見学しやすそうだったので行ってみる。
墓地の横の林の中に墳丘!
周辺は開けているが、周辺よりも標高が高い所にある。

 山田古墳は  封土消失、石材露出。
 南東向きの横穴式石室も埋没。石室長5mの規模。

87番お堂?

何の87番なのか
調べてもわからない…。

右に墳丘!

山田古墳!

墳頂には、石材が散乱している。

詳細不明…

一色八幡古墳
市史跡
真庭市一色
撮影日2021/11/21

一色八幡神社境内に石室が残っている。
南のふもとからは階段だが、西からなら自動車で境内に行ける。

 一色八幡古墳は 一色八幡神社境内にある横穴式石室。
 横穴式石室の石材が完全に露出しているが、内部はかなり埋まっている。
 羨道部は消滅。
 現存長8.9m・幅1.7m、。六世紀後半の築造と見られます

一色八幡神社 社殿


この手前に横穴式石室が鎮座している。

横穴式石室開口部
袖部には大型の袖石を両側に立てる

東から見た石室石組み 左が開口部

西から見た石室 右が開口部

奥壁側

石室内部 埋まっている

石室内部から開口部を見る

日暮れてから、おもしろい古墳を見学できた!

一色八幡神社の東約700mの丘陵の墓地奥の山道に、永明寺古墳があって、横穴式石室が開口しているという。
真っ暗な中、探したが、見つからず、本日は終了!


すき家313号真庭店(真庭市惣146-1)で、夕食

久しぶりに
夕食の写真です!

セブンイレブン久世中島店(中島395-1) 明朝食を準備して、
 真庭シティホテルサンライズ(真庭市惣258-6)に宿泊!

川東車塚古墳につづく

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